作品タイトル不明
66.ファルスお兄様の始動
「それにしても、素材採取に行っていたんだってね。アマリアが傍にいなかったのに、どうしてそんなことになったんだい?」
居間でお茶を口にしながら、私はファルスお兄様と向かい合っていた。午後の日差しが窓から差し込み、室内は穏やかな空気に包まれている――はずなのに。
「僕はてっきり、錬金術で活躍しているとばかり思っていたよ」
カップを置く音が、やけに静かに響く。ちょっと、ファルスお兄様の雰囲気が厳しいというか、なんというか……。
「まぁ、ちょっと色々とあってね」
曖昧に笑ってごまかそうとすると、
「へぇ、色々と……」
その一言とともに、空気がわずかに変わった。視線が細められる。ほんの少しだけ。けれど、それだけで十分だった。背筋に冷たいものが走る。
次の瞬間、お兄様はふっと柔らかく微笑む。
「じゃあ、ルイが王都に来てから、どんなことがあったのか教えてくれないかな?」
声音は優しい。穏やかで、兄らしい柔らかささえある。けれど、その瞳は逃がさないと言っていた。
これは、尋問だ。しかも笑顔付きの。
思わず視線を逸らしかけるが、逃げ場はない。にこやかな圧が、じわじわと迫ってくる。……逃げられない。
まぁ、特に隠す必要もないから、王都に来た時からの流れを説明した。
薬師協会の協力を得るには、錬金術を披露しなくちゃいけなかったこと。その披露の場で認めるのは難しいと言われ、課題を出されたこと。その課題をクリアするために、風邪薬を調合することになったこと。
一つずつ説明していくと、どんどん部屋の空気が重たくなっていった。原因はファルスお兄様。微笑んで話を聞いているのに、怒っているような感じがする。
そして、話し終える頃には、ファルスお兄様の微笑みが一段と深くなっていった。
「へぇ、そんなことがあったんだね。それは大変だっただろう?」
「う、うん……。そ、それでね……」
「どうしたんだい?」
優しい声音。けれど、その奥に微かな硬さが混じっているのを、私は知っている。
「ファルスお兄様は……どうして怒っているの?」
恐る恐る尋ねると、お兄様は一瞬きょとんと目を瞬いた。
「怒っている?」
そして、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「まさか。怒ってなんていないよ」
――嘘だ。これは、ファルスお兄様が本気で怒っているときの空気だ。静かで、冷えていて、でも笑っている。
「ルイは優しいね。こんな状況でも前向きに行動しているなんて」
「えっと……うん?」
「いや……それにしても、ここまで環境が整っていないとは思わなかったよ」
いや、環境は私が整えるはずだったけれど……。えっ、そうじゃない?
「オルフェンは、いったい何をしていたんだろうね」
「ひっ」
名前を呼び捨て!? しかも声が低い! 目が笑ってない!
「ファ、ファルスお兄様、落ち着いて! 私は別に嫌なことをされたわけじゃないから!」
「嫌なことはされていない?」
にこり、と微笑んだまま問い返される。
「ルイがのびのびと錬金術を使えない。それだけで十分に問題だよ。君の才能を制限する環境は、悪だ」
断言した。迷いはゼロ。ダメだ、理屈が全部私基準だ。
どうしようと戸惑っていると、向かいに座っていたはずのお兄様が立ち上がり、いつの間にか隣に来ていた。
な、なぜ距離を詰めるの……? びくびくと見上げると、大きな手がそっと私の頭に触れる。
「ルイはよく頑張っている。誰に頼るでもなく、自分で道を切り開こうとしている」
優しく撫でられる。その手つきは、いつも通りあたたかい。
「そのひたむきさは、誇るべきものだよ」
「う、うん……」
胸がじんわりと温かくなる。――のに。
「でもね。その心を利用する人間がいるなら、話は別だ」
声音は静か。けれど、ぞくりとするほど冷たい。
「だから、徹底的にやり返そう」
「……ん?」
どうして、そうなるの? 慰めの流れじゃなかったの? 首を傾げる私を見て、お兄様は優しく続ける。
「大丈夫。僕が整えるから」
「……一体、何をするの?」
おそるおそる尋ねると、ファルスお兄様は穏やかな笑みのまま、少しだけ視線を細めた。
「そうだな……。まずはオルフェンに、ルイをきちんと守ると約束してもらおう」
「約束……?」
「彼は薬師協会の会長だ。組織をまとめる立場にある人間が、自分の庇護下にいる才能を守れないなんて話にならない。権限があるのなら、それを使うべきだよ」
淡々とした口調。けれど、その言葉の端々に冷たい硬さが混じっている。
「えっ……でも、それって迷惑じゃ……」
「全然迷惑じゃない。オルフェンは恩はあるもののルイを下に見ている。だから、事を荒立てない範囲で、自分の立場を揺るがさないように動いているだけだ」
にこり、と笑う。
「甘いよ。そんな穏便は、弱い者に我慢を強いるだけだ。正さなきゃいけない」
……凄い。普段温厚で、滅多に他人を悪く言わないお兄様が、ここまで言い切るなんて。
私は自分の立場が下だから、これくらいの扱いでも仕方ないのかな、と思っていた。でも、ファルスお兄様は違う。
「それにね、薬師協会の面々も問題だ」
「そ、そうかな?」
「会長の判断に反発する人間がいる時点で、組織は割れている。今回の課題をクリアしても、次は別の理屈を持ち出すだろう」
声は穏やかだが、分析は鋭い。
「そして自分たちが優位だと判断すれば、いずれ無理難題を押し付けてくる。既得権益を守るためなら、人は驚くほど強硬になるものだよ」
背筋がぞくりとした。
「権力があると、人は簡単に屈する。そして、屈させることにも慣れる」
カップを持ち上げる仕草すら優雅なのに、言葉は容赦がない。
「だから、こちらもこちらの方法でルイを守る必要がある」
「こちらの方法……?」
「圧倒的に上から押さえる」
さらり、と恐ろしいことを言う。
「立場で、実績で、後ろ盾で。二度と軽く扱えないと思わせればいい」
その目は、もう完全に貴族のそれだった。私はただ圧倒される。私の拙い説明だけで、ここまで状況を読み切るなんて。
やっぱり凄い。これが、貴族として当然の思考なのだろうか。
「ルイが錬金術を自由に使うことを、誰にも邪魔はさせない」