軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

173:最後らへんはちょいちょい絡まれた

スタッドはギルドの物置の整理をしながらふと、王都の冒険者ギルドから送り出した男を思い出していた。

あの日、男はいかにも興味津々とした様子でギルドを訪れた。

一度も見たことがない顔だったので、スタッドは何かしら受付に用事がありそうだと仕事の手を止めて受付カウンターへと向かった。冒険者全員の顔など勿論覚えていないのだが、訪れた男は他と比べると随分と特徴的な格好をしていたので間違いはないだろう。もちろん装備をガラリと変える冒険者も珍しくなく、その度に「こんな奴いたか」と思うこともあるが、ある意味冒険者らしくない民族的な装いだったので初対面の筈だ。

男はせわしなくギルド内を見回していた。

好奇心も露な姿に、もしかしたら冒険者希望かとも思った。それにしては力量が釣り合わない気もしたが、腕の立つ新人というのもレアケースではあるが存在する。

スタッドは感慨もなくカウンターに座った。

常と変わらぬ業務内容。自身に気付いた男へと要件を伺う旨を口にした。歩み寄ってくるしなやかな動作は野生動物を彷彿とさせるも、規律違反さえ侵さなければそれらがスタッドに関係することはない。

無感情のままに目の前の男を見上げて口を開いた。

『お伺いいたします』

使い古された定型文をよどみなく紡いでいく。

『パルテダ冒険者ギルドのご利用は初めてでしょうか』

『ん。アスタルニアのギルド、だけ』

『それでは拠点移動の手続きと共に簡単な説明を』

『移動、いらない。冒険者、探してるから。いなかったら、いらない』

そして男の口から告げられたのは明らかにリゼルのものだろう特徴だった。

スタッドにとっては唯一人、己の感情を揺らすことのできる相手。感情というものの存在を自覚させられた相手。求めて応えられる多幸感を、求められて応える心地良さを植え付けていった彼を、見知らぬ男が探しているのだという。

『は?』

『?』

漏れた声は反射のようなものだった。

特に敵意も警戒心もない。実のところ、こういったことは珍しくないからだ。

指名依頼を出したいと何処ぞの権力者が、音楽に精通している冒険者がいるのかと何処ぞの音楽家が、荒くれた冒険者よりは優しそうな冒険者のほうがと女の依頼人が。最近ならばアスタルニアからやってきた冒険者が『そういえば』とリゼルの名を出したこともある。

よってスタッドは常と変わらず、どうしたのかと不思議そうな相手へと返答を口にした。

『そういった冒険者は確かにおりましたが冒険者の所在地情報についてはギルドも把握しておりませんので何の用で探しているのかだけ吐いてもらえますか』

語尾に多少の私情が入ったが仕方のないことだろう。

スタッドは一人でそう結論付け、隣で顔を引きつらせている同僚の視線を無視した。言われた本人が特に何かを気にした様子もなかったのだ、ならば問題ないはず。

男は弱ったように眉尻を落としていた。その指先が所在なさげに弄っていたのは腿に巻きつけたサッシュ、それを今も覚えているのが自分でも不思議で仕方ない。

『良いって、言った』

男は、言葉を選ぶようにそう告げた。

リゼルがそう言ったのだと、名を出さずに伝えてきた。

『選んだら、一緒にいて、良いって』

『つまり直接の知人だと?』

『ん』

素直に頷いた相手に、スタッドは思案した。

知らない、といつものように切り捨てられない事情があったからだ。何故ならサルスに向かう前、リゼルから「アスタルニアから一人、冒険者が自分を訪ねてくるかもしれない」と聞いていた。

サルスにいると伝えてくれと、頼まれた伝言を渡すべき相手は目の前の男なのだろう。

無感情に鈍色の瞳を眺めながら記憶をさかのぼれば、心当たりが他にもあった。アスタルニア滞在中にやり取りしていた手紙、そこに新入りの世話をした旨が書かれていたのを覚えている。それもきっと同じ相手のことだろう。

リゼルが認めたならばスタッドに否やはなく、何より自分には関係がない。何を思うでもなく、必要な確認を重ねるために口を開いた。

『ギルドカードをお預かりします』

ギルドカードの登録情報を見ればはっきりする。

別に必須の確認という訳でもなかった。冒険者が泊まる宿でも国でも、分かっているならギルド職員から話すのは自由だ。スタッドは興味がないという理由でリゼル以外の誰一人として情報を持っていないが、他の職員などは「あー、あいつ? よくあの酒場で会うわ」などと気楽に話している。

けれど確認してはいけないという規則もない。

スタッドは渡されたギルドカードを受け取って魔道具に置いた。色はEランク。

魔物の討伐状況や迷宮の攻略情報を確認すれば、ランクにそぐわぬ強敵や階層の記録が残っている。迷宮も一階層から順に攻略したものはなく、恐らくリゼル達について潜っていたのだろうと容易に予想がついた。

『リゼル氏が世話焼いてくれたとか超贅沢じゃん』

『贅沢』

『だよなー』

これがきっかけだったのだろう。

綿密に確認を進めている最中、隣の職員が身を乗り出すように口を挟んできた。いかにも好奇心丸出しの姿は非常に鬱陶しかったが、スタッドもアスタルニアでのリゼルの様子を聞けるならばやぶさかでもない。

喧しいと黙らせることなく、カードの確認と同時進行で二人の話を聞いていた。

『アスタルニアで会ったんだっけ。どうすりゃあの人と接点持てんの?』

『どうする……』

男は思案するように視線をよそへと投げた。

そして、少しばかり落ち込むようにそれを口にした。

『攫った』

その後のことは無意識かつ反射であったので、スタッドは自分は悪くないと信じている。

何故なら咄嗟に目の前の体を引き裂かんと床から突き立った氷塊は、男に触れた途端に砕けて消えてしまった。それに、次いで喉を狙って振るった氷のナイフも傷一つつけられずに砕け散ったし、流れるように鈍色の髪を掴み上げて顔面をカウンターに叩きつけても相手は痛くもなさそうだった。

更に酷い音を立ててカウンターを割った頭が跳ね返った瞬間、丸いペーパーウェイトを握りこんだ拳を髪を掴み上げたままの顔面に叩きつけたのだが、それにも男は目を白黒させるだけで痣の一つも作らなかったのだ。

反面、スタッドは指の骨が二本折れたし、回復薬代も割れたカウンターテーブル代も自腹をきったのだから、これが世にいう“お互いさま”というものなのだろうと思っている。

それを言ったら隣で震えていた同僚に「気に入らないっていう理由で初対面の相手ボコッておいてその結論に至れるあたり住んでる国が違う」と言われたが。自身が冒険者ギルドを間借りして暮らしていることは知っているだろうに、何を血迷ったことを言っているのかと普通に無視したものだ。

「…………」

スタッドは回想を中断し、物置整理の手を止めないまま考え込む。

国だの何だの何でも良い。ようは、リゼルに怒られなければそれで良いのだ。

どこをどう見ても自分は悪くないし大丈夫だろう。だって無意識で、わざとではなかったのだから。スタッドは自信ありげに力強く頷き、中断していた回想を再開させた。

『あの方は今サルスにいます』

『!?』

何事もなかったかのように着席し、確認の済んだギルドカードを差し出せば、男はほんのりと赤くなった額に手をあてて流されるようにカードを受け取っていた。

混乱したようにしきりにカードとスタッドを見比べていたが、受け取ったギルドカードを大切そうに扱っていたのはよく覚えている。何故なら、少しだけリゼルに似ていたから。

冒険者は落ち度の所在など関係なしに、手を出されればやり返す者ばかり。それを思えば目の前の男は随分と大人しいほうだろう、あるいは何をされようと些事なのだという意識が無意識下にあるのか。

スタッドは冒険者と違って力量を競うことに興味がない。

よって大切なのは、リゼルの足を引っ張ることはなさそうだという一点のみ。とはいえリゼルが選んだという時点で、それについては杞憂に過ぎないのだろうが。

男と会話をしたのはそれだけだ。

あの後、スタッドは用件が終わったらしいと回復薬を探しに後ろへ下がり、受付に戻った頃にはその姿も消えていた。邪魔くさくも震えていた職員が震えたままサルス行きを案内してやったというから、もう今頃はリゼルと顔を合わせているかもしれない。

別に良い。会いにいけば間違いなく、リゼルは自身を優先するだろうから。

「……………………」

会いたくなってきたな、とスタッドは物置で一人、まとまった休日を画策するのだった。

リゼルの冒険者観はずれている、とジルは常々思っている。

敢えてそれを修正しなかったのは自分自身だが。まぁ自分がそれを把握していれば良いだろうと、特に大きな問題もないので放置していたらズレたままあらぬ方向に行っていた。

そして、そのズレの一部は自身の行動が多大に影響してのものだとも知っている。

例えばソロで依頼を受けること。Fランクの手伝い依頼ならばともかく、魔物との戦闘が必要な依頼に関してもソロで受けることにも疑問を抱かない。リゼル自身は避けるが、それはリスクを回避しているというだけで、依頼を受けること自体は特に変わったことではないと思っている。

そんな筈がない。

他の冒険者からすれば規格外の行為だ。あり得ないと断言して良い。ソロの冒険者はいるが、彼らは迷宮に潜る際には必ず何処かのパーティに潜り込むか、ソロ同士でパーティを組む。

その辺りはジルも自覚が薄いものの、それでも“冒険者の一般常識”というものはリゼルよりもよほど把握している。とはいえイレヴン曰く、迷宮内での振舞いなどの他の冒険者を目にする機会がない行動については、大概ジルもズレているらしいが。

それでもリゼルのように根本的な意識からしてズレているということはない。

それの何が問題か。

ジルとイレヴンはそれを面白がる余裕がある。他の冒険者も二度見はするが実害はないので暫くすると慣れる。一緒に迷宮に潜る機会を手に入れたアイン達でさえ、盛大に振り回されつつもデメリットどころかメリットに還元されるので問題はなかった。

ならば、何処にその影響が表れるのかといえば。

「迷宮、行く。行ってくる」

けろりとした顔で一人、宿を出ていったクァトが露骨に影響を受けていた。

ジルは日が昇るか昇らないかという時間に目を覚まし、外に煙草を吸いに出ていた。

狭い路地裏で一人、四角くくり抜かれた小さな空と、何の洗濯物もかかっていない朝露に濡れたロープを見上げての一服。肌寒い空気に煙草の味が際立ち、それをゆっくりと味わう静かな時間。

リゼルとイレヴンはまだ寝ている。昨日、リゼルが連れて帰ってきた相手も同じく。

絨毯の上で丸まって寝ていたクァトを跨いできたが、全く起きる様子がなかったのは気配に疎いのか何なのか。つい一時間ほど前に朝帰りを果たしたイレヴンに、「何かいんだけど」という小声と共に蹴られた時は流石に起きていたが。

ちなみにクァトは間違いで蹴られた犬のような顔をして飛び起きて、何事もなかったかのようにベッドに潜り込んで寝始めた相手を大混乱で凝視していた。混乱しながらもあっさりと二度寝し始めたあたり、随分と図太くなって戻ってきたのだろう。

ふ、と深く吸い込んだ煙を吐き出す。

ジルはクァトに関して、リゼルが欲しいのならばそれで良いと思っている。イレヴンの時と同じだ。ちょっかいを出されていた間は鬱陶しかったが、もう手を出さないというならばそれで良い。

それは恐らくイレヴンも同様に。ようは相手の落ち度をつつき続けるほどの執着もなければ、恨み続けるほどの思い入れもない。

互いにリゼルのものだと分かっているなら、それで終わる話であった。

「は」

思考の放棄のようだ、と己を嗤う。

ただの基準の問題であって、決してそうではないからこその結論にも拘らず。

我ながら趣味の悪い冗談だと、密かな一人ノリツッコミを終えたジルは二本吸い終えたところで朝の一服を終えた。そして一人分の幅しかない狭い階段を上り、宿の扉を開けたところで身支度を終えたクァトと出くわすことになる。

一服を終えたジルが、老婦人に渡されたコーヒーを手に部屋に戻ってからおよそ一時間。

今日は迷宮に潜る予定がないこともあり、窓を半分だけ開いてそこに椅子を運び、リゼルの枕元に何冊か積まれていた自分宛だろう本を読んでいた。手にした旅人の手記は非常に字が汚くて読みづらいが、内容自体は秘境に焦点が当てられていて興味深い。

眉間に皺を寄せながらワームがのたくったような字を目で追っていれば、ふいにリゼルの毛布がもぞりと動く。

「……」

そちらを一瞥すれば、枕から頭を持ち上げたリゼルの姿があった。

顔は髪に覆われていて見えない。恐らくまだ目は開いていないのだろう。

依頼を受けにいかないにしては起きるのが早い、と何となく眺めていれば、リゼルは肩から毛布を落としながら体を起こした。どうやら二度寝はしないようだ。

そのままベッドの縁に這うように移動して、手探りで靴を探して履いて、軽く身支度を整えると頼りない足取りで部屋を出ていった。少し跳ねた細い髪をふわふわと揺らしながら出ていった姿を見送り、ジルは紙面に視線を戻す。

それにしても今まさに出ていった男は、この汚い字を読めたのかと疑問に思った。読めない程の悪筆になど縁がないだろうに。

暫くそのまま読書を続けていれば、すっきりと目が覚めた様子のリゼルが戻ってきた。

「おはようございます」

「ああ」

小声なのは、いまだ寝ているイレヴンへの配慮だろう。

リゼルは持っていたタオルをウォールフックに引っ掛け、ジルの元へと歩いてきた。隣に立って覗き込んできたので、広げたままの本を見えるように膝の上に置いてやる。

「これ読むの時間かかったんですよね」

「だろうな」

「朝食、もう終わりました?」

「まだ食ってねぇ」

覗き込んでいた上体を起こしながら寄こされた視線に、ジルは片手で本を閉じて立ち上がった。特に待っていた訳ではないが、時間的にもちょうど良い頃合いだ。

椅子の上に本を置いて、笑みを零したリゼルに続いて扉へ向かう。

リゼルが開いた扉を後ろから支えるように自らも潜り、階段を下りて食堂のある二階へ。ちなみに宿の内部から老夫婦の住まう一階へは入れないようになっているので、寝ぼけても他人の生活空間に迷い込む心配はない。

「そういえばクァトがいなかったですね」

「迷宮行った」

「早速ですね。随分と楽しみにしてたみたいです」

行動が早いことだ、と可笑しそうなリゼルをジルは見下ろした。

恐らくリゼルの中に「無事に他の冒険者とパーティが組めたか」などという考えなどないのだろう。当然のように一人で潜りに行ったのだと思っている。もしかしたら、それが必要ではないと知りながら「誰かと一緒に潜ってみてるかもなぁ」ぐらいは考えているかもしれないが。

依頼を受けずに迷宮に潜る、他の冒険者にしてみれば発想すら浮かばないだろう行動。これについてはジルも何も言えないが、普通はやらないという自覚があるだけマシだろうとも思っている。

「お、早ぇじゃねぇか」

「おはようございます、お爺様」

「おう。もうメシできてんぞ」

階段を下りたところで、小麦袋を抱えた老輩とすれ違う。

確かに全盛期と比べると落ちただろうが、それでも現役冒険者に引けを取らない筋力を維持している老輩。いまだジルとまともに剣を交わせるのだから、中身の詰まった小麦袋の一つや二つ余裕だろう。

ちなみにジルは以前、リゼルのお爺様呼びに「体が痒くなって仕方ねぇ」と口にしているのを見たことがある。直後、パーティメンバーを見習ったリゼルに「じじいさん」と呼ばれかけて即座に発言を撤回していたが。

「つうか坊主もまだなのか」

「あ?」

酷く奇妙そうな目で見られ、何のことだと微かに眉を顰める。

「お前らんとこの新入り、ギルド行ったんじゃねぇのか」

「どうでしょう。ギルドに寄らずに迷宮に行ったのかも」

「は?」

世間話のように告げたリゼルに、ジルに向けたものとは段違いの胡乱な目が向かう。

その視線も、すぐに問いただすようにジルへと戻ってきたが。「何故こうなるまで放っておいた」という目だった。

自分がそうするからだ、とは言う必要もないだろう。そして半分面白がったとは流石に本人の前では口にできない。知るかとばかりに視線を流す。

「それに彼は新入りじゃないですよ」

「あん?」

「駆け出しではありますけど」

「……お前らが良けりゃあ良いけどよ」

浮かぶ疑問に思考が追い付かなくなったのだろう。

理解を全て放棄することで容易に受け入れてみせた姿は流石の元Sランク冒険者だった。迷宮だから仕方ない、に長年馴染んできただけあって諦めが早い。

こうはなりたくないなとジルは内心で呟くものの、リゼルに関しては似たようなことを考えがちなので手遅れかもしれない。それが数多の迷宮に潜っている弊害かは分からなかった。

「(まぁ、だろうな)」

老輩と別れ、開けっ放しの食堂の扉を潜るリゼルの後ろ姿を眺める。

クァトを新入りではないと告げた。つまりパーティに入れる予定はないということだ。

それについては特に疑問には思わない。何故なら自らの発言にさえ予防線をかかさないリゼルが、アスタルニアで「パーティ登録するのか」と問いかけたジルに対して「しない」と断言しているのだ。

今になっての予定変更もなさそうなので、このままクァトは自由気ままに冒険者生活を満喫するのだろう。リゼルの隣に居場所を作って、帰る場所にしたまま、己の思い描く冒険者生活を享楽する。

リゼルがクァトのパーティ入りを望まないのではなく、クァトの理想がそれに重ならないのだ。リゼルに誘われても心から喜ぶのだろうが、同時に「それはいい」とパーティ入りは断るのだろう。

リゼルが「パーティ入りはしない」と断言するというのはそういうことだった。相手が望まないのだと知っている。

「あら、おはよう。今日は二人一緒なのね」

「ああ」

「おはようございます、お婆様」

「すぐに用意するから、少し待っていてちょうだいね」

「有難うございます」

テーブルを拭いていた老婦人に出迎えられながら、手近なテーブルを選んで腰かけた。

向かい側に座ったリゼルとふと目が合ったかと思えば、その瞳が悪戯っぽく緩められる。

「何だよ」

「きっと一人で迷宮に潜ってるんだろうな、と思って」

「あいつか」

「はい」

それの何が自分に関係するのかと怪訝に思っていれば、少しばかり機嫌が良さそうにリゼルが唇を開く。

「彼には冒険者について色々話したんですけど、君の話に一番興味を引かれてました」

「あ?」

「一刀二世、とか呼ばれ始めたらどうしましょうね」

笑みを零したリゼルに、ジルは嫌そうに顔を顰めた。

どうしましょうね、と言われてもどうしようもない。自身の“一刀”でさえ知らない間に呼ばれていたのだ。ないだろうと切り捨てたいが、このままクァトがソロで活動し続けるのなら可能性としてはゼロではない。心底嫌だが。

「けど十分に一人で楽しんだら、たまに何処かのパーティに混ざったりするかも」

「組むまではいかねぇのか」

「いきませんよ。俺が誘っても断るんですから」

誘ってもいない癖にあっさりと告げるリゼルに、想像通りだと呆れながら椅子に凭れる。

リゼルにとってパーティに入れるかどうかは重要ではない。区別はあるが格差はない。比べてどうこうという問題でもなければ、むしろリゼル自身がどうこうという問題でもないのだ。

己の希望を叶えながら、相手が望む関係を築く。根本にあるのが相手本位、つまりそれぞれの相手に求められるままの立場をとれるのだから器用なのだろう。その従順さは、つい今しがた耳にしたある種の傲慢な台詞とは酷く矛盾していた。

けれど、酷くリゼルらしいとも思う。

「放し飼いか」

「それなら君は室内飼いですね」

「それはお前だろ」

「飼い主は?」

「そこらへんにいんじゃねぇの」

「否定はできません」

「どんだけ甘やかされてんだよ」

ただの言葉遊びだ。戯れていれば、老婦人によって朝食が配膳される。

ジルはその中にある、何種類ものキノコが入ったスープを見下ろした。別に食べられないほど嫌いではないのだ。ただ好んでは食べないというだけで、食べようと思えば食べられる。

だが今日は目の前に押し付けられる男がいるので。

「おい」

「あら、ジルさん」

その姿がなくなったのを確認してリゼルに声をかけたにもかかわらず、扉の向こうに引っ込んだはずの老婦人がひょこりと顔を出した。目尻の皺を深め、陽だまりのように温かく微笑んだ老婦人の目に慈愛が滲む。

「好き嫌いしちゃいけませんよ」

むしろ何故知られているのかと思わないでもない。

これまでは普通に食べてきただろうに。ジルはそんなことを考えながら、リゼルの揶揄うような笑みを抗議の意味を込めてひと睨みして、スープのたっぷり染みこんだキノコへとフォークを突き立てた。

リゼルは一人、冒険者ギルドを訪れていた。

途中まで一緒だったジルは、調整に出していたベルトを取りに行くからと既にいない。

格好は私服。なにせ今日のリゼルは冒険者としてギルドを訪れる訳ではなかった。ジルが微妙に渋い顔をしていたが、どうしても私服が良かったので今回は譲らなかった。

何故なら絡まれないという自信がある。なにせ、今日のリゼルは依頼人なのだから。

「という訳で、依頼を出したいんですけど初めてで」

「出、受、出、出……?」

多少職員をバグらせたが。

可愛らしい笑顔を貼り付けたまま人語を失った職員に、リゼルはどうしたのかと思いながら気遣うように声をかける。もしかしたら冒険者対応がメインであり、依頼人対応は苦手なのかもしれない。

しかし、初めて声をかけてくれた時には依頼の申し込みについて説明しかけていた覚えがある。ならば問題ないはず、と不思議に思っていれば、彼女はいつか湖中の迷宮で見た人形よりも歪な動きで一枚の用紙を取り出した。

「こちら、依頼の申込書で、ございまぁす」

「あ、これは見たことあります」

やや片言だったが気にせず、リゼルはテーブルの上に置かれた用紙を覗き込んだ。

アスタルニアではとある劇団の団長が、王都では宿の少女が記入していたものだ。依頼人としては彼女らのほうが先輩だなぁ、なんて取り留めのないことを考えながら目を通していく。

国によって少しずつ項目が違ったりもするが、様式としてはほとんど変わらなかった。

「こちらにご本名、その下に依頼用紙に記載する依頼人名を書いていただいて」

「本名じゃないほうが良いですか?」

「どちらでも結構ですよぉ」

ふむ、とリゼルは思案する。

迷宮品コレクター(仮)ことレイは名を伏せる必要もあっただろうが、リゼルは特にそういう訳でもない。本名で依頼を出している依頼人も少なくないので、そのまま書けば良いのだが。

けれど折角だし、とリゼルは握ったペンを滑らせた。

少しだけ右肩上がりの整った筆跡で書かれたのは【清廉系エアクラッシャー】の文字。職員が思わず真顔になる。

「どうしてこんなことに……」

「これですか? 学院の生徒さんに渾名をつけてもらったんです」

「講習を引き受けた冒険者へまさか学院側からのイジメが……?」

「いえ、そういうのじゃなくて」

冒険者にあるまじき疑惑を浮かべられてしまった。

愕然とした真顔で闇を背負った職員へとすかさず訂正する。自身が原因で冒険者ギルドと魔法学院の間に確執を作る訳にはいかない。

簡単に説明すれば、難しい年頃の子供による照れ隠しなのだと分かったのだろう。スイッチを切り替えたように真顔をいつもの笑みに戻した彼女に、冒険者に親身になってくれる優しい職員なんだろうなとリゼルも感心を浮かべる。

「安心いたしました。学院の方と親しくなったから、今回の依頼なんですねぇ」

「はい、お世話になった教授へのお礼に」

「本当に安心いたしましたぁ」

冒険者が依頼を出すという前代未聞の出来事。

しかもその依頼の内容があまりにも冒険者生活からかけ離れているが、知人に頼まれたならと職員はようやく現実を受け入れられた気がした。実際はリゼルからの提案だし、頼まれた訳でもないのだがそれは知らないほうが良いだろう。

「ではこちらの“魔力中毒の症状に関するデータ収集”ですねぇ」

「できるだけたくさんの冒険者から話を聞きたいんですけど、できますか?」

「勿論です、依頼用紙を重ね張りしましてぇ」

「ああ、成程。あとは、どれだけ受けたいと思ってもらえるのかですね」

「でしたら、依頼人名を変えたほうが宜しいかとぉ」

「え?」

何故、とリゼルが目を瞬かせても、職員の笑顔は一ミリも動かない。

スタッドの無感情ゆえの無表情ではない。あらゆる感情を内に抑え込んでの完璧な笑顔だ。仕事モードになると自然とこの顔になっている、と以前聞いたような気がするので、造り笑顔とも違うのだろうが。

「地雷っぽいですか?」

「正直申し上げまして滅茶苦茶……強いと申しますかぁ」

「強い」

「その、名前のインパクトに依頼が霞んでしまいかねないかとぉ」

成程、とリゼルは頷いた。

リゼル自身は依頼人で依頼を決めることも多々あるが、大半の冒険者は依頼内容と報酬のみを重視するという。物凄く言葉を選びながら説明してくれる職員に、そういうことならばとペンを持ち直す。

「相手が同じ冒険者って分かったほうが受けやすいですよね」

「そ、うですね……?」

「でも、俺の名前じゃ知名度に欠けますし」

前例がないので職員は何ともいえない。

気にせず用紙に向き直るリゼルの前で、助けを求めるように笑顔のまま後ろを振り返った職員は、信頼すべき同僚である姉たちに全力で知らないフリを決められた。視線すら合わなかった。

「うん、依頼人名はこれで」

「承りましたぁ」

怒りと切なさをおくびにも出さず職員はリゼルへと向き直り、用紙を見下ろした。

続いて依頼内容にペンを走らせているリゼルの手の隙間から覗くのは【一刀のリーダー】の文字。【清廉系エアクラッシャー】の後ではどんなビッグネームも霞んでしまうのか、まともだと安堵した彼女は微妙にバグり続けているのだろう。

「報酬は……金銭のやり取りはなるべく避けたいんですよね」

「ご予算限られますかぁ?」

もちろん職員はリゼルではなく、当の教授の懐具合を尋ねている。

「いえ、俺が自主的に動いてるだけなので」

「はい?」

「お金をかけたと知られたら相手も気にするでしょうし」

「……左様ですかぁ!」

職員は思考を放棄した。完全にバグったともいう。

そして平素のままのリゼルと平静を失った彼女による話し合いを、冒険者ギルドにいた他の職員は「あーあー……」と思いながらも温かく見守り、実はいた他の冒険者たちは息を呑んで窺うのだった。

一人の冒険者が依頼を終え、冒険者ギルドへと戻ってきた。

「あ?」

依頼の終了手続きをパーティの頭に任せてブラついてた彼は、ふと依頼ボードに掲示されている依頼用紙に目を止めた。珍しいことに数十枚分の厚みが一か所に貼り付けられている。

こういった依頼は、とにかく頭数を求めている依頼だ。

しかも剥がされた依頼用紙を再び貼って、では間に合わない至急の案件。次々に冒険者が剥がして、すぐさま動き出すことが前提である依頼である。

久々に見たな、と歩み寄って覗き込んだ。朝に貼らねば冒険者も集まらないだろうに、まぁ明日の朝を見越して貼られたのかもなと、そんなことを考えながら爪に土が入り込んだ指で額をかく。

依頼の表題は特に珍しいものではない。サルスの誇る魔法学院、そのお偉い教授さまが出した依頼かと興味を失いかけた時だ。

「は?」

依頼人名に【一刀のリーダー】とか書いてある。

「は、何、……は?」

「おい、どうした」

「どうしたじゃねぇよ」

「あ?」

声をかけてきた同じパーティの仲間に訳が分からなすぎてキレ気味で返事をすれば、喧嘩を売ったと思われたのか即座にキレ返される。

だが言い合いをしている場合ではない。何かを言いかけた相手の胸倉をつかんで依頼用紙の真ん前に顔を持っていけば、相手はその手を押しのけながらも怪訝そうに用紙に目を通し始めた。

そして数秒。先ほどの自身と全く同じ反応が返ってきたのには全く笑えなかった。

「一刀がリーダーじゃねぇのか、あそこ」

「ならアレだろ、あの……高級っぽいの」

「冒険者なんだろ、よく分かんねぇけど。違ぇの?」

「依頼受けてんだからそうだろ」

じゃあ何故依頼を出しているのかと。

全く理解できずに依頼用紙を凝視する。その後ろを女職員らの母親が一人、「この反応も何回目かしら」と微笑ましそうに眺めながら、依頼人からの報酬徴収の為にギルドを出かけていった。

「魔法学院教授の研究の手伝い……」

「いや何でだよ」

「知らねぇよ」

「何で学院の奴とつるめんだよ」

「あいつら早口でブツブツ喋るから聞こえねぇんだよな」

「聞こえても会話成立しねぇし」

「もう何言ってっか分かんねぇし」

「その手伝いとか意味分かんねぇんだけど」

二人は酷く微妙そうな顔をしながらも依頼ボードの前を動かない。

ちらり、と互いに視線を交わす。そして依頼用紙に視線を戻す。

依頼用紙に書かれているのは特に騒ぎ立てるほどでもない表題。一発で顔を思い出せる、サルスで最近話題の冒険者を示すだろう依頼人名。そして概要に記入された【魔力中毒の症状が出たことのある方へ】という一文と、何よりその報酬。

「「エール飲み放題……」」

思い出された清廉穏やかな顔と報酬が結びつかなくて一気に混乱する。

「依頼を受けた方は、二軒隣の酒場へ……?」

「対面でいくつか質問します……?」

「……てめぇ中毒出ただろ、この前」

「お前もだろ、前ここ来た時……」

およそ二年前。

魔力濃度を示す数値が何年かぶりに“Ⅸ”を記録した時に、彼らはちょうどサルスを訪れていた。あれには特に魔力が多い者以外であっても魔力中毒を引き起こされたことだ。

今は手続きに向かっているパーティリーダーだけがけろりとしていた。よほど魔力が少ないのか、一度も魔力中毒など起こしたことがないに違いない。つまり彼はこの依頼を受けられない。

二人は再び、ちらりと視線を交わす。

背後を振り返り、女職員にだらしない顔をしながら手続き中の己のリーダーを見て、一人が死角を作り一人がそっと依頼ボードから用紙をちぎる。そして受付を見れば、全てを承知したような晴れやかな笑みを浮かべた職員が一人、任せろとばかりにひらりと手を振っていた。

互いに頷き合う。

片やリーダーの気を逸らすためにそちらへ。片や忍び足で依頼受付の職員の元へ。彼らのリーダーは非常に吞兵衛であり、金に糸目をつける必要なく浴びるようにエールを飲める機会を知れば、血涙を流しながら睨みつけてくることは想像に難くなく。

よって冒険者らはリーダーをハブって自分達だけ楽しむことに決めた。

扉を潜った酒場は常と変わらず賑やかである。

とは言えなかった。賑やかは賑やかであり、誰も彼もが満面の笑みでエールを呷り、一人一回は頭から被って店の主人にぶん殴られているが、一つのテーブルに腰かけている柔らかな笑みが存在を主張して止まなかった。

装備を身に着けていない彼は、しかし一般の客にも見えずに姿勢よく腰かけている。

今は聞き取りもひと段落ついているのだろう。厳めしい顔をした酒場の主人に、そろそろと慣れない手つきで差し出された果実水を礼を言って受け取って、前後不覚になって騒ぎまくっている冒険者たちを楽しそうに眺めている。

本来ならば、今この状態だ。優男など一瞬で絡まれてもおかしくはない。

しかし酔っぱらって大騒ぎしている冒険者らは時折彼に感謝を叫び、一言二言声をかけるだけで、誰もドスの籠った威嚇を送ろうなどとはしなかった。

「おう、あー……」

「依頼受けたぞ」

「あ、有難うございます」

計画的にリーダーをハブった冒険者ら二人は、少しばかり居心地が悪そうに声をかける。

とはいえこの酒場にいるのは同じ依頼を受けた者だけの筈だ。変な気恥ずかしさは感じずに済んでいるだけマシなのだろう。他の冒険者らも我関せずと騒いでいる。

必要か、と依頼用紙を渡せば、全くもって冒険者らしくない掌がそれを回収していった。

「ここ、どうした。貸し切ってんのか」

「いえ、交渉したんです。客を呼び込む代わりに、お酒だけ提供させてもらえるように」

「あー……そか、メシで稼げんだな」

「俺ら食うし」

酒で稼げなくなるが、その分どんどん食事が売れる。

なにせ汗水たらして動いてきた冒険者、酒だけ飲んでりゃ満足などという謙虚な胃袋など持ち合わせていない。飲めば飲むだけ食が進むし、安酒であるエールは売れなくなるが少し割高の酒は変わらず売れる。

普段ならば席がなければ諦める面々もどんどん店に入ってくるし、ひっきりなしに注文が飛ぶエールの配膳の手間がなくなるので十分に料理の時間がとれる。店としても万々歳だろう。

「報酬のエールは一種類しかないけど大丈夫ですか?」

「じゅーーーーーぶんだろ」

「どれ?」

「あれです」

指さした指先はうろうろと揺れていた。

どういうこっちゃとそちらを見れば、冒険者らの手から手へと渡っている一本の瓶。どこの酒場にもおいてある、安くて味もそれなりの冒険者御用達のエール。

二人は改めて十分だと頷いて、ふと視線をうろつかせる。相当の量飲んでいるだろう冒険者たち、しかし奇妙なことに空き瓶は一本たりとも見当たらない。疑問に思っていれば、それに気付いたらしい相手が可笑しそうに笑った。

「迷宮品なんです。ラベルのお酒が幾らでも湧き出るっていう」

「はぁ!?」

「なん、羨、どう、は?」

「ジルから借りてきたんです」

「いやそうじゃねぇよ」

「ぬるくなるので、ちゃんと冷やしてくださいね」

「分ぁかってるってぇ!」

驚く冒険者らを尻目に、酒瓶をたらい回しにしている冒険者らに注意を飛ばす。

目の前の冒険者らしくない冒険者は、呂律の回らない返答に苦笑を零しながら、店の真ん中のテーブルに肴と一緒に置かれているアイスクーラーへと指先を向けた。ちょいちょいと動く指先に何をしているのかと眺めていれば、どうやらすっかりと溶けてしまったクーラー内の氷を作り直しているらしい。

野太い歓声と一緒に、ガチギレしている声が混じっているのが聞こえた気がした。

「じゃあ報酬にも同意をもらえたので、早速質問させてもらいますね」

「おう」

「頼む」

冒険者らは無意識に背筋を伸ばした。

とはいえ足は思い切り広げて座っているし、背凭れに凭れただけだが彼らにしては十分に行儀が良い。リゼルが二枚の用紙を取り出してペンを握る姿を、すぐ近くから響く喧噪に顔を顰めながらも眺める。

そういえば、幾ら面前に座っているとはいえ柔らかな声色がよく届くものだ。二人は何となくそんなことを考えていた。

「何が症状に影響を与えているのかが分からないので、関係しそうなプライベートな質問もしたいんですけど大丈夫ですか? 勿論、答えたくなければ答えないで良いので」

「プライベート?」

「出身や生活リズム、戦闘スタイルとかです」

「あー……」

「了解」

「ただ中毒の症状と、その時の魔力濃度だけは必ず答えてくださいね」

「魔力濃度分かんねぇんだけど」

「その時は国と時期だけいただければ大丈夫です」

そして二人は、至って穏やかな質問に割とリラックスしながら答えた。

特にNGもなくすべての質問に答え終えると、嬉々として狂喜乱舞の宴へと参戦する。本当に際限なく瓶から注がれるエールにテンションが上がり、やはり頭からかぶっては酒場の店主にぶん殴られた。

その後も次々と冒険者が店を訪れてリゼルの前に座り、どんどんと増えた客は誰一人として帰らないまま閉店まで騒ぎきった。

ちなみにリーダーをハブった彼らはというと、当然のごとく全身から酒の匂いを立ち上らせながら宿に帰って即行バレることとなる。酒盛りに参加した冒険者は何処も似たようなことになったというので、“飲み放題の恩恵にあやかれない相手に遠慮して”などと考える冒険者は一人も存在しないのだろう。

必然的に帰りが深夜になったリゼルが、肌寒さに羽織る上着を増やしながら帰った時。

部屋にはリゼル以外の三人が揃っており、誰も眠りにつくことなく思い思いにくつろいでいた。ジルはベッドに寝転がって煤けた手帳に似た本を、イレヴンは小腹が空いたのかテーブルに菓子を積み上げて食べており、クァトはリゼルのベッドを背に床に座ってうとうととしている。

「リーダーおかえり。遅かったじゃん」

「酒場で大盤振る舞いしてきました」

「は?」

パウンドケーキに齧りつく寸前の大口を止めたイレヴンの隣を通りすぎ、リゼルは腰のポーチを外しながら自身のベッドへと向かう。

ぱちりと目を覚まし、顔を上げたクァトの髪を撫でてやりながら毛布の上にポーチを置いた。ベッドの反対側から、朝の続きを読んでいるのだろうジルの一瞥が寄こされる。

「酒臭ぇ」

「やっぱりですか?」

「マジで大盤振る舞い?」

「ジルからエールの瓶を借りて大盤振る舞いです」

瓶を借りる際に事情を説明済みのジルは呆れたように暇つぶしに戻る。

知らないイレヴンが何故そんなことにと胡乱な眼差しを向けてくるのを横目に、リゼルはポーチの中からシャワーを浴びにいくのに必要なものを取り出していく。いまだ鈍色の髪を撫でる手の下で動いた感覚がして、真っすぐに自身を見上げてくるクァトを目元を緩めながら見下ろした。

「迷宮、どうでした?」

「楽しかった」

「良かった。罠、克服しました?」

「嵌った」

「雑ァ魚」

「うるさい!」

言い返せるようになっている。

リゼルは少しばかり感心しながらタオル一式を抱えた。どうやら眠気をこらえて待っていてくれたらしいクァトの髪から頬を最後にひと撫でして、忘れ物がないかを確かめる。

ポーチごと持っていっても良いのだが、出先でない限りあまりそうしようとは思わない。

「何でリーダーが酒おごってんの?」

「おごりはおごりなんですけど、そういうのじゃなくて」

扉へと向かう途中、どことなく気に入らなさそうなイレヴンの横で立ち止まる。

サルスの何処か有名店の菓子だろうか、とテーブルに積まれている菓子を見下ろせば、一口分ちぎられたパウンドケーキが口元に運ばれてきた。酒場でもあまり食べなかったし、と遠慮せず貰えば口の中に広がるのは芳醇な紅茶の香り。

味わって、呑み込んで、背筋を伸ばして。

「依頼を出したので、その報酬で大盤振る舞いしたんです」

そのまま礼を告げて部屋を出たリゼルは知らない。

残された部屋で「そっちのがあり得ねぇんだけど」と零したイレヴンのことも、冒険者も依頼を出すことがあるのかと納得しかけていたクァトがその言葉にイレヴンを二度見するのも、我関せず「酒瓶は忘れず回収しなければ」と考えているジルのことも。

「(俺達の分は纏め終わったし、今日聞いたのもこれから纏めて明日学院に持っていって……教授からの依頼は、駄目元でヒスイさんに頼んでみようかな)」

そして明日以降、他の冒険者から「助教授」と呼ばれるようになることも、今は知る由もないのだった。