軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

164:笑顔は気合と根性で復活した

サルスの冒険者ギルドは水路に面した場所にある。

早朝の水路沿いは肌寒く、それはたとえ最上級装備を身に付けているリゼル達だろうと変わらない。吹きすさぶ風が顔を撫でる度に微かに息を止めて顎をひき、リゼルはすっかりと肩をすくませているイレヴンを横目で窺った。

「寒いですね」

「寒ィ……」

布に覆われている部分は守られているが、当然肌の露出がある部分はそういう訳にもいかない。少しでも露出を減らそうと首周りのしっかりした外套に身を包むイレヴンは、いつもより大分言葉少なめだ。

「ジルは平気そうです」

「こんくらいならな」

反対に、けろりとしているのがジルだった。

暑さには非常に弱い反面、寒さは平気な方なのだろう。筋肉のお陰だろうか、とリゼルは普段と変わらぬ黒衣を見る。

とはいえもう少し日が昇れば暖かくなるだろうし、この程度の肌寒さならば動いていれば気にならない。リゼルも元から極力露出のない装備だ、いつも以上に着こむ事はなかった。

「ほら、イレヴン。もうギルドですよ」

「ん」

先日場所を確認したばかりのギルドが見えてきた。

先日と違うのは、冒険者の出入りが頻繁なところか。サルスで活動する冒険者も少なくないようだと、水路沿いを行き来する彼らを眺める。

相変わらず扉は開きっぱなしだ。とはいえ混んでいるならば寒くはないだろうと、三人は冒険者達の流れに乗るようにごく自然にギルドへと足を踏み入れた。

水音など簡単に掻き消されるだろう喧騒に、何処のギルドも賑やかだなとリゼルは可笑しそうに目を細める。

「どんな依頼が良っかなァ」

「水路掃除以外だろ」

「そーれ」

「楽しそうなのに」

ジルが鼻で笑い、寒さが紛れたイレヴンがケラケラと笑う。そんな二人と共にリゼルは依頼ボードへと歩き出した。

歩くごとにすれ違った冒険者達が会話を止め、その姿を目で追う。その様子に気付いた者も同じく、視線の先を辿ってはその理由を悟って口を噤んでいた。

冒険者ギルドには似つかわしくない存在が、冒険者装備らしいものを身に付け、依頼ボードへと向かっている。その異様な光景に、彼らはリゼルが自らと同じ存在なのだと誰一人として気付いてはいない。

「おかしいです」

「今日は装備なのにな」

「言い訳できなくなったッスね」

徐々に話し声が消えていくギルド内で、三人は戯れるように小声を交わす。

いい加減冒険者らしくなっている筈、と考えるリゼルは正しい。確かに最初と比べると随分と冒険者らしくなっているだろう。できる事も増えているし、心構えも身についている。

だがジルとイレヴンに言わせれば、そんな変化など些細なものであると、そう思わせる品も清廉さも少しも欠けはしないのだから周囲の反応も仕方がない事だった。

「おら、依頼選ぶぞ」

「そうですね」

そこですぐに、まぁ良いかと流せるところがリゼルだ。

周囲が騒めく中、道を譲るように空けられたスペースへとちゃっかり落ち着き、三人は壁に張りつけられた依頼ボードを眺め始めた。滅茶苦茶ひそひそされているけど気にしない。

「迷宮?」

「だな」

「なら討伐でしょうか」

「つうかニィサンどこ攻略済み?」

「ほとんどしてねぇよ」

「げー、面倒くせぇじゃん」

Fランクから順番に目を通していき、あれかこれかと依頼用紙を指さす。

サルスの依頼ボードでは、王都と同じく綺麗に用紙が並べて貼られていた。ただ、ひたすら理路整然といったような王都よりはレイアウトに少しばかりのこだわりを感じる。

職員に女性が多いからだろうか、とリゼルはちらりと受付を見た。多いどころかカウンター内で動いているのは、いや今はやけにこちらを見られてはいるが、そんな職員達の中に男の姿は一人もない。

珍しい事だ、とリゼルは依頼ボードに視線を戻す。

「初日だし、軽めにしましょうか」

「あー……多分あそこは踏破してる」

「じゃあ決めちゃいましょう」

「ニィサンさっさとここら辺の迷宮ぜんぶ踏破して」

「その内な」

ジルが指さした依頼用紙の内容は魔物の素材採取。

イレヴンがピッと用紙をボードから剥がし、それを見下ろしながら何てことなさそうに告げた台詞に周囲は真顔になり、そして何てことなさそうに返したジルに“一刀?”“あれ一刀じゃね?”と素性に当たりを付けていた者ですら二度見した。

三人は唖然とする周囲を置いて、さっさと場所を空けねばと速やかに受付に向かう。慣れきったその動きに、ようやくリゼルの冒険者疑惑が浮かんだ事を本人は知らない。

「あ、おはようございまぁす!」

物凄くチラチラと三人を振り返りながら受付を終えた前のパーティが、もはや何度見なのか分からないチラ見を披露しながら受付前をどいた先。

リゼル達が特に何も考えずに並んだ受付は、先日顔を合わせた女職員の受付だったようだ。今日も素晴らしい笑顔と透き通った高音で出迎えてくれる彼女にリゼルは微笑む。

「お早うございます、職員さん」

「昨日の事は正直夢として処理しかけてましたが、処理しないで良かったですぅ」

「それは何よりでした」

「それでは受付ですねぇ」

依頼用紙を受け取った彼女は、それをふと見下ろして笑みを消す。

その際に零された「まじで冒険者だ」という低い呟きは幸いな事にリゼルには届かず、そして笑みも一瞬にして復活していた。運が良いのか悪いのか、呟きも聞こえてしまったし真顔も目撃してしまったイレヴンは、笑えば良いのか引けば良いのか分からず口元を引き攣らせている。

「そういえば、このギルドには女性の職員が多いですね」

「あっ、そうなんです。やっぱり余所では男性が多いみたいですねぇ」

手は止めないまま笑顔で肯定してみせた職員に、リゼルは一つ頷いた。

彼女達にとってはこれが当たり前なのだろう。とはいえその様子から、確かに女性が働くに向いている職場ではないという認識は持っているようだが。

「何で?」

「いわゆる家族経営なんですぅ。ギルド長が父で、母と私たち娘一同でお手伝いをしてまして。男兄弟もいないものですからぁ」

「あ、成程」

「父も“嫌ならいい”って言ってくれるので、強制ではないんですけどぉ」

それでも、家族なのだし助け合いたいという事なのだろう。

しかし荒くれ者の中に可愛い娘を放り込むなど父親として心配だろうに。だからこその“嫌ならいい”なのだろうし、実はこれも割と本気の“できれば他で働いて欲しい”の意味なのかもしれない。

とはいえギルド長の妻や娘ともなれば、冒険者も多少は手を出しにくいだろうか。そんな事を考えているリゼルの耳に、ふと隣の受付でのやり取りが聞こえてくる。

「なぁ今日の夜さぁ、良けりゃ飯でも」

「仕事の邪魔は万死」

「あ、すまん……」

手は出されかけるようだが心配もなさそうだ。

隣で行われている攻防に何かを納得しているリゼルを、何処に納得したのかとジルが呆れたように眺めている。

「あっ、少々お時間よろしいですかぁ? 当冒険者ギルドを初めて利用される方には説明している事なんですがぁ」

その時ふいに職員が手元から顔を上げ、依頼ボードとは逆の壁を指さした。

そこには掲示物であったり、あるいは職員の誰かがガーデニングを楽しんでいるのか壁掛けの鉢植えが添えられたりしている。

その中に金属製のプレートが一枚、そこには大きく“Ⅲ(3)”と描かれていた。敢えて目立つように作られたのだろうと一目で分かるそれに、大事なものなのだろうかと三人は目を向ける。

「ここサルスを擁する湖は川と繋がってましてぇ、その川の上流には魔力溜まりがあります」

「あー、なんかリーダー前に言ってたっけ」

「俺も他の方から聞いた情報ですけど」

アスタルニアの冒険者ギルドで度々言葉を交わした魔法使い、その内の一人が言っていた。

川の上流にある魔力溜まり(専門用語で“スポット”)。その濃度が高まると川の水に溶けだし、サルスの水路へと流れ込む。その影響で、魔力が多い者はサルス国内にいようと魔力中毒を起こす事もあるとか。

「あの数字は上流の魔力濃度なんです。九以上だと国の中でも魔力中毒になる可能性大、五以上では上流には近付かない方が無難、そんな感じですねぇ」

「九以上っていうのは頻繁にあるんですか?」

「いえいえ、滅多にございません。あの数字も、上流の方の迷宮へ向かう冒険者の方々の参考にっていうだけでしてぇ」

つまり、普通に生活している分には然して気にしなくていいということ。

九以上で魔力中毒になるかも、というのも魔力が多くなければ関係のない事だろう。ならば彼女の言う通り、上流に近付く者達の為の注意勧告に過ぎない。

「俺は関係ねぇな」

「俺もー」

「君達も魔力は普通にあるじゃないですか」

「上流に近付かなけりゃ良いだけなんだろ」

「そうですけど」

何だかずるい気がする、とリゼルは思わないでもない。

なにせジル達と一緒に行動していると、魔力が多くて良かったと思う瞬間がほとんどないのだ。他者からしてみれば長所である筈の魔力の多さに、デメリットばかり感じてしまうのは何故なのか。

「他に質問などございませんかぁ?」

「この数字っていうのは、冒険者ギルドだけのものなんですか?」

「いえ、これは国内一律ですぅ。共通の測定器がありまして、少しの魔力変化でも影響が出る研究や、水を使うような職場なんかで使われてたりします」

「測定器というと」

「言ってしまえばただの特殊な魔石なんですが、そこの水路に漬けると色が変わりますのでそれを見てぇ」

「数字でねぇの? じゃあ変な色してたらズレんじゃん」

「ズレますねぇ」

意外とアバウトだ。

そして更に質問を重ねようとしたリゼルの踵を、ふいにジルの靴先がノックする。さっさと依頼を受けろと促すそれに、そうだったとリゼルは一旦質問を引っ込めた。

依頼の手続きもちょうど終わったのだろう。職員から返されたギルドカードを受け取り、ポーチに仕舞う。

「有難うございます。またお話、聞かせて下さいね」

「いつでもお越しくださぁい」

可愛らしい顔を満面の笑みに染め、三人を見送った彼女はその数秒後。

リゼル達の姿が消えたと同時に己の姉妹たちに囲まれ、彼らは何者だランクは何だもしかして一刀かと質問攻めにされていた。

サルスには冒険者ギルド所有の馬車というものがない。

だが、冒険者が利用すべき馬車はきちんと存在する。サルス国内、まさに大橋の寸前。建物の一階部分が幾つもの柱に支えられながらも吹きさらしになっている場所に、幾つものベンチが無造作に並べられている場所が待合所だ。

冒険者、商人、旅人、そこを利用する者は立場を問わない。その柱の内の一本に籠が結び付けられており、そこには何枚もの木の札が収められている。

「これを取るんですか?」

「そうそう」

リゼルは混み合いがちなそこへ何とか進み、イレヴンに促されながら一枚の札を手に取った。札には“ Ⅱ(2) ”と刻まれている。

「これが番号札。で、呼ばれるまで待機すんスよ」

「こんだけ待ってて二番目って事はねぇだろ」

「何番かまで行ったらループすっから」

つまり、誰かが呼ばれないと何番まで進んでいるかが分からない。

成程、とリゼルは頷いて馬車を待っている面々を見渡した。誰でも利用できるとはいえ、やはりこの時間は冒険者がほとんどだ。最も混む時間だからか、ベンチが足りていないので何組かは立って待っている。

「日向で待ってましょうか」

「ああ」

「さんせー」

水路に足を投げ出して座っているパーティをじっと見ながら告げたリゼルに、やりたいのだろうかとジル達は適当な水路沿いまで歩いて腰を下ろしてみせる。

素直にその後ろに続いていたリゼルは、水路の縁に腰かける二人を見下ろした。見上げられ、こいこいと隣の地面を叩かれ、一度だけ目を瞬かせながらもいそいそと腰かける。日の光に温められた煉瓦の温度が尻に伝わってきて心地良い。

「あー、あったけ」

「そうですね」

「お、兄さんらまた会ったなぁ。木の実食べる?」

「食べる」

ふいに目の前を通りがかった小舟には、何故か先日も顔を合わせた老爺。

相変わらず麦藁帽子がよく似合っている彼は、昨日と同じ不思議な色をした木の実を差し出した。それを受け取ったイレヴンが、ほい、と差し出された布袋に銅貨を放る。

しわがれた声で礼を告げた老爺は、そのまま何処かへと流れていった。

「おぅい、次五番のやつー」

「あ、誰か呼ばれてますね」

「二番がいつかはよく分かんねぇな」

「や、マジでそれ」

木の実を齧りながらイレヴンが「ん」と待合所を指さした。

そこには、人に溢れた待合所の前に停まる馬車。五人パーティなら三組、無理をすれば四組は入れるだろうか。その御者が籠の中を確認しながら次の番号を呼んでいた。

その馬車の後ろに、ガラガラと煉瓦道を通ってもう一台馬車が停まる。流石は冒険者の活動開始時間、馬車もフル稼働なのだろう。

「おう、五番」

「何処までだ?」

「北の方だよ、“森林遺跡”」

「ああ、あそこか。“森林遺跡”、行くやつ他にいるかー!」

一組の冒険者が札を御者に渡し、御者が他の乗員を募りだす。

それをのんびりと眺めながら、リゼルはこういう事もあるのかと感心したように頷いた。目的地が同じ、あるいは同じ方向に行く者がいれば一緒に乗せていくので番号が飛ぶ。勿論、同じ方向へいく者が多ければその中でも番号順になるのだろうが。

「効率的ですね」

「運が良けりゃ早く行けんのか」

「そゆこと」

多少順番が前後しようと、自身の順番が遅くなる訳でもないので文句も出ないのだろう。

俺達も同じ迷宮、同じ方向、大分外れんじゃねぇか馬鹿野郎、とわいわいと集まった冒険者達が馬車に詰め込まれていく。

「つかニィサン一回来てんじゃねぇの?」

「宿で一泊して素通りした」

「じゃあ、本当にすぐにサルスを出たんですね」

「何で?」

「このへん魔力の仕掛け多いんだよ」

リゼルとイレヴンは非常に納得して頷いた。

もしジルが本気で攻略しようとしたなら出来たのだろうが、それでも普段通りとはいかない。それが面倒臭かったのだろう。

幾つか攻略済みというのも、サルスに入る前に通りがかった迷宮を攻略し、サルスで夜を明かし、そして王都までの道のりで通りがかった迷宮を攻略した時のものだという。つまり流れで攻略した。

「あとこん中も魔道具多くて面倒くせぇ」

「ニィサン使えねぇしね」

「確かに、他よりよく見ますよね」

生活周りの魔道具ならば、自力での魔力操作などほとんど必要ないものばかりだが。

付け足されたような理由は、まさしく思い付きで付け足したものなのだろう。本気で面倒臭いと思っていればジルはサルス行きを嫌がっている。

「九ばーん! 九番どこじゃーい!」

「うぃーす。東の森の湖らへん」

「どこだそれ。ほれ、地図」

「知っとけよ。あー……ここらへん」

「あー、知っとる知っとる。“降り落ちる逆塔”らへん行くやつおるかー!」

お、とリゼル達が顔を上げていそいそと立ち上がった。

“降り落ちる逆塔”は、まさに今日リゼル達が訪れようとしている迷宮だ。これで他所の迷宮名を叫ばれたなら気付けなかっただろう、運が良い。

「いるいる、そこ行くー」

「場所知っとかねぇと待たされんな」

「番号通りには呼んで貰えるんだし損はしませんけど」

「気分的には損だろ」

イレヴンがリゼルの手から番号札を取り、足早に乗車交渉へと向かった。

その後ろをマイペースに続くリゼル達へと、本日何度目かの場違い者を見る目が向けられる。さしずめ“冒険者を引き連れて迷宮見学”とでも見られているのだろう。

三人が馬車に近付けば、乗り込もうとした冒険者と御者がピシリと石のように固まった。

「二番だけど」

「お、おう……冒険者か? 大変だな」

「ジル、聞きました?」

「あれは俺らに“お貴族様の相手なんて大変だな”っつってんだよ」

「リーダー残念」

自分が冒険者として労わって貰えたのでは、と嬉しそうにジルを見たリゼルは即座に否定された。そしてイレヴンににやにやされた。やや悲しい。

そしてもう一組、他の冒険者パーティが若干腰が引けながらも馬車へとやってきて、これで定員となったのだろう。未だに状況についていけない御者がちらちらとリゼルを窺いつつ、馬のご機嫌をとりに馬車の先頭へと回る。

「王都と違って満員にならないのが良いですね」

「行き先によっちゃなるんスけどね」

「お前の所為で名乗り損ねてる奴いんじゃねぇの」

「ジルは全部俺の所為にするのやめてください」

わいわいと楽しそうに馬車に乗り込むリゼル達を、待合所にいる冒険者達が無言で眺める。

そして今まさに三人が乗り込もうとする馬車の後ろに停まっていたもう一台、その御者が「王都行きー、王都行く人ー! 王都! 行きは! こっち! ですよ!」とピンポイントでリゼルへ向かって声を張り上げているが、迷宮行きで間違いないリゼルは「元気だなぁ」とほのほの微笑んで馬車へ足をかけていた。

「俺も頑張ってるのに」

「リーダー冒険者で言うと中堅くらいになってんのにね」

「勘違いされて嫌ではないですけど、詐欺みたいになっちゃうのは困りますね」

「似たようなもんだろ」

「あ、酷い」

そんな会話を最後に、乗員が全員乗り込んだ馬車の扉が閉まる。

そしてゴトゴトと車輪を鳴らして去っていく馬車を、その場にいた全員がやはり無言のまま見送った。全員が同じ方角へと顔を向けていくという若干ホラーな空間が完成する。

しかしその中で、二人の冒険者だけは別々のパーティでありながら揃って肩を竦めていた。

「貴族さん初見だとこうなんだよな。あれでも昔よりマシなんだぞ」

「穏やかさん何処でもこうなんのか……本人知ってると同情するわ」

その呟きは互いに届き、両者は示し合わせたように顔を見合わせる。

真顔で“お互い縁がありますね”と目で語る彼らによって、リゼルが正真正銘冒険者である事が徐々にサルスの冒険者内に広がるのであった。

目的の迷宮はサルスの東、さほど遠くない位置にある。

だが大橋が西に向かって伸びている為、広大な湖を半周する必要があり、それなりに馬車に揺られた頃。目的地に到着したリゼル達は、乗客の中で一番初めに降車した。

御者に銅貨三枚を渡し、迷宮の扉の前へ立ちながら去っていく馬車を見送る。

「乗車賃って固定なんでしょうか」

「距離でざっくり決まってた気もする」

ギルド所有の馬車ではないので、利用するには当然乗車賃が必要となる。

駆け出し冒険者にはなかなかに痛い出費だ。恐らくその分、ギルドが差し引く仲介料が減り、結果報酬が増えるなどの工夫はされているだろうが。

「行くぞ」

「はい」

ジルが迷宮の扉に手をかけ、開く。

サルスでの記念すべき初迷宮。ジルに言えば“迷宮に国の区別なんざねぇだろ”と言われてしまうので、リゼルは内心でそう呟きながら扉の中の漆黒へ足を踏み入れた。

視界が晴れた直後、ザッと強く顔面へと打ち付けられた強風に思わず目を細める。

「おー、すっげ」

「落ちんなよ」

ジル達の声に、リゼルは伏せた瞳をゆっくりと開いた。

足元には草の緑。しかしそれは、すぐ目の前で途切れていた。崖の先端だ、と思いながら視線を持ち上げれば、視界を埋め尽くすのは雲が流れ、青空を抱く果てのない天空。

美しい光景に、思わずリゼルは唇を緩めてその光景を見上げる。

「名前に偽りなし、ですね」

息を呑むほど壮大であり、背筋が震えるほど荘厳であった。

遥か遠く、上空。何本もの塔がリゼル達へ向かって降り落ちる。いや、実際には静止しているだろう。だがそう錯覚してしまうほど、遠近感を狂わされるほどに至大な塔が、天から逆さにそびえ立っていた。

吹く風が塔の壁面を撫で、無数に存在する柱や窓を潜り抜ける音がする。何処から聞こえているかも分からないそれが、やけに神聖なものに聞こえた。

「あそこに行けるんですね」

「ああ、塔一つで一階層」

「魔法陣ねぇじゃん」

「最初の塔にある」

ジルが、最も近い位置にある塔を指さした。

近くとはいえ、空でも飛べなければ向かえないような位置。塔の最も下、逆さなのを思えば塔の先端か。そこを見上げたリゼルの目が、ふいに空中に不思議な光の反射を捉える。

「よく見りゃ分かんだろ、階段」

「あー、あるある。何あれ、割れねぇの」

「割れねぇし落ちねぇ」

ジルが崖の先端へ歩き、そしてその向こう側へと一歩足を踏み出した。

カツン、と空を踏む音。そのまま二歩三歩、見えない階段を歩き宙へと登っていく。

リゼルもそれに続いた。角度によって辛うじて見える、そんな階段はいざ宙へと足を踏み出そうとした時には見えなくなってしまう。まるで、空を歩くようだった。

「ここですか?」

「ああ」

「おー、マジで階段ある。なんか壁もある」

「あ、本当です」

両手を横に伸ばせば、階段の幅の見えない壁。

落ちないようになっているのだろう。確かにこんな所で大立ち回りはできないなと、上空の塔の周りを飛び回る魔物を見上げた。

雲から差し込む光に目を眇める。

「魔鳥でしょうか」

「や、トカゲっぽい」

「羽トカゲ?」

「じゃねぇの。あー……上の方にガーゴイル飛んでんな」

「げー」

足裏の感触だけを頼りに階段を上った三人は、塔の先端へと辿り着く。

四角く切り出された窓に手をかけ、内部へ。当たり前だが中も逆さなので、天井に足をつく。

リゼルは改めて窓に手をつき、外を覗き込んだ。先程まで立っていた崖だと思っていた場所は、扉と三人が立っていた足場しかない小さな浮島だった。

「下は雲海だし、天地を錯覚しそうですね」

「どゆこと?」

「本当はこの世界が正しくて、俺達が逆さなんじゃないかってこと」

「こっわ」

魔法陣に向かいながら戯れる二人に、ジルも鼻で笑いながら後に続く。

異なる世界などという常軌を逸する真実を容易く予想し、あっさりと受け入れたリゼルらしい言葉だった。当たり前にある世界にすら疑問を抱くのだから、さぞ頭が疲れる事だろう。

「何階……いえ、何個目の塔にしましょうか」

「ニィサン覚えてねぇの?」

「覚えてねぇ」

外を見れば、果てのない空を何処までも埋め尽くさんとする夥しい数の塔。

全部で何階層だったかもジルは記憶が定かではなかったので、恐らく半ば程だろう十五階層を思い浮かべながら三人は魔法陣の上に立った。

リゼル達が今日受けた依頼は、【“鈴なり骸骨”の鈴が欲しい】というものだ。

ジル曰く、“それっぽいのが居た気がする”とのこと。リゼルとイレヴンも、骸骨に何かしらの形で鈴がついているんだろうなという予想はついた。

塔の中をうろつき、時にさかさまの螺旋階段を上り、襲い掛かってくる羽トカゲやガーゴイルなどを相手取る。円柱状の塔の外周、空に面した通路は壁がなく、等間隔で柱が並んでいるだけなので魔物が外から飛び込み放題だ。

柱に隠れながら進むのが正解なのだろうか、と容易に刃が通らない筈のガーゴイルを一刀両断するジルを見ながらリゼルは思う。何とかなっているので良いのだが。

「おい」

「は? あ、ホントだ」

目的の魔物を探しながら進むこと塔二つ分、ふいに足を止めたジルに納得したようにイレヴンも頷いた。耳を澄ますように外を向いた二人に、リゼルも何かが来るのだろうと察して浮かべている魔銃をそちらに向ける。

そして数秒所。リリン、チリリリン、と幾つもの鈴をかき鳴らすような音がリゼルにも届いた。

「取り敢えず倒しゃ良い?」

「依頼用紙には“生きてる内に”と、“低確率で採れるらしい”とだけ」

「適当な情報で依頼すんなよなァ」

「低確率ってどういう事だよ」

魔物の素材において、確かに確率が影響する事はある。

だがそれは殺人人形のリボンやプレートアーマーの腕輪など、“稀に身に付けている魔物が現れる”という意味での確率だ。常に鈴を身に纏っている“鈴なり骸骨”はそれに当て嵌まらない。

柱の向こう側、下の方から鈴の音が徐々に近付いてくる。壁を這いあがっているのだろう。

「取り敢えず、色々試してみましょう」

「これ地雷だったんじゃねぇの?」

「かもな」

白骨の腕が床を叩き、音の主が姿を現した。

体は爬虫類らしき四つ足の何か、背骨が大きく上部へと張り出している。頭蓋は角があり、牛に似ていた。そして、肉に守られず露わになっている白骨を覆うように幾つも結びつけられている色とりどりの布。その先端には数個の鈴。

ガチガチと歯を打ち鳴らしてリゼル達を窺う魔物が三体、じりじりと近付いてくる。

「じゃあ斬ってみんね」

「お願いします」

その一体へ、イレヴンが駆けた。

魔物が頸椎を縮め、そして食らいつく。イレヴンは左手の剣の柄頭でそれを弾き、一歩で側面へと回り込むと右手の剣を振るった。

柔い布を切断するほどの鋭い剣筋。目に追えぬそれが数度閃いた瞬間、幾つかの鈴が根元に布を残したまま床へと落ちる。だが。

「あー、消えた」

「消えますね」

「当たり引くまで狩んのは面倒だな」

床に跳ねた鈴がリンッと音を立てた直後、魔力と消えた。

お見事、と拍手しながら他の二匹を銃で牽制していたリゼルは目を瞬かせ、剣は握っているものの今のところ動く気はないジルは顔を顰める。

確かに正解の鈴が出るまで斬って、探して、斬って、また探してというのは時間がかかり過ぎるだろう。うーん、とリゼルは考えるように視線を流した。

「低確率っていうのが、どういうのかによるんですけど」

「どゆこと?」

「本当に確率でしか手に入らないのか、本当は正しい手順があって今までは偶然手に入れられてたのか」

「ああ」

そういう事もあるか、と頷いたジルがリゼルと立ち位置を代わる。

考えに集中しろ、という事だ。もし決まった手順があるのなら、闇雲に斬っていくより余程効率が良い。何せ依頼人に求められている鈴は十個。数を斬っていればその内集まるだろう、というのは希望的観測が過ぎる。

「布の色とか?」

「それだと、三匹に共通する色がないと」

「バラバラだしなァ」

「オシャレですよね」

一本ごとに色の違うカラフルな布を身に付けている魔物もいれば、モノクロも一色もいる。

もっと深層に潜れば、今度は様々な柄を持つものも見られるかもしれない。布部分も素材になるのなら、装備のデザインにこだわる冒険者の強い味方となりそうだ。

「斬るのが駄目だったんでしょうか」

「あの結び目ほどけって?」

「よし、ニィサン一匹押さえてて」

「あ?」

無茶言うなとばかりに顔を顰めたジルだが、リゼルが他二匹の牽制を代わってみせれば渋々一匹に近付いていく。先程イレヴンが何本か布を切り落とした個体だ。

リゼルとイレヴンによる応援の声を受けながら、ジルは威嚇するように歯を鳴らす魔物へと剣を鞘に納めながら近付いた。そして鋭い爪を持つ腕が横凪ぎに振るわれたのを一歩下がって避け、その白骨の腕を踏みつける。

同時に頭蓋を床に叩き付けるように手で押さえ込み、もう片腕も掴んで床へと押し付けた。

「ニィサンそのままそのまま!」

「自分でそっち押さえろよ」

「分かってるって、危ねっ」

すかさずイレヴンが駆けよって布の一本を鷲掴み、肋骨部分を踏みつける。

魔物の足が暴れまわり、石造りの床を叩いた。襲いかかる長い尾を、彼は体を曲げて避ける。

「結び目固ってぇ……うぉっ、ニィサン尻尾も押さえれねぇの!?」

「俺の腕は二本しかねぇ」

「あ、じゃあ俺が」

「リーダーは牽制がんばってて」

そしてイレヴンが布に幾つも結びつけられている鈴の内の一つ、その結び目とちまちま格闘すること数十秒。

「よっしゃ取れ……消えるし!!」

「違いましたね」

ようやく布から外れた鈴は掌の上で姿を消した。

頑張ったのに、とブツブツ言いながらイレヴンがその場から離れ、ジルが潮時かと拘束したままの魔物に剣を突き立てる。骨同士の結合が離れるように魔物はその場に崩れ落ちた。

やっぱり鈴は速やかに消えてしまうかとそれを眺め、リゼルは動き回る他二体へと視線を向ける。動き回る度に無数の鈴の音が響いていた。

「あ」

「ん?」

「イレヴン、一匹斬って貰って良いですか?」

「普通にで良い?」

頷いてみせれば、イレヴンが特に疑問を抱くことなく一匹斬り捨てる。一応とばかりにトドメを刺す前に鈴を全て切り離したが、やはり消えてしまった。

そうして残るは一匹。十前後の布、その先端の鈴たちを床に引き摺りながら動き回るそれをじっと見るリゼルを、ジル達もまた何か分かったのだろうかと指示を待つ。

そしてリゼルが何かを納得したように一つ頷いた。

「分かったか」

「多分ですけど。君達の方が耳は良いですよね」

「耳?」

「鈴、一つだけ音が違います」

ジルとイレヴンも口を閉じ、揃って眉を寄せながら耳を澄ます。

逃がさぬよう、牽制するよう、時折リゼルが銃を発砲する音が響いた。そして暫くの後。

「あー、言われてみりゃ?」

「あれ」

「聞き分けんのと耳の良さは別だろ」

そういうものか、とリゼルは首を傾けて銃を下ろす。

一つだけ、僅かに音が高いのだ。二匹が動き回っていた時も、聞き辛かったが恐らくもう一つ高い鈴があった。恐らく一匹につき一つ、ならば試してみる価値はある。

「一個でもハズレに手ぇ出すと駄目なやつかァ」

「可能性は高いと思います」

「だろうな」

じりじりと距離をつめる魔物を前に、ジルとイレヴンは再び捕獲の体勢に入る。

どうせ予想を外そうが損はない。その時は当たりを引くまでひたすら魔物を狩るだけだ。

そして先程と同様にジルが魔物を押さえ込み、イレヴンが襲いくる尻尾を避けながら幾つもの鈴の前でうろうろと手を彷徨わせる。

「うしっ、どれ! リーダーどれ!」

「え?」

「は?」

「あ?」

三人は思わず顔を見合わせる。

ひくり、とイレヴンが口元の笑みを引き攣らせた。

「マジで!? リーダー見つけてんのかと思っ……尻尾! 邪魔!」

「お前なんか色々弾いてんだろ」

「聞き分けるのと演奏できるのは別なんです」

リゼルは優れた音感的なものは持たない。むしろ音の違いに気付けただけ褒めて欲しい。

すみやかに捕獲に動き出してくれた二人の信頼を裏切ってしまったと思いつつ、彼は力強く頷いてみせた。そして当然ながらジル達もどの鈴が正解かなど分かる筈もなく、結果としてイレヴンが必死で鈴を一つずつ鳴らして正解探しする事となる。

「これ!?」

「違ぇ」

「これ!? 危ねっ!」

「違います」

「これ!? あ、これじゃん!?」

そして見つけた正解を、布の半ばで斬り落とせば鈴は消えずに残ってくれた。

以降、三人はそれなりにスムーズに鈴を集める事ができるようになる。最終的に両手と頭をジルが押さえ、尻尾をイレヴンが気合で抱え、チリチリと順番に鈴を鳴らしていくリゼルというフォーメーションが完成した。

冒険者ギルドの職員は、ギルドへと戻ってきたリゼル達を真顔で凝視していた。

視線を下げれば、提出された鈴が十個。そして再び三人を見る。数度それを繰り返したのは、いまいち現実を受け入れきれなかったからだ。

昨晩の家族そろっての夕食の話題を完全に掻っ攫った注目の三人組。一刀じゃんヤバい、ていうかBランク、もっとギルドカードの記録見せて貰えば良かった、冒険者なの意味不明なんだけど、と姉妹揃えば姦しい食卓がいつもより酷く盛り上がったものだ。

そして今日も盛り上がりそうだと、彼女は手本のような満面の笑みを辛うじて顔面へと貼り付ける。

「これ、実は一日一個手に入れば良いほうって地雷的な意味で有名な依頼でしてぇ」

「やっぱ?」

「だよな」

「頑張りました」

頑張っただけでどうにかなるのか、と疑問を抱いた彼女は直後。

リゼルにより情報提供として寄越された“鈴の入手確定条件”に、今度こそ表情筋が死ぬのを悟ったのだった。