作品タイトル不明
間章 ー英雄のいない日々ー
王都エルトブールの北に位置するオルミット地区。
王立大学や士官学校が設立されている地域であり、一般的に王都の人間には学生街とも認識されている地区である。
そんなオルミット地区の片隅に、グリーン亭と呼ばれる安酒場が存在する。
学生は基本的に飲酒が厳禁であることから、主に学校の職員や近隣住民に愛用されている店であった。
店の一階は酒場となっており、今日もいつもと変わらぬにぎわいを見せる。
そんな店の二階は一部の団体客用の個室と簡易の宿泊部屋が設置されているのであるが、団体用の広い個室は現在たった二人の男性によって貸し切られていた。
一人の男は銀髪のやや険しい顔付きをした偉丈夫であり、もう一人の男はニコニコした表情を浮かべるキツネ目の男。
彼等は昔からの馴染みであるこのグリーン亭の二階にて、久方の対面を果たしていた。
「……それで、ユイの行き先はわかったか?」
「レンドルマン伯爵の私邸に忍び込み、フェルナンドの妹さんを連れだしてきたところまでは辿れたんだけどね。残念ながら、その後はきれいなまでに足跡を消している。まあ、さすがというべきだろうね」
リュートの問いかけに対し、アレックスは首を左右に振りながら、やや苦い表情を浮かべてそう返答する。
「くそ、あいつめ。めんどくさいことは全て俺達に押しつけやがって」
「ふふ、まったくね。それでリュート、君はこれからどうするつもりなんだい?」
舌打ちを行いながら愚痴をこぼすリュートに対し、アレックスは同意の意を示しつつ、今後の活動方針を問いかける。
すると、リュートはわずかに逡巡した後に、重い口を開いた。
「……ふん、あいつの置き手紙の内容は覚えているか?」
「ああ、僕と君宛の分だね。もちろん、覚えているよ」
リュートの言葉を受けて、アレックスは二人宛として用意されていたユイの書き置きの内容をはっきりと思い出すと、そのまま肯定の返事を行う。
アレックスのその回答に、リュートは渋い表情を浮かべたまま、大きな溜め息を吐き出した。
「悔しいが、しばらくはあいつの描いた絵に乗ってやる……だが、絶対にそのまま隠居などはさせんがな」
彼ら宛ての置き手紙の最後に書かれていた『今後クラリスに自分の存在が必要とならない場合、そのまま隠居させてもらう』という文面を思い出すと、リュートは軽く下唇を噛む。
一方、そんなリュートの表情を目にしたアレックスは、やや達観した面持ちで当面の問題を彼に向かい提示した。
「まあそれは置いておくにしても、差し当たっての問題は、フェルナンド君が僕達への協力を受け入れてくれるかだけどね」
「それは心配いりませんよ、アレックスさん。僕はあなた方に協力する……それはユイさんが妹を助けだしてくれた時に決めたことですから」
突然若い男性の声が個室内に響き渡ると、室内にいた青年たちは部屋の入口へと視線を走らせる。
二人の視線の先には、彼らのよく知るブラウン色の髪を軽く伸ばした青年がそこに佇んでいた。
「フェルナンド……か。よくこの場所がわかったな」
「お久しぶりです。ここのことは、あいつに聞きましたから」
「あいつ?」
フェルナンドの返答を受けて、リュートはわずかに眉間に皺を寄せる。
すると、フェルナンドはやや躊躇しながらも、この場所を告げた男のことを口にした。
「ええ、あの金髪の女たらしに、この場所は聞きました」
「なるほど、エインスの奴か」
納得したとばかりにリュートは、一つ頷く。
一方、彼らの会話を耳にしたもう一人の赤髪の男は、脳の片隅に置かれていた古い記憶を掘り起こすと、やや意外そうな表情を浮かべ、疑問を口にした。
「フェルナンド君。僕の記憶が確かなら、彼と君とはあまり仲が良くなかったと記憶しているんだけど」
「どちらかと言うとあいつが一方的に僕を嫌っているだけですよ。でも、まあ仲が良くないというのならそうなんでしょう」
「そんな君たちが連絡を取り合っていると?」
アレックスは目の前の人物を改めて測り直すかのように、重ねてフェルナンドへとそう問いかける。
すると、フェルナンドは肩をすくめながら、軽く苦笑した。
「現在の状況下でうちの妹を安心して預けられる場所は、残念ながらあいつのいるライン家くらいしかない。つまりはそういうことですよ」
現在、国内で大騒ぎとなっているレンドルマン伯爵邸からの伯爵夫人失踪事件。
なにしろブラウ公の親戚筋にあたり、決して小貴族とは言いがたい伯爵家の婦人が、突然煙のように消え失せたのである。
その事件が公となって以降、王都内には様々な風聞が流れることとなった。
なにしろレンドルマン伯爵は女癖が悪いことで有名であり、以前より婦人とは喧嘩の噂が絶えず、そのせいでコロネ伯爵夫人は社交界に一切出てきてないとまで言われていたのである。
それ故に、女遊びの邪魔になった婦人をついに消しただの、愛想を尽かした婦人が夫の下から逃げ出しただのという様々な風聞が、今も尾ひれをつけながら王都を駆け巡っているところであった。
そして現在、噂の中心となっている当のレンドルマンは、顔を真っ青にしながら必死になって夫人の捜索を行っている真っ最中である。
それはもちろん、愛する妻が消え去ったからではなく、コロネとの婚姻が貴族院の長であるブラウが主導して行われたからであり、彼女が本当に失踪したとなると、レンドルマンはブラウの面子に泥を塗った事となるためであった。
この不可解なレンドルマン婦人失踪事件であるが、グリーン亭の二階に集った面々は、黒髪のだらしない男がその犯人であることをかなり早期の段階より確信に至っている。
それ故にリュートとアレックスは、妹を預けたという発言自体に対しては、それ以上言及しなかった。
「しかしライン家ね……あの家にも女癖の悪い男がいるけど。でも、まあいくらエインス君でも、君の妹に手を出すほど馬鹿ではないか」
「はは。さすがにあいつに対して、それくらいの信頼はしていますよ、アレックスさん」
軽く笑い声を上げてみせるも、フェルナンドの目は決して笑ってなかった。
そんな彼の表情を目にしたリュートは、内心でほんのわずかに不安を覚える。しかしいくらなんでも時と場合の判断くらいはエインスであっても付くだろうと考え、彼はコロネに関する事件のことを頭の片隅へと追いやった。
「取り敢えず、お前たちの関係はこの際どうでもいい。それより、先ほどお前は俺達に協力するといったが、具体的にどうするつもりだ?」
「そうですね。まず僕はこれから、貴族院に対して告発を行おうと思っています」
リュートの問いかけに対し、フェルナンドは淀みないはっきりした口調で、自らの考えを二人に提示する。
その彼の迷いない言葉を耳にして、リュートは視線の力をわずかに強めた。
「告発……か。一体何に関してだ?」
「それはもちろん、ユイ・イスターツ暗殺未遂事件に関する告発ですよ」
キッパリとした口調で、予想外のことを言ってのけたフェルナンドに対し、リュートはわずかに目を大きく見開く。
「暗殺未遂……だと。まさかそれは――」
「つまりそれは、自分が暗殺者だったと名乗り出るつもりかい?」
探り探り言葉を紡ぐリュートを遮る形で、アレックスは値踏みするような視線を放ちつつ、彼の言葉を続けた。
「その通りです。リュートさんはご存じないもしれませんが、ユイさんの部下として帝国に赴任させられるときに、機会があればあの人を暗殺するよう、僕は遠回しに命じられていました。だからこそこの真実を僕が公表した場合、貴族院の連中は真実よりもよりリアリティのある嘘を構築しなければいけなくなる。そのハードルは思ったよりも高いでしょう。なぜならば……」
「民衆はいけ好かない貴族院の連中よりも、庶民から出てきた英雄を信じたがる……か」
フェルナンドが言葉にしようとしたことを、リュートは先回りして呟く。
その言葉を耳にして、フェルナンドはその通りだとばかりに、小さく二度頷いた。
「ええ、そう言うことです。国の危機を救った英雄が突然自分たちを見捨てて姿をくらましたというよりも、自分たちの嫌いな貴族院の連中が敬愛する英雄を嵌めたというシナリオをこそ民は喜ぶでしょう。お二方はそうは、思われませんか?」
「……確かにな。お前の言うことも一理ある」
フェルナンドの見解を耳にして、リュートは口を挟むことなくひとつ頷く。
そんな彼の反応を確認し、フェルナンドはさらに言葉を続けた。
「はい。それにこの案はもうひとつの副次効果もあるんですよ」
「副次効果か。つまりそれは、対帝国という意味でかな?」
フェルナンドの言葉を受けたアレックスは、さらりとその核心を指摘した。
間髪入れずに答えを口にされたフェルナンドはわずかに驚きを見せるも、目の前の男たちならばさもありなんと思い直し、再び口を開く。
「さすがですね。仰るとおり、帝国のために早い内に適当なスケープゴートを用意してあげる必要があります。彼らが勝手に言い出した婚姻話ですが、まあ彼らの面子もありますからね」
「ユイ・イスターツ暗殺未遂事件を作り上げることで、第四皇女との婚姻を前にしてあいつが姿を消したのは、自分の身を守るためにやむをえなかったとするわけか」
そう口にしたリュートは、よく考えたものだとばかりに、一つ大きな溜め息を吐き出す。
「ええ、そんなところです。帝国としては少なからぬ不満は残るでしょうが、第四皇女との婚姻は正式発表前だったこともあり、貴族院が憎いとしても彼らとしては内政干渉するほどの大義名分を有することが出来ないでしょう」
「しかし、フェルナンド。もしその案を実行するならば、お前は貴族院からの裏切り者となり、英雄であるユイの奴を暗殺しようとした事実を被らなければならない。本当にそんな役回りを引き受けるつもりなのか?」
自分の言っていることの意味を、そして被ろうとしている泥の重さを理解しているのかとばかりに、リュートはフェルナンドに向かい改めて問いかける。
しかし、フェルナンドはニコリと笑みを浮かべると、彼はあっさりと首を縦に振った。
「愚問ですよ、リュートさん。僕は妹を助け出すために、これまで貴族院の連中に従っていました。奴らから妹を救い出すチャンスが有れば、自らの身であろうが、この国であろうが何者にでも差し出す覚悟を持ちながらです。ですが、ユイさんは自分の全てを投げ出し、危険を冒してまでコロネを救い出してくれました。だとしたら、僕が泥をかぶらないわけにはいかないでしょう。何より、未来のあの人の席を守るためにもね」
「あいつの席を守る……か」
強い意志が込められたフェルナンドの言葉。
その最後に添えられていたユイの居場所を守るというメッセージを耳にして、リュートはフェルナンドを見つめ返す。
「ええ。暗殺者の手から逃れるために、止むを得ず一時的に身を隠した。それが英雄ユイ・イスターツの今回の失踪に関わる全てです。あの方に一切の罪はなく、憎むべきは救国の英雄を亡き者にしようとした貴族院の連中であり、そして悪逆なる彼らが駆逐され再びこの国が英雄を必要としたときに、ユイ・イスターツは必ずその姿を現す。このような筋書きの風説をクラリス内の至るところで流しておけば、きっとあの方が帰ってきた際の風当たりも、ずいぶん違うかと思います」
「必要とされたら現れる英雄か。ふん、しかし何とも都合の良い存在だな、ユイ・イスターツという英雄は。本気でそんな期待を持たれているのだとしたら、あいつが隠居したがる気持ちが分からんではない」
フェルナンドの発言に対し、思わずリュートは彼らしからぬ皮肉げな言葉を発する。
それを聞きとがめたアレックスは、たしなめるように彼の名を呼んだ。
「リュート……」
「すまん。失言だ、忘れてくれ」
リュートは大きな溜め息を吐き出すと、フェルナンドに対し謝罪する。
そのリュートの言葉を耳にしたところで、アレックスは二人に向かって口を開いた。
「さて、それじゃあ話し合いはここまでとしようか。今回のフェルナンドくんの一手を契機に、貴族院をこの国から一掃し、エリーゼ王女の政治基盤を固める。当面の方針としては、これでいいね?」
「はい、構いません」
アレックスの呼びかけに、フェルナンドは間髪入れず返事を行う。
そして二人の視線は自然と、まだ答えを返さぬリュートへ向けられた。
「ふん、別に俺も賛成だ。ただな、一つだけ決めておきたいことがある」
「……なんだい、リュート?」
いつもの笑みを浮かべたままのアレックスがわずかに首をひねり、親友に向かいそう問いかける。
すると、その視線を向けられた銀髪の男は、珍しくニヤリとした笑みを見せ、口を開いた。
「なに、至極簡単なことだ。全てが終わればあの馬鹿を捜し出し、そして残っている仕事をそっくりそのまま全て押しつけてやる。お前たちも、この方針に関しても構わないな?」
リュートのその発言がその空間に発せられた瞬間、その場にいる残りの二人の顔には、発言者と同様の笑みが瞬く間に浮かべられた。