作品タイトル不明
74.風邪薬のお披露目
また、この場所に立っていた。薬師協会の講堂だ。
席にはずらりと関係者が並び、皆がこちらへ厳しい視線を向けている。前回と同じ光景。けれど、あの時とは違う。
今回は成果を見せるために来た。やがて、その中からトレイト伯爵がゆっくりと前へ出た。
「本日は集まっていただき感謝する」
低くよく通る声が、静まり返った講堂に響く。
「今日は錬金術の成果を披露する場だ。ぜひ諸君の目で、錬金術の有能性を確かめてほしい」
短くそう告げると、トレイト伯爵は一歩後ろへ下がった。代わりに前へ出たのは――私たちだ。
私。ファルスお兄様。そしてスウィン。三人で壇上に並ぶと、視線がさらに集まるのが分かった。
……やっぱり緊張する。だけど、ここで引くわけにはいかない。私は一歩前に出て、深く一礼した。
「錬金術師のルイです。本日は再びこの場にお集まりいただき、ありがとうございます」
視線が突き刺さる。でも、声は震えなかった。
「本日は、先日の話し合いで決まった風邪薬の改良について、その成果をご覧いただきたいと思います」
さて、錬金術の力。その実力を、ここで証明する時間だ。
「錬金術で既存の風邪薬の材料に、新たな素材を組み合わせて調合しました。こちらが錬金術で作った風邪薬です」
そう言って、私は小さな瓶を掲げる。淡く透き通った液体が、光を受けて静かに揺れた。
途端に、会場の視線が一斉に集まる。疑いと、わずかな期待が入り混じった目だ。
「本薬は、従来の症状を抑える効果に加え、新たに免疫力を高める成分を付与しています」
ざわり、と空気が揺れた。
「これを服用することで、症状を抑えながら日常生活を送ることが可能になります。そして、その間に体内の免疫が風邪の原因を排除します」
「……日常生活が送れるだと?」
「ば、馬鹿な……」
「菌が残っている状態で動けるはずがない……!」
予想通りの反応。むしろ、これくらい疑ってくれた方がいい。だからこそ、証明する価値がある。
「では、実際にご覧いただきましょう」
私が視線を向けると、部屋の隅で待機していた患者が前へと歩み出た。
肩を震わせ、苦しそうに咳き込み、鼻をすすっている。一目で、重い風邪だと分かる状態だ。
「こちらの患者に、実際に服用してもらいます」
瓶の蓋を開け、中身を手渡す。患者は一瞬だけ戸惑いを見せたが、やがて覚悟を決めたように頷き、そのまま一気に飲み干した。
ごくり、と喉が鳴る。……会場が、静まり返る。誰もが息を呑んで見守っていた。
やがて――
「……あれ?」
小さな声が、静寂を破った。次の瞬間。みるみるうちに患者の顔色が変わっていく。青白かった肌に血色が戻り、荒かった呼吸が落ち着いていく。咳が止まり、背筋が伸びる。
そして――。
「す、すごい……本当に、楽だ……!」
患者は目を見開き、その場でしっかりと立ち上がった。
「体が軽い……さっきまでの辛さが嘘みたいだ……!」
ざわっ――と、会場が大きく揺れる。
「ば、馬鹿な……!」
「そんな、即効性が……!?」
「ありえない……!」
驚愕と困惑。それが一気に広がっていく。私はその反応を受け止めながら、静かに口を開いた。
「ご覧の通りです」
視線をまっすぐ前へ向ける。
「錬金術によって作られたこの風邪薬は、服用後すぐに症状を抑え、通常に近い体調で日常生活を可能にします」
一拍置いて、言葉を続ける。
「そして、その間に免疫が働き、風邪そのものを治癒へと導く。それが、この薬の本質です」
講堂は、一瞬の静寂の後、大きなざわめきに包まれた。
さっきまでの疑念とは違う。今は、驚きと動揺が入り混じったざわめきだ。
視線を巡らせれば、反応ははっきりと二つに分かれていた。
目を輝かせ、興味深そうにこちらを見る者。そして――顔を歪め、悔しさを隠しきれていない者。
……まあ、そうなるよね。あれだけのものを見せられれば、受け入れるか、否定するかのどちらかしかない。
そして案の定、後者が口を開いた。
「効果が凄いのは分かった。だが、たった一人しか作れない薬に、利用価値などあるのかね?」
……来た。
「そうだとも。風邪は多くの人間がかかる病だ。高々数人のための薬など、薬とは呼べん」
次々と重なる否定の声。
「万人に行き渡らないのなら、そんなものはただの見世物だ。錬金術など、結局は子供の遊びに過ぎん」
吐き捨てるような言葉。露骨な敵意。
だけど、想定通り。むしろ、この反応が来なければ困るくらいだ。
視線を横に向ける。すると、ファルスお兄様が一歩前に出た。
「皆さんのご懸念は、もっともです。どれほど優れた薬であっても、供給できなければ意味がない、その通りでしょう」
穏やかで、それでいてよく通る声。ざわめきが、わずかに静まる。
「ゆえに、その問題を解決する手段も用意しております」
一瞬、空気が止まった。
「何だと……?」
「解決、だと……?」
「予知、していた?」
疑念と警戒が入り混じる中、ファルスお兄様は静かに続ける。
「本薬は、錬金術による完成形です。しかし同時に、既存の薬学へと落とし込むことも可能な形に再構築しています」
「ば、馬鹿な……!」
「そんなことが可能なのか!?」
「錬金術と薬学の併用だと……?」
予想もしない発言に驚きの声が響く。
「そのために私たちは、まず素材採取の段階から見直しました」
場の視線を受け止めながら、ファルスお兄様は続ける。
「最適な採取方法の確立と共有。そして、採取後の素材管理の徹底です。これにより、素材の品質を維持し、本来の効能を損なわない状態で扱えるようになりました」
「……素材の効能は、品質に左右されるということか?」
「では、これまでの薬は……効能が落ちていたのか?」
「そんな……今まで気づきもしなかった……」
どよめきが広がる。どうやら、多くの者にとっては盲点だったらしい。素材はあくまで材料であり、そこまで差が出るとは考えられていなかったのだろう。
けれど実際にはそこが大きな分岐点だった。ファルスお兄様は頷き、さらに言葉を重ねる。
「次に、素材の加工工程の最適化です。品質と効能を維持したまま処理できる、最適な工程を確立しました。これにより――」
視線を会場全体へ向ける。
「高度な技術を持つ薬師でなくとも、一定の品質で加工が可能になります。一般人への加工依頼です」
「なっ……一般人でも、だと!?」
「そんな馬鹿な……!」
「我々が長年かけて確立してきた工程を……?」
驚愕が一気に広がる。……予想通り。ここは、彼らの牙城だ。だからこそ、崩れた時の衝撃は大きい。
「最後に錬金術ですが、錬金術でしか扱えない加工を施してあります。ですが、その作業もひと月に一度、加工を施すだけとなります」
「……月に、一度だけ?」
「それだけでいいのか……?」
「そんな、馬鹿な……」
疑念と困惑が広がる。それを見ていたファルスお兄様は笑顔を浮かべて言う。
「はい、それで十分です。前工程――採取、管理、加工を最適化したことで、錬金術の負担を極限まで減らすことに成功しました」
そして。
「結果として、量産体制を維持しながら、錬金術を誰か一人の技術ではなく、社会に貢献する仕組みとして組み込むことが可能になりました」
講堂が、静まり返る。誰も、すぐには口を開けない。
それも当然だ。これは単なる新技術の話じゃない。
薬師の在り方。錬金術の立ち位置。そして、医療の構造そのもの。全部を、ひっくり返す話なんだから。
「では、最後にその方法で作られた風邪薬の効果をご覧いただきましょう。今から連れてこられる患者は一時間前に混合技術で作られた風邪薬を飲んだ方です」
そう前置きすると、別室に待機していた患者さんが連れてこられた。少し力のない歩き方だが、意識はしっかりとしている。
「風邪薬を飲んでどうでしたか?」
「熱は微熱に収まりました。頭の痛みも和らいだし、咳もあまり出ません。鼻水も少し出るかな? と、言ったところです」
「いつも飲まれている風邪薬と比較してどうでしたか?」
「新しい方が良く効きます! とても体の調子はいいですし、これなら辛くありません」
その明るい患者の声を聞き、また講堂がざわめき立つ。薬師が一番既存の風邪薬の効能を知っているからこそ、混合技術で改良された風邪薬の効果に驚いているようだ。
「どうやら、改良された風邪薬はとても良く効いたみたいです」
そう笑顔で締めると、会場の空気がゆっくりと変わっていくのが分かった。
好意的に見ていた者たちは、確信を持ったように頷き。反発していた者たちは何も言えず、ただ押し黙る。
もはや、否定の言葉は出てこない。証拠は、すべて揃っている。
理論も。実演も。そして、結果も。逃げ場なんて、最初からなかった。
静まり返った講堂の中で、ファルスお兄様が一歩前に出た。その動きだけで、場の視線が自然と集まる。
「錬金術は、特別な者だけの力ではありません。正しく体系化し、分業し、社会に組み込むことで万人に価値を届ける技術へと変わる」
完全な静寂。誰も、言葉を挟めない。
「そして、それこそがこれからの医療の在り方だと、私は考えています」