作品タイトル不明
104:翌朝誰も起きない
リゼルは最近、満員馬車の乗り方が分かってきた。
最初の頃はもう乗れないし次の馬車を待とうと思っていたら、まだ乗れると後ろに並ぶ冒険者に言われたり(実際にリゼル達が乗れた上に当の後ろに並んでいる冒険者達まで乗れた)、乗ったら乗ったで身体が微妙に傾いたまま起こせなくなったり(ジルがずっと支えててくれた)、他の冒険者の武器が腹にぐいぐいと当たったりもした(気付いたイレヴンがどかしてくれた)。
しかし最近は違う。足が入れば何とかなると学んだし、側面に立てば外に半身を逃がせるので多少は楽だと気付いたし、武器があたらない角度というのも分かってきた。
元々五人、多くても六人が主流のパーティが多い中では三人のリゼル達は融通が利く。パーティがばらばらで迷宮に向かっても意味が無いので、あと三人ならぎりぎり乗れるという時には順番を早めて貰える事も度々ある。
結果的に楽な一番後ろに乗れることが多いので、リゼル達は過ぎ去る景色を見ながらのんびりと馬車に揺られているのがほとんどだ。
「この前、一人で馬車に乗ってみたんです」
そして今日も馬車の一番後ろで三人並んで後ろを見ながら話している。時折ガタンと揺れる馬車の振動が、身体を預けている後部扉から伝わってきた。
「は? 迷宮一人で行ったんスか」
「いえ、降りずに馬車でぐるっとジャングルを一周しました」
「お前時々訳分かんねぇことするよな」
呆れたように言うジルに、ケラケラとイレヴンも笑う。
迷宮に行く為の馬車に、迷宮目的じゃない上に一度も降りずに最初の乗り場まで戻ってきた冒険者など史上初と言っても良いかもしれない。乗るのを見た冒険者もまさかのリゼルが一人という事態に止めなくて良いのかとそわそわしていたし、降りるのを見た冒険者など一体何があってこうなったのかと見間違いとすら思った。
「最後らへんになると貸切みたいになって面白かったですよ。御者の方とも話せたんですけど、やっぱり馬車には結構強力な魔物避けの魔道具が使われてるみたいです」
「まぁリーダーが楽しいなら良いけど……魔物避けっつっても時々襲われんじゃん」
「やっぱり人が多いと効きにくくなるって言ってました。御者の方が一人で帰る時にはほとんど見つからないそうですよ」
という事は時々見つかるのだろう。戦う術を持たない御者も大変だ。
とはいえ人の乗っていない馬車ならば全速力で走ればほぼ逃げ切れるし、いざとなれば馬車を置いて馬で帰ってしまえば良い。リゼルが話した御者もギルド所属の御者歴二十年だけあって慣れたようにそう笑っていた。
「混んでる間は突っ立ってたのか」
「そうですね。皆これから潜る迷宮の話とかに真剣で話す相手もいないですし……あ、でも外側を譲って貰えたので外をずっと見てました」
ぎゅうぎゅう詰めだったので譲って貰って移動するのが大変だったけど、とほのほの笑うリゼルを横目で見ながらジルは溜息をついた。威勢の良いアスタルニアの男達が甲斐甲斐しい事だ。
周囲の冒険者からしてみればこの三人のパーティ相手に露骨にぎゅうぎゅう行ける訳も無い。ただ馬車の中では上位だろうが下位だろうが対等という事もあり、同じ冒険者なのだからと変に遠慮する事も無い。
しかしリゼル一人だと違う、ジル達と共にいない時のリゼルは余計に冒険者に見えない。流石に場所を譲ったのは互いに面白半分だろうが、アスタルニアでは馴染みの無い清廉な空気に早く慣れろというのは酷か。
「悪いかなと思ったんですけど、折角の厚意なので」
「リーダーの変に遠慮しないトコ好きッスよ」
ふぁ、と欠伸を零したイレヴンが眠気を払う様に頭を振った。そして思う。
ただ冒険者に見えないだけならばアスタルニアの冒険者らは受け入れない。一刀らについていける実力と冒険者としての矜持、そして良い子に収まらない冒険者らしい自由さを持つからこそ冒険者と認め接しているのだろう。
ちらりとリゼルを窺うと、どこか楽しそうなので本人もそれに気付いているのだろう。冒険者と認められているようで嬉しいのかもしれない。
「(王族に認められるよか嬉しそうな所がらしいよなぁ……)」
とある布の塊を思い出しながらジルとイレヴンは内心で同時にそう呟いて、嬉しいなら良いかと再び流れて行く森を眺め始めた。
御者に声をかけ、止まって貰って馬車を降りる。同じ馬車に乗り同じ迷宮で降りるパーティはほとんどいないので、今回も降りたのはリゼル達だけだった。
馬車が通れるような道から、繰り返し迷宮を訪れる冒険者達によって踏み固められたけもの道を見つけて入って行く。踏み固められているとはいえ歩きにくい。
リゼルは道を横切るように伸びる樹の根を跨ぎ、注意深く地面へと視線を落としながら言った。髪の毛へと枝が引っ掛かりそうになっているが、ジルが後ろから手を伸ばして枝を持ち上げ回避する。
「こういう森の中に新しい迷宮が出来たら大変ですよね。やっぱり見つけられなかったら大侵攻なんでしょうか」
「見つかりにくいトコにある迷宮は流石に何つーの? 猶予? 長ぇみたいだけど、どうなんスかね」
「そこらへん何とかすんのがギルドだろ」
そうだけど、とリゼルは髪を耳にかけながら苦笑する。
下手をすれば国の危機に関係することだろうに、随分と軽い事だ。国から国を渡り歩く冒険者はそういうものなのだろうか。
「本で読む限りアスタルニアが大侵攻にあったのは一回だけだし、上手く見つけてるんでしょうね」
「あー、森族いるから。リーダーそこ穴」
イレヴンが指差した地面の穴をよけた。恐らく森ネズミの巣穴だろう。
草原ネズミも森ネズミも同じ魔物だ。草原に住んでいるか森に住んでいるかの違いで呼び名が変わる。
なら何故巨大ネズミにでもしなかったのかとリゼルは常々疑問に思っている。
「森族……ジャングルに住んでる色々な民族のことですよね」
同じアスタルニアの民でも、ジャングルの中に点々と集落を築いて暮らしている者達も多い。それはアスタルニアが出来る前から其処にいた者達であったり、森の恵みをより受けやすい場所に拠点を築いた者達であったり、もしくは定住せず森の中を移動して暮らしている者達であったりもする。
そんな彼らを総称して“森族”と呼んでおり、中には本で読んだだけのリゼルも興味を持つような独特な風習をもつ者達もいる。
「森に住んでりゃ森族だし、民族ってほど立派なもんじゃねッスよ」
「てめぇ森族じゃねぇか」
「マジだ、森族だ」
イレヴンの一家も森に住んでいるのだから説明からすれば森族に入る。
今の今まで自覚など無かったらしいイレヴンにジルは呆れたように目を細めた。つまり森族の括りはそれだけ適当という事なのだろう。
「まぁ森のこと知りつくしてる奴らばっかだから、何かありゃすぐ気付くんスよ。俺の父さんも崖の壁面ど真ん中にある迷宮発見してたし」
行きづらそうだな、とリゼルは何処の迷宮のことだろうと考えるように微かに首を傾ける。
崖に張り付くように存在する迷宮の扉などかなり見つけづらいだろうし、大手柄だろう。何故崖を登り降りしていたのかは分からないが。
「それをギルドに報告してくれるんですね」
「そ。大侵攻になりゃ本人たちも危ないし、謝礼も結構出るっぽいから皆報告すんじゃねッスか」
同じアスタルニアの民同士協力するのは良い事だ、と頷いていると前を進むイレヴンが足を止めた。丁度森の中で小さく開けた空間に出たようだ。
その真ん中にあるのは迷宮の扉、大抵の扉が出現すると共に周囲に小さいながらも木々のない空間を作ったりする。だからこそ森族も発見しやすいのだろう。
着いた着いた、と三人は扉の前に立ちゆっくりと開かれるのを待った。
「ニィサン何処まで行ってんだっけ」
「あー……二日潜って六十五、いや、七十で帰ったか」
「じゃあ七十階からですね。今日の目的はボスなのでさくさく進みましょう、確か全部で八十五階だった筈です」
今日冒険者として依頼を受ける際、たまたま攻略途中の迷宮に関する依頼を見つけたジルからそれを聞いたリゼルが折角だからとこの迷宮に決めた。
これから攻略する迷宮を事細かく調べるのはリゼルの好みではないが、聞こえてくる噂は耳にするようにしている。この迷宮は随分と王道な迷宮のようだから変わり種の仕掛けは少ないだろう。
少しだけ残念、と思いながらリゼルは開ききった扉へと足を踏み入れる。
「そういえば今日、宿主さん夜出掛けるそうです」
「食って帰るか」
「あ、俺良い感じの店見つけたんスよ」
今まさに迷宮に潜らんとしている冒険者として有るまじき会話をする三人が、ゆっくりと閉まる扉の向こうへと消えて行った。
酷く騒がしい空間に、ジョッキのぶつかり合う音が響く。
其処かしこで聞こえるその音に男達は自らも続こうと運ばれてきた冷えたエールの注がれるジョッキを手に構え、前へと勢い良く突き出した。
「ハイ今日もお疲れーぃ!」
「うぇーい!」
ガツンガツンとぶつかった感触がジョッキを握る手に伝わって来るのが心地良い。
そして全員でそれを呷る。冷え切ったエールが喉を通り過ぎる感覚は頭が痺れる程の快感で、喉を鳴らす音しか聞こえなくなった一瞬の沈黙は直ぐに大きく息を吐き出す声にかき消された。
自然と湧きあがる笑いに気分を良くし、早速次だと近くを通りがかる店員へと注文を重ねる者もいる。
「船上祭が終わって今日が初の外飲みとか、忙しいねぇ宿業は」
「いやいや正直そんな忙しくも無ぇんだよマジで。今客は貴族なお客さんだけだし長期滞在ってなると短期連発よか手間かかんねぇしね」
宿主は不敵に笑い、手に持つジョッキを呷る。盛大なイッキコールに残ったエール全てを飲み干してジョッキを机に叩きつけるように置いた。
「おら次持って来いやぁぁぁ!」
「うるっせぇー!」
喧しく響く笑い声、しかし酒場の中は何処のテーブルも似たようなものなので誰も気にしない。
宿主がテーブルを囲む友人らと酒を飲み交わすのは船上祭以来だ。一人二人ならば時々会っては話したり飲んだりしていたが、誰も彼も働いている身なのでなかなか全員で集まろうと思うと難しい。
時折訪れるチャンスを見事モノに出来た今日、彼らのテンションはまだ酔ってもいないというのに非常に高かった。例え男だらけだとしても高かった。ちなみに既に全員半裸でもある。
「つーかあの人ら以外の客いねぇのかよ。寂ッしー……くねぇな」
「いやもうマジで全ッ然な。何つーの? 存在が華やかっつうか派手っつうか存在感有り過ぎて空き部屋全然気になんねぇわ」
「気にしろっつの商売人。ニィちゃん焼き鳥二本ずつ適当に!」
「はいはーい」
友人の一人が片手を上げ店員へと呼びかけるのを何となしに眺めながら、宿主はわざとらしく眉間に皺を寄せながら気にしろと言われてもと唇を尖らせた。本当に気にならないのだから仕方ない。
リゼル達が来た当初はいた一組の家族は短期だった為にとっくに宿を出ているし、最近は本当にリゼル達専用の宿になりかけている。確かに宿業務として客がいないのは由々しき問題だが、今ばかりはこれでも良いかと思ってしまうのも事実だ。
何せ金銭面に関して全く問題が無い。
「個室なんざ割高じゃん? 三つフルで埋まってっから黒字経営で商売人としてはホクホクなんですザンネーン」
「ウッゼ! こいつウッゼ!」
「おい蹴んじゃねぇよ痛ッて! おい何人蹴ってんだ手ぇ挙げろ全員かよ知ってた!」
机に隠れた足元に容赦の無い総攻撃を受け、宿主は片足を胡坐をかくように行儀悪く椅子の上へと避難させる。しかしふと美しい姿勢で腰かけるリゼルを思い出し、何となく感じてしまう後ろめたさに直ぐに足を下ろした。
「あー、でも長期で個室は美味いよねぇ。世話する客が少なくて済むし、あんまり騒がしくないでしょ?」
運ばれてきた焼き鳥を頬張りながら、同じく宿を経営している男が言う。
彼が経営しているのはリゼル達が泊まる宿より規模の大きい、そして値段が割安の宿だ。一階は二段ベッドが所狭しと六個並べられた部屋が三つ、二階は二段ベッドがゆとりを持って三つならべられた部屋が四つあり、値段の安さから客は冒険者がほとんどでもある。
一階の部屋は複数パーティが一部屋を利用するので格安で、下級冒険者が多い。二階には中級冒険者が多く、一部屋を一パーティで使用する。
「うちは大変だよぉ、冒険者ばっかりだから喧しい喧しい。同室になって喧嘩とかも始まっちゃうしねぇ」
「あ、じゃあお前んトコにあの三人組パーティ何日か泊めてみろよ! 多分解決すんぞ!」
「それだ!」
「それだじゃねぇよ! 貴族なお客さん達はずっと俺の宿にいるんですぅー! そんな食事も朝しか出ねぇ粗末な宿に泊められませんー!」
「おいこら今粗末っつったな。表でろオイ」
確かにリゼル達を投入したら冒険者達の行儀は良くなりそうだ。しかし色々な意味で許されない。
ぎゃあぎゃあと机越しに取っ組みあっていたら流石に店員に怒られたので全員正座で謝った。元々提案など冗談でしかない。
「いやでも俺んトコ元々部屋少ないし高めだし本当なら冒険者が泊まるトコじゃねぇじゃん。平然と長期で更に高めの個室泊まれるとか凄ぇとか思わなきゃ駄目なのに当然だと思う俺がいる!」
「そりゃお前、あれで金持って無ぇとか詐欺だろ……」
全員でリゼル達を思い浮かべる。
船上祭で目撃した見るからに上位者の装いを真っ先に思い出すが、活動範囲を共有していれば度々すれ違ったり目撃する事もある為に普段の姿でも思い出すのは容易だ。とにかく目を引く存在ばかりなのだから。
貴族然としているリゼルは言わずもがな。歴戦の雰囲気を醸すジルとて全く金に不自由するようには見えないし、余裕も癖もある態度を崩さない他者をあざ笑うイレヴンが金に余裕が無いのも想像が出来ない。
「あっ、でも俺この前あの人が屋台で値切ってんの見たぞ」
「貴族なお客さんってそんなん出来んの!?」
「すっげぇ下手だった!」
「だよな!」
「そうだよねぇ」
「金持ってんのに何で値切ってみたんだろうな」
友人の内の一人が訳が分からんとそう呟くと、ふいにその肩が叩かれた。
振り返ると一人の冒険者が肩に手を乗せてきている。いかん絡まれた怖い、と思いながら口元を引き攣らせて座ったまま男を見上げた時だった。
彼はくっと口元を引き上げニヒルな笑みを浮かべる。
「決まってんだろ……やってみたかったから、だ」
そして最高のドヤ顔を披露し、去って行った。
どうやらたまたま後ろを通りがかっただけらしい。奥の机で冒険者仲間らが待っている。
「誰?」
「知らん」
その後ろ姿を見送りながらそう言葉を交わし、絡まれなかったなら良いかと流して大声で追加の注文をする。忙しなく働く店員から怒鳴り返すような了承の返事が返された。
店が大繁盛していて何よりだ。宿主は取り敢えずとばかりにさっさと先に運ばれてきた三杯目のエールに口をつける。
特別酒に強くも弱くも無い彼らだが、基本的に簡単にハメを外す奴らなので飲むペースを考えたりはしない。酔っ払ったら酔っ払った時だ。
「いやでも良いねぇ、宿代ケチらないって最高。羨ましいなぁ」
エールから地酒に移った友人に、宿主は苦労しているようだとニヤニヤする。
下位の冒険者が多いとどうしても安い宿代を更に引き下げさせようと脅迫紛いの交渉に出る者も出る。それだけならば何処でもある話なのだが、アスタルニアでの値引き交渉は冒険者側も店側もとにかく激しい。
「部屋も綺麗に使ってくれそうだし、静かそうだし。あ、刺し盛り来た」
「いぇーい俺いちばーん。まぁ一刀なお客さんは物動かさねぇし獣人なお客さんは寝る時しか部屋いねぇから散らかしようが無ぇけど、貴族なお客さんはちょい片付け苦手」
「マジか」
「マジなんだよコレが」
意外だ、と言わんばかりの友人たちに宿主は全力で同意し真顔で頷く。
正直客のことをホイホイ言いふらすのは良いマネでは無いが、リゼル達に関しては言いふらすというより噂話をしているに近い。周囲が際限なく喧しい酒場では大声で話さない限り隣のテーブルにも聞こえないので、身内に話す分には口も軽くなる。
「散らかってんのは本ぐらいなもんだから楽っちゃ楽だけど意外じゃん? いやそうでも無いか他の奴にやらせりゃ良いんだから」
「お前……前あの人のこと冒険者って俺らにめっちゃ言ったじゃねぇか……」
「そういやそうだ……! もう結構な頻度で忘れるっつうか混ざるっつうかそうじゃなきゃ変っつうか訳分からんくなんだよチクショウ!」
ガンッとジョッキを机に叩きつける宿主に、翻弄されているなと友人たちは指を指して大爆笑した。直接関わったことなど無いし関わる予定もないので心底他人事だ。
ただ関わりたくないのか、と聞かれれば肯定は出来ない。非日常に日々出会っている宿主を羨ましいと感じない訳ではないのだから。
「でも貴族なお客さんでマジ良かったつうか他の二人の部屋の掃除とか俺必死で終わらせるからね。居ない時にやんのは当然だけどめっちゃビクビクしてるからね俺」
「あー……黒い人はなぁ。でもあの人って有名な冒険者なんじゃん? どんくらい強ぇの?」
「一時期話題になった鎧王鮫? だっけ? あれに勝てんなら相当だろ」
港で行われた鎧王鮫を見物に行ったものは多い。
その巨体と凶悪な姿、己の顔以上に大きな牙がびっしりと生えた口内は大の大人を丸呑み出来そうな程に大きかった。動かないと分かっても近寄りがたい風貌が水の中で躍動し襲いかかる恐怖など、現実離れし過ぎてもはや想像すら出来ない。
何はともあれ相当強いだろう事ぐらいしか分からなかった。喧嘩以外の戦闘などに縁が無いのだから仕方が無い。
「貴族な人が戦ってるとこ想像出来ねぇよなぁ」
「あの人って魔法使いなんだろ? そんなら俺ギリギリ想像出来る」
「あー……一度魔法使ってるとこ見てみたいよなぁ」
元々魔法使いが少ないアスタルニアで、戦闘可能な程に魔力を持つ人間は滅多にいない。
冒険者でさえ魔法使いが実際に戦っている所を見たことの無い人間もいるので、彼らも当然魔法使いという人種に会ったことすらなかった。というか今まで冒険者相手に攻撃手段が気になるほど関心を持ったことなどない。
「お前が頼めば見せてくれんじゃねぇの?」
「いや俺一介の宿主だからね。そんな図々しい事頼める筈が無いとか今言おうとしたけど使ってんの見たことあるわ俺」
「はァ!? 何処でだよ!」
「庭で!!」
それは宿主が鼻歌交じりに裏手の庭で洗濯ものを干していた時だった。
真っ白なシーツを干すのは気持ちが良い。その浮かれた気持ちが手元に出たのかシーツは風にさらわれ手元をすり抜けた。
前日が雨だったこともありぬかるんだ地面、落ちたら洗い直しが滅茶苦茶大変、その気持ちを込めて思わず叫んだ時に巻き起こった風により今まさに地面に落ちそうになっていたシーツは空へと巻き上げられた。
そして再び手元へと戻ってきたシミ一つないシーツに、何があったのか良く分からない宿主へとふいに二階から落とされたのは可笑しそうなリゼルの声だった。
『凄い声でしたね』
その時、ようやく宿主はリゼルが魔法によりシーツを救ってくれたのだと理解した。
「こんな感じだった」
「魔法ってそんな日常的にぽんぽん使うようなもん?」
「えー、どうなんだろうねぇ。ていうか、魔法ってそんな臨機応変な使い方が出来るんだねぇ」
彼らの想像する魔法使いは決まった攻撃魔法を使うぐらいで、それは間違っていない。通常魔法と言えば攻撃魔法で、決まった形でしか発動しないものが大半だ。
攻撃魔法より相当簡単そうに見えるが、リゼルが使った魔法はそれより余程複雑な魔法構築が必要な風魔法であった。しかし宿主達は知る由も無い。
「そういや一刀な人って時々外で煙草吸ってんじゃん。凄ぇモン吸ってんぞ、あれ金貨何枚かすんじゃねぇの?」
「げっ、あれか! アレ吸ってる奴って成金くせぇイメージあんのに」
「嫌味無く似合っちゃうから凄いよねぇ。一回どっかにもたれて吸ってるの見た事あるけど、男として素直に負けを認めるしかないっていうか、足長ぇよっていうか」
何故か自慢げにニヤついている宿主は、少しぬるくなってしまったエールを飲み干した。
汚れた皿を何枚も積み重ねて忙しなく横を通り過ぎようとする店員を呼び止め今度は地酒を注文すると、それに便乗するように友人たちからも酒とつまみの注文が飛ぶ。
その時、ふいに少し離れたテーブルから一際大きい歓声が上がった。先程ドヤ顔していった冒険者の一行が飲み比べを始めたようで、宿主たちも周りと一緒になってイッキコールで盛り上がる。
「しっかし冒険者は良く食うよなぁ! 動いてんだから当たり前っちゃ当たり前か」
「仕入れも仕込みも家族総出だからねぇ。うちは朝食だけだけど、人数もいるし朝から量も食べるし用意は大変だよぉ」
「そんなん言うならうちだって大変だっつうの獣人なお客さん凄ぇ食うし。あの人どこにあんなに入んの?」
友人らはあまりピンと来ていないらしい。
確かにイレヴンに大食いのイメージはなかなか持たないだろう。鍛えられてはいるが細身であるし、むしろ食べるのが面倒だと不健康な生活を送っているイメージすらあるようだ。
宿主も最初はそう思っていた。初めての食事の時の連続おかわりの衝撃は今でも忘れられない。
「量だけ食べるなら楽だけど味が悪いと食べねぇしお客さん滅茶苦茶偏食過ぎて凄ぇ大変! 好き嫌い激しい! 野菜とか磨り下ろして混ぜても食べないからねあの人!」
「おい変なスイッチ入ってんぞ」
「客の好き嫌いなんて放っておけば良いのにねぇ」
「一刀なお客さんは肉さえあれば良いし! 何でも食べてくれるけどあの人絶対肉がありゃそれで良いし! 栄養バランス俺一生懸命考えてんのに!」
「おい肉食ってりゃあの身体が手に入るらしいぞ!」
「良っしゃ、おい兄ちゃんステーキ持って来いステーキ!」
「俺の味方はもう貴族なお客さんだけ! バランス良く綺麗に美しく優雅に食べてくれるし味わってくれるし味の感想も言ってくれるし!」
酔っ払って来てテンションが高まり始めたのか、勢い良くそう告げて宿主はガッと地酒の入ったグラスを鷲掴んだ。そしてそのまま一気に飲み干すと、友人らから煽るような声が飛んだ。
半分ほど飲み干し、勢い良くグラスをテーブルの上に戻して再び言葉を続ける。
「それに好き嫌いも無ぇし!」
「へぇ、あの人好き嫌い無ぇのか。意外っつうか納得っつうか」
「無……ッ」
無い、といいかけ宿主はピタリとその動きを止めた。
確かに今は無い。リゼルは何を出そうと何でも食べる。
恐らく中には苦手なものもあるかもしれないが、食べられない程に嫌いというものは無い筈だ。文句を言ったことも無ければ食事を残したことも無い、嫌そうな顔をして食べている所も見た事が無い。素晴らしい。
しかし、宿主は知ってしまった。今は問題無く食べられるが、リゼルにも昔は苦手な食べ物があったことを。
『……やだ、やどぬしさん』
宿主は机に崩れ落ちた。
「お客たんだと食べられないぃぃいい!!」
「ぶっ壊れた!」
「水かけろ水!」
容赦なく水を浴びせられた宿主は少し落ち着いた。
その直後にやり返そうとしたら店員に怒られたが全員で椅子の上に正座して謝った。
しかし直ぐに何事も無かったかのように飲みながら話を再開させるのだから彼らに反省の文字は無い。
「いやさぁ最近ちょっと小さい子供を相手にする事があってさぁ」
「それ貴族な人のことだろ、俺見たぞ!」
「何かちっさくなったって話は聞いたけど、何マジで子供になってんの? 冒険者凄ぇなぁ」
平然と外に出ていたのだから当然だが、小さくなっている時のリゼルを見た者も多いようだ。冒険者の間で噂にもなっていたし、知っている人間も多いのだろう。
知っているなら話は早いと宿主はポリポリ漬物を齧りながら、既に酔っ払って赤くなった顔をでれでれなものにする。かつての奴隷時代に彼がリゼルへ見せていた顔だ。
「いやぁ良いよなぁ貴族なお客たん滅茶苦茶可愛かったからねマジで。ふわふわにこにこってしててさぁデザート作ってあげるとちょっとほっぺた染めて『ありがとうございます、やどぬしさん』って嬉しそうに言ってさぁ」
「ようやく子供の可愛さが分かったかこの野郎! 子供は可愛いんだよ!」
このテーブル内で唯一の子持ち(一人娘/二歳)である男が全力で同意する。
普段から娘を溺愛しており、事あるごとに娘が可愛いと真顔で告げる友人を宿主は心底鬱陶しく思っていたがその気持ちが今ならば分かる。可愛いものは可愛いしどこまでも自慢したい。
それはもう緩み切った顔がうざいとばかりに顔面に手拭きを投げつけられても笑顔で受け入れられる程にでれでれだ。六個目で若干キレて投げ返したが。
「絶対さぁ一刀なお客さんか獣人なお客さんの部屋にいんだよね! お昼寝してる間に一刀なお客さんが部屋からちょっと出てた時なんて途中で一回起きた時にそれに気付いてさぁ、きょろきょろした後にお客さんが置いてった上着見つけて握ってまた寝始めたからね!」
「あざとい!」
「あざとい!」
「お風呂出た後とかどうしても眠くなるみたいでさぁ、大抵どっちかに抱っこされてるけど眠くてぐずるみたいにおデコ抱っこしている相手に擦りつけるんだよねコレね! 前獣人なお客さんがその時のお客たんに『おやすみのちゅーは?』って言ったら、うとうとしながらおデコ上げてちゅー待ちしたからねマジで!」
「あざとい!」
「あざとい!」
「そしてお前がキモイ!」
取り敢えず宿主はキモイ発言した人間を一発殴った。
もはやテンションが留まる所を知らない彼らを止めるものは無く、爆笑しながら殴り合っていたらついに三度目の店員による説教を食らった。椅子の上で正座したが完全に酔っ払った奴らは何人か転がり落ちた。
次何かやらかしたら追い出すとの言葉にしっかりと頷き、説教からの解放に無駄に歓声を上げてもはや誰のものかも分からない酒へと口をつける。何人かはこの時点で既にパンイチだった。
「つか何で俺らあの人らの事ばっか話してんだっつうの!」
「ネタ尽きねぇもん! ネタ尽きねぇもん!」
「何つーの!? 知ってるだけで優越感っつーの!?」
「どんだけだっつーの!」
本日何度目かの乾杯を行い、もはや覚束ない手元でグラスを呷る。
宿主は楽しくて仕方が無い。気の合う仲間と酒を交わし、共通の話題で言葉を交わせているのだから。
ナハスから冒険者を宿泊させたいと言われた時は驚いた。そして現れた三人に更に驚いた。
しかしリゼル達を泊めた事に後悔したことなど一度たりとも無く、もし今後去って行ったリゼル達が再び泊まりたいと言うのなら喜んで迎え入れる自信がある。宿主の日常を非日常の知らない世界に変えてくれる三人を、例え冒険者に見えなくとも怖くとも好き嫌いがあろうとも好んでいるのだから。
「良っしゃそろそろ二軒目行くか!」
「うぇーい!」
「俺凄ぇ漬物食べたいとにかく漬物食べたいしょっぱいの食べたい」
「お前さっきから漬物ばっかポリポリポリポリ食ってんだろうが!」
店員を呼び、迷惑料込みの料金を払い席を立つ。
まだまだ夜中にすらなっていない時間だ。恐らく三軒目・四軒目と今日は飲み歩くことになるだろう。
騒がしい店を出ると一転してその音は遠いものとなり、何処かで魔鳥の鳴く声も微かに聞こえた。アスタルニアの国民ならば聞き間違いのないその声に、同じく昔からの付き合いである一人の男を思い出す。
「そういや凄ぇ今更だけどナハスいねぇな」
「誘ったけど来ねぇって。あの魔鳥馬鹿曰く週に一度の全身ブラッシングの日らしいぞ」
「あいつは本当に気持ち悪いねぇ」
星空の下、大きな声で笑いながら宿主達は次の店は何処にしようかと適当に歩き始めた。
「ふぇーい三軒目行くぞてめぇらー!」
「ふぇーい! まだまだ飲むんだぞこらー!」
「あ、宿主さん。偶然ですね」
「ちょっと待って心の準備とか色々足りないんで俺何で上着てないんだっけ何処に置いて来た!? お前ら誰か俺の為に犠牲になって上寄越……ほらオール土下座祭り再来してるしね! 今日のお客さんちゃんと冒険者仕様じゃん! 一応冒険者仕様じゃん何で拝んでんの! 分かるけど!」