軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

EP 9

鬼神の包丁捌き(物理)~邪神、入浴剤になる~

ルナの規格外な浄化魔法によって、邪神デュアダロスの本体は「美肌泥温泉」へと変わり果てた。

カイトや神々が「いい湯加減だ」と盛り上がっている裏で、わずかに浄化を免れた「邪神の 核(コア) 」の欠片が、ズルズルと地面を這っていた。

『おのれ……おのれ人間ども……! 我が本体は失われたが、魂までは消えぬ……!』

核はソフトボールほどの大きさで、ドロリとした漆黒の粘液を纏っている。

彼の狙いは明確だった。

『依り 代(よりしろ) だ。無垢で、魔力の高い肉体を乗っ取れば、我は再び復活できる……!』

邪神の核は、匂いを嗅ぎつけた。

農場の片隅にある宿舎から漂う、若く、柔らかく、生命力に満ちた匂いを。

そこは、ポチの力で若返った元兵士の赤ん坊たちが眠る「託児所(オーク管理)」だった。

『クックック……。あそこには極上の「器」が転がっているようだな』

邪神の核は、音もなく宿舎へと忍び込んだ。

宿舎の中は静まり返っていた。

世話係のオークたちは、外の騒ぎ(温泉発掘)を見に行っており、部屋には50人の赤ん坊たちがスヤスヤと眠っているだけだ。

『選び放題だ。……ほう、この赤子は特に魔力が高い』

邪神の核は、一人の赤ん坊のベッドに這い上がった。

無防備な寝顔。

この柔らかな肌に触手を突き刺し、中身を食らって成り代われば――。

『頂くぞ……!』

邪神が黒い触手を伸ばした、その時。

赤ん坊が不快な気配を感じて目を覚ました。

「……う、うえぇぇぇぇんッ!!」

泣き声が響いた。

邪神は嘲笑った。

『泣いても無駄だ。誰も助けになど……』

――バヂヂヂッ!!!!

邪神の言葉は、空間が裂ける音によって遮られた。

宿舎の扉が蹴破られたのではない。

壁ごと、赤黒い闘気によって「消し飛んだ」のだ。

『な、なんだ!?』

土煙の中から現れたのは、一人の男だった。

黒いベストに、赤いネクタイ。手には、バーの仕込みで使っていた鋭利なペティナイフが握られている。

鬼神龍魔呂だ。

彼の顔色は蒼白だった。額には脂汗が滲み、全身が小刻みに震えている。

「子供の泣き声」というトラウマスイッチが入り、パニック状態にあるのだ。

「あ、あぁ……泣くな……頼むから……」

龍魔呂はうわ言のように呟きながら、虚ろな目で赤ん坊を見た。

そして、その赤ん坊に覆いかぶさろうとしている「黒い何か」を視認した。

ピタリ。

龍魔呂の震えが止まった。

彼の脳内で、過去の絶望(弟を守れなかった記憶)と、現在の危機がリンクする。

だが、今回は違う。

今は無力な子供ではない。

ここには、カイトがくれた「角砂糖(安らぎ)」がある。守るべき場所がある。

カッッッ!!!!

龍魔呂の瞳が、鮮血のような赤色に染まった。

「……その汚い手で、ガキに触れるな」

『ヒッ!?』

邪神は戦慄した。

目の前の男から放たれているのは、神気でも魔力でもない。

純度100%の「殺意」だ。

生物としての格が違うはずの邪神ですら、魂が縮み上がるほどの捕食者のオーラ。

『く、来るな! この赤子がどうなってもいいのか!?』

邪神はとっさに赤ん坊を人質に取ろうと触手を伸ばした。

だが。

龍魔呂の間合いに入った時点で、その思考は遅すぎた。

「鬼神流・ 庖丁術(キッチン・スタイル) ……」

龍魔呂の手首が、霞むほどの速度で動いた。

「――『 微塵(みじん) 』」

ザンッ!!!!

一撃ではない。

一瞬の間に繰り出された、数千、数万の斬撃。

音すら置き去りにする神速のナイフ捌きが、邪神の核を通り抜けた。

『え……?』

邪神は、自分が斬られたことにすら気づかなかった。

だが次の瞬間、彼の視界がモザイクのように崩れ落ちた。

パラパラパラパラ……。

邪神の核は、細胞レベルまで細かく刻まれ、黒い粉末となって床に降り注いだ。

再生など不可能。あまりにも微細に切断されたため、魔力の結合すら許さない完全なる物理的消滅。

「……ふぅ」

龍魔呂はナイフを一振りして、刃についた黒い粉を払った。

赤ん坊は、何が起きたのか分からず、キョトンとして泣き止んでいる。

「……怪我は、ないな」

龍魔呂は不器用な手つきで赤ん坊の頭を撫でた。

その手は、もう震えていなかった。

「おーい! 龍魔呂さーん! こっちですごい音がしたけど……」

そこへ、カイトがタオルを首に巻いて走ってきた。

半壊した壁、ナイフを持った龍魔呂、そして床に散らばる大量の「黒い粉」。

普通なら事件現場だが、カイトのポジティブフィルターは健在だった。

「わぁ、いい匂い! これ、硫黄の香り?」

カイトは床の粉(元・邪神)をつまみ上げた。

「龍魔呂さん、すごいよ! これ、さっきの泥温泉を乾燥させて作った『湯の花(入浴剤)』だよね!?」

「……あ?」

龍魔呂は呆気にとられたが、すぐにフッと笑った。

「……ああ、そうだ。温泉成分が固まっていたのでな。包丁で砕いておいた」

「さすが龍魔呂さん! 料理人だから粉砕もお手の物だね! これをお風呂に入れたら、もっと効能が上がりそう!」

カイトは嬉々として、邪神の死骸(粉末)を塵取りで集め始めた。

「よし、これを大浴場に投入しよう! 今日は最高の温泉開きだ!」

『……解せぬ……』

お湯に溶かされる直前、粉末になった邪神の最後の嘆きが聞こえた気がしたが、それは湯気と共に空へ消えていった。

こうして、邪神デュアダロスは完全に消滅した。

本体は「美肌泥パック」に。

核は「薬用入浴剤」に。

カイト農場の温泉リゾート化に、多大なる貢献(犠牲)を果たしたのである。

「龍魔呂さん、一緒に入ろうよ! 背中流すよ!」

「……フン。悪くない」

最強の鬼神はナイフをしまい、穏やかな顔でカイトの後に続いた。

守るべき日常は、今日もここにある。