軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

06

「……マイン伯爵令嬢」

それがテレンスがクロエを捨てた理由か。

テレンスはネージェン侯爵家が自分を許したとすっかり――いや、逆に自信を持ったようだ。やはり自分にはその価値があるとばかりに。

貴族がそんな甘いはずがない。

彼はやはり……しょせん子爵家の甘やかされた次男坊でしかなかった。甘い甘い。とても甘い。今、自分の父や兄がどんな顔を、目を、しているかも気が付かないのだから。

彼はネージェン侯爵家を舐めすぎた。

けれどもネージェン侯爵家が調べた話を聞いて、思わぬところから殴られたと衝撃を受けた方がいた。

それがクロエやネージェン侯爵家の姉弟の家庭教師であったクラリス夫人だ。

「あああ……大事な教え子に、なんてことを……」

「先生……いえ、大叔母さま、しっかり」

セリーヌに支えられつつ、それでもクラリスはしっかりと立ち、皆に詫びるために頭を下げた。

彼女に学びたいと願う令嬢が多いのも頷ける――美しき礼で。

クラリスは少しばかり生まれが悩ましくあった。

彼女が己を自己紹介するときは侯爵家の縁の――そうあるが。

実のところ、れっきとした「先の侯爵の妹」である。

セリーヌとエリオットには実は祖父の妹であり、つまりは大叔母にあたる。

それが何故に悩ましくあるかというと。

父はネージェン先々代侯爵サイモン。

母はマイン子爵家のコーデリア。

ともに貴族であり後ろ盾もしっかりしていて。

クラリスは間違いなく侯爵家の籍に入っている。

ただ一つ問題は。

親が年の差婚で、彼ら自身が親子以上に年が離れているのだ。見た目は、母はむしろ侯爵の娘と呼ばれた方が自然なほどに。

そうセリーヌやエリオットにとっては、クラリスは父より歳下の大叔母なのだ。

まず、混乱される。

クラリスは先々代侯爵が老いらくの恋にて結ばれた子爵家の娘との子だ。

といっても不倫でも隠し子でもなく、きちんと再婚した上での。

だから彼女は侯爵家の籍にも入っている。

先々代侯爵サイモンは息子のエルヴィンに爵位を譲ったあとに、隠居も良いけれど今まで忙しかったから行けなかった憧れの場所に。のんびりと旅に出て、あちらこちらを楽しんでいた。息子もそれを後押ししていた。

数十年以上も前に母を病で亡くしたのに、父は再婚もしないで一人で侯爵家を護ってくれた。父は領民にも慕われ、寄り子貴族たちにも慕われ、まさに貴族の鑑の用な人だった。

そろそろ肩の重みを降ろしてのんびりしてほしい。

息子がそう思うのも当然だろう。

そしてエルヴィンが結婚し、孫のデリックも産まれて。

侯爵家は安泰だと誰もが。

なので安心して爵位を譲ったサイモンは、かねてから行ってみたかったあちらこちらの観光地を巡っていたのだが。侯爵としての目線ならば視察になってしまうが、今はもう気楽な御隠居様として。お供も腕利きを数人で本当に気軽に。

そうして――運命が賽子を投げたとしか言えない。

同じく旅をしていたマイン子爵家の令嬢コーデリアと恋に落ちた――どちらかというと子爵令嬢に惚れられて追いかけられて……絆された。

すわ、財産や地位目当てのあれこれかと周りは騒いだが。

マイン子爵家。

商売上手でいくつも販路を持つお金持ちだった。

下手すれば侯爵家よりも、何倍も。

どういうことだと。もしや若い娘に無体を働いたのかと、慌てて父を問いただしに会いに行った息子は――旅立つ前より高価な服を、身に付けるものすべてを。センスよく整えられた父に目が丸くなった。顎も外れかけた。サイモンも困っていた。「どうしよう……助けてー……」と目が言っていた。

コーデリアより是非是非受け取ってほしいと、どれだけ断っても貢がれて。受け取ってくれないなら燃やす捨てる無駄になるとまで言われては。

そう、侯爵ではなく、子爵令嬢の方が貢いでいるのだ。

誰もがもう、認めるしかなかった。

世の中には年上――それはもう親子ほど離れた――好きがいるのだと。

もちろん出会いは偶然であったし。

たまたますれ違ったときに足元の段差で転びかけたコーデリアをサイモンがたまたま、本当にたまたま抱きとめて助けただけで。

その日からコーデリアの世界が、視界が、薔薇色になるだなんて。

サイモンを中心として。

「だから今まで婚約がうまくいかなかったのか……」

と、彼女の両親と弟が納得してしまうほどに。

コーデリアはもう二十歳ではあったが、それまでにいくつもお見合いをしては断わってしまっていて。コーデリア自身も「どうしても好きになれなくて……先を一緒に歩いて行ける気がしなくて……」と悩んでいた。

商売人としてそういうカンは大切だ。

親もそろそろあきらめに達しかけていた。

幸い彼女自身も商売の腕は良い。任せた販路は軌道に乗りまくっている。

弟は「自分が継ぐより姉様が継いだ方が良いのではないか」とすら思うほど。そのあたりは尊敬の目で姉をみていたが。

そろそろ独立して――もう、彼女も生涯独り身でも大丈夫なのではと思っていたところに。

「もう、貴方様しかいないのです」

親である子爵から、前がつくとはいえ侯爵ならばその格差だから妾としてでももらってやってくれないかとまで頼まれてしまった。

さすがに妾はと――独り身になっていたサイモンもその頃にはコーデリアを受け入れていた。

何だかんだ若い娘にそこまで好かれて無下にするのは男がすたると周りからのいらないお節介が。羨み半分、本音半分な。

……正直、振った方が怖い気がして。これもまたカン。侯爵として海千山千を渡ってきた故の、カン。

それでも本気で何度も断ってサイモンは頑張って抵抗したのだが「若い娘さんにはちゃんと見合った相手がいるからこんなおじさん……いや、おじいさんは止めなさい」と。

コーデリアも周りに言われて年の差に諦めようとしたらしいのだが……サイモンを恋しがり、心だけでなく身体もやつれていくことに、彼女の本気に――とうとう絆された。

そこにまたドラマはあったというが。

エルヴィンにすでに爵位は移っているし、その後継もまた生まれていてネージェン侯爵家は安泰。サイモンがすでに下地をしっかり作った後であるし。

マイン子爵家は「決して侯爵家の後継には口出し致しません」と、そんな誓いまで。

世間はその年の差に少しだけ話題になったが、相手が侯爵家という身分のことと――コーデリアの方がベタ惚れであったことに毒気抜かれて「お幸せに」という空気になった。世の中、触らぬ神に祟りなし。人の恋路を邪魔するものは何とやら。

野暮という一言でも終わり。

なので。やがて産まれたクラリスは侯爵家の籍には入って後見は受けてはいるが、ネージェン侯爵家の後継の資格はない。

彼女はそういう立場にあった。

サイモンも頑張ってクラリスの結婚まで生きてくれたが――年の差婚とは、そういう辛い別れも覚悟しなければならない。

花嫁姿のクラリスに涙を流し、サイモンは息子のエルヴィンと孫のデリックにクラリスの事を頼んで――旅立った。

その誓い通り彼らの後見もあり。

むしろマイン家の跡継ぎとしてクラリスは在ったのだが――。

クラリスは政略もなく結婚することも許されて。母の店で働く貴族の子息と恋に落ちた。

それがネージェン侯爵家の寄り子の、バーディ家に縁ある青年だったのは偶然だったのだが。

彼が事故で亡くなり消沈するクラリスを、繋がり的には歳下の甥ではあったが彼女を妹の様に、同じ侯爵家で育ってきた現ネージェン侯爵デリックが引き取った。クラリスの後見がネージェン侯爵家であるからそれは貴族として義務でもあり。

祖父や父からも頼まれていたからだ。

マイン子爵家はその後もコーデリアが盛り立て、今では伯爵位を頂戴するほどに。

コーデリアはサイモンの隣に立つためにさらに頑張ったのだ。子爵令嬢から成り上がって。

コーデリアはサイモンに心底から惚れていたと再婚もしなかったから、彼女の後はクラリスが継ぐことになっていたのだが。

本来はその母親の跡継ぎとして婿入りしていたクラリスの夫であったが――仕入れに向かった先で崖崩れに巻き込まれた。

悲嘆にくれるクラリスであったが、彼女には母のような商売の才能も、他国に出向く意気もなかった。

なのでマイン伯爵家はコーデリアの弟がかつての予定通り継ぐことになったのだが――。

やっかいになるのに何もしないのは申しわけないと、クラリスは甥の子供たちの家庭教師を請け負った。

彼女の息子のセオドアが学年一位であることからもわかるよう、母親のクラリス自身がとても優秀だったからだ。クラリス自身も学園在学中は高成績をおさめていたという。

クラリス、商売の才能はないが教師の才能はあった。

それを見込まれてバーディ家と形だけの再婚をした。彼女の息子がバーディ家を継ぐ予定が、バーディ家自体が無くなり新たにレトラン家という家が興たのは、また別の話。

そして彼女が頭を下げたのは。

マイン伯爵令嬢がそうした血族であったため。

すなわち母の実家、である。

彼女が跡を継がなかったから母の弟が継ぎ、その弟の孫に当たるのがメアリーだ。

これがマイン伯爵令嬢メアリーが勘違いしているネージェン侯爵家との関係である。