軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

185:寒さも吹っ飛ぶもっふもふ

サルスから馬車で二十分ほど。

その迷宮は、街道から少し外れた平原のど真ん中に佇んでいる。

「じゃあ行きましょうか」

「動きにくい」

「暑ぃ」

扉の前に立つリゼルたちは、もっこもこだった。

見渡す限りの雪野原は、足跡ひとつない新雪。

灰色の空から舞い落ちる雪が音を吸い、静寂を際立たせる。

肩に落ちる結晶は、決して溶けることなく服を滑り、時折通りすぎる小夜風に浚われる。

ここは、そんな静かで少し寂しい迷宮だった。

「風がないのだけが救いですね」

「……」

「歩きづれぇな」

「……」

「真っ白で綺麗な迷宮ですけど、御者さんは人気がないって言ってましたね」

「……」

「ここだけのために防寒装備作りたくねぇんだろ」

「……」

イレヴンが喋らない。

「イレヴン、やっぱり止めておきますか?」

「だいじょぶ……」

「てめぇ動けんだろうな」

「だいじょぶ……」

一番もこもこのイレヴンだが、それでも寒いものは寒いらしい。

リゼルたちが普段身につけている冒険者装備は、ある程度の防寒性能がある。

夏は涼しく、冬は暖かく。それだけの素材を使っているのだから性能はいい。

だが流石に、火山から雪国までカバーできるほどではなかった。今日も新しく仕立ててもらった冒険者装備を身につけ、万全を期して迷宮“色のない土地”を訪れたのだが。

「リーダーなんか……」

「イレヴン?」

「なんかして……」

「暖かく、ですか?」

「それ……」

草木も見当たらない、真っ白な雪原をリゼルたちは歩き出した。

ポツンと置かれている扉を背に、どちらが正解か分からないまま歩を進める。

どちらを見ても、白と灰色の境界線だけがある。方角すら見失いそうだ。

「火の魔石に発火寸前まで魔力を入れてポケットに、は無理ですし」

「砂漠で冷風出してただろ」

もっとも軽装のジルが、白い息を吐きながら告げる。

彼は暑さに弱いが、寒さには強い。寒いは寒いので眉間の皺は深くなっているが、暑さを感じている時のような苛立ちや不快感はなく、至極平然としていた。生まれ故郷が北のほうだったのかもしれない。

それにしても、冷風が出せたなら温風も出せるだろうと簡単に言ってくれるものだ。

リゼルは苦笑し、できないとは言わないものの首を振る。

「ここで温風を纏ったら、溶けた雪で服が濡れるので」

リゼルの言葉に、ジルは納得したようだ。

そして諦めろとばかりにイレヴンを見る。

「帰れ」

「うっさ……」

肩を丸め、大股で歩くイレヴンは頑なだ。

雪道を歩き慣れていないのか、珍しくその足元ではギュムギュムと雪を踏む音がする。

寒い寒いと言いながら、なんだかんだ迷宮を出る頃にはその足音も消えているのだろうが。

「イレヴンが一番毛皮を使ってるんですけど」

「防寒のためじゃねぇけどな」

この防寒具を仕立てる際、イレヴンは「似合うから」という理由で毛皮マシマシにした。

実際に似合うのだから仕方がない。リゼルは納得のセレブ感が出てしまったし、ジルはその手の筋の人間にしか見えなかった。よって二人はイレヴンに比べれば毛皮控えめだ。

「どんだけ着たかったんだよ」

「着たい服で迷宮を選ぶっていうの、新鮮ですよね」

そう、この迷宮に関する依頼を選んだのはイレヴンだった。

サルスの朝がやけに冷える日、そういう時のために元々防寒具を新調する予定だったという。そのタイミングで迷宮“色のない土地”の噂を聞き、折角だからとリゼルやジルを引き連れてがっつりと新調した。

するとすぐさま着たくなり、こうしてこの迷宮を訪れているのだが。

「……」

やはりイレヴンが喋らない。

ただ後悔はなさそうなので、それなりに満足ではあるのだろう。

「今度、学院の方に相談してみますね。防寒用の魔道具、もしかしたらあるのかも」

「んー」

あまり甘やかすなと、ジルは白い溜息を吐き出しながら剣を抜く。

「動きゃ暖かくなんだろ」

足を止めた。

雪のチラつく、一面の銀世界。

迷宮の名のとおり、見まわそうと視界は白と灰色しか映さない。

どこに魔物がいたのかと、リゼルが遠くの起伏を眺めていた時だった。

―――― ギャアッ!

頭上でけたたましい鳴き声。同時に、飛び散った羽毛が視界を埋めた。

死角からの襲撃を捌いたジルが、剣先についた魔物の血を雪で拭う。

「上でしたね」

「初っ端で魔鳥は意地悪ぃな」

雑談のように話していれば、イレヴンが靴先で落ちた魔鳥をひっくり返す。

新雪にゆっくりと血色を滲ませる体。その腹側は曇天と同じ灰色だったが、それとは裏腹に背中側は酷く鮮やかな藍色をしていた。

「リーダー好きそう」

「あ、凄い。保護色ですね」

イレヴンの髪についた鳥の羽毛をとってやりながら、リゼルは嬉しそうに微笑んだ。

「迷宮の固有種でしょうか」

「曇りにしか対応してねぇしな」

「ナハスさんに聞いてみようかな」

「あいつ自分の魔鳥にしか興味ねぇんじゃねぇの」

「そんなことないですよ」

リゼルは摘んだ羽根をじっと見て、そして歩き出しながらポーチに仕舞う。

今度、手紙を送る時に一緒に入れると喜んでくれるかもしれない。ナハスへの手紙で毎度魔鳥について話している訳でもないのだが、話題に選んだ時には心なしか返事が嬉しそうだった。

「それにしても、雪って歩きづらいんですね」

「初?」

「子供の頃に、薄く積もった庭を歩いたくらいです」

リゼルはふと、後ろを振り返ってみる。

大股ながら、鍛えられた体幹で絶妙なバランスをとるイレヴンの足跡。

なんだか普通に歩いているように見える、雪を物ともしないジルの足跡。

いまいち足が上がりきっていないようで、二本の轍のような線を引くリゼルの足跡。

「ジルが一番慣れてますね」

「村も冬になりゃ降ったからな」

「アスタルニアは雪が降らないみたいですし、イレヴンも初めてですか?」

「んー……」

厳密に言うならば、アスタルニアにも一切降らない訳ではない。

何十年かに一度、奇跡的な冷え込みが起きれば、積もらない程度の粉雪が見られるという。

ちなみに宿主が雪を見たことは一度もない。それほどに滅多にないことだった。

「サルスで、何回か」

「サルスは降るんですね。楽しみです」

「お前んとこ雪珍しいのか」

「いえ、冬になれば降りますよ。ただ、ガラス越しに見るのが普通だったので」

「お貴族さまは馬車しか乗らねぇって?」

揶揄うような言い方に、リゼルも可笑しそうに笑う。

リゼルの国も、冬には毎年雪が降った。広大な国土なだけあって、軽く積もる程度で済む所もあれば、北の国境付近にもなると時に陸の孤島になってしまう村もあった。

幸い、リゼルの領地や王都はそれほど大量に雪が降ることはなかった。なので。

「最近はすっかり暖かな室内で、庭の雪化粧を眺めてましたね」

「優雅ァ」

「雪の被害報告や対策に追われながらなので、ゆっくりとは見れないんですけど」

貴族も大変だなと、ジルたちは残念そうなリゼルの横顔を同情と共に眺めていた。

「あ」

暫く歩くと、イレヴンが何かを見つけた。

「どうしました?」

「足跡」

やや先のほうを指さすイレヴンに、三人は歩調を早めた。

そして見つけたのは、獣のものだろう足跡。右手の地平線から、前方の地平線へ。

点々と伸びた一匹分の足跡は、どこまでも続いているように思われた。

「魔物、ではないですよね」

リゼルは感心したように呟いた。

これまで遭遇した魔物は、魔鳥やエレメント、灰色蝶などの浮遊系ばかり。

足場が悪いからかなと特に不思議には感じていなかったが、今となってようやく理解できた。これを道しるべに使え、ということなのだろう。

「何の足跡でしょう」

「リーダーの」

「え?」

リゼルが不思議そうにそちらを見れば、防寒具で口元まで覆ったイレヴンがにんまりと目を細めていた。聞き間違いではないようだ。

その隣で、ジルが呆れたように補足を入れる。

「兎」

「ああ、成程」

以前、とある迷宮でリゼルとジルは獣と化した。

リゼルは兎へ、ジルは狼へ。その時のことだろう。リゼルとしては、何故兎だったのかと今でも疑問ではあるが。

「お前よりはでけぇな」

足跡を見下ろしていたジルが、なんとなしに呟いた。

恐らく兎時代と比べられている。比べられても、と思わずにはいられない。

「次は違う動物になってみせます」

「選べねぇよ」

「ウサギいや?」

「嫌ではないですけど、パーティを組んでるジルがオオカミだったので釣り合いが……」

足跡は前方、やや左手へと向かっている。

まずはそれを辿ることにして、リゼルは浮かべた銃を泳がせながら思案した。

ジルが狼。イレヴンはまず蛇か。二匹とも捕食者として名を売る戦闘能力高めの動物だ。

その隣で、もひもひ草を食べていて果たしていいのだろうか。迷宮攻略に相応しい動物とは。

「迷宮環境に見合った動物を目指せばいいんですよね」

「浮いてたもんなァ」

「バグってたんだろ」

決意を新たにするリゼルに、二人は慰めとも何とも言えない言葉を送る。

そしてリゼルは兎(冬毛)になった。

静かに舞い降りる雪、その中に一つだけあった大きな雪の結晶を触ったらこうなった。

「リーダー……なんで……」

リゼル(兎)を抱いたイレヴンは震えている。

痛ましさ一割、笑いを耐えているのが九割の震えだ。寒さはもはや吹き飛んでいる。

薄情な仲間だった。

「なんか……前よか場違いじゃねぇけど……なんか……」

「景色には合ってんだろ」

「あったか……」

「抱いてろ」

こいつ迷宮に嫌われてるんじゃ、とジルはイレヴンの腕の中でもひもひと鼻先を動かしているリゼルを見下ろした。いや、本人の希望は叶ったのだから好かれているのかもしれない。

迷宮に人格などないのだから無駄な考えではあるのだが、そう思わずにはいられなかった。

そしてリゼルの兎がバグではないことが判明した。空気を読んだうえで兎だった。

ジルは同情をこめてつぶらな瞳を見下ろし、いまだ笑いを堪えているイレヴンへと問いかける。

「どうすりゃ戻んだよ」

「知らねぇし」

「てめぇは経験者だろうが」

「は?」

着ぶくれしたイレヴンの腕の中、据わりが悪いのかリゼル(兎)は何度も身じろいでいる。

リゼルの身につけていた服も銃も消えているが、これは前回と同じなので気にしなくてもいいだろう。

「俺とこいつの面倒みたんだろ」

「つってもニィサンは人語喋んねぇだけのニィサンだったし。リーダーもひもひしてるし」

「おい」

「戻ったのも普通に階層突破だし」

ジルとリゼルは、狼と兎になっている間の記憶が曖昧だ。

ずっと獣の視点でものを見て、獣の思考で行動していた。根っこに自分自身の意思があったとしても、四つ足になって自然に歩ける程度には獣の仕様に馴染んでいたというのもある。

完全に人間に戻った際、その仕様部分が引き継げずとも仕方ないだろう。

「階層っつっても意味ねぇだろ」

ジルは掌で腹を掬うようにリゼル(兎)をイレヴンから取り上げた。

迷宮に入り、かれこれ一時間近く歩いているが地の果ては見えない。途中で地面に横たわる灰色の石碑の、そこに刻まれた魔法陣を見つけてはきたがそれだけだ。

ならば次の魔法陣を見つければいいのでは、という問題でもない。こういった一階層しかない迷宮では、点在している魔法陣に順番というものがないのだ。確実に戻る保証はなかった。

「リーダーがいりゃラクなのに」

「だからこいつが狙われんだろ」

「あー、そゆこと」

特に、こういった一面だけの迷宮にリゼルは強い。

常に最高効率を目指しているので、時に直線距離を見出し、更には幾つか魔法陣を飛ばしてボスへとたどり着く離れ技まで見せたこともある。

それは勿論、無茶な道程も難なく踏破できるジルとイレヴンが居てこその近道だ。ならば何故自分だけが兎にされるのかと、そう疑問を抱くべきリゼル(兎)はジルの掌に抱えられてもひもひしている。

「おら、行け」

ジルがリゼル(兎)を雪の上に放した。

リゼル(兎)は一歩も動かずにもひもひしている。

「リーダーだいじょぶ? 寒くない?」

「ウサギだろ」

リゼル(兎)はもひもひしている。

「ウサギっつってもいかにも飼いウサギじゃん」

「フォルム違ぇよな」

「野生とかさァ、もっとマッチョだし」

リゼル(兎)は無の表情でもひもひしている。

「……そこらへんのウサギじゃねぇだろうな」

「思った」

イレヴンも前回、同じことを考えた。

だがしかし、足元にいるふわふわの塊はリゼルで間違いない。イレヴンが以前に見た兎とまるで同じだ。正直なところ、体長が一センチや二センチ変わっていたとしても気づける自信はないが、人間のリゼルの身長が変わっていないので恐らく変化はないだろう。

イレヴンはしゃがんで、歩き出さないリゼルの眉間をつついてみる。

「リーダー歩けない? なんかあった?」

指先から小さな震えが伝わってきた。

「震えてんだけど!」

イレヴンは急いで抱き上げる。

上着の前を開いて中に入れてやれば、リゼル(兎)は大人しく収まったまま震えていた。

「野生じゃ生きれねぇなこいつ」

「野生じゃねぇし。ね、リーダー」

そう抗議しながら、イレヴンは上着の前を閉めていく。

最終的に、イレヴンの胸倉から顔を出しているリゼル(兎)が誕生した。

「それ動けんだろうな」

「ニィサン戦って」

「てめぇ今日何しに来たんだよ」

「服着にきた」

二人はサクサクと歩き出す。

もっとも不慣れなリゼルが今や兎となっているため、その歩調は先程よりも速い。

ただし、今の状態で道しるべとなっている足跡が消えてしまうのは困る。なにせ一人で迷宮に潜っている時ならばともかく、リゼルが同行している時はマッピングを全て丸投げしているのだ。

今日も、今この瞬間までサボりにサボっていた。つまり遭難一歩手前だ。

「足跡消えたらどうする?」

「帰る」

「あー……」

イレヴンは顎に触れるリゼル(兎)の毛皮を堪能しつつ、後ろを振り返った。

二人の足跡はすでに消えかけている。それほど吹雪いていないにもかかわらず、現在進行形で数メートル後ろの足跡から消えていっていた。間違いなく迷宮仕様だ。

獣の足跡だけが点々と残っているので、ある程度までは戻れるだろうが。

「帰れんの?」

「ウサギでも道案内くらいできんだろ」

「あーね」

兎とはいえリゼルなので、帰り路の先導はできるはずだ。

その場合、リゼルは兎のままサルスに帰ることになるが。今の宿は動物の連れ込みができただろうか、と話し合う二人は半分冗談であり、もう残り半分はまごうことなく本気であった。

どれほど熟練の冒険者だろうと、迷宮を舐めてかかるようなことはしない。危険だと判断すれば、たとえパーティのリーダーが兎になっていようが撤退する。

「お、ニィサン見て」

「あ?」

少し歩いた頃だった。

道しるべにしていた獣の足跡が、綺麗に左右へと枝分かれしていた。どちらかを選ばなければならない。だが、間違えば何が待ち受けているのか。

罠が多いくらいならば、ジルたちにとっても面倒この上ないがまだマシだ。歩いた距離をそのまま引き返してこなければならない場合が、二人にとっては精神的なダメージがもっとも大きい。モチベーション駄々下がりだ。

「どっち?」

「知らねぇよ」

「ここでいきなり足跡二匹になってんの何?」

「分裂でもしたんじゃねぇの」

「怖」

想像して、ジルとイレヴンはリゼル(兎)を見た。

獣の足跡は、よくよく見ると兎の足跡ではないか。気づかなくていいところに気づいてしまい、二人はリゼル(兎)が分裂したらどうしようかとしばし無言で思案する。

とりあえずもう一匹はジルの上着に突っ込むことになるだろう。二人は特に会話を交わすでもなく、同時にその結論に達した。それ以上は考えたくなくなったともいう。

「ん?」

すると、リゼル(兎)がイレヴンの胸元で身じろいだ。

「どったのリーダー、ニィサンが分裂とか言うから怒った?」

「こいつだとは言ってねぇだろ」

「何? 出る? 寒くねぇ?」

イレヴンは上着からリゼル(兎)を出すと、両脇に手を添えて地面に下ろそうとする。

だが実際に雪に近づけると、リゼル(兎)はぶら下げていた両足を引っ込めた。冷たいのを避けるかのような仕草に、下りたいのではないのかと地面から離す。

だがそうすると、再び鼻先を地面に向けて身じろいでいた。

「リーダー?」

「足跡が気になんだろ」

「道案内してくれんの?」

一面の新雪では、気に掛けるものといえば獣の足跡しかない。

ジルの言葉にイレヴンはしゃがみ、決して雪には下ろさないままリゼル(兎)を足跡に近づけた。するとリゼル(兎)が、もひもひもひもひと足跡の匂いを嗅ぎ始める。

「あー、ウサギだからウサギの足跡分かるってこと?」

「意味もなくウサギにされた訳じゃねぇのか」

「それは可哀想すぎんじゃん」

「笑ってんじゃねぇよ」

元の足跡、右に続く足跡、左に続く足跡。イレヴンは順番にリゼルを移動してやる。

そうしてひと通りの足跡チェックが終わったあと、リゼルの左足がびょっびょっと宙を蹴った。

「左だって」

「行くぞ」

そうして二人と一匹は、道しるべが分岐するたびに同じことを繰り返すのだった。

時に魔物に襲われながら、もう何度目かの分岐を過ぎたころ。

「お、いた」

いまだにウサギと化しているリゼルを胸に、イレヴンは遠く目線の高さを指さした。

ふわふわと何かが浮いている。一見して、妖精が円になって踊っているような光景だ。

あれこそが、今日の目的である“雪の 妖精(スノーフェアリー) ”。依頼に書かれていた魔物だった。

「今どんだけ集まってんだっけ」

「三か四」

リゼルたちが今日受けた依頼は、【溶けない雪がほしい】というもの。

迷宮“色のない土地”に関する依頼を探していた時に、ちょうど見つけた依頼だった。依頼人の求める雪は、二人の視線の先にいる魔物から手に入る。ちなみに目標数は小瓶で五つ分。

「おい」

「気づかれた?」

粉雪の中を舞っていた妖精たちが、ゆらゆらと揺れながらジルたちを見ていた。

白と灰色の、半透明の姿。まるで子供の人形のように可愛らしく、また神秘的にも見える。

雪のヴェールを纏い、雫のレースを翻す姿はまさに妖精の名に相応しい。

「どうすんだよ」

「俺リーダーいるからムリ」

「俺がそいつ持ちゃいいだろ」

「俺の装備が一番あったかいから可哀想」

だがしかし、ジルとイレヴンは嫌そうな顔をして何かを押し付け合う。

口実にされたリゼルは、相変わらず何を考えているのか分からない無表情でもひもひしていた。

そうしている内にも、妖精たちは楽しそうに踊る。

くるくると右へ、くるくると左へ、両腕を広げるように雫のレースを膨らませ、そして。

「げ」

妖精の周りに、無数の雪玉が現れた。

あれこそが依頼の品。だが、その入手は容易ではない。何故ならこの依頼はBランク、冒険者の中でも一握りの実力者しか受けることのできない選り抜きの依頼なのだから。

雪玉は惑星のように妖精の周囲を回る。だが、それも一瞬のことだった。

ぴたりと動きを止めたそれらが、初速の概念すら捨て、剛速球も生ぬるい速度でジルとイレヴンへと襲いかかった。

「あ、ッぶね」

イレヴンは即座にリゼル(兎)を支え、その場に伏せた。

頭上を十の雪玉が通りすぎていく。猛吹雪のような音が一瞬のうちに近づき、通りすぎていった。

そのあまりの速度に、押しのけられた粉雪が痛みを伴う強さで頬を打つ。

「ッあ゛ーーー……」

寒さの極致に意味のない呻き声を漏らせば、細やかに動く髭が顎を擽った。

守るために覆った手のひらの中で暖かな温もりが動き、イレヴンの顎を見上げているのが分かった。視線はそちらにやれないが、白い息を吐き出しながら笑って立ち上がる。

隣にいたジルも同じく。究極的にガラの悪い顔をしながら妖精を睨みつけていた。

「ニィサン盾とか持ってねぇの?」

「ねぇ」

ジルは、回復薬や迷宮攻略を有利に進める道具などは迷宮からよく出る。

勿論よく分からない迷宮品も出るが、そのあたりはごく一般的な冒険者と同じだ。汎用性の高い品が多めで、時々変な迷宮品が出て、そして極稀に希少な品が手に入る。最後については、ジルが迷宮深層を日々はしごしているから、という注釈は必要だが。

それらのジャンルは多種多様。リゼルも羨ましがる冒険者らしいラインナップだ。

だが、手に入れた品をジャンル別に見てみると、一点だけ異様な偏りを見せる部分がある。

「そういや防具系出すとこ一回も見たことねぇかも」

「……」

「後でリーダーにチクろ」

「止めろ」

迷宮に空気を読まれているのはリゼルだけではない。

ジルの宝箱の成果は、武具関係において防具ゼロ。剣が九割の、その他武器が一割だった。

くるくると他の妖精も踊り始める。次の弾幕まで、あと幾ばくもない。

「てめぇは盾ねぇのか」

「売ってる」

「入れとけよ」

「使わねぇもん入れんの嫌ァい」

リゼル(兎)がリゼルだった頃は、安定した雪玉の入手方法があった。

リゼルが全力で魔力防壁を張り、ジルが雪玉を誘い、発射された雪玉が防壁にぶつかり、辛うじて原型を残して地面に落ちたものだけをリゼルが慎重に回収する。そういう地道な作業の繰り返しだ。

ちなみにイレヴンはその間、防壁の後ろに立つリゼルの更に後ろで寒さに肩を丸めていた。

「もうニィサンがキャッチするしかねぇじゃん」

「それやって手ぇ凍っただろうが」

「人外凍らせるようなヤベぇモンだって依頼人知ってんの?」

「知っててほしがるほうが怖ぇだろ」

討伐ならば簡単だ。

雪玉が発射される前に、雪玉を生成される前に斬り捨てればいい。最初こそ雪歩きに気を取られたが、今となっては二人がそれを意識することはなくなっているのだから。

だが、雪玉入手となると工夫が必要になる。力で押しがちなジルと、寒さで何も考えたくないイレヴンでは、なかなかに相性の悪い依頼だった。なにせ、リゼルが二度目の兎になるとは露とも思っていなかったので。

「もうニィサン突っ立って壁になって。俺リーダーいるから」

「凍るっつってんだろうが」

「手も回復薬かけりゃ治ったじゃん」

「てめぇがやれ」

「俺リーダーいるから」

体のいい口実にされようが、リゼル(兎)は鼻先に雪を積もらせながらもひもひするのみ。

先に動いたのは妖精だった。くるくると踊っていた動きが止まり、周囲を漂う雪玉も十個揃って静止する。風音に紛れるような幼い笑い声と共に、リゼルの銃に勝るとも劣らない剛速球が発射された。

「でっけぇ剣とかで受け止めらんねぇの!?」

「でかくても全身は隠れねぇよ」

「ニィサンが無駄にでけぇから!」

「じゃあてめぇが使え」

「俺リーダーいるから!」

二人揃って伏せ、次々と頭上を通過する轟音に負けない音量で言葉を交わす。

容易に手の出せない雪玉の唯一の救いは、あまりの勢いに直線でしか飛んでこないことだろう。幸いなことに、妖精も地面と平行の軌道にしか打ち出せないようだ。

そう決めつけると、深層に出る同種がいきなり地面にも打ち込んできたり、雪玉にホーミング機能がついたりするのだが。慣れてきた時が逆に危ないという、冒険者が引っかかりがちな罠だった。

「いい加減働け」

「あーリィーダー……」

弾幕が止んだのを皮切りに、ジルの手がイレヴンからリゼル(兎)を奪っていく。

代わりにイレヴンに渡されたのは、超巨大で超重量級なグラディウス。柄がなければ細長い盾と言われても納得してしまうだろう。分厚く、幅があり、なによりまともに構えることすらできないほど重い。

直前まで抱えていた温かいもふもふの塊との落差が酷かった。

「おっも……持ち上がんねぇんだけど……」

「引き摺れりゃいい」

「つうかこれ俺もちょいはみ出んだけど……」

「致命傷になんなきゃ十分だろ」

「もっとリーダーのこと丁寧に持って……」

「うるせぇ」

ぶつくさ文句を言うイレヴンを、ジルは面倒臭そうにひと言で切り捨てた。

ジルには機嫌をとってやる必要性も感じなければ、わざわざ文句に付き合ってやる義理もない。前者にいたってはそもそも不可能だ。それができるのはリゼルだけであり、そこそこの付き合いがある精鋭すら機嫌を損ねたイレヴンからは全力で距離をとるという。

ならば流すに限るだろう。最悪の八つ当たりをされようが難なくいなせる、そんな冒険者最強だけがとれる対処法であった。

「俺動かねぇからニィサン雪玉誘って」

「支えてねぇと倒れるぞ」

「手ぇ痺れそう」

とはいえ、やることさえやればジルとて文句はない。

ジルはリゼル(兎)を片腕で抱え、イレヴンからグラディウスを奪って地面に突き立てた。その後ろにイレヴンが隠れるのを見るでもなく、くるくると踊りながら上に下にと宙を漂う妖精を見据える。

「ニィサンが抱いてるとリーダーの獲物感すっごい」

「てめぇも似たようなもんだろうが」

野営で似たような光景を見たことあるな、とイレヴンがぼそりと呟いた。

勿論それよりは随分と丁寧な抱き方をされているが、絵面的に今日の夕食だと言わんばかりの説得力がある。当のリゼルがすっかりと落ち着いて抱かれているのが、いかにも箱入り兎といった危機感のなさを感じさせた。

「来るぞ」

「げぇ」

くるくる、くるくる。回っていた妖精が動きを止める。

一匹、二匹、三匹、順番に。浮かんだ雪玉が三十、ぴたりと静止して狙いを定めた。

一瞬の静寂は、耳が痛いほど。それを破るのは、勿論幾重にも重なった威圧的な風切り音だった。

ジルは伏せずに横に跳んだ。勢いに押されたリゼル(兎)の両耳が揃って真横に流れる。

「きッッつ」

グラディウスが面で捉えた雪玉は三つ。

イレヴンの手に、大剣を巨大な木槌に殴られているかのような衝撃が伝わった。希少な魔物素材を惜しみなく使った手袋もしているというのに、一瞬の衝撃三回で掌が痺れ始めている。

凍らされたとはいえ、これを直に掌で受けたジルにはまさしく人外の称号が相応しい。

「これ雪、爆散してんじゃねぇの」

イレヴンは立ち上がり、グラディウスの前に回った。

背後ではジルが妖精を斬り捨てているが、一瞥もせずにグラディウスの根元にしゃがみ込む。

傍には雪の似合うリゼル(兎)が、小さく震えながらも大人しく座っていた。

「寒いねぇ、リーダー」

ジルが下ろしていったのだろう。

もふちょこんとした塊を抱き上げ、上着の中に仕舞ってやりながらイレヴンは笑う。

「ここらへん、溶けねぇ雪かな」

グラディウスの根本に、いかにも雪玉が崩れたような跡があった。

半分は散ってしまったのか、本当に微かなそれは小瓶二つ分くらいだろうか。依頼人が用意した瓶は親指ほどの小さなもので、それは恐らく雪玉が入手困難だと知っているからだろう。

その割に、五つなどという欲張った数を欲しがっているが。その分、報酬は高値だった。

「リーダーどうやって入れてたっけ」

「迷宮品の園芸セット」

「あー」

妖精の姿をした魔物を斬り捨て、戻ってきたジルが呆れたように告げた。

リゼルは謎の宝箱運により、奇妙な迷宮品ばかりを手に入れる。いつか手に入れた園芸セットもそれで、シャベルとジョウロがセットになっていた。ちなみに二つとも、非常に軽いという特徴を持

つ。

「迷宮品なら凍らねぇって自信満々だったろ」

「それで本当に凍らねぇのが意味分かんねぇんだよなァ」

「瓶も迷宮品か」

「依頼人怖ぇヤツ確定じゃん」

イレヴンは宝箱からシャベルなど出したことはないので、双剣の先で雪を掬っては小瓶に入れていく。その剣の扱いに、剣コレクターの気があるジルは嫌そうに顔を歪めた。

瓶は口が狭いので雪が零れやすい。何度か掬って入れて、恐らく普通の雪が交じりながらもなんとか瓶を二つ埋めた。普通の雪はどうせ解けるので、後からでも区別がつくだろう。

雪を詰めた瓶は、ひとまずジルのポケットに入れておく。

「おい」

「零れて凍ったら嫌だし」

「てめぇが凍れ」

「俺はリーダー入れてるし」

溶けた分、足りなくなったら追加分が必要だ。

恐らく依頼人も、そこまでの精度は求めていまい。普通の雪が交じることを踏まえての瓶五つなのだろう。だが、リゼルがそういったやり方を好まないことをジルもイレヴンも知っている。

「これリーダーいつ戻んだろ」

「役割終わったらだろ」

そうして、ジルとイレヴンは再び獣の足跡を辿る作業へと戻っていった。

リゼルが我に返った時には、幼児のように両脇に手を添えて持ち上げられていた。

鼻先を、見覚えのある大粒の雪の結晶が落ちていく。

「え、と」

「戻ったァー……ッ」

リゼルは現状を把握するかのように周囲を見回した。

目の前には、呆れたように溜め息をついているジルがいる。振り返れば、心なしか疲れた顔をしたイレヴンがいた。リゼルを持ち上げていたのはイレヴンで、彼はイメージにそぐわぬ慎重な仕草で雪の上へと下ろしてくれる。

「イレヴンに持ち上げられるの、ちょっと衝撃です」

「第一声がそれかよ」

「リーダー割とそれ言うけど、思ってるよか俺筋肉あっからね」

ひとまず、リゼルは丁寧に二人へと感謝を告げた。

全く記憶にはないが、恐らく迷宮の何某かがあったのだろう。迷惑をかけていなければいいのだが、と苦笑しながら詳細を問いかける。

「覚えてないんですけど、また子供にでもなりました?」

「あ?」

「覚えてねぇの?」

「全く」

ジルとイレヴンが視線を交わす。

何かを押し付け合うようなやり取りの後、苦々しげに口を開いたのはジルだった。

「……獣になってた」

「そうなんですか?」

兎になった前回は、割かし記憶が残っていたというのに。

リゼルは意外そうにしながらも、少しばかり期待を込めて続きを促した。兎になった前回は記憶があったのだ。ならば記憶をなくした今回は、また別の動物になっていたに違いない。

「なんでしょう、この迷宮で大立ち回りできそうな動物でしょうか」

「景色には合ってた」

ジルは嘘をつかなかった。

「雪景色に合うとなるとシロクマ、いえ、オオワシとかでしょうか。ここ、地面を歩く動物はいませんし」

「まぁ歩いてはなかった」

イレヴンも嘘はつかなかった。

「最低でも肉食がいいですね。ほら、君たちもそうですし」

「リーダーん中で俺なんになったの?」

最低条件がクリアできていないのでどうにもならなかった。

「……」

ジルは思案する。

ここは兎と似たような顔をしたオコジョにでもなったと言ってやろうかと。肉食だし。親切心と若干の遊び心からそう考え、いや果たしてオコジョでリゼルが喜ぶだろうかと眉間の皺を深める。

「あー……」

イレヴンも思案する。

ここは兎と似たような顔をしたシマエナガにでもなったと言ってやろうかと。虫とか食べるし。親切心と多分な遊び心からそう考え、亀を知らなかったのだからシマエナガもワンチャン知らないで喜ぶかもしれないと笑みを浮かべる。

「リーダーってシマエナガ知ってる?」

「白くてふわふわした鳥ですよね」

「やっぱなんでもない」

流石にペットが正体不明の白いふわふわなだけあって、似た系統の動物については調べ尽くしているようだ。遊ぶな、と言いたげなジルの手に後頭部を叩かれた。

「それよかさっさと行くぞ」

「ジル?」

「ん」

不思議そうなリゼルに、ジルが顎で示したのは前方だった。

そこには湖があった。表面は凍りつき、凹凸もなく、美しく磨かれた鏡のようだった。変わらず舞い続ける粉雪は、凍りついた湖面を通り抜けてしんしんと湖底に沈んでいく。

その湖の真ん中には、雪に埋もれた墓場を擁する小さな島があった。

「あれは……」

島の上空に、何かが浮かんでいた。

一見すると、巨大なハンドベル。ただし持ち手がデーモンの彫像になっている。

恐ろしい風体をした彫像は、禍々しい両翼を畳むように身を丸めていた。今にも動き出しそうな壮絶な迫力があり、実際に島に足を踏み入れれば襲いかかってくるのだろうと容易に想像がつく。

間違いなく、この迷宮のボスだろう。

「行くぞ」

「そうですね、すみません」

リゼルは銃を発現させながら微笑み、話を切り上げた。

ジルがボスを目の前に足踏みをするなどあり得ない。それを利用した話の方向転換は見事に成功し、三人は揃って自然の鏡面へと足を踏み入れる。

先送りにした問題をどうするかは、その時に考えることにする。ジルとイレヴンはそうしたかなり刹那的な、非常に冒険者らしい考え方をもってそう結論づけるのだった。