軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

103:国王曰くマジギレ顔

アスタルニアが誇る白亜の王宮。その中でも足を踏み入れる者が限られる奥に存在する、短い階段を下りた先にある書庫にリゼルはいた。

所狭しと様々な本棚が雑多に置かれている空間の真ん中に、ぽかりと開いたスペースに机が置かれたのは書庫が作られた時ではなくつい最近の事だ。その机にある一つの椅子に座り、少しも崩れることのない美しい姿勢で彼は読書をしている。

隣にはジルが座り無感情にリゼルが何処からか持ってきた本をめくっており、向かいではアリムが唯一存在する古代言語の書物をペンを片手に読みふけっていた。そのペンは時折止まったりもしながら隣に積まれた用紙に本を読み解く為のメモを残しているが、見ていれば悩みながらも読み進められているのが分かる。

リゼルは視線だけで時折それを窺っていたが、ふいに顔を起こし考えるようにゆるりと微かに首を傾げる。その様子を隣のジルが一瞬ちらりと確認したが、そのまま本へと視線を戻していた。

「そろそろ大丈夫そうですね」

穏やかに告げられた言葉にジルは無反応なまま、しかしアリムはぴたりとペンを動かす手を止めてゆるゆると顔を上げた。微かに擦れる音をたてながら布の塊がごそりと動く。

「そう、かな」

ぽつりとそう零したアリムは、唐突に送られた言葉の意味をきちんと理解している。

それはリゼルによる古代言語の教授の終了を示していた。確かに古代言語を用いた会話などはまだまだ不可能だろうが、書いてある文字程度ならば余程内容が難解ではない限り読む事が出来るようになった。

つまり“人魚姫の洞”の最深層の扉を開ける程度ならば充分で、当初の目的は達成したという事だ。確かにリゼルに此れ以上の教授を続ける義務は無い。

だからといって納得して素直に送り出せるかと言われれば別問題なのだが。

「先生、本はもう全部読んだ、の」

「いえ、実はまだなんです」

苦笑するリゼルに、アリムは緩やかに肩の力を抜いた。

ならばリゼルはまだこの書庫を訪れる理由がある。本に関してはリゼルと同類なアリムにも、読みたい本を前にして読まずに去る選択肢など存在しないのだから理由としては充分だ。

ならば自分がすべきことは一つだけ。リゼルがこれからも書庫を訪れる為の大義名分を用意すれば良い。

「なら、書庫はまだ、自由に使って良い、よ」

「良いんですか?」

「うふ、ふ」

アリムは思わず笑みを零した。此方が示すべき大義名分がすでに準備されているのだから、自分はただ彼の意図を汲めば良い。

それは穏やかな命令に似ているのかもしれないと思うのは妄想が過ぎるだろうか。叶えられないならばいらないと、そう告げられるのを望み過ぎて。

準備されたものに気付かずただ許可を出すだけの人間ならば、目の前の穏やかな人にとっては自分が例え王族だろうと必要のない存在に成り下がるのだろう。

「国家機密を知る人を、野放しに出来ない、から、ね」

そして褒めるように目を細めて微笑まれ、アリムは無意識に机の上に乗せた両手を組む。

ゆっくりと指を絡ませるそれはただの仕草のようでいて、まるで何かを捧げる仕草でもあった。それが何かなど、アリムにもはっきりとは分からない。

しかし王族として生まれたからには本来ならば生涯抱かない感覚を伴って行われたそれに、不快感や疑問すら少しも湧きはしなかった。

「随分とはっきり言うんですね」

「先生は、隠しても気付く、から」

髪を耳にかけながら微笑むリゼルに、彼らしいとアリムは笑みを深める。

国家機密、つまり国の軸となる魔鳥騎兵団の根幹である魔鳥を従わせる方法。

疑問には思っていたのだ、リゼルがそれを解明したとしてアリムに知らせるメリットは余りにも少ない。掴み所のないリゼルなので理由ははっきりとしないが、彼らしくただ解明したのは知りたかっただけでアリムに開示したのは答え合わせであっただけなのだろうと疑問に思いつつも納得していた。

恐らくそれも間違いでは無いが、しかし一番の目的は今この時の為なのだろう。読みたい本を読み切る前に終わってしまう教授から続き、自らが書庫へと訪れるに足る理由を作る為の。

「あ、そういえば」

ふとリゼルがその手を隣へと伸ばしながら告げる。

ちょうどジルが捲ろうとしてたページを押さえ、数十ページ先へと飛ばす。丁度一章分ページが飛んだのを、どうせ自分が読んでも興味を引かない部分だったのだろうとジルは気にせず捲られたページから再び読み始めた。

「教授を終えるなら、ようやく報酬を貰えますね」

「? 先生が、欲しい物があるなら、用意させる、けど」

あまりにも何てこと無いかのように言うリゼルに、アリムは何が良いかと考えながらも違和感を感じていた。無償で動く人間には見えないが、わざわざ見返りを求める人間にも見えない。

不思議そうなアリムにリゼルは可笑しそうに笑い、開いていた本を閉じた。

「違いますよ。ギルドに、です」

「ギルド……ああ、情報提供に対する、報酬のこと、かな」

頷いたリゼルに、そういえば冒険者にはそういった制度があったかとアリムも数度頷く。リゼルが冒険者には見えない為にすっかりと忘れていた。

随分と今更だが、教授にどれ程の時間と手間がかかったかで報酬も変わって来るので保留となっているようだ。それなりの時間を拘束しての教授であったし、長年未踏破であった迷宮の踏破への重要な鍵であったりもするしで結構な報酬を貰えるのではないだろうかと、そう考えているアリムの前でリゼルはゆるりと微笑む。

「ジル、報酬ってやっぱりお金ですよね」

「それしか聞いた事ねぇな」

「ですよね。どうしようかな……今回は結構特殊なケースだし、金銭以外の報酬も有りとかにならないでしょうか」

隣へと向けられていたリゼルの瞳が、真っ直ぐにアリムの見えない筈の瞳を見た。

「この書庫の利用権とか」

「……ん、あれ」

王族(アリム) の許可はどうやら貰えるようだし、と考えるように告げるリゼルにアリムはそれは先程解決したのではと緩く首を傾げる。重要人物の監視という上辺だけの大義名分は他ならぬ彼によって用意されていた筈だ。

そんなアリムの内心を見透かすように、リゼルが少し悪戯っぽく笑って見せた。

「俺もギルドを通さず王宮に出入りしたら面倒が増えそうですし、そういった面倒はギルドに押し付けちゃおうと思っています。だから報酬としてギルドと交渉してみようと思いまして」

成程、とアリムは頷いた。

彼にしてみればリゼルが再び書庫を訪れる事があるならば何でも良い。

「それに」

ふいに、リゼルの甘さすら感じさせる穏やかな瞳が色を濃くしたように感じてアリムは目を離す事が出来なくなった。高貴な色が見え隠れする瞳に魅入る。

向けられる微笑みが、やけにゆっくりと形作られていくように思えた。

「冒険者を簡単に王宮に入れては、殿下の立場が悪くなってしまうから」

アリムの握った両手に力が籠る。静かに深く息を吸い、ゆっくりと吐く。

リゼルが王宮の書庫を利用しようと思えば、恐らく機密を暴かずとも方法など幾らでもあった筈だ。それなのにこの方法を選んだ。リゼルが用意した大義名分は彼自身の為ではなく。

「う、ふふ。優しい、ね、先生」

「そんな事、あまり言われたこと無いですけど」

苦笑するリゼルに、握っていた手を解きスルスルと布の中に引き込んだ。

知っている、と内心で呟く。ただ優しい人では無いことぐらい。だからこそ自分だけに与えられた優しさにこれ程までに心揺らされるのだから。

布の中に戻した両手を何処かぼんやりと見下ろし、ゆっくりと数度握っては開きを繰り返した。そうする事で徐々に平静を取り戻していく感情を、少しだけ惜しく思いながらアリムはゆっくりと笑みを浮かべる。

「この書庫に、機密を解き明かすだけの価値があるって思ってくれて、嬉しい、よ」

他の人間はなかなかこの書庫の価値に気付いてくれない、と言いたげなアリムにリゼルは可笑しそうに笑う。それは当たり前だと告げるような笑みで、隣に座るジルは本馬鹿が二人いると至って冷静に呆れた。

「解き明かすと言っても、完全に自力かと聞かれると頷けないですけど」

「自力でも、驚かない、よ」

「本当ですってば」

心底真剣な声色で告げられ、思わずリゼルも真顔で返す。

何故いきなり信じて貰えなくなったのか。過大評価され過ぎではと思ってしまう。

「ほら、魔鳥騎兵団って広く定義をすると 魔物遣い(テイマー) でしょう?」

「そう、だね」

リゼルはほのほのと微笑み、告げた。

「やっぱり魔物遣いの最高峰って呼ばれた人の最高傑作を知ってるのは、随分と参考になりました」

アリムは数秒考え頷いた。

ナハスの報告によりマルケイドの大侵攻の事情は把握している。それにリゼルがどう関わったのかなど知らないが、魔物遣いの真髄に触れる程度には事態に関わったようだ。

「ああ、彼、ね。面白い研究書を書く、よね」

「読みにくいですよね」

「読みにくい、ね」

朗らかに笑いながらも、リゼル達は正しく彼が天才なのだと知っている。

魔法大国である 国(サルス) 一番の魔法使いの異名も、魔法技術の開拓者の異名も、決して大げさなものでは無いのだから。そうでもなければあれ程大規模な魔物を操る術に辿りつける訳が無い。

「先生、会ったんだよ、ね。どんな人、だった?」

「そうですね……研究書の通りって人でした」

「なら、興味無い、かな」

何だかんだでジルが感じた通りアリムもリゼルと同種の本好きだ。本の通りと言われればある程度どういった人種か想像がつく。

静かに布を掻き分けるように外へと褐色の腕を伸ばし、アリムは机に置いていたペンを再び握った。リゼルが関わったのならと聞いてみたが、やはり興味は湧かない。

リゼルはそれに可笑しそうに笑い、自らも閉じていた本を開きながら頬に落ちる髪を耳へとかける。

「最後に見た彼がぐちゃぐちゃだったので、正直そっちのインパクトが強くて」

「……ぐちゃぐちゃ?」

「はい。イレヴンがやり過ぎちゃって」

清廉で穏やかな顔から出る若干えげつない発言に、しかしアリムは納得する。

恐らくリゼルの前でそういったやり過ぎた行為は控えるだろうイレヴンが、しかし其処まで相手を破壊したのならば余程気に入らない事があったのだろう。それがリゼルに手を出された所為だというのは想像に難く無く、ならば仕方が無いとアリムもごく自然にそう思う。

しかし一体何があったと言うのか。会った事など無いが例えどれ程に天才の名を欲しいままにしていようとリゼルが苦戦している姿など全く思い付かない。上に立ち、相手を対等にすら置かない姿が良く似合うとぼんやりと思う。

「先生、なにか、された?」

「された、というか」

ちらりとリゼルが隣を見る。ジルと目が合い苦笑した。

いつまでも引き摺るような男では無い癖に、からかう様に反省を促す視線を向けて来るのだから意地が悪い。

「少しの間使役されました」

アリムの表情が抜け落ちた。

昼下がりの冒険者の少なくなったギルドで、ベテランである筋骨隆々なスキンヘッドの職員は遠い目をしながら目の前に立つ穏やかな男を見ていた。

清廉な雰囲気を惜しげもなく漂わせ、洗練された仕草は品があり、しかし接してみれば意外と話しやすく穏やかな微笑みに行儀が良くなる他の冒険者も多い。

そうでありながら何故だろうか。度々他のどこぞで暴れてくれる冒険者や問題児な冒険者とは比べ物にならない衝撃をギルドへと運んでくるのもまた彼なのだ。

「ということで、王宮の書庫の使用権が欲しいんです」

運ばれてくる衝撃は、しかしギルドへ被害を与えるどころか有益を齎すのだと知っているだけに何も言えない。だからこそ遠い目をしていた。

ギルド側からしてみれば国との決裂しようのない交渉というのは願っても無い絶好の機会で、これを機に友好的な協力関係を築けたのだという証明にもなる。しかもその交渉内容が当の攻略に関係する事柄であれば、自然と互いへの過度な干渉を避けることも出来る。

多額の情報提供料を払わなくても良いしギルドにとっても理想的な報酬だ。

「お前は意外と容赦無ぇんだよなぁ……」

「さっき優しいって言われたばっかりなんですが」

失礼なと苦笑するリゼルに、職員は頭を抱えるようにスキンヘッドを撫でる。

何と言うか、リゼルの与える配慮には容赦が無いと職員は思っている。与えた好機も活かせて当たり前だと言う前提があり、彼を優しいと称する者達がいるのならばまるで試すように与えられたそれを容易にこなせる者ばかりなのだろう。

ぽんっと用意されるこれ以上ない好機に喜ぶ以前に、これから上から下への大騒ぎとなるギルドを思うと素直に喜べないのは贅沢なのだろうか。いや、正当な権利だと思う。

「じゃあ宜しくお願いしますね。報酬、楽しみにしてます」

にこりと笑う顔は断られるとは微塵も思っておらず、事実断らないのではなく断れないのだから当然か。既に当の第二王子に了承を得ているのだからギルドは断りようがない。

それでも迷惑だと思わないのはギルドに有益だからではなく、冒険者らしくない冒険者が色々やらかす度に楽しんでいるからなのだろう。当初抱いていた苦手意識などとっくに消え去っているのだから。

やれやれと腕を組み、待たせていた黒い背と共に去って行く姿に声を張り上げた。

「せめて何かすんなら前もって言えよ。フォローもしてやれねぇだろうが!」

振り向いて礼を言うようににこりと笑ったリゼルが扉の向こう側に消えて行く。

それを見送り、すぐにでもギルド長に話を通さなければと職員は近くの職員にその場を任せてギルドの奥へと歩を進めた。

「ジル、これからの予定は?」

「特に無ぇから買うモン買おうと思ってた」

「ついて行っても良いですか?」

「ああ」

冒険者はとにかく色々な物を買ったり売ったりする職業だ。

リゼル達は使っている道具が質の良い迷宮品であったりするので日々道具を買い足している訳ではないが、それでも必要となる消耗品はある。冒険者歴の長いジル達がほとんど準備してくれるのでリゼルは冒険者らしい買い出しはしていないが、エレメントの水を採取する為のビンなど依頼達成に必要なものを用意したりする事は多い。

「最近また少し暑いですよね」

「着てるもんが暑そうだからな」

「黒いジルに言われたくありません。これ生地は薄めなんですよ」

あまり露出を好まない、というより慣れていないリゼルは半袖すら着ないのでこの温暖なアスタルニアでは望んだ服は手に入りにくい。

今着ている普段着も、一応暑いは暑いのかパルテダにいた頃に比べればゆったりとしているが首元と手首の露出が増えた程度だ。それでも暑そうに見えないのは纏う空気のお陰か。

「装備みたいに着心地の良い服が……あ、素材を持ち込んで作って貰うのも有りですね」

「止めとけ」

最上級の素材で作られる普通のシャツ。確かに軽くて暑さ寒さに強いだろうが、それはもはや装備と何が違うのか。

職人も最上級素材を任せられたと喜べばよいのか、普段着を作れと言われたことに対して怒れば良いのか分からないだろう。

「ジルも暑そうだし、良いかと思ったんですけど」

リゼルは残念そうに言い、何も不自然さを感じさせないままに一つ瞬いた。

直後、通りを強めの風が通り抜けて行く。細かい飛沫を含んだ風は日差しに焼かれる体を冷ますように涼しげで、通りにいた人々は誰しも動きを止めてわっと歓声に近い声を上げた。

一瞬の出来事に、一体なんだったのかと楽しげに言葉を交わす人々の間を歩きながら呆れたように言う。

「お前、変な魔法の使い方すんな」

「そうですか? すごく有意義な使い方だと思います」

可笑しそうに笑う顔を見下ろし、ジルが片手を持ち上げた。

リゼルは自らの額に翳されたその手にペシリとやられるかと思いながらも、遮られた太陽光に心地良さを感じて目を細める。しかし予想していた手の甲の感触は来ず、感じたのは微かな飛沫に少しだけ張り付いた前髪を掬うように動く指先の感触だった。

暑さが紛れた礼なのだろう、離れて行く手に礼を告げながらリゼルは問いかけた。

「何処の店に行くか決まってるんですか?」

「目に付いた店に入りゃ良いだろ」

「なら行きたい店があるんですけど」

好きにしろと頷いたジルに、リゼルは辿りついた大通りを確か此方だと歩を進めて行く。

一度港まで歩き、港沿いをしばらく進んで再び街中へ。覚えのある道筋にジルは納得したような呆れたような声を零した。

以前来たのはインサイがアスタルニアへ訪れた時だった。欲しい物を何でも一つ買ってやると爺心全開になった彼が、リゼル達の自重しない要求に足を運んだのがこの界隈だ。

木造の開放感あふれる家が大半を占めるアスタルニアにおいて石造りの重厚感ある建物が並ぶ場所で、良いものを扱う店が多い。とはいえパルテダの中心街のように敷居の高さは無いので、人々の往来は他の場所と変わりなく賑やかだ。

「前に商人さんから此処にも冒険者向けの店があるって聞いたんです。品ぞろえは良いけど消耗品はうちのが安いから行かなくて良いって言ってました」

「来てんじゃねぇか」

「俺の本命はその店じゃ無いので」

どうやらこの辺りに行きたい店があったらしい、とジルは歩き出したリゼルに続く。

別に買う物が買えれば店など何処でも構わない。

「前にインサイさんと来た時は凄かったですね。次々に店の店主が出て来て接待してくれました」

「腐っても貿易主だからな」

商業国きっての貿易業トップの名は伊達では無い。

最終的にそんな彼に案内をさせる程の貴族という肩書が知らない間にリゼルに与えられていた。またインサイがリゼル達にねだられるままに色々買い与えるものだから余計に誤解され、その誤解が数日間続いていた事をリゼル達は知らない。

「あ、多分此処です」

ふいにリゼルが足を止めた。

港からすぐの場所にあるその店は、なかなか繁盛しているようだった。値段が高めというので訪れる冒険者はランクが高いのかと思いきやそういう訳でも無いらしい。

勿論上位の冒険者もいるだろうが、良い道具はそのまま自らの安全へと直結する。これだけは良い物を、と思い求める冒険者も多いのだろう。

店に入ると、客として訪れていた冒険者達に二度見された。気にせず近くの棚に近付いて行く。

「そういえば何を買いに来たんですか?」

「魔物避け」

魔物避けは完全に魔物を近寄らせないようには出来ない。

しかし近寄りたくないと思わせるぐらいの効果はあるし、此方が動きまわっていれば効果はほとんど無いが夜寝る時に使えばそれなりに効果を発揮する。時々夜も迷宮に潜りっぱなしのジルも仮眠ぐらいはゆっくり取りたいので魔物避けを利用する事が多い。

当然野営でも使っていたのでリゼルも見た事がある。近くの棚には無かったので、さて何処に置いてあるのかと店内を見回した。

「ジルが使ってるのってキャンドルみたいな奴ですよね」

「その女々しい言い方止めろ」

顔を顰めるジルに可笑しそうに笑い、時折立つ冒険者を避けながら棚の前を移動する。

ジルが使っているのは瓶に魔物避けの芳香を放つ蝋が流し込まれた物で、火を付けると香りを漂わせながら蝋燭のように少しずつ溶けて行く。リゼルの言うキャンドルも決して間違いでは無い。

「イレヴンは余り見ないの使ってますよね。木を編んだボールに、火種を入れて煙を出すような……あ、でも彼の実家にそれの大きいのがぶら下がってましたっけ」

「お前良く覚えてんな」

魔物避けが並ぶ棚を見つけリゼルとジルは立ち止まった。

魔物避けと言っても色々ある。ジルの使う蝋燭タイプや様々な効果を持つ魔道具、基本的には魔道具の方が性能は良いが魔力コストが高い為に使う冒険者は少ない。

「あ、ジルのってコレですよね」

「ああ」

ジルが普段使っているものは、棚に一番多く並んでいる一番典型的な魔物避けだ。

他にも色々な種類があるというのに迷うことなくそれを三つ持って会計へと向かってしまう。たまには違う物を使って見るのも良いんじゃないかとリゼルは髪を耳にかけながら魔物避けを見下ろした。

ジル達がいない時に魔物に襲われる危険のある場所で休もうなどとは思わないが、一つぐらい持っているのも良いかもしれない。冒険者っぽいし。

お香のように細い棒状の魔物避けを手に取り、スンと匂いを嗅いでみる。燃やしていないからか人の感じられる香りでは無いからか、特に何の匂いもしなかった。

「ん?」

棚の上に落としていた視線をふと上げる。目に付いたのは見覚えのある魔物避けだった。

網目を作るように細い木が編まれた丸い器の中に、何かの香草か薬草かは分からないが乾燥した草花が詰まっている。それに紐が結ばれ壁にかけられ並べられていた。

手に取り、見下ろす。やはりイレヴンが使っているものに近い。

「(アスタルニア独特の魔物避け……にしては、他で見た事が無いけど)」

「おい、行くぞ」

「あ、はい」

戻ってきたジルを振り返り、後で詳しそうなイレヴンにでも聞いてみようと思っていた時だった。

ふいに店の扉が開かれる音がしてリゼルはそちらを見る。それ自体は特に誰も気にする事では無いのだが、現れた人物にリゼルは目を瞬いた。

「久々に来ると賑やかで良いわね。年甲斐も無く色々欲しくなっちゃって……あら?」

冒険者御用達の店に来るには珍しい若い女性の姿に冒険者達は機嫌良くざわめいた。

明るい栗色の髪に、少し釣り上がり気味の大きな瞳。年頃は二十代前半だろうか、可愛いというよりは美人な姿はアスタルニアの女性らしく気が強そうで、しかし見た目にそぐわぬ何処か年を重ねた女性を思わせる雰囲気が彼女をより魅力的に見せている。

同じ年頃だろう冒険者が声でもかけてみようかとニヤニヤ話している前で、女性は汗で貼りつく前髪を払う様に掻き分けた。額に貼りつくように存在する鱗が鈍く光る。

「あらあらあらなぁに? 久しぶりじゃない、元気にしてた? ちゃんと食べてるのかしら。貴方って身長の割に軽そうなんだもの、前の食事の時もほとんどうちの子が食べちゃって余り食べてなかったでしょう? 心配しちゃったわ」

「お久しぶりです、イレヴンのお母様」

「うちの子が迷惑をかけていないかしら」

「元気にしていますよ。とても良い子です」

ガンガンとリゼル達に話していく女性にまず驚き、そして母と言う言葉に周囲は絶句した。

全員容易に思い浮かべられる癖のある蛇の獣人の姿を脳内で目の前の女性と並べて見る。どうみても姉弟にしか見えず、若い冒険者らは世の無情さに崩れ落ちた。

そんな中、リゼル達は至ってほのほのと会話を交わしている。

「最近なんだか体格について言われることが多い気がします」

「お前ちょっと痩せたからな」

「え?」

「余所からアスタルニアに来た人に多いみたいね、心配しなくてもちゃんと三食食べてれば自然に戻っていくわよ! ちゃんとお肉食べてる? お魚だけじゃ駄目よ? おばさんが何か作ってあげましょうか?」

どうやら自分では自覚はない程度に体重が落ちているらしい。

確かに温暖な気候に食欲も少々低下していたかもしれない。それでもそれなりの量は食べていたし、事実体調を崩した事もなければ体力が落ちる事も無い。

アスタルニアに来てイレヴンの母親の言う通り肉より魚を食べる機会が増えたと言うのもあるのだろう。ジャングルで獲れる獲物の肉も美味いが新鮮な海の幸は此処でしか食べられないのだと其方ばかり食べていた。

「それならジルも……君は何処にいても肉料理ばっかりだし変わりませんね」

「暑ィんだから食わなきゃ動けねぇだろ」

「男の子はそれで良いのよ」

イレヴンの母親は快活に笑い、よいしょと肩にかけた大きな荷物を床に置いた。

それに気付き、リゼルは立ち話をさせてしまったかと謝る。余りにも軽々と持っていた為に大きな布の鞄の中には何も入っていないのかと思っていたが、置いた拍子にカリカリと何かが擦れ合う音がしたので中身が詰まっていたようだ。

しかし余裕で持っている、どころかそれを持って恐らく半日かけて家から歩いて来たあたり流石は獣人と言えるだろう。

「荷物を持ったままお話させてしまいすみません」

「良いのよ、重い物は入ってないんだから。ほら」

広げられた布鞄の中には魔物避けが詰まっていた。先程壁にかけられていたものだ。

「作った魔物避けをこの店に卸してるのよ。有難いことにそこそこ売れてるみたいだし、頼まれた分を作って遊びに来がてら持って来てお小遣い稼ぎって所かしら。趣味みたいなものね」

成程、と頷いてリゼルは同時に納得する。

実家へと案内する時イレヴンが魔物避けの香りを辿ったが、他者が使用している魔物避けの可能性は完全に除外していた。頻繁に迷子になる夫の為というのもあるのだろう、彼女が一点物の香りを持つ魔物避けを作って燻らせていたようだ。

「これって、やっぱりどの材料が使われてるかは秘密ですよね」

「あら、ネルヴが知ってる筈だから聞いてごらんなさい。あの子が家を出る時に教えたもの、忘れてなければ教えて貰えるわ」

忘れてないでしょうね全く、と唇を尖らせる彼女は知らないのだろう。

イレヴンは今も母親に用意されただろう魔物避けを使っているのだ、消耗品である筈のそれを使い続けているのだから忘れている筈が無い。

微笑んだリゼルとは裏腹に、こういう所良い子ぶるよなというのはジルの談だ。日ごろの行いが悪いのだから仕方が無い。

「そういえば、以前イレヴンのお父様に会ったんです。その時は本人だって確証が無かったのできちんと御挨拶出来なかったんですが……」

「気にしないで良いのよ。そういえばあの人も前に“品の良い子に道を教えて貰って帰って来た”って言ってたわね、此方がお礼を言うくらいだわ」

手をひらひらと振りながら笑うイレヴンの母親に、それなら良かったとリゼルも頷く。どうやら無事に家に辿りつけていたらしい。

そうしている内に彼女が店長に呼ばれたので、余り店内で長話も何だろうと話を切り上げた。よいしょ、とやはり声を零して荷物を肩にかけなおす女性にリゼルは微笑む。

「宿の場所をお伝えしておきますね。イレヴンが今日宿にいるかは分かりませんが、良ければ寄って下さい」

「あら、帰りにでも是非寄らせて貰うわね。有難う」

やはり特別息子の顔を見に来たという訳ではないようだが、会えれば嬉しいのだろう。

綻んだ笑みは優しく、年若さを忘れてしまうような母親の顔をしていた。

リゼルがこの界隈に来た目的は一軒の店だった。

以前酒場で席を共にした作業員が言っていた、何故かリゼルの竿にかかってくる毒持ちの魚が食べられる店だ。やや早いが夕食にでもと訪れ、所々布で仕切られた個室風の席で目当ての魚に舌鼓を打っている。

特別美味しいと言う訳でもないが普通に美味しい。

「肉も頼んだ方が良いんでしょうか」

「食いたいモン食えば良いだろうが」

イレヴンの母親の手前流していたが、やはり微妙に気にしているらしいリゼルにジルは呆れたように溜息をついた。冒険者らしさを手に入れたいのは分かるが、別に見るからに体力無さそうな程に貧弱な訳でも無いのだから良いのではないか。

この顔で筋骨隆々でも違和感が有り過ぎる、と唐揚げにされた毒魚を口に放り込みながら向かいに座るリゼルを眺める。

その視線に気付いたリゼルが、ふっとジルの空になったグラスに目を向け机の上に置かれている酒瓶を手に取る。強く辛い地酒は魚料理と良く合った。

「ジル」

「ん」

手酌で充分だというのに、人に尽くす事など知らない筈のリゼルは何処からかこんな知識を手に入れてきた。初めてされたのはパルテダの宿で晩酌をしていた時か、飲めないが時折付き合うように席を共にするリゼルがいかにも慣れない手付きで酒瓶を手に取り酌をしてきた。

とにかく違和感が有り過ぎる行動にジルは一瞬固まった。本人がやりたそうなので好きにさせている内に慣れたが、しかし今でも心底似合わない真似だと思う。嫌ではないが。

「しかしお前は本の為に良くやるな」

「書庫のことですか? あれだけ魅力的な場所ってあまり無いと思います」

「お前んトコの書庫があんだろうが」

「あそこの本は、もうほとんど読んじゃってるので」

リゼルの所の書庫、それは元の世界にある公爵家の書庫の事だった。

大図書館の異名を持つその書庫は、まるで美しい塔のような姿で公爵家敷地内に存在している。それだけでも書庫としては異例なのだが、中はというと塔部分よりも広い地下が更に下へ下へと伸びているのだから蔵書数は計り知れない。

話に聞いているその書庫に、幼いころからどれだけ読み続ければ読み尽くせるのかとジルは常々思っている。ちなみにリゼルが本気だして本を読んでいる時の速度はかなり早い。

「アスタルニアの本って物語がとにかく多いんですけど、王宮の書庫は東にあるっていう群島から入って来る本もあって面白いんです」

「そうか」

「ほら、前にも言ったでしょう? 特に古代言語が使われていた時代から存在した戦闘を主流とする民族の本とかもあって、口伝で残されていた話が本にされたのか比較的新しい本なんですけど」

グラスの中で透き通るような音を立てて揺れる酒を一口含みながら、ジルは相槌を打つように頷いた。こうなったリゼルは止めようとしないと止まらない。

しかし楽しげに話す姿を止めようとは思わず、ジルは口元に小さく笑みを浮かべながらリゼルの穏やかな声に同意を返してやった。

ちなみにその頃のイレヴンは運が良いのか悪いのか宿にいた為に母親の急襲を受けている。

「何で母さんいんの? ああ、行商?」

「ネルヴ! ほら、アンタ宿の人にお世話になってるんでしょう? お土産買って来てあげたから渡しておくわね。全くあんたはたくさん食べるんだから、きっと用意が大変でしょう。あら貴方が宿の人ね、全く手間のかかる子でご迷惑をかけているでしょう?」

「え? 何!? これ何!? あ、どうも。じゃなくて何!? 誰!?」

「ほら今日は母さんが夕食作ってあげるからね。アンタの好きな料理の材料買い込んで来たんだから。あ、アンタのリーダーさんにも食べさせてあげなさい! たくさん作り置きしておくからね、一度に食べちゃ駄目よ!」

「あ、リーダー会ったんだ」

「ごめんなさいね、ちょっと台所を借りるわね」

「あ、はい、そっち台所です……………………母さん!? 姉さんじゃなくて!?」