軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第050話 次元降下

切り傷がたった2センチくらいしかなかったお陰か、すぐに毒を吸い出したのが良かったのか、幸いなことにベレッタの症状は大したことはなかった。

症状は動悸を伴う高熱くらいのもので、歩けなくなることもなく、犯人は逮捕され、バーへの不法侵入の件も金で解決できた。

「ルシェってホント、すごいね。あんな動きもできちゃうんだ」

ベレッタは自室のベッドで横になっている。

急に見舞いに来たのに、ベレッタの部屋は片付いていた。というより、ベッドと椅子と机以外はあまりモノがない。必要最低限の仮の家、という感じだ。

「魔王軍にいたなら、驚くほどでもないでしょ」

バルザックは、マッハ十五の弾を切り落としていた。あんな真似はできる気がしない。

「いや、あんな状況でとっさに動けるのって、そんなにいないよ。誰かに戦いを習ったの?」

「うん。ていうか、今でも本業は剣士のつもりだから」

「だから後ろも見張ってたわけ?」

「そう。剣士は人から恨まれる仕事だから、不意打ちされたなんて言い訳にならない、って師匠に教わった」

「師匠って? すごい人なの?」

「うん、すごい人だよ」

ゲオルグの名は出さないほうがいいだろう。

魔王の直弟子となれば、ゲオルグの名前は知っていてもおかしくない。

「へえ、やっぱルシェはいいなあ」

「ベレッタは、あの暗殺者に心当たりないの?」

「もちろん、あるよ」

あるのか。

あの暗殺者は、おれでなくベレッタを狙っていた。後ろからの狙撃は、達人でも防御が難しい。

おれがたまたま後ろを見張っていなかったら、ベレッタは毒がべったり塗られたボウガンの矢をそのまま体に受け、今頃は死んでいただろう。今回は四肢だったからよかっただけで、胴体にぶっすりと刺さったら毒の吸い出しようがない。

「依頼主は誰なの?」

「うーん、心当たりはあるけど、どれかはわかんない」

複数あるのか……。

「犯人は逮捕されたから、そのうち情報が出てくるかもね」

「いーのいーの。誰が雇ったのかとか、あんまし興味ないし」

自分を殺そうとしているのが誰なのか、興味がないのか。

まあ、魔族というだけで死に値すると考えている人たちは多いから、考えても仕方がないのかもしれない。ミールーン人なんて、相当恨んでるはずだし。

「それよりさ、ルシェ、助けてくれてありがと」

「うん? こっちこそ、傷を負わせちゃってごめん」

「傷なんてどうでもいいよ。それより、謝りたいことがあるんだ」

謝りたいこと?

「なに?」

暗殺されかけたから、ヴァラデウムを出るのだろうか。そんな想像が頭をよぎった。

「ごめん、ルシェのこと、好きになっちゃったかも」

……。

「……ごめん、おれ、そういうのまだピンとこないよ」

「いいの。ただ、気持ちを知っていてくれれば」

「気持ちは嬉しい。そう言われて悪い気分になるわけないよ」

ただ、どうしてもアリシアのことを思い出してしまう。

「よかった。そういう気持ちでいてくれるなら、私も気が楽」

ベレッタはベッドで嬉しそうに微笑んだ。心のつかえが取れたような、綺麗な笑顔だった。

「……そう」

ベレッタはこんな笑顔ができるんだ。

この心から嬉しそうな笑顔を、ずっと守ってやりたい気がした。

「私、ルシェの邪魔はしたくないんだ。だから、介抱はいいから研究に戻って。多分今晩には良くなると思うけど……元気になったら、会いに行くから」

「分かった。じゃあ、また後でね」

おれは椅子から立ち上がった。

「うん。じゃあ、また後で」

ベッドから見送られながら、おれはベレッタの部屋を出た。

◇ ◇ ◇

「今度は付呪学の本ですか。ほんっとーに、勉強熱心ですね」

依頼を受けたキェルが、感心するような、半ば呆れるような声で言った。

「今やってる研究に結構関係があるので……」

付呪学は、概念化と密接な関係にある学問だ。

付呪学の主要な研究テーマに次元降下というものがある。これは簡単に言うと既存の回路では扱えない高次概念を、回路として扱える低次概念に引きずり下ろすための研究だ。

概念化は逆の作業を行う。魔術の式を発現素子も媒体素子も全部ひっくるめて、一つの上のステージの超高次概念として扱えるようにする。

それは同じ作業ではないが、積分と微分のような、兄弟のような関係にある。

しばらくすると、キェルが索引を調べ終えて、調査結果を持ってきた。

「次元降下に関しての近年の著作で、閲覧数が多いものをリストアップしました。こちらです」

「ありがとうございます」

おれが紙を受け取ると、その筆頭にはイーリ・サリー・ネルという名が載っていた。

ああ、そうなんだ。

たしかこの本は、イーリの部屋の本棚に並んでいた。軽く執筆年を見てみると、イーリがヴァラデウムに滞在していた時期とは一致しない。ミールーンで政治家兼経営者の仕事をしながら発表したものらしい。

そうか。イーリに相談してもいいのか。

「これの番号を教えてもらえますか?」

どうせなので、おれは二番目に載っていた読んだことのない書籍を読むことにした。

形而下における媒体素子~その浮揚と沈下~、クラエス・サルトーリという人の本だ。名前も知らない。

「ああ、今の付呪学部長の著作ですね」

「えっ、そうなんですか」

「はい。たしか、イーリ・サリー・ネルの一歳年下で、在学中は仲がよかったらしいです。姉妹のようであり師弟のようでもある、親密な関係だったと聞きました」

へー、そうなんだ。

まあ、同世代同学部で学部長になるほどの人なのだから、友人なのがむしろ普通か。

キェルはすぐに番号を控えた紙を持ってきてくれた。

「はい、どうぞ」

「前から聞こうと思っていたんですが、キェルさんはなんの研究していらっしゃるんですか?」

「私は魔導歴史学を研究しています。竜人や亜竜などが専門ですね。現象学などと比べれば、地味な学域ですよ」

へー、歴史をやってる人だったんだ。

「そうだったんですか。実はすごい研究者なのだと伺ったので」

「いえ、すごくはないですよ。貧乏だからこうしてバイトしてるわけですし」

まあ、そりゃそうか……。

人文系の学者は、教授職に就けなかったら色々厳しいっていうしな。竜人や亜竜について深い知識があっても、なかなかお金にするのは難しいだろう。

「私はヴァラデウム産まれのヴァラデウム育ちで、学院領から外に出たことはないという筋金入りですから、この街の事情には人より詳しいんですよ」

「そうだったんですか。しかし、この街ではマイナーなジャンルは大変そうですね。どんなにいい研究をしても、興味がある人が少なければ研究点は入らないわけでしょう」

この街では、研究に対する報酬はすべて研究点として支払われる。

だから、興味がある人が百人くらいしかいない研究だったら、どんなにすごくても収入は知れたものだ。その辺りをどうにかするために、特別優れた研究には特別賞というか、顕彰制度で研究点が入る仕組みがあるのだが、それも季節ごとに一本ずつしか選ばれないらしい。

「ま、そうですね。でも、やっても恵まれない研究だと分かっていても、好きなんだから仕方ないですよ。それが学者というものでしょ?」

「はい。おれもそう思います」

立派な信念だ。

「だから、ルシェさんには感謝しています。贔屓にしていただいたお陰で、かなり研究を進められますから」

生活費にするんじゃないのか。立派な人だな。

「頑張ってください。このくらいのことなら、いつでも応援させていただきますので」

夜帳(とばり) 書庫に研究があったりするのだろうか。あとで著作を調べて読んでみようか。

しかし今日はもう夜遅い。家に帰って休もう。