軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

101:何か落ち着かなかった

昼食の後、リゼルの意識は今まではしていた食休みではなく本へと向いていた。

膝の上で寛ぐこと無くもぞもぞと動き、降りようとする体をイレヴンはどうしたのかと捕まえる。

「リーダーどったの」

「本、みにいきます」

「休憩しなくても平気?」

「はい」

此方を見上げこくりと頷いたリゼルに、子供と関わった事がないイレヴンは果たして本当に平気なのだろうかと確認するようにジルを見た。当然の如く意味が無かった。

降りたい降りたいともぞもぞ動いている体を片手で容易に捕まえたまま、もう片方の手でリゼルの腹を撫でてやる。休んだ方が良いのだろうか、いや本人が行きたがってるし平気なのだろうか。

イレヴンはしばらく悩んだ後、まぁ良いかと頷いて立ち上がった。どうせ抱いて運ぶのだから、休むのも出掛けるのも一緒だろう。

「イレヴン、いきますか?」

「はいはい、行きますよー」

「いってきます、ジル」

告げられた挨拶にジルは頷くだけで返す。

そして去って行く二人の背を見送り、しかしコイツは床に下ろさないなと溜息をついた。

目的地は海の方角にある。イレヴンは幼い体を抱きながら機嫌良さそうに歩を進めていた。

海へ向かう広い通りには両側に露店や屋台が並び、賑やかな声が飛び交っている。必然的に人通りは途切れることなく、今もすれ違うたびにリゼル達の姿は二度見されているが二人は気にしない。

「リーダー何か欲しいのある? 買ったげる」

「んー……ないです」

きょろりと周りを見渡し、ふるりと首を振るリゼルは遠慮している訳ではない。これで欲しいものがあったら素直にアレが欲しいと指差していた筈だ。

その指の先にあるものが何であろうとどれ程高価なものであろうとイレヴンは戸惑いなく買ってやるだろう事は想像に難くない。子育てに向かない男だ。

恐らく今は本に意識が向いているだろうし他に欲しいものなど易々と出てこないのだろうと頷きながら、イレヴンは一軒の石造りの店を見つけた。それは以前、鎧王鮫の鱗の加工を頼んだ店でもある。

「ちょっと寄り道して良い?」

「はい」

出来たら届けると言われてしばらく経つ。出来たらラッキーぐらいにしか思っていなかったので遅くなるのは別に構わないが、自分の渡した素材を無駄にされていては不愉快だ。

早く本が読みたいだろうに迷い無く頷いたリゼルの頭をイイコイイコと撫でながら、店の扉を潜った。入ってすぐは普通の武器屋のように様々な得物が並んでいるが、他と違うのは奥にしっかりとした工房が作られている事だ。

普通の武器屋でも曲がった剣を直すぐらいの設備を備えている店は時々見るが、一から武器を作り上げられる工房を持つ店は早々無い。店と言うよりは工房が中心で、注文ではなく職人たちが趣味や試しで作り上げた武器をついでに売っているらしい。

「おう、鎧鮫の鱗持ち込んだ兄ちゃんじゃねぇか。子連れとはなぁ」

声をかけてきたのは、店の椅子に座り剣を磨いている店番の男だった。

やはり彼も店員というよりは職人にしか見えない。磨く度に艶を増していく刀身を何故かじっと見ているリゼルを見下ろし、その頬をふにふにと摘まみながらイレヴンはつまらなそうに口を開く。

「んなコトよりさァ、ナイフまだ出来ねぇの? 遅ぇよ」

「お前な、見た事ねぇ上位素材の加工なんざホイホイ終わる訳ねぇだろ。でもまぁ、確かにナイフ一本作るのにこんだけ時間かけてりゃ工房の名折れだなぁ!」

大声で笑い、店番の男は手に持っていた剣を机へと立てかけて立ち上がる。

「形とかも聞きてぇと思ってたし、覗いて行けよ」

「形整えるトコまでは進んでんの? じゃあさァ、持ち手は」

促されるままに工房へと進もうとしたイレヴンは、しかしてしてしと肩を叩かれて足を止めた。どうしたのかと叩いた本人であるリゼルを見下ろすと、じっと此方を見る大きな瞳がある。

「ここでまってます」

「んぁ、リーダー工房見たくねぇ? 好きそうじゃん」

「ぶき、みてみたいから」

確かに多種多様、そして他の店に卸す用では無いので職人たちの遊び心に溢れたデザインの武器も多くある。それが気になったのだろうかとイレヴンは考え、ならば別にナイフの様子を見るのは別の機会でも良いので今日はこのままリゼルと武器を眺めても良い。

しかしそれを伝えるとリゼルは首を振ったので、待っているから行って来いと言いたいのだろう。変な所で頑固だからなぁと頷き、イレヴンは抱いていたリゼルの体を全く以って似つかわしくない優しい手付きで下ろす。

「じゃあリーダー、危ないモンに触んないように」

「はい」

「何かあったら呼んで。無ぇと思うけど」

「はい」

こくりこくりと頷く姿を、これが普通の子供なら全く信用できない所だがリゼルならば大丈夫だろうと納得する。言われた事は間違いなく守るからだ。

言い付け通り触らないどころか必要以上に近付きもせず武器を眺め始めた姿を確認し、イレヴンは招かれるままに工房へと足を踏み入れた。熱気に溢れた工房は暑く、もはや出たいと思いながら金属同士がぶつかり合う音に煩いと顔を顰める。

イレヴンを案内した店番の男は慣れたように床に広がる材木や鉱石を避け、奥で金槌を何かに打ち付けている壮年の男へと近付いた。

「親方ー、鎧鮫のお客さん」

「あぁ?」

この工房のトップなのだろう、親方と呼ばれた男は喧しいと言いたげに顔を上げた。間違いなくイレヴンが鱗の加工を持ち込んだ時に何とかすると断言した男だ。

「催促にでも来たか」

「無くても困んねぇし。でもテメェらに娯楽提供したワケじゃねぇんだわ」

「ふん、あながち間違っちゃいねぇ」

にやりと歯をむいて笑い、男は持っていた金槌を置いた。

噂でしか聞いたことが無い伝説の魔物の素材を加工するなど彼ら職人にとっては楽しみ以外の何者でもない。どこからどう手を付けて良いかも分からない最上級素材を試行錯誤しながら加工するなど、滅多にある事では無いからだ。

最上級素材を任される事こそ職人として最上の誉れ、例えイレヴンにその意図が無かろうとも年甲斐も無く喜んでしまうのは当然のことだった。しかし娯楽と言うのも否定しないが、ただ遊んでいるだけでは勿論無い。

「並の金槌じゃすぐ割れやがる」

そう言いながら男は寸前まで金槌を振り下ろしていた皮を捲った。折りたたまれていたその皮は竜皮、この工房で一番耐久性の高い皮に包まれるように薄らと光を反射する一枚の鱗が姿を現した。

形はまさに魚の鱗に近い。しかし巨大であった筈の鎧王鮫の鱗は今や掌サイズにまで小さくなっており、鱗の裏側が見せていた美しい煌めきを宿している。

「これで完成じゃねぇの?」

「触るときゃ気を付けろよ、今のままでも触るだけで指落とせんぞ」

「んなヘマするかよ」

鋭利な刃が作られた鱗を手に取り、ひらひらと手で揺らしながらイレヴンは足元に落ちている何かの鉱石を拾い上げた。それをポンッと放り、腕を振るう。

見ていた職人たちはパラパラと細かく刻まれた鉱石の欠片が床に散らばる事でようやくイレヴンが何をしたのかを察した。振るった腕が見えない程の速さに、流石鎧王鮫を倒せる程の冒険者だと感嘆する。

「下手に斬りゃ折れるぐらいの薄さなんだがな。テメェにゃ関係なさそうだ」

「そこらへんの雑魚と一緒にすんじゃねぇよ。で、コレまだ? 普通に使えんじゃん」

イレヴンが目の高さまで鱗を持ち上げる。

厚さは薄くおよそ一ミリ程か。靴底に仕込むのも良いしベルトに埋めるのも良いかもしれないなどと思っていると、男は気に入らないと言いたげにフンッと鼻を鳴らす。

「馬鹿野郎、出来るだけ薄くっつうのがテメェの注文だっただろうがよ」

「仕込みやすいし。こんぐらいで充分なんだけど」

「まだだ、これぐらいで限界だと思われちゃ困るぜ。限界まで薄くっつうなら後半分程度にゃ薄くしなけりゃ工房の名折れだろうが!」

「職人メンドクセー」

まだ薄くなる筈だと限界を追求する男に、まぁ良いかとイレヴンは鱗を返した。

金属の場合ここまで薄くすれば割れてしまうのが普通だが、強度に関しては群を抜く素材である鎧王鮫の鱗だからこそ不可能を可能にしている。だからだろうか、未知の領域である薄さを目指せるとあって職人は真の限界を追求したがっているらしい。

薄ければ薄い程に仕込みやすいし、元々中途半端なものなどいらないのだからアスタルニアを離れるまでに出来上がれば良い。揺れる髪を弾きながら視線を工房の入り口へと向ける。

「強度落としすぎんなよ」

「分かっとる。持ち手はどうする、そのまま持つにゃ安定しねぇぞ」

「いらね」

一先ずの確認も済んで興味は失せたのだろう、イレヴンは何事も無かったかのように踵を返した。リゼルも待たせている、元々長居する気は無い。

そしてふと顔を上げる。声の様子から何か急を要する事があった訳では無さそうだが、幼くなった穏やかな声が自分の名前を呼んだのが聞こえた。

その少しの足音を鳴らす事無くその姿は工房の外へと消える。鮮やかな赤の髪を揺らしながら去って行く後ろ姿に癖の強い奴だと男は愉快気に笑い、それを反映させるように手に取った鱗の加工へと意識を集中させた。

工房へと入って行くイレヴンを見送った後、リゼルは壁に並んでいる武器達を見上げていた。

剣、剣、剣に盾に弓、そして時折籠手や用途の分からない装備まで揃っている。職人たちのオリジナリティに溢れたそれらは時折武器や装備のイメージを大きく外れ、オーダーメイドでデザインを決めたがる冒険者達も思わず目を止めてしまうような他に類を見ない品々もあった。

端っこから順番に眺めて行き、とことこと足を動かして壁沿いに歩を進める。

「(はさみ)」

順番に眺めていると、陳列されていたのは巨大な鋏だった。

これは武器なのだろうか。それともただの鋏なのだろうか。リゼルには分からないし恐らくこの店に来た誰もが分からない。そして作った本人も作ってみたかっただけなので分からない。

「(けん、けん、ゆみ、と……おっきなほうちょう)」

ちなみにリゼルが大きな包丁と称したのは普通に武器だ。

どの冒険者から見ても立派に片刃の大剣なのだが、幼児の目には包丁にしか映らない残酷な事実が判明した。今似たような物を装備している冒険者達がその事実を知れば絶望しそうだ。

そして片側の壁を端から端まで見て、反対側へ行こうとリゼルが振り返りかけた時だった。

「あ」

先程まで店番をしていた職人が磨いていた剣が机に立てかけられているのを見つける。

とても不思議で綺麗な光景だった。黒い刀身が磨かれる度に白銀に輝いていくなんて、一体何故そうなるのかは幼いリゼルには分からない。

気になり、近付く。磨かれた部分だけ確かに輝いている剣をじっと見た。

触ってみたいが、リゼルは言い付けがちゃんと守れる良い子だ。すぐ手前で立ち止まり、まじまじと覗き込むだけに留まる。

「まじゅつ、とか」

うろうろと剣の前で右往左往し、何故どうしてと考える。

事実は焼き入れした際に刀身にこびり付いた煤を磨き粉を使って取り除いただけなのだが、当然分かるはずも無い。しばらくうんうんと悩んだ後、ふとあるものが目に入った。

剣の柄に引っかけるように先程まで刀身を磨いていた布が残されている。もしや布に秘密があるのかと手を伸ばした。

だって危ない物に触るなとしか言われていない。これはただの布だ。

「ん、と」

リゼルの背丈以上の高さがある剣を見上げ、少しだけ背伸びして布を掴む。

掴んだ白い布を引っ張った時、微かに抵抗があったのは布が剣の何処かに引っ掛かっていたからなのだろう。あれ、と思った時には既に剣はリゼルへ向かって倒れて来ていた。

咄嗟に避ける事も身構える事もなく、ただ状況について行けてないかのようにリゼルはただそれを見ていた。刀身が目の前に迫る。

「こーら」

しかし迫っていた筈の刀身は、眼前で動きを止めた。

見上げると一つの手が柄を受けるように支えていて、さらに上を見ると前髪で目元を隠した見覚えのある男の姿がある。

「 頭(かしら) が触んなっつってたでしょうが」

「せいえいさん」

店内にはリゼルしかいなかった筈だが、いつのまに来たのだろうか。

彼は受け止めた剣を持ち上げて机の上に乗せる。同時に布も机の上にふわりと落ちたが、しかしこれが欲しかった筈だと手に取り此方を見上げているリゼルへと差し出した。

「はい、ちっさい貴族さん」

見てきた限り懐っこい子供のようだし喜んで受け取るだろう、そう思っていたが予想は盛大に外れた。

リゼルは差し出された布と元盗賊の精鋭である男を見比べ、手を伸ばそうとはしない。どうしたのかと前髪越しに精鋭が見ていれば、ついに一歩だけ後退されてしまった。

そんな姿を数秒眺め、差し出していた布を机の上に放り行儀悪くしゃがみこんだ。チチチ、とまるで猫を呼ぶように舌を鳴らしながら指で招く。

「なーんで怖がってんですか」

普段の姿で思い浮かぶのは、穏やかな微笑みの中にある人を従わせるような高貴な色を持つ瞳。感情を隠すのが酷く上手いのだと知ってはいるが、しかしその瞳の中には恐らく恐怖など隠す隠さない以上に存在しない。

自分達がどういった存在かを理解した上で使ってみせているのだから、恐怖などある筈が無いだろう。同類であり上位種であるイレヴンではなく、全く違う彼が自分達を使えることこそが本来ならば有り得ないのだから。

「頭は平気で俺が駄目とかズレてんなぁ」

しゃがんでいる膝の上に頬杖をつき、招いていた指をそのままリゼルへと近付けた。爪が鼻先に触れそうになる寸前で止める。

今怖がっているのなら、それはやはり幼くなっているからなのだろう。自然と口元が笑みに歪むのを感じながら、指先に目を止めることなく真っ直ぐに此方を見る幼い姿を眺める。

何故それほどに怖がるのかは全く分からないが、警戒心があるのは大いに結構。そう笑みを深めて眼前で止めていた指先をピッと薙いだ。

前髪をかすめて行った指先に、リゼルは思わずきゅっと目を瞑る。

「せいえい、さん?」

次にリゼルが目を開けた時には、先程まで目の前にいた姿は無くなっていた。

周りを見渡しても今まで彼が存在した痕跡は一切残っていない。リゼルはきゅっと服の前を握り、うんうんと色々なことを考えたが結局まぁ良いかと落ち着いたようにハフリと肩の力を抜く。

「イレヴン」

一人しかいないのならばマイペースに武器の観察を再開するが、近くに甘えられる存在がいる時のリゼルは少し気が緩む。何となく声に出してしまった呼び掛けにイレヴンはすぐに姿を現した。

急ぎながらも焦った様子が無いのは、今までリゼルが誰と共にいたのか分かっているからだ。

「リーダーどったの。何かされた?」

「たすけてもらいました」

「えー、危ないモン触んなっつったじゃん」

「だって、布だったので」

幼い体を抱き上げ、イレヴンは机の上に乗せられた剣と布を見下ろした。

それだけでおおよその予想はつく。確かに布は危ないものでは無いが、と思いながらリゼルに言い聞かせる難しさを思い知った。的確に抜け穴を突いてくる。

しかし、とそのまま店の外へと歩きながらイレヴンは腕の中のリゼルを見下ろした。寸前まで一緒にいただろう男の事など欠片も信用していない。

店から出ようと扉へと歩みながら問いかける。

「本当に何もされてねぇ?」

「せいえいさんにですか? えっと、ちょっとこわかったです。何もされてないけど、ちょっとだけ」

「ふぅん。アイツら頭おかしい奴ばっかだからかなァ」

精鋭達がリゼルに手を出すとは思えないので、本当にリゼルが何となく怖さを感じただけなのだろう。そういう所敏感そうだし、と小さな頭を撫でて柔らかな髪に頬を乗せる。

でもとりあえずブン殴ろうとイレヴンは決めた。助けたというのもあるが、それを踏まえた上での結論だ。それが無ければ半殺しぐらいにはしている。

見上げるリゼルに甘い笑みを浮かべたイレヴンがそんな事を考えているなど、武器屋の屋根の上で言っちゃったよと引き攣った笑みを浮かべる一人の精鋭ぐらいしか気付いてはいなかった。

それはアスタルニアが誇る白亜の王宮の門での事だった。

スタスタと通過していくイレヴンを、何とも珍しい事だと門番らは見送った。彼らが普段見ているのはリゼルとプラスして一人の光景で、リゼル以外の二人が単体でこの王宮を訪れた事などリゼルが中にいる場合を除けば一度も無い。

あの穏やかな人なら挨拶ぐらいはしてくれるんだけどなぁと横を通過したイレヴンを、しかし門番は直後二度見した。何だかとんでも無いもん抱えてた気がする。

軽い足取りで慣れた道を歩いて行ってしまうイレヴンを止めるか止めないか悩み、しかし止める理由でも無いかもしれないと悩み、しかし普通に見送って何も問題が無いかと言われればそうでも無いかもしれないと悩み、そして同じ結論に達した門番二人は顔を合わせて真顔で頷いた。

「ナハスさんに言っときましょうか」

「あの人らに関してはアイツに投げときゃ良いだろ」

最近リゼル関連で何かあればすぐにナハスが呼ばれるのを、本人が何故だと思ってるのは知り合いは全員知っている。でも呼ぶ。

「はいリーダー、本いっぱいあるねぇ」

アリムは突然現れたイレヴンと、彼が連れている小さな子供を相変わらず床に胡坐をかいて座り込んだまま眺めていた。

特に挨拶も無く入って来るのはイレヴンに関してはいつもの事なので気にしないが、その腕から下ろされてトコトコと本棚へと歩いて行く小さな姿は一体どうした事なのか。随分と見知った顔の面影がある顔立ちとイレヴンのリーダー発言で優秀な頭脳はすぐに正解を弾き出す。その原因さえも。

色々考えながらも無言で書庫の中を歩く小さな姿を目で追っていると、一切アリムの姿を見せない布の塊に気付いたのだろう。リゼルが一冊見つけた本を手に近付いて来た。

「……先生?」

「でんか、こんにちは。本をみにきました」

本を抱きしめふわふわと微笑んだリゼルを、アリムは数秒何の反応も返さず眺めた。

その奇妙な沈黙にリゼルが不思議そうに目を瞬かせる。それを見てようやく、布の中から低く甘い笑い声には聞こえない棒読みの笑い声が零される。

「うふ、ふ」

布の中からゆっくりと褐色の腕が伸ばされた。細く長い指を持った大きな掌がリゼルの頭を撫で、頬を通り肩まで撫でる。

ジルやイレヴンのような弱過ぎたり強すぎたりする手付きでは無く、少し強めでありながらも体温を伝えるようにゆっくりと撫でていく掌が心地良い。目を細めたリゼルにアリムはもう一度笑う。

「何処の、迷宮、かな」

「“対価を払う道”。リーダーの読めるような本ある?」

「ある、よ」

勝手に椅子に座ってリゼルを眺めているイレヴンの言葉に、そうと頷いて数度撫でた掌で少しだけ乱れたリゼルの細い髪を直す。過去の迷宮の記録を見るに幼くなっている間の記憶は元に戻ると共に消えると思って間違いは無いだろう、そう考えて二度三度微かに頷いた。

そして布の中から、シャラリと金の装飾が揺れる繊細な音と共にもう片方の手も現れた。その両手が不思議そうにしているリゼルの頬を数秒覆い、そして肩へと添えられて優しく引き寄せる。

拒否しようと思えば容易に出来る力に、しかし逆らわないままリゼルは数歩の距離を歩み寄った。布の隙間から微かに見えた口元が笑みを描き、幼い体を抱き寄せるように背に回った褐色の腕が外から見える最後の布の内側での出来事だ。

「(リーダーが布の塊に食われた……)」

まるで新種の魔物のようだったと後にイレヴンは語る。

あまり触るなと思いはするものの、恐らく今リゼルはあの布の中が凄く気になっているので止められない。普段のリゼルも入ってみたいと言っていたし間違いなく幼くなったリゼルも気になったからこそ招き入れられたのだろう。

つまらなそうに頬杖をつきながら、少しだけ膨れた布の塊を見下ろした。

「リーダーそん中どう? 暗い?」

「外といっしょか、すこしくらいぐらいです。すごい、まわりがみえます」

「へー」

アスタルニアでは頻繁に見かけるが、この国では魔力の宿る糸を用いた複雑な刺繍で布に微力ながら魔力効果を持たせる事が出来る。リゼルが建国祭の時にみたアスタルニアの使者たちによるパレードで光を散らしながら舞っていた布もそうだし、鎧王鮫を捌いて貰った際に被せられた保存の効果を持つ布もそうだ。

恐らくそれの一種なのだろう。流石王族と言えば良いか、聞いた事も無い魔力効果を盛大に無駄遣いしている。

「うふ、ふ。可愛い、ね」

アリムは布に囲まれた空間で、胡坐の中に立つリゼルを更に囲うように腕を伸ばした。その背の後ろで指を組んでみせ、何かが気になるのかじっと顔を注視するリゼルに目を細める。

書庫に引きこもる彼の知る幼い子供など自らの弟妹達か甥姪のみで、小さい頃の彼らは総じてアリムを見ると布をはぎ取ろうと立ち向かって来る嵐のような存在だ。そして全員テンションが高く、じっとしている事など無く、放って置いても何処かではしゃいで勝手に帰って来る従者泣かせな子供達ばかりだった。

それに比べて目の前の幼子の何と庇護欲を煽られることか。抱きしめた本とアリムを見比べ、胡坐の中にぺたりと座りマイペースに本を読み始めている。

「先生、それで良い、の」

リゼルが手にする“アスタルニア原産食虫植物図鑑”を見下ろし、アリムはぽつりと呟いた。毒々しい花々とふわふわしたリゼルが結びつかず何とも言えない違和感を醸し出している。

「ほかのやつ、むずかしくてよめないので」

「あぁ、そう、だね」

この書庫の本は確かにと頷いているアリムの趣味と独断で配置が決まっている。

近場にあるのが良く読む本、よって必然的に今のリゼルには難しい本ばかりだろう。それならば何故“アスタルニア原産食虫植物図鑑”が近場にあるかと言われれば、アリム以外にもこの書庫を利用する者が時折いるからだ。

図鑑らしく図に溢れた本を、アリムはすっとリゼルの手から抜き取った。自分で選んで持ってきたとはいえ読めそうだというだけで本当に読みたい本では無いのだろうと、小さな体を抱き上げゆっくりと立ち上がる。

「先生が好きそうな本、見に行こうか、な」

「はい」

イレヴンは落とすなとだけ告げてそれを見送った。リゼルが楽しいならばそれで良い。

二人が本棚と本棚の隙間を縫うように歩みを進めていると、さらりと肩を滑る金糸のような髪が頬に触れリゼルはくすぐったいと首を振る。アリムは自らの髪が触れたその頬を指先で撫でてやりながら、見た目の年齢よりは難しい本の方が良いかもしれないと考える。

正直辞書とか渡しても平気で読む気がする。誰もがリゼルに抱くイメージをアリムも抱いていた。

「さっきみたいな、図鑑が、良い? 物語もある、よ」

「えっと、ココのことがかいてあるのがいいです」

此処の事が書いてある本、アリムはそう呟きながら書庫の入り口近くへと歩を進める。

子供向けの本はこの辺りに集めていた筈だ。奥まで来て騒がれても困る。

一つの棚の前で足を止め、どれが良いかと中段あたりに視線を滑らせた。“アスタルニアの歴史”、“アスタルニア特産物の全て”、“漁師たちの生活”、それら全てが子供用だ。

しかし子供用とはいえ、リゼル程に幼い子供が読むには文章が多過ぎる。恐らく大丈夫だろうが、と思いながら手を伸ばして一冊の本を抜き出した時だった。

「またお前たちか!」

バタンッと派手な音をして扉が開かれると共に覇気のある声が静かな空間に響く。

驚いたようにパチパチと目を瞬かせているリゼルの背を落ち着けるように撫でてやりながら、アリムはゆっくりとそちらを見た。開かれた扉の前で逆光を背に立つのは全く仕方が無いと今にも言い出しそうなナハスだ。

共に布に包まれているリゼルには気付いていない、布の中でアリムは此方を見上げるリゼルへと手にした本を渡してやる。リゼルは素直に受け取り遠慮なくアリムの腕の中で本を読み始めた。

「ナハス、うるさい、よ」

「も、申し訳御座いません。ですがまた奴らが良く分からない事になっていると聞き……」

ナハスが門番から得た情報は一つ、リゼルが子供を産んだという一点のみ。産んでたまるかと思わず突っ込んだ。

その混乱のままに律儀に現状の確認に来るのだから何かある度に呼ばれるのだろうに、彼はそれに気付いていない。恐らく誰も言わないのでこれからも気付く事は無いだろう。

アリムがそのまま机のあるスペースまで戻る様に歩を進めると、後ろからナハスもついて来た。リゼル達がいつものように机にいるのだと思っているのだろう。

「……ん、一人だけか?」

「リーダーと来たし」

「本でも探しに行ってるのか。しかし殿下の前でそのだらけた姿勢はどうにかならんのか、だらしない」

机に肘をつき、ニヤニヤと笑うイレヴンを見下ろしナハスは溜息をついた。

その後ろではいつも通り床に座ったアリムと、その布の塊からごそごそと出てきたリゼルがいる。リゼルは手に持った本を抱きしめながらきょろきょろと周りを見渡し、目の前のアリムという名の布の塊をじっと見つめ、恐らく再び胡坐をかいているだろう膝の上に布の上からポスリと座って本を開いた。

「贅沢な椅子が似合うよなァ」

「何だ、御客人の事か? 確かに似合いそうだが……お前がガンガン踵をぶつけてるその椅子も結構な品なんだから止めろ!」

当然のように椅子扱いされた王族は、しかし至って普通にそれを受け入れた。

もぞもぞと座り心地の良い位置を探すように動くリゼルに丁度良い場所を合わせてやり、すっと布の中から現れた手がその腰を静かに引き寄せる。ぽすりと背中に感じた感触が背もたれのようで満足そうにふわふわと微笑み、リゼルは機嫌が良さそうに読書を開始した。

「てめぇんトコの王族ソファみたいになっててウケる」

「不敬罪になるような物言いは止めろ! 大体ソファっていうのはどういう……」

けらけらと笑うイレヴンの視線を追う様に、先程から一体何を見ているのだと振り向く。

そして現れた衝撃の光景にナハスは世界が確かに数秒静止するのを体験した。驚愕も行き過ぎると何も感じなくなるらしい。

そして過ぎ去った衝撃から回復し、頭の中を埋め尽くす様々な思考の中から一番に出てきた言葉は間違いなく彼の本心だった。

「成程、ソファか……」

リゼルが体を埋めるように座る布の塊に、納得の言葉しか出てこなかった。それ程にソファにしか見えない。

しかしそれからはナハス無双だった。混乱しているのか素なのかいまいち分からないが恐らく素なのだろう、何やら熱心にリゼルの世話を焼いていた。

『そんな暗いところで本を読むんじゃない、もう少し明るい場所に移動しろ。あ、こら殿下を連れて歩くな! 椅子扱いか!』

『ほら、おやつの時間だろう。しっかりエネルギーをとらなきゃ体調を崩すからな、フルーツの盛り合わせを用意させたから食べると良い。……こら、本を離せ、渋っても駄目だ』

『そろそろ昼寝の時間だろう、しっかり睡眠をとらないと成長しないぞ。殿下のベッドを整えたから一時間ほど寝てくると良い。本は持って行くんじゃないぞ、嫌じゃない。ほら俺が預かってやる……こら、手を……お前は本当に変わらんな!』

『情操教育で魔鳥に触れあってみるのも良いかもしれん。ほら、俺の美しい相棒は子供にも優しい慈愛の心を持っているから触ってみても大丈夫だ。どうだ、この頬ずりもしてくれる素晴らしいサービス精神は他の魔鳥では……ちくちくする? 子供の柔肌に羽毛は固いかもしれないな、ほら見せてみろ』

いつもの二割増しだった。

そして帰る時には危ないから送ってやると魔鳥まで連れてきてくれたのだから彼は本当に面倒見が良い。しかも風邪を引くといけないからと小型の魔鳥車まで出して来た。

楽が出来てラッキー程度で早々に宿へと入って行ったイレヴンは知らない。彼の肩越しにバイバイと手を振ったリゼルへと満足げに手を振り返しながら、ポツリと零した言葉を。

「しかし子供でも大人でも変わらんな、あいつら」

何気に一番核心をついた言葉だったかもしれない。

それからの数日、幼くなったリゼルはこうして色々な人と触れ合いながらのんびり過ごしていた。

大体がイレヴンと寝ていたが、一度だけジルと共に寝た。ジルはいつも通りの時間に起きようとしてリゼルに服を握られている事に気付き、何年ぶりかの二度寝をした。

イレヴンが服屋に連れて行った事もあった。とにかく色々着せられて疲れたリゼルは更衣室の中で寝た。

宿主は嬉々として奴隷と化していたし、再び本を借りに行ったアリムはソファと化したし、街中で会ったナハスは母親と化した。最後に至っては特に普段と変わりは無いが。

そしてそれはリゼルが幼くなってから五日目のこと。ジルの部屋のベッドに丸まりすぅすぅと昼寝をしていたリゼルが、あまりにも呆気なくポンッと元に戻った。

「あ、戻った。ニィサン、ポンッて戻ったの見た?」

「見た」

ジルが見たのは前回だが。

理屈も何もなく、ポンッと白い煙とキラキラした何かを発しながら元に戻るあたり流石は迷宮仕様だろう。リゼルは何事も無かったかのように寝続けている。

イレヴンは一緒に横たわり髪を撫でていた手を戻る瞬間離したが、しかし何事もなかったかのように再び伸ばした。触れてみれば分かる髪の感触の違いを面白く思いながら、流石に良し良しは出来ないと髪を数度梳いて離す。

「てめぇは残念がると思ったけどな」

「冗談。リーダーがちっこくなってるから良いんじゃん、最初からアレだったら全ッ然興味無ぇ」

勿論小さくなったリゼルに向けた愛情は本物だ。

しかしそれはリゼルがリゼルだったからこそ。リゼルに対する様々な感情は何も変わっておらず、小さくなっているからこそ接し方は相応なものに変わるものの本質は何も変わりが無い。

それはジルも同様で、だからこそイレヴンの言葉を否定しない。元々子供に興味の無いジル達が子供に対して興味を抱くことなど相変わらず無く、あるのはリゼルへの興味だけなのだから。

「戻ったら覚えてねぇってホント?」

「あぁ」

「ニィサン何で知ってんの」

実際体験したからだと、ジルは今後一切教えるつもりは無い。

リゼルは事の経緯を聞いて、そういう事もあるのかと頷いた。迷宮だから仕方ない。

しかし聞く限り幼くなっていた自分はどうだったのだろう。もはや覚えていない頃の事なのでなんとも言えないが、父親から生意気だったと言われた事も無いし普通の子供だったのでは無いだろうか。

少なくとも嫌がられた訳では無いのだろうと、周囲の反応を見て思う。

イレヴンが言う。

「はいリーダーこれあげる。口開けて、あーん」

とりあえず素直に口は開けておいた。

宿主が言う。

「あ、お客たぁぁぁあああ危ねぇぇぇぇ! えぇとたっ滝に打たれてみたいんですけどお勧めスポットってないですかねお客さん!」

とりあえずジャングルの中にある滝壺を教えておいた。

団長が言う。

「おまえの子供が出来たら演劇の道に進ませる事を真剣に検討しろコンニャロ!」

そうなれば公爵家を継ぐことになると思うので丁重に断って置いた。

アリムが言う。

「先生、はい、どう、ぞ」

床に座った彼がぽんぽんと自分の膝を叩いたので、畏れ多いと断った。

ナハスが言う。

「昼食時に書庫に籠ってるんじゃない、今日は朝から入り浸りだろう。食事を用意させたから食べて行くと良い、好き嫌いせず食べるんだぞ」

いつもと変わらないので頷いて読書を続けたら返事ばかりだと怒られた。

ジルは言う。

「……風呂入って来る」

「行ってらっしゃい」

果たして幼くなっていた影響なのかどうなのかも分からない反応をする者が多いが、何事も無かったようで何よりだろう。記憶が残っていないのが残念か。

元に戻った日の夜、そう思いながらリゼルはベッドへと潜り込んだ。しかし眠気が来ず、昼寝したからだろうかとゴロリと寝がえりをうつ。

このまま眠気が来ないようだったら勿体ないし読書を続けても良い。だが最近ジル達は迷宮や国外に出かけていないというし、明日は依頼を受けて思いきり体を動かして貰おうと思っていたので出来れば寝た方が良いだろう。

「(眠くない訳じゃないのかな)」

小さく息を吐き、リゼルは枕に頭を埋めてゆっくりと瞼を開いて行く。

そして目を数度瞬かせながら何かを考え、何かに納得したかのように頷きおもむろに起き上がった。ベッドから降りて部屋も出る、そして真っ直ぐに向かった先は隣の部屋だった。

扉を開けると、丁度寝ようとしていたらしいジルと目が合う。リゼルはほのほのと微笑みながらも堂々と告げた。

「ジル、一緒に寝ましょう」

「……おら」

断られるとは思ってもいないのかそのまま近寄って来たリゼルを、ジルは色々思う所はあったが仕方が無いと言えば仕方が無いかと掛け布をめくって招き入れた。