軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

66:特にそんなつもりはない

二日酔いに悩まされた翌日、ほぼ回復はしたもののまだ地味にダルさが残っていた。

今日は一日読書をして過ごそうかと本を片手に部屋を出る。理性の振り切った読書週間でもあるまいし部屋に籠りきりでは味気ないだろう。

いつもの喫茶店にでも行こうかと階段を降りていると、丁度登ろうとしている女将と目が合った。

「ああ、リゼルさん丁度良かった」

「何か用事でしたか?」

「手紙が届いてるんだよ。知らない内に玄関の椅子に置いてあってね」

リゼルは階段を降り切って女将の手の中にある手紙を見下ろす。

しっかりと封の閉じられた封筒には、表に矢印(→)と“貴族”とだけ書かれていた。女将は恐らく悩みもせずリゼル宛てだと断じたのだろう。

少しぐらい迷ってくれてもと思いつつ、この宿に宿泊する通称貴族は自分だけなのだし仕方が無いかと苦笑しながら受け取った。

「有難うございます、持っていきますね」

「変な手紙だったら無視するんだよ」

此処では広げず手に持っていた本へと挟み込む。

ちなみに何故本をポーチから取り出しているのかと聞かれれば持っていたい気分だからと言うしかない。

薄い手紙は本を閉じてしまえば完全にその姿を消してしまう。心配そうな顔を浮かべる女将に問題無いと微笑み、出掛けて来ますの言葉と共に宿を出た。

「(何処で読もうかな)」

手に持ったのは以前パーティーに招待された際、ジルを参加させた報酬としてイレヴンに渡された本だ。

長期戦になりそうだと予め見当を付けていたので、他の本を読んで行く合間合間に読解を続けている。少しずつ読み解けてはいるが、その内容にはまだ一片たりとも辿り着いていない。

今日はじっくり読み込むのも良いだろう、それなら喫茶店に長居するのは悪いだろうか。リゼルは楽しみだと微笑みながら考える。

「(居心地良くて、集中しても問題ないところ)」

髪を耳にかけ通りを歩くリゼルの隣を子供達が駆け抜けていった。

学び舎へ行くのか遊びに行くのかは分からないが、通り過ぎて行ったのは見慣れた子供達だ。彼らはリゼルに気付くと慌てたように足を止めて振り返り、ぶんぶんと手を振っている。

返事を必要としない挨拶だったのだろう、しかしリゼルがひらりと手を振り返すとパッと嬉しそうに笑って再び駆けて行った。子供達の良く通る高い声にも痛まない頭に、二日酔いは本当に回復したようだとしみじみ思う。

先日のジャッジによる限り無く適切かつ献身的な看病のおかげか。

「(そういえば……)」

ふと思い出した。

以前通された店の奥、居心地の良い落ち着いた空気に座り心地の良い椅子。そして嬉しそうに出された紅茶とシナモンクッキーは店売りのものと比べても何の遜色も無く、むしろそれ以上の味を出していた。

良いかもしれないと頷く。迷惑にならない確信はあるし、商人としての有能さを如何なく発揮し間違い無く店に何の影響も出さないまま完璧にもてなしてくれるだろう。

更には声も聞こえぬ程に集中しようと周囲を心配させる事は無い。考えれば考える程に理想的だ。

「(ジャッジ君、いるかな)」

店の中でせっせと動いている姿が容易に想像できる。

リゼルはちらりと手元の本を見下ろし、進路をジャッジの店へと定めて歩を進めた。

「じゃあ、えっと、ごゆっくり……!」

眉を下げながらもふにゃふにゃと嬉しそうに笑ったジャッジへと微笑み返す。

目の前にはもし良ければと美しくセットされたメモ、そこに添えられたタールに沈められたような艶やかな黒を纏うペン。そして本を読むには邪魔にはならないが手を伸ばせば無理なく届く場所に用意された紅茶と、狂い無い黄金比に切り揃えられた生チョコと細いフォークの載せられた繊細なトレー。

すぐさま用意されたそれらに流石だと零すと、ジャッジは照れたように笑って店へと戻って行った。

「これだけ気配りが出来るなら商人は天職でしょうね」

背の高い後ろ姿を見送ってゆるりと微笑み、持っていた本を開く。

俯くと頬に落ちる髪を耳にかけ、相変わらず意味のある内容は理解出来ない書面を見下ろす。図解と文章部分を分けただけでも成果だろう、今日中にせめて単語ずつの区切りが判明すれば良いのだが。

リゼルは本の縁を優しくなぞりながらページを捲り始めた。

そんなリゼルの居る空間から店へと戻ったジャッジはほっと息を吐いた。

そわそわと浮つきそうになる胸を抑える様に手で押さえ、誰も見てなどいないにも拘らず誤魔化すように店の掃除を始める。そうでもしなければ顔が勝手に緩んでしまいそうだった。

「(何だか、友人っていうか、仲間っていうか……あのリゼルさんと親しいみたいで嬉しい……!)」

途切れもせずジワジワと湧きあがる喜びに、図々しいかいやでもと内心で言い訳する。

リゼルが本を読む為にと気軽に自らの店を選んで立ち寄ってくれるのが何だかとても親しい間柄のようでジャッジは感動さえ覚えていた。

優れた鑑定眼を持つジャッジだ。それが真の実力を発揮するのは物に対してだが、商人として人を見る目も特化して優れている。

そんなジャッジはリゼルが誰に対しても親しくするような人間では無いと知っているし、むしろ周囲に全くもって知られないようにしているが一線を引いて決して踏み込もうとはしない事も知っている。だからこそ喜びは何倍にも膨れ上がった。

ジャッジにとってリゼルは理想の大人だ。

品が良く、空気は清廉で、何があっても穏やかなまま微笑んでいる。自分をしっかりと持っているのに周囲にそれを強制する事は無く、周囲から学ぶことを止めない。

話していても過度に自分の主張などせず自然と此方が話しやすいようにしてくれるし、親しみやすい訳では無いが一緒に居るととても居心地が良い。意外と行動力がある上に何をするのか分からない所があるので割と頻繁に驚かされてはいるが、それすら魅力に変えている。

「何より、ジルさんとかイレヴン相手に意見を通せるし」

思わずポツリと呟いたのは、親しい相手だろうと強制される事を嫌う二人の名前だった。

ジルは時折一人で鑑定目的にこの店を訪れる。いつか聞いた“見られると拗ねるから”という理由に、ジャッジは余り見た事が無いある意味希少な迷宮品を持ちこむリゼルを思いだして納得したものだ。

単独で迷宮に潜った際に手に入れた迷宮品を鑑定売却していくジルは、以前と比べると多少関わりやすくなったような気がするが怖いものは怖い。

イレヴンに至っては時々来ては飯を食わせろと言ってくる。ジャッジの作った大量の料理をデザートまで食べきって満足そうに去って行くのだから心のままに好き放題だ。

「(僕も気が強い方じゃないけど、商人らしく自分の意思は通さなきゃ……!)」

そんな二人相手にほのほの微笑んだまま自分の意見を通しているのだから、破天荒な祖父を持ちながら生来気の弱いジャッジにとっては憧れを抱く存在に他ならない。

穏やかなままのリゼルが出来るのだから、気が弱い自分にも不可能では無い。筈だ。と信じたい。

目標と言ってしまえばおこがましい気もするが、参考にさせて貰うだけならば自由だろう。取り敢えず第一目標は、あの誰に絡まれようと常と変わらない余裕の態度を身に付ける事だ。

「(あ、そういえば前懐かしいって言ってた紅茶を出したけど、良かったかな……もうちょっと今がシーズンのやつの方が良かったんじゃ……)」

ふと気になりそわそわと手元を動かす姿はまだまだ余裕には程遠かった。

昼食の時間となり、ジャッジは一度店を閉めた。

いつも昼時には店を閉めるが客が来れば対応する。しかし今日はしっかりと昼休憩を取ると決めていた。

店の奥の扉を静かに開いてみると、出た時と変わらない体勢でリゼルが本へと視線を落としていた。此方には気付いていないその表情からは微笑みが消え、伏せられた瞳にジャッジは内心でおぉ……と謎の感嘆を上げる。

繊細なトレーに並べられた生チョコは三分の一程減っていて、紅茶のポットも動いていた為にリゼルが気に入らなかったという事は無いのだろう。ほっと安堵の息を吐いて恐る恐る声をかける。

「リゼルさん、お昼の時間ですけど……何か食べたいものとかありますか?」

余程集中していたのか、リゼルは呼びかけられてから数秒は視線を上げなかった。

そしてふっと顔を上げて目を瞬かせ、ジャッジの顔を確認して窓の外を見る。太陽が頂点に昇った外は明るく、もうそんな時間になったのかと本を下ろした。

「お昼まで頂いちゃって良いんですか?」

「も、勿論です……!」

「じゃあお言葉に甘えさせて貰います」

微笑まれ、ジャッジはぱっと笑みを浮かべた。メニューは任せると言うリゼルにさて何を作ろうかといそいそと準備を始める。

自分一人だったら朝作った残りで済ませるがまさかリゼル相手にそうはいかないだろう。

そう気合を入れているが、リゼルは朝の残りだろうと普通に美味しく食べる。ジャッジの料理ならば疑いようも無く美味だしそれで十分なのだが、恐らく当のジャッジが全力でそれを嫌がるだろう。

下手をすれば泣かれる、リゼルは苦笑しながらパタンと本を閉じた。

「あれ、リゼルさん、何か落ちましたよ」

本を閉じた拍子に滑り落ちたそれを、ジャッジは不思議そうに拾い上げた。

何の変哲も無い手紙だ。表には矢印(→)と“貴族”とだけ書かれており、恐らくリゼル宛てだろうそれにきゅっと眉を寄せる。

こんな変哲も無い封筒でリゼルへ手紙を出そうなどと何を考えているのか。自分だったら一点物の品の良い装飾のついた封筒に細心の注意を払ってバランス良く宛名を……などと若干ずれた部分にぷりぷりと怒っているジャッジを微笑みながら眺め、リゼルはそういえば貰っていたのだったと手紙を受け取る。

「朝、宿の椅子に置いてあったみたいなんです」

「え、それ……ちょっと怪しいんじゃ……」

封を開けたリゼルは盛大に心配そうな視線を向けられながら中から手紙を取りだして目を通す。

平然と読んでいる様子に、どうやら大した手紙では無かったようだとジャッジは胸を撫で下ろした。変な宛名が書かれていたがリゼルが“宿泊亭の貴族様”と呼ばれていることはジャッジも知っているし、それならば必ずしもおかしいという訳ではない。

座ったリゼルの隣に立って手紙を差し出した為、その場に留まるジャッジには見ようと思えば手紙が見えた。あまり良い真似では無い為に見ないようにしていたが、やはり好奇心には耐えられず一瞬だけとちらりと手紙を見る。

果たして悪戯か報告事項か、はたまたリゼルへの手紙だしとてもそうは見えないものの恋文か。

『お前の仲間は預かった。返して欲しければ夜九時の鐘に指定の場所まで一人で来い』

リゼルはふむと一度頷いて手紙を畳む。

「そういえば前にジャッジ君が作ってくれたポトフが美味しかったです」

「あ、じゃあ、ポトフにします」

こくんと頷いてジャッジは茫然と台所へと向かった。

保存庫(迷宮品:中に入れた食材の劣化を止める。食材限定)からベーコンの塊を取り出し、少し厚めの一口サイズへと切る。鍋の底にオリーブオイルを敷いてそのベーコンを軽く炒め、手早く切っておいた大きめの野菜を全て入れてオリーブオイルと馴染ませる。

ベーコンが焼ける香ばしい香りが漂い、ジャッジは相変わらず茫然としながら手慣れた様子で鍋に水を足した。丁寧に灰汁を取ってジャッジこだわりの配合で作り上げた手製のコンソメの瓶を手に取り、スプーンで鍋へと入れる。

煮込んでいる間に今朝生地を作ったばかりのパンを窯へと入れて焼き上げた。

具材が柔らかくなるまで煮込んで塩コショウで味を整え、ジャッジは保存庫からウインナーを取り出してスープの中へと落とす。軽く煮込み、皿へと移してパセリを盛りつける。

再び本を読み始めてしまったリゼルの前で手早くテーブルセッティングを済ませ、ランチョンマットの上にポトフと切ってバスケットへと入れられたパンが並べられた。今度はそこまで本へと集中していなかったリゼルが良い香りに本を畳む。

「美味しそうですね」

「あ、ありがとうございます」

「頂きますね。うん、やっぱり美味しいです」

称賛と共に向けられる甘い瞳と微笑みに、ジャッジは向かい側に座りながらようやくふにゃりと笑った。

直後、その笑みのままザッと音が聞こえそうな程に一気に血の気が引く。

「リ、リゼ、リゼルさん、手紙、さっきの手紙」

「欲しいですか?」

「いらないです……!」

自分が言いたい事など分かっているだろうにからかうように言うリゼルに、半泣きになりながらジャッジは自分の反応がおかしいのだろうかと頭を抱えた。

明らかに脅迫文だった。それはもう露骨な程に典型的な脅迫文だった。

「ほらジャッジ君、料理が冷めてしまいますよ。あ、このパンも美味しいです」

「あ、それは、付け合わせのオリーブオイルにつけて食べて下さい……ッじゃなくて……い、行っちゃ駄目ですよ絶対! 行かないでください!」

「大丈夫ですよ、落ち着いてください」

ジャッジは差し出された水を受け取り、ぐるぐると混乱する頭を落ち着けるように口に含む。

冷えた水が喉を通って行く感覚に少しだけ落ち着いた。まだまだ混乱してはいるが。

促されるままにポトフも食べ、急いで作った割には中々だと少し安堵する。折角リゼルの口に入れるのだから本当は心底手間暇かけて作り上げたかったが待たせる訳にもいくまい。

言葉通り落ち着いてポトフをすくっているリゼルを眺め、大丈夫というのなら大丈夫なのだろうと肩の力を抜いた。どうやら驚愕は引いたらしいとリゼルは問うように首を傾げて見せる。

「俺の仲間と聞いて、ジャッジ君がまず想像するのは誰ですか?」

「え? えっと……ジルさんと、イレヴンです」

「じゃあその二人が捕まっている所を想像してみて下さい」

ジャッジはパクンとニンジンを食べ、味わいながらも想像してみた。

やはり攫われるのだから眠らされたりするのかもしれない。ざっとジャッジの顔色が白くなった。

しかし想像の中の二人は奇跡的に避けられず何を嗅がされようと毒を喰らおうとピンピンしていた。ジャッジの顔色が戻る。

やはり捕えられるのだから縄とかで縛られるかもしれない。ざっとジャッジの顔色が白くなった。

しかし想像の中のジルは普通に縄を千切ったしイレヴンは隠し持っていたナイフで切った。ジャッジの顔色が戻る。

やはりリゼルの話を出されれば二人といえど抵抗せず殴られたりするかもしれない。ざっとジャッジの顔色が白くなった。

しかし想像の中の二人はリゼルの名前が出された次の瞬間に相手を血祭りに上げていた。ジャッジの顔色が戻る。

「……想像すらあんまり出来ませんでした」

「でしょう?」

パンを千切るリゼルに頷いて、ジャッジはむしろ相手が可哀想な気がすると思いながら安堵した。

でも、と思う。確実に無いだろうがもし二人のどちらかが、あるいは両方が捕えられたのならリゼルは敵の誘いに乗るのだろうか。

何となく乗らないだろうな、と思いながら好奇心のままに尋ねると返って来たのはやはり予想通りの返答だった。

「あの二人が捕まったのなら遊んでるか考えがあっての事でしょうし、わざわざ水を差すのも悪いから行きませんよ」

それは二人の強さに対する絶対的な信頼なのだろう。

ちょっと羨ましいと内心呟きながらジャッジはふにゃふにゃと嬉しそうに笑った。リゼルに危険が及ばないようで何よりだ。

「あれ、でも、じゃあ“預かった”っていうのは何でしょう……?」

「預かる予定ってだけだと思います。指定の時間は遅いしそれまでに人質を調達する予定なのかもしれません」

「お、大雑把ですね……」

「人質は長時間抱えれば抱えるだけ不利になりますからね。それに、世間知らずの 貴族(・・) なら実際に人質なんてとらなくても勝手に怯えて言いなりになるって思ってるのかも」

ポトフを食べ終えたスプーンを置いてリゼルは可笑しそうに笑った。

疑問を覚えてジャッジは首を傾げる。リゼルの言い方では脅迫者が彼を貴族だと思い込んでいるようだ。

もはやこの王都でリゼルを冒険者だと知らない者はおらず、ならば脅迫者は最近来たばかりの者なのだろうか。本当に貴族だと思っているなら狙いは金で、などと必死で考えているジャッジの額にふと何かが触れる。

それはリゼルの指で、ジャッジは照れて視線を逸らしながら少しだけ身を乗り出した。指先しか届かなかった距離が縮まり、額から頬へと掌が撫でる感覚を目を細めて甘受する。思考はすでに何処かへと飛んでいった。

「ただ、君に手を出されると困ります」

「え……?」

ぱちりと目を瞬かせ、そろりと窺う様に上目でリゼルを見る。

甘い瞳が真っ直ぐに此方へと向けられていた。

「だって、スタッド君なら自衛は出来るでしょうけど、ジャッジ君は少し心配です」

それはつまり、そう考えた直後にバッとジャッジは身を引いた。

椅子の背もたれに背を押しつけながら顔を下に向け、その表情を隠すように片手で覆う。もう片方の手は机に置かれたまま、何かを耐えるようにぎゅっとテーブルクロスを握りしめていた。

小さくふるりと震えた手を何とか誤魔化そうと思ったが、どちらの手も少しだけ力が籠っただけで動いてはくれない。

ひたすら目頭が熱くなり、自然と溜まる涙がこぼれそうになるのを耐える。

こうなってしまうのも仕方が無い、リゼルの所為だ。ジャッジは普段ならば決して思わない事を考えながら必死で湧きあがる衝動を抑えつけた。

だってリゼルの言い方が悪い。今回狙われたのは“リゼルの仲間”で、ジルとイレヴンは放っておいて、スタッドも自衛出来るから大丈夫で、そして。

自分が狙われたら困るなんて、そんな言い方をされたら。

「……ッ何、で……!」

「うん」

絞り出した声は掠れていて、微かに震えていた。

リゼルは差し出していた手を引き優しく相槌を打つ。ジャッジ自身何を言いたいのかも分からないままに零した言葉に、当然続きなど無い。

それはリゼルも分かっていた。その隠された顔が赤く染まっている事など、同じく染まった首元を見れば分かる。震えが嫌悪から来ている訳ではないことも、零された言葉が此方を責めている訳では無い事も。

今まで口に出しはしなかったがそういう扱いをしていただろうに、といつだって自信が持てない目の前の大きな年下に微笑んだ。

「俺にとって今回関係があるのは、君達四人だけですよ」

それ以外の人物が狙われるようだったら当然気になどかけないと、誰かが聞けば冷酷としかとられないだろう言葉がジャッジには呼吸すら乱される程に嬉しかった。

泣きそうになり、ひくりと震える喉を息を飲み込む事で押さえる。恐らく今自分の表情は見れたものではないだろうが、そろそろと顔を押さえていた掌を外した。

リゼルも伝えてくれた。ならば自分も伝えなければいけない。俯いたまま、掠れそうになる声を何とか振り絞る。

「僕、大丈夫……です」

「ジャッジ君?」

「大丈夫です、だから……!」

ゆっくりと伏せられた顔が上げられていく。

眼元は赤く染まり切り、瞳は限界まで涙を湛えているが強い決意を感じさせた。

目が合い、リゼルは促すように首を傾げてみせる。ジャッジは大きく息を吸い、きゅっと眼元に力を込める。

「リゼルさんは何も心配せず、思う存分、本を読んでて下さい!」

何と云うか、随分彼らしい言葉だ。

リゼルは可笑しそうに声を上げて笑い、ジャッジはそんなリゼルをきょとんと見つめていた。

ボロい仕事だ、と男は笑う。

貴族なんて国のてっぺんでふんぞり返っていれば良いものを、優越感を感じたいのか堂々と下々に敬われたいのか下町をブラつく奴が何処の国にも絶対に居る。そんな奴らをターゲットにして大金を手に入れられるのだから楽なものだ。

貴族を攫うのは得策じゃない。騎士だの憲兵だのが総動員されて何とか金を手に入れても逃げられなくなる。

狙うのはその貴族と親しい下町の人間だ。貴族が下町をブラついている時に親しい奴を攫い、金を要求する。貴族にとってははした金な大金は動揺と恐怖で言われるがままに簡単に支払われ、狙われたのが一般国民とあっては騎士も憲兵も大した数は動かないからすぐに国外へと逃げられる。

下町をブラつくような貴族なんてものは騎士だの何だのを動かせる立場なんて当然持っていない。半日でボロ儲け出来るのだから、味をしめたら止められやしない。

「お貴族サマはどうした」

「相変わらず護衛撒いて単独行動だ。全く、貴族ってやつは平和ボケしてやがる」

「しかもターゲットの家に行ってんだから俺らにとっちゃ都合が良い、目の前で親しい店主に剣の一つでも突き付けてやりゃぽんぽん金落とすだろうさ。金の引き渡し役達にゃ悪いが決めちまおうぜ」

一度“仕事”をすれば同じ国にはいられない。

国から国へと渡り歩く男達が今回訪れたのは 王都(パルテダ) で、到着早々見つけた格好の獲物に早速目をつけた。下町から帰ってしまえば作戦は使えないのもありスピード勝負だ。

急ごしらえだが貴族が親しくしている人間もしっかりと調査出来たし、男達は計画の成功を確信して笑いを堪えられなかった。

空はやや夕焼けを残すものの暗い、男達は顔を覆い隠して一気に潜んでいた路地裏から飛び出した。扉に手をかけ、勢いよく開け放ち剣を突き付ける。

「動くなァ!!」

居たのはかなり長身の店主一人だけだった。

その長身にも拘らず、ふわりとした茶色の髪と下がった眉は随分と彼を気弱そうに見せている。驚いたように振り向いた姿はいかにも戦いに縁の無い一般人のもので、一瞬動揺を見せて揺れた瞳がきゅっと睨むように向けられた事に違和感を感じさせる程に全く強くは見えない。

「おい、此処に貴族が来てるだろうが!! 出せ!!」

「そのお貴族サマがお前に幾ら出してくれんだろうなァ!! 見捨てられないように必死に助けを求めろよ!!」

大声で笑う男達は、ターゲットにしている筈の店主が震えを押さえるようにぎゅっと拳を握った事に気付かなかった。

「……ジルさんのがよっぽど強そうだし、イレヴンのがよっぽど悪そう」

「ハァ!? 何訳分かんねぇ事いってやがる」

「お前は黙って貴族を出しゃ良いんだよ!!」

呟かれた言葉に男達は怒鳴る。睨みつけるように視線を向ける店主にイラつき、二、三回斬り付けてしまおうかと剣を振り上げた。

「リゼルさんの邪魔は、させない」

その剣を見据え、はっきりとそう言った言葉を男達は確かに耳にした。

浮かんだ事は名前を呼ぶほど親しいなら手に入る金も期待できるという下卑た考えのみ。

目の前の男が自分達に怯えているのは分かり切っている。それなのに立ち向かおうとする態度に勇敢なものだと嘲笑いながら殺さないギリギリまで痛めつけてやろうと剣を振り下ろした。

その瞬間、ぽつりと店内へと声が落ちる。

「“招かれざる客人だ”」

振り下ろした剣は突如現れた槍とぶつかり甲高い音を立てた。

男達は何が起こったのか分からない、何故ならその槍は突如床から生えたのだ。恐る恐る床を見ても継ぎ目など無く、しかし木材でしかない床から確かに装飾さえ施されている鈍色の槍が生えている。

「ッ何しやがった!! ッぐ!」

怒鳴る男の前を更に槍が通過する。今度は天井から生えたそれに男達は警戒心を露わに後退しようとした。

しかしそれも許されない。扉を塞ぐように幾重にも交差する槍が床や壁問わず姿を現し、男達を拒むように向けられ、しかしそれを避けようと店主の元へと前進しようにも前方からも男達へと槍が突き出される。

もはや一歩も動けず満足に手も上げられない程に槍に囲まれた男達は冷や汗を流した。

いまその槍が一本たりとも自らに刺さっていないのは決して奇跡では無い。狙って避けられ追い詰められたに他ならない。

「お、おい……俺達が悪かった、だから……!」

「謝られても、僕は嬉しく無いです」

「金ならいくらでもやる!!」

「お金を貰っても、許せないので……」

ふるりと首を振られて男達は何とか言いくるめられないかと口々に代わりの案を出す。

見るからに普通の青年だ。必死で謝れば許してくれるだろうし、金を積めば意思も揺らぐだろう。

しかし何を言っても頷かない。金を積もうと同情を引こうと首を縦に振る事は無い。男達は今にも槍に貫かれん状況に焦燥を浮かべて遂には逆上したように叫んだ。

「もう二度とあの貴族狙わねぇって言ってんだろうが!! 何がそんなに許せねぇんだよ今回だって未遂じゃねぇか!!」

その叫びに、店主は状況に似合わず訳が分からないとばかりに目を瞬かせる。

「だって、一度でもリゼルさんに手を出そうとしたし……」

心から困惑したように告げられ、男達は茫然と彼を見た。

それこそ何を言っているのか分からないという男達の前で、彼の瞳がゆっくりと一つ瞬きをする。一瞬閉じられた瞼から現れた瞳からは徐々に光が失われていき、困惑も薄れている。

あるのは唯一人を失う可能性についての絶望と、それを防ぐためには何でもしようという意思のみ。

「なら、生きてるの、おかしいよね?」

体ごと貫こうと向かってくる巨大な槍に、男達こそが絶望へと落とされた。

ジャッジは静かに店の奥にある扉を開けた。

中を見ると髪を耳にかけながら本へと視線を落とすリゼルがいて、少し煩い人達だったけど大丈夫だったようだとほっと安堵の息を吐く。まさか本当に自分が狙われるとは思わず驚いてしまった。

リゼルの前に置かれているコーヒーが減っている事に気付き、いそいそとお代わりの準備を始める。

紅茶のようにポットで出しておけないが、ずっと紅茶ばかり飲んでいても飽きるだろうとコーヒーへと変えていた。茶菓子も生チョコからシフォンケーキになっている。

「……あ、すみませんジャッジ君」

「い、いえ、そんな……!」

新しく淹れたコーヒーを差し出すとリゼルも気付いたようだ。

微笑んで礼を言われ、ジャッジは照れながらぶんぶんと首を振る。

「それで、その……やっぱり脅迫状だした人達が来たので、捕まえて憲兵の人達に引き取って貰ったんですけど……」

「そうだったんですか。気付かなくてすみません、怖かったでしょう?」

「大丈夫、です……!」

確かに震えてしまいはしたが、何となく見栄を張ってジャッジは笑って見せた。

褒めるように微笑むリゼルが手を伸ばして来たので、少しばかり猫背の背をもう少しだけ曲げる。まるで怖かった気持ちを見透かすように、慰めるようにぽんぽんと頬を叩いた掌にジャッジは少しだけ眉を落としながらも笑った。

「やっぱりジャッジ君の店は凄いですね」

「はい、感謝しっぱなしです……」

「“王座”って樹なんですよね、一度生で見てみたいです」

一番近くだと何処で見れるだろうかと考えるリゼルに、ジャッジは彼ならいつか見れるだろうとふにゃふにゃ楽しそうに笑った。

固定の群生地など無く、ランダムな森に他の樹と見た目は何も変わらず生える樹が“王座”だ。

その価値は金に換算など出来はしない。ただ希少なだけではなくその特性から誰もが求め、しかし誰もが手に入れられない幻の樹。

特性は自らに住みつく生物の絶対保護という特殊なもので、その条件も一番初めに住みついたものに限定される。大抵は巣をつくった小鳥などがその権利を知らず享受し、人々が見つける頃にはただの樹と何も変わらずただそびえているだけなので“王座”かそうでないかも区別がつかない。

「僕も、爺様がたまたまくれた種の中に“王座”があって、たまたま僕がそれを選んで、たまたま育てたやつを店の木材に使っただけなので……自然に生えているのは見た事が無いです」

「店全体の木材には足りないでしょう?」

「はい、でも影響は全体に及ぶみたいです」

成長が早すぎるからビックリしたと話すジャッジに微笑んだ。

ビックリするだけで自慢などしなかったからこそ王座の権利は彼にあるのだろう。

「ジャッジ君みたいに素直な良い子が手に入れたのは色々な人にとって幸運ですね」

“王座”の名前の由来は絶対守護の為だけではない。

その中に居るだけで樹が叶えられる範囲の願いは叶えられる。

侵入者の排除や外から中が窺えないようにするなど、間違った使い方をすれば完全犯罪さえ量産出来るだろう。幻覚さえ見せる事が出来るようだし、もしや簡単な催眠すらも出来るのではないだろうか。

そんな中でジャッジが喜んで使っている機能などリフォームぐらいだ。手間無く店の棚や机が増やせる。なんて平和的。

「ん、じゃあ店の中ならジャッジ君ってジルに勝てはしないものの傷の一つや二つ付けられるんじゃ」

「むむ無理無理無理です無理! 斬られます! 僕が!」

青ざめて必死に首を振るジャッジに可笑しそうに笑い、ならとリゼルは更に言いつのる。

「俺に、何かしてみてください。幻覚とか興味があります」

「無理ですってば……! むしろ、い、嫌というか……!」

もはや半泣きになりながら拒否するジャッジにからかい過ぎたかと苦笑する。幻覚を見てみたいという言葉に嘘は無いが。

寄せられたままの頭を慰めるように撫で、柔らかい髪を指で梳く。勇気を出してくれたことに心からの感謝を述べると、ジャッジは何処か誇らしげに控え目な笑みを浮かべて同じように礼を返した。

ジャッジが一人はまだ危ないかもしれないと主張した為にジルが迎えに来るまで、リゼルはジャッジの気合の入った夕食を御馳走になり穏やかな時間を過ごしていた。

それは夜九時の数分前の事。

光の殆ど届かない暗い場所に数人の男が集まっていた。

「人質の確保は済んだと思うか」

「相手はただの商人だぞ、しくじる訳がねぇ。ま、例えしくじってもお貴族サマ一人金を払いにくりゃ良い事だろ」

「誰を預かったとか書いてねぇしな。確認もせず焦って来るんじゃねぇの!!」

路地裏の奥深く、四方を廃墟に囲まれた空間で男達は笑い声を上げた。

指定の時間まであと少し。貴族相手に時間より早く来る期待などしていない。男達は作戦成功の後に手に入れた金で何をしようかと盛り上がっている。

そして時間丁度になり、近付いて来る足音に男達は上げていた笑い声を止めた。しかし下卑た笑みは消えずに残っている。

路地の暗闇から現れたのはマントを被った男だった。口元しか見えないがこんな場所に迷子など来ない、調査した背格好と同じぐらいなのもあり標的だと確信を持って男達の内の一人が口を開いた。

「言うまでもねぇが金は持ってんだろうな。何も分からず来るほど馬鹿じゃねぇだろ」

囲むように近付いて来る男達にマント姿の男は一歩も動かない。

怯えているのかと男達が笑う。

「金さえ出しゃ見逃してやる。貴族に手ぇ出しゃ俺達にとっても損だ」

「……損?」

ようやく話した標的に男達はゲラゲラと笑った。

何も知らない貴族らしい返答だ。自分の存在がどんな影響を及ぼすのかも理解出来ていない。

だがご丁寧に説明をする程時間に余裕がある訳でも無い。こういうのはさっさと済ませるに限ると、男は少しばかり胸倉を掴んでビビらせてやろうかと手を伸ばした。

直後、その手の手首から先が消える。

「……は。ぎ、ぁ」

「てめぇ……ッ一人で来いっつったのに何人連れて来やがった!!」

血の噴き出る手首を押さえて叫び呻く男を下がらせ、彼らは突如増えた人間を険しく睨みつけた。

標的の横に立つ前髪で目が隠れた男、さらに周囲の廃墟の上では数人が悠々と姿を現して此方を見下ろしながら月明かりで地面に影を作っていた。囲まれている。

逆上し怒鳴る男達の前で、標的がぐっと体を折った。その体は小さく震え、一体何がと男達が思う前に心底相手をあざ笑うような笑い声が上がる。

「一人で来いっつって一人で来る奴いんの? 状況が悪化するだけだろソイツ頭狂ってんじゃねぇの? 何で脅迫して来る奴の言葉に従わなきゃいけねぇんだよ雑ァ魚」

「お、お前……」

「ッハハハハハ! こんだけ頭悪ィ奴らひっさびさに見た!」

貴族に有るまじき態度だ。

十分とは言えないものの事前の調査ではこんな話し方をするような人物でもなければ、こんな笑い方をするような人物でも無い。見るからに清廉な貴族らしい貴族だった。

まさかと目を見開いた男の前で、バサリとマントが取り払われた。鮮やかな一本の赤が宙を翻る。

「じゃぁん、しかも本人じゃねぇんだわゴシュウショウサマー」

嗜虐的な笑みを向けられた男達はただ絶句した。

下町をフラつくような貴族が彼のような護衛を付ける筈が無い。半日でここまで徹底して対策を取るはずがない。自分達を殲滅しようなんて考えに行きつく筈が無い。

彼らは運が良すぎた。今まで上手くいきすぎて知らなかっただけだ。

本当に高貴で上位に立つ貴族達が簡単に動かされるような者達である訳が無い。今までそんな貴族にあたらなかっただけに過ぎない。

「あんまさァ、この国で悪いコトされんの困るんだよなァ。俺らの再来とか? そういう噂立つとあの人にとって都合悪ィだろうし」

「な、何を……」

「まぁ盗賊業じゃねぇから変な噂流れても面白半分だろうけど」

男達は詰まらなそうに掌でナイフを回す男を見た。

会話が繋がらない。自分達の問いに何も返されない。ただ与えられる情報を結び付ける。

パルテダ、盗賊、この近辺の闇に生きている者でその名前を知らない者はいない。史上最悪の盗賊団、闇に生きる者にとってはある種の憧れさえ抱くほどに暴虐の限りを尽くした集団。

一斉に国に捕まり処刑されたという事実さえも彼らを知る裏の人間達は信じられない程に、突出した実力を持つ盗賊団のトップ達の素性は裏の情報網でさえ掴めない強者ばかりだった。

「まさ、まさか……フォ」

「はい静かに」

ヒュンッとナイフが一閃した。声を上げかけた男の喉から血が吹き出る。

叫び声さえまともに上げられない喉にパニックに陥る男を、イレヴンは興味が無さそうに見下ろした。

「死ぬかよ、それぐらいで」

「み、見逃してくれ! な! 今まで集めた金だったら全部やる!!」

「はァ? テメェら殺した後に貰えんだから今わざわざ貰って許してやる必要が何処にあんだよ」

リゼルに手を出そうとしたのだから許す選択肢など何処にもないが。

全くジャッジは本当に甘いとイレヴンは前髪を掻き上げながら呆れたように上を向いた。何やら多少怖がらせたようだが少し怖いぐらいでこの手の男達が反省などする筈が無いだろうに。

自分で死を望む程に、死んで償わせてくれと額を地面に擦りつける程に、そして死ねない事に絶望しながら狂う程に反省を促してやって初めてこの手の人種は反省を知るのだから。それぐらい常識だろうに。

「なァ」

「は?」

ノッて来なかった精鋭のわき腹を肘で抉り、イレヴンは回していたナイフをパシリと音を立てて止めた。

廃墟の上へと立っていた者たちが音も立てず地面へと降りてくる。手首を斬り落とされた男も喉を斬られ声を失った男も、命に別条は無いしまだまだ楽しめるだろう。

「ゴホッ……これって貴族さんの指示なんですか」

「“こういう事があったんですよ”って俺に話してくれんだから気に入らねぇなら好きにしろって事だろ」

果たしてそうなのだろうかと精鋭達は内心で首を捻った。

しかしリゼルなりの元フォーキ団への配慮だったのかもしれないと思えば納得は出来る。

盗賊団の生き残りが小細工ではした金を奪って行ったなどと噂になれば嫌だろうとある種ズレた、しかし彼らにとっては覿面な配慮。

「まぁ確かに、貴族相手に手ぇ出すのが損とか言う小物と一緒にされるとか恥ずかしいですけど」

「俺リーダーに手ぇ出そうとした奴見たかっただけだから後は好きにしろよ。あー何か腹減ったー」

蛇のようにしなる赤い髪を男達は何も出来ずに見送った。

何処も斬られていない者すら何も言えず、少しも動けない。ただ震える事しか出来ない。

囲まれ向けられた視線はこれからする事への愉悦や退屈に染まっていて、悲鳴を上げるより早く男達はその場から消えていた。