作品タイトル不明
第六話 元王太子妃アルジェ・ロッシーニ〜真相〜
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
アルジェは、ゆっくり息を吐き、腹部に力を入れた。
それを何十、何百と繰り返すと、徐々に腹部の筋肉を、腹に乗せた指先が感じるようになってくる。
無論、胸の傷の痛みが消えたわけではない。
しかし、1日でも早く剣を握るために、今できることをやると決めたのだ。
本当は、もう少し激しい運動も、やろうと思えばやれる。
家族という監視員が居なければ。
元々過保護だった家族が、2年の年月と今回の騒動を経て、更に過保護になってしまった。
早く体力を戻し、剣を握りたいアルジェを、代わる代わる見舞いに来て牽制するのだ。
「無理に動くと、逆に長引くぞ」
「剣を持つ以上、完璧に治してからでないと」
「わざわざ、辛い思いをする必要ないのに」
母ソラリアに至っては、剣の道を諦めるよう、涙を流して説得を始める始末。
あまりにうるさいので、部屋から出ていってもらった。
凶刃に倒れ、胸に大きな刀傷が残ってしまったことは、彼女にとっては大したことではない。
本当は……避けようと思えば、避けられたのだ。
あのサリーナという女が間者であることなど、足捌きを見ればすぐ分かった。
男性には分かりにくいかもしれないが、高いヒールを履いてドレスを着こなすことは、かなり難しい。
特に、元平民の男爵令嬢ともなると、その所作の習得には膨大な時間がかかるはず。
しかし、彼女の動きは、一つ一つが速く、的確で、運動神経の良さを感じさせた。
その癖、よくスカートを踏む。
踵から地面を踏み、つま先で蹴り出すからだ。
本来、トップリフトと呼ばれるヒールの先とつま先は、並行移動しなければならない。
滑るように、体を上下させずに歩くのが貴族女性の歩き方。
彼女の動きは、どことなく、騎士科の学生が行う走り込みの動きに似ていた。
サリーナが、ロッシーニ家の家宝を見たいと言い出した時、その目論見も大体予測していた。
王子が引き入れたと雖も、宮殿内に入る際、武器の持ち込みは検査される。
アルジェですら、毎回、侍女に身ぐるみ剥がされる勢いで調べられるのだ。
それだけ、王太子という存在価値は、王妃とその派閥にとって重要なのだろう。
元平民の男爵令嬢など、それこそ、全裸にされて調べられても文句は言えない。
ならば、この宮殿内で武器を仕入れなければならない。
そうなれば、宝物殿にある剣を見せてくれなどと言い出すこと自体、『私は、怪しいです』と言っているようなものだ。
2年前、王家に連れ去られた際、それこそ逃げようと思えば逃げられた。
ただ、決して剣を持つことを許さない家族に自分が剣の道を歩む事を認めさせる為には、何かしらの変化が必要だと思った。
渡りに船。
王家の思惑に乗り、家族の元を離れ、虎視眈々とこの時を待っていた。
浅はかな王太子。
強欲な王。
己を誇示したがる王妃。
馬鹿な王太子と優秀な第二王子を挿げ替えたい勢力。
皆が、上手く動いてくれた。
敢えて、幼さを前面に出すため、膨らみ始めた胸も、きつく締めて押さえた。
敢えて、王の目の前に家宝の剣を置き、興味をそそった。
敢えて、従順なフリをし、体罰を甘んじて受けた。
敢えて、王太子の無能さを人目につくところで見せつけ続けた。
歯車が、2年の月日をかけてクルクルと回り、そして、あの日がやって来た。
『号外だよー、号外だよー』
王家が隠蔽に走る前に、街に流れた情報は、アルジェの手によるものだ。
城下を視察する際、要所に種を撒いてきた。
新聞社では、敏腕記者に、孤児院を訪問する際は、見所のある少年少女に声をかけ続けてきた。
相手が、
『自分は、アルジェ・ロッシーニ王太子妃の特別なのだ』
と感じるまで。
まんまとサリーナを、敵国の間者として処分した第二王子派が、いつアルジェを取り込むために動き出すか分からなかった。
『アルジェのためなら、何だってするよ』
などと熱い視線を向けて、隙あらば手を握ろうとしてきた第二王子フランシス。
いち早く国民に、
『王家がアルジェを捨てた』
と認識させなければ、『傷物にした責任を取っての第二王子との再婚』などと言う馬鹿げた話が浮上する。
孤児院から手元に引き取り侍女として働かせていた少女は、事件直後に、混乱の中新聞社に駆け込んだ。
『我らが王太子妃の不遇』を伝える為に。
即刻刷られた号外は、孤児院の子供達の手により、ばら撒かれた。
全ては、時の運。
何か一つでも違えば、また、違う結果になっていただろう。
それでも、アルジェは、どんな手を使ってでも剣の道に進むと決めていた。
その手段を手に入れた彼女が今思うことは、
「早く剣を握りたいわ」
の一事だけだった。