作品タイトル不明
62.ヴェルーザ山の下層へ
アルビスさんがいてくれたおかげで、素材採取は驚くほど順調に進んだ。クレクスの大森林に足を踏み入れてからわずか二日、魔物との小競り合いはあったものの、肝心の目当ての素材はほとんど迷うことなく集めることができた。
アルビスさんは森の地形を熟知しているかのように的確に素材の在りかを見つけ、しかも採取の際には傷つけないよう丁寧に手伝ってくれる。根を傷めない掘り方、刃を入れる角度、保存のための簡易処理。どれも無駄がなく、美しかった。
本当に、アルビスさんがいてくれたからこそ成し得た成果だ。
「アルビスさん、ありがとう! おかげで満足のいく素材が手に入ったよ」
素材が沢山入った【素材保管】を感じながら言うと、アルビスさんはいつもの淡々とした調子で頷いた。
「いつものことだ。問題ない。……では、ここでの採取は終えたし、次はヴェルーザ山の下層へ移動するか」
その言葉に、私は気を引き締める。
クレクスの大森林を後にし、私たちは馬に乗って進路を山に取った。ヴェルーザ山までは一日がかりの道のりだ。途中、小川で水を補給し、開けた草原で短い休憩を挟みながら、ひたすら進む。
そして翌日の昼前、地平線の向こうにそれが見えてきた。思わず、息を呑む。
「……大きい」
遠目にも分かる。山、というより、もはや大地がそのまま盛り上がったかのような威容。裾野は広く、なだらかに広がり、しかし中央へ向かうほど急峻にそびえ立っている。
時間かけて近づき、ようやくその麓――ヴェルーザ山の下層へと辿り着いた。
下層は意外にも緑が豊かだった。背の高い木々が密集し、針葉樹と広葉樹が入り混じる森を形成している。地面は落ち葉と苔に覆われ、ところどころに山特有の冷たい湧き水が流れていた。
「下層は森か」
視線を上げと中層へと続くあたりから、様子ががらりと変わっていた。
緑は徐々に薄れ、木々の間から灰色の岩肌が露出しているのが見える。切り立った崖のような斜面がいくつも連なり、ところどころに色が違う。おそらくは鉱脈が走っている。
さらにその上。上層は見えない。分厚い雲に覆われ、頂は完全に隠れていた。時折、雲の切れ間からわずかに覗く黒い影があるが、それが頂上なのかどうかも分からない。
「……どれだけ高いんだろう」
「かなりな」
アルビスさんは短く答える。
「この国でも有数の高峰だ。天候も変わりやすい。上層は常に霧か雲に包まれていることが多いらしい」
改めて見上げる。森、岩、そして雲。三層に分かれたようなその姿は、まるで別々の世界が縦に重なっているようだった。
下層は生命の気配に満ちているが、上へ行くほど厳しさが増すのだろう。魔物の強さも、採取できる素材の希少性も、きっと段違いだ。
私は馬から降り、ひんやりとした山の空気を吸い込んだ。
「モーンワームがいるのは下層だって言ってたよね?」
「ああ、そうだ。早速、探しに行くか?」
「うん、行こう!」
そういうと、アルビスさんは馬を木に括りつけた。そして、私たちは下層に足を踏み入れた。
山の下層に足を踏み入れると、外から見上げたときよりもずっと穏やかな地形が広がっていた。
急峻な岩肌を想像していたけれど、実際には緩やかな傾斜が続いていて、森の中をゆっくりと登っていくような感覚だ。地面は柔らかく、落ち葉が厚く積もり、ところどころに木の根が隆起して自然の階段を作っている。
私たちは足元に気をつけながら、一歩一歩、慎重に登っていった。やがてアルビスさんが、歩きながら口を開く。
「モーンワームについて説明しておこう」
「うん、お願い」
「モーンワームは地中性の魔物だ。普段は地面を掘り、穴の中で生活している。体は太く長いが、地中を進むのに適した構造をしているから、地面の下では意外と素早い」
地面の下を素早く……と想像して、少しだけ背筋がぞわりとする。
「じゃあ、なかなか姿は見られないの?」
「基本的にはな。ただし、食事のときは別だ」
アルビスさんは周囲の木々を見上げた。
「モーンワームは草食寄りの雑食だ。特に若い木の葉を好む。だから食事の時間になると地上に出てきて、木に登り、葉を食べる」
「木に登るの?」
「ああ。意外だろうがな」
確かに、ワームという名前から地面を這う姿を想像していたから、木に登ると聞いて少し驚く。
「つまり、見つけ方は単純だ。まずは穴を探す。そしてその周辺を警戒する。近くの木に食痕があれば、出てくる可能性が高い」
「なるほど……!」
説明を聞いた瞬間、私は視線をぐっと落とした。地面。落ち葉の隙間、土の色の変化、不自然な窪み。私は意識を集中させる。
モーンワームの素材は、今回の課題で重要なものの一つだ。絶対に見つけて持ち帰りたい素材。
アルビスさんが周囲全体を警戒するように視線を巡らせている間、私は積極的に足元を観察しながら進んだ。
緩やかな斜面をしばらく登る。鳥の鳴き声と、風に揺れる葉の音。時折、小動物が走り抜ける気配。そして――。
「あっ」
少し前方、木の根元付近に、不自然な丸い穴が見えた。落ち葉が周囲だけわずかに押しのけられ、土が新しい。直径は両手で囲めるほど。
私は駆け寄り、しゃがみ込む。穴の縁には、掘り出されたばかりのような湿った土。間違いない。
「アルビスさん!」
振り返って呼ぶと、彼はすぐにこちらへ歩いてきた。
「穴、見つけたよ。これ、どう?」
アルビスさんは腰を落とし、穴の周囲を観察する。指先で土を触り、匂いを確かめ、近くの木の幹を見上げた。
「……新しいな。掘ってからそれほど時間は経っていない」
そう言って、近くの若木の葉を指さす。
「見ろ。葉の縁が不自然に欠けている。食痕だ」
本当だ。何枚かの葉が、丸くかじられたように削れている。
「この周辺にいる可能性が高い」
アルビスさんは静かに立ち上がり、周囲へと視線を巡らせた。
「警戒しろ。地上に出ているなら、近くの木の上か、別の穴へ移動中かもしれない」
その言葉に、私はごくりと息を呑む。森は相変わらず静かだ。けれど今は、その静けさの奥に何かが潜んでいる気がする。
アルビスさんは足音を殺して周囲の捜索を始めた。私もまた、穴から少し距離を取りながら、木々の上と地面の動きに注意を向ける。
いつ、どこから出てきてもおかしくない。モーンワームとの遭遇は、もうすぐそこまで来ているようだった。