作品タイトル不明
93:悲しいほどに一択
王都パルテダで大衆向けよりもう少しだけ良い立地にある小さな店、その店先では“鑑定に自信あります”と自信なさげに書かれた小さな看板が穏やかな風に揺られている。
店内には窓から暖かな日差しが降り注ぎ、ゆったりとした時間が流れていた。そんな中、訪れた上位冒険者を相手にし終えたばかりのジャッジがふぅと無事鑑定を終えた安堵のため息をつく。
少しだけ猫背ぎみの長身を反らすように伸びをし、片目にかかるモノクルを慣れた手つきで外し作業台へと置いた。シャラ、と細いチェーンが繊細な音を立てる。
作業台の上に置かれているのは相手が希望した為に買い取った迷宮品で、さてどのルートで卸そうかなと丁寧な手付きでそれを手に持ち見下ろした。ジャッジの店では扱わない種類の迷宮品はほとんどが数カ月に一回店を訪れる馴染みの業者がまとめて回収していったり、冒険者に縁は無いが迷宮品は欲しい中心街に頼まれていた場合はそちらに回したりもしている。
「すみませーん」
「あ、はい」
ふいに扉の向こう側から声をかけられた。
手に持った迷宮品を置き、早足でそちらへ向かい扉を開けると立っていたのは郵便ギルドの制服を着込んだ人間だった。大きな鞄を肩にかけ、その鞄の中から二つの封筒を取り出して出て来たジャッジへと渡す。
礼を言って受け取り、扉を閉めながら手にした手紙を見下ろした。一通は月に一度は必ず届くインサイからの手紙、恐らく中はジャッジを心配していたり溺愛していたりアドバイスだったりの文章が書かれているのだろう。
「あっ」
そしてもう一通、その手紙を裏返したジャッジが喜びの声を漏らす。
アスタルニア独特の野趣に富んだデザインだが、繊細な細工が施されている品格すら感じる封筒には綺麗な文字でリゼルの名前が書かれていた。にこにこと笑みを浮かべたまま、開くのが勿体ないなぁとしばらく封筒を眺める。
ふとその片隅に薄く何かの紋章が描かれているのに気付いた。良く見えるように光に翳しながらどこかで見た事がある紋章だと首を傾げ、それがアスタルニア王族が好んで使用する紋章だという事に気付き無言で翳していた手を下ろす。
「……貰ったのかな」
後で封筒を用意しようと手紙だけ書いていたリゼルを見て、アリムがたくさんあるからと普通にくれた事実をまさに言い当ててジャッジは頷いた。面倒に巻き込まれるようなリゼルでは無いし、リゼルが良いならそれで良い。
きっとアスタルニアっぽいから喜ぶだろうと送ってくれたんだろうな、とふにゃふにゃ笑いながら作業台の椅子へと腰かける。ペーパーナイフを手に取り、とりあえずインサイの手紙は後回しにしてリゼルの手紙の封を開けた。
「礼儀正しいなぁ」
どちらかと言えば堅苦しい文章は、しかし親しみが無い訳ではない。
内容はリゼル達が王都を発って然程経たない内に送ったジャッジからの手紙に対する返答、そしてジル達のことを含めた近況報告やアスタルニアでの体験などで、本を多く読んでいるからかは分からないが読みやすくて楽しい手紙だった。
ざっと最後まで目を通し、そして再び最初からゆっくりと大切に読んでいく。初めての料理でジルに器用だと言われたという文章に、初めてと聞くと危なっかしいが手先が器用なイメージがあるし流石だなぁと嬉しそうに微笑んでいた時だった。
「失礼します」
聞き慣れた声と共に店の扉が開く。
淡々とした無表情で抑揚の無い声を発しながら現れたのはスタッドだった。リゼルと休日出かけようとしなければ基本的にギルドの制服しか着ないので、今日も変わらない制服姿に休みなのかどうなのか判別が付かない。
だが休みの日もやる事が無いからと働いている上に、個人的な用事でジャッジの店に来たことなど無いので仕事関係で来たのだろう。
「スタッド、どうしたの?」
「次回の鑑定依頼について確認したいことがあったので来ました。想定をしていた量を越えて鑑定を頼むことになりそうなので先立って追加料金等の相談をしようと思ったんですが何を締りの無い顔を」
そこでピタリとスタッドは言葉を切った。
ジャッジに関しては常々呆けた顔をしているとは思っているが、今日店内に入った時の蕩けきった表情には覚えがある。良くリゼルと話してはふにゃふにゃと締りの無い顔をして笑っていた、その表情だ。
そしてその手元には手紙。ある結論に達したスタッドの視線に気付いたのか、ジャッジはこれでもかと言うほど幸せそうな顔で手に持つ手紙を示すように持ち上げて見せた。
「リゼルさんからの手紙、届いたんだ」
「何故愚図にはあって私には無いんですか」
「だって返事だし……リゼルさんが行っちゃった後、手紙出してみたから」
表情は何も変わらないまま、スタッドの背後にピシャンと雷が落ちたようにジャッジには見えた。その心情を付け加えるならば「そんな方法が……」だろうか。
スタッドにとって手紙は業務の一端に過ぎない。必要があれば用意して形式的な挨拶から始まり用件だけを書いて形式的な挨拶で締める、それだけのものだった。
「やっぱりアスタルニアって遠いよね。返事が貰えるとは思って無かったけど、結構かかるみたい」
リゼルの手を煩わせるつもりなど全く無く、読んでもらえたら良いなという気持ちで送ったのだが勿論返事が貰えたなら心から嬉しい。リゼルの事だから余り間を置かず返事をくれたのだろう事は想像がつくが、それでも以前自らが送ってから大分日数がかかっている。
簡単に会いに行けないなと、寂しそうな顔をしながらジャッジは手に持つ手紙の内の一枚をスタッドに差し出した。
「はい、スタッド宛」
スタッドが差し出された手紙の意味が一瞬分からず動きを止める。
「あの方から私に」
「うん」
スタッドは特例でギルドに住み込んでいる為に、個人的な手紙を送っても他の業務的な手紙に紛れてしまう。だからジャッジの店に一緒に送ったのだろう、封筒を一枚にまとめたのはアスタルニアと王都の距離的に一度の郵送での枚数制限があるからだ。
渡された手紙をどこか神妙に受け取り、スタッドは見た事も無いものを見たと言う風にそれを見下ろす。それも傍から見れば淡々として無感情にしか見えないのだが。
ジャッジは椅子に座ったまま、スタッドは立ったまま自らへと宛てられた手紙を読み進める。
「手紙の」
「ん?」
読み終わり、ふとスタッドは呟いた。
「手紙の返事を書きたいんですが何も書くような用事がありません」
「別に特別に用事がなくても良いんじゃないかな。こんな事があったってだけでもスタッドが元気だっていうのは伝わるし、リゼルさんは喜んでくれると思うよ」
手に持つ手紙をじっと見下ろしながら何かを考えているスタッドは、おもむろに銅貨を取り出してジャッジからレターセットを購入した。そして作業台に向かいカリカリと躊躇い無くペンを動かし続ける。
その間にジャッジは裏で二人分のお茶を用意し、一つを作業台の上に置くように差し出す。スタッドがこの店に来た時に茶を出して飲まれた事は無いが、飲まなければ飲まないで自分が飲めば良いと再び腰をかけて一口飲んだ。
数分後、息抜きのティータイムを過ごしていたジャッジの前でスタッドがすっと折っていた腰を真っ直ぐに伸ばす。
「出来ました」
「え、見て良いの? じゃあ…………スタッド、これじゃ業務日誌……」
「貴方の言う通りに書いたのに何が駄目なんですか愚図」
凍るような目を向けられ、そんなこと言ってもと口ごもりながら書かれた手紙を再び確認する。箇条書きで並ぶスタッド自身の行動報告、リゼルのことだからほのほの微笑みながら「相変わらずですね」と受け入れそうだが流石にこれは個人的な手紙とは呼べないのではないか。
「えっと、じゃあ、ほら、リゼルさんの手紙の返事とか書いてみたり、伝えたい事とか自分の気持ちとか書くと手紙っぽいんじゃないかな」
「貴方は用事も無いのに何を書いて送ったんですか」
「僕? それは、その……店は順調だとか、リゼルさんの事をお客さんに時々聞かれるとか、鑑定で変わった本が持ち込まれたとか」
ジャッジは一度言葉を切り、ぐぅっと口を噤んでそろそろと視線を逸らした。
「さ、寂しい、とか…………痛っ、何スタッド!」
いかにも恥ずかしげに微かに染まった頬を、スタッドは無感情に一発引っ叩いた。
半泣きの瞳で此方を見上げる顔を何か文句があるのかと言いたげな瞳で見下ろす。何かが苛付いたのだから仕方ない。
そのまま意見を参考にしたのかどうなのか。再び次の手紙を書き始めてしまったスタッドは、リゼルの前では減ったのにと小さく文句を呟きながら頬に手を当てるジャッジをスルーしながらペンを動かす。
それは流れるように動いていた先程と違い、途切れがちなものだった。
「(返事、というと)」
感情の無いガラス玉のような透き通った瞳が伏せられ、先程目に焼き付けた手紙の内容を思い返す。
挨拶の文から始まり、簡単な近況報告があった。そしてギルドの依頼ボードに張り付けられた依頼用紙が雑多で王都との違いを見つけたこと、これに関してはリゼルの目に入るものなのに適当な事をするなと言いたくなる。
アスタルニアのギルド職員をついスタッドと比べてしまうこと。少しの優越感と思い出して貰えている喜びを感じる。
迷宮の初踏破で少し目立ってしまったこと。彼らに関して言えば迷宮踏破で一体何を驚くようなことなのかと思う。
ギルドが勝手にリゼル達への指名依頼を断ってしまったこと。自分だったら王族を相手にしていようが何をしていようがリゼルの優先順位を考慮して話を通していたというのに。
しおりの使い心地が良いこと、美味しいコーヒーの店を見つけて連れて来たいと思ったこと、自分を気遣う言葉、全てがスタッドの動かない筈の感情を揺れ動かす。
「(伝えたいことと、自分の気持ち)」
そしてペンが止まる。
書いて良いのか悪いのかは分からない。しかし本音以外を口にしないし思いもしないスタッドを、確かに長所だと言っていた。
ならば問題は無いだろう、しかしジャッジと被るのは心底嫌だ。止まっていたペン先が短く走る。
「あ、書き終わった? へぇ、やっぱりスタッドの方はギルドとかの話が多かったんだ」
「何を勝手に見ているんですか愚図引っ叩きますよ」
「えっ、だってさっきは見せてきたから……!」
覗きこんで来た顔を、栗色の長髪を容赦なく引くことで無理矢理離す。
痛い痛いと上げられた声が煩わしいとその手を離し、リゼルに出すのだからこんな用紙では無くもう少しきちんとしたものが良いかと下書きとなったそれを折りたたんだ。ギルドの対お偉方封筒は何処にあっただろうかと思いながらポケットにねじ込み、リゼルからの手紙を丁寧に入れた胸ポケットへ上から抑えるように手を当てる。
「早く、貴方に会いたい」
手紙の最後に綴った本心をより強く願いながら囁くように零す。何か言ったかと不思議そうなジャッジに冷たく否定を返し、スタッドは当初の目的である鑑定依頼についての話し合いを何事も無かったかのように始めた。
アスタルニアで見つけた本を読むのに向いたコーヒーの美味しい喫茶店で、リゼルは居心地の良いテラスに席をとっていた。通り抜ける風が微かに髪を揺らし頬をくすぐる感覚をこそばゆく感じながら、指をかけたページがそよぐのを優しく押さえる。
頻繁という程にいつも来ている訳ではないが、来るたび目につくリゼルは印象に残りやすく店側からすれば充分に常連と言えた。長く居ることが多いが席が全て埋まることなど滅多に無く、居心地が良いと品良く微笑みながら告げられれば嬉しく無い訳が無い。
店の品格を上げているようだと思わせる読書姿に、店内の客達が時折そちらを見るのも分かる気がすると店主は語る。窓枠越しに見る姿はまるで一枚の絵画を見ているようで、柔らかな手付きで自らが丹念に作り上げたコーヒーを飲む姿に誇らしささえ感じてしまうとも。
「(そろそろ手紙、届いたかな)」
表紙の裏に差し込んでおいた美しい栞をゆっくりと引き抜きながらリゼルは思う。
ジャッジから来た手紙には王都の様子や自身のこと、そして此方を心配する言葉が所狭しと並んでいて読んでいて面白かった。折角だから返事を書く際、手紙という発想が無いだろうスタッドの分も書いたのだが仲良く読んでいるだろうか。
国同士の距離というのもあって配達代もそれなりになるだろうが、恐らく二人ともまた返事をくれるのだろうと微笑む。そして栞を読みかけのページへ置き、静かに本を閉じた。
「ごちそう様です」
「またお待ちしております。お気を付けて」
店内へ向かって声をかけると、店主の落ち着いた声が返って来る。
いつものように銀貨を一枚コーヒーの皿の上に添え、リゼルはそのまま立ち上がりテラスを降りた。値段よりも高いそれは長居の迷惑料を含み、店主も初めこそ戸惑ったが今ではいつもの事だと何も言わず受け取る。
その代わり次に来たときには少しの茶菓子が付いていたりする時もあるのだが。
「ん」
さて何処に行こうか、まだ昼前で時間もあるしジルに貰った短剣でも研いで貰いに滅多に行かない武器屋に一人デビューでもしてみようかと思いながら歩いていた時だった。ふと通りを海に向かって歩く見知った顔を見つけた。
いつもと違う格好と持ち物に興味を引かれ、向かい側から歩いてくる相手に声をかける。
「宿主さん」
「その優雅な足取りと耳に優しい声は貴族なお客さん、お出かけですか俺もです」
声をかけられ少しばかり驚いていたが、宿主は荷物を背負い直しながら足を止めた。
リゼルはその背にある見覚えはあるが馴染みのない荷物を見てゆるりと首を傾げる。その視線に気付いたのか、宿主は片手にぶら下げた竹を編んだ籠を持ち上げて見せた。
「ちょっと時間が空いたんで久々に趣味の釣りに行ってこようと思いまして。良いやつ釣れたら夕食に出しますので請うご期待ですよ」
「釣り」
成程と呟き、じっと背負われた釣り竿と手に持つ籠や荷物を見比べる。
恐らく木で作られただろう竿は表面が光沢を持ち、しかし使い込まれている様子に随分と慣れているのだろうと分かる。趣味だと言うし宿業務の手が空く昼間に今までも度々行っていたのかもしれない。
リゼルとて此方の世界に来て魔物ならば魚を仕留めたことがある。しかし魔銃で撃ち抜くのと釣るのとでは全くの別物だ。
「本当は早朝が良いんでしょうけど今日は当たりって聞いてるし今でもまぁ釣れると」
「俺も一緒に行って良いですか?」
「マジか」
素人連れでは釣れるものも釣れないだろうか、と思いながら聞いてみる。
釣りをしてみたい。
「御迷惑でしたら良いんですけど」
「いやいや迷惑じゃないけど何だコレお客さんが釣りしてるとこ全っ然想像出来ないんですけど」
やはり無理だろうかと思ったが、どうやら嫌がられてはいないようだ。
何やらイメージがだの注目度がだのブツブツと呟いている宿主の返答を待つ。駄目だったのなら少し残念だが、後日イレヴンにでも言えば連れて行ってくれるだろう。
「俺も一人よりは全然楽しいし普通にのんびり釣るだけですけど良いでしょうか」
「はい」
「ならオッケーですけど竿どうしよう一本しかない」
「教えてくれるんですか?」
正直自らは釣らずとも見ているだけで良かったが、どうやら一緒に釣りをやろうと思ってくれたらしい。有難いことだと微笑み、大丈夫と頷く。
今まで一度たりとも使ったことは無いが、リゼルも釣り竿ならば一本持っていた。
「宝箱から出た“持つと凄くしっくりくる竿”があるので大丈夫です」
「何だこれ超しっくり来る」
ポーチからずるずると取り出した竿を宿主に渡すと、いっそ感動しながら握っていた。ちなみにしっくり来るだけで釣りやすいとかそういった効果は全く無い。
しかしこんなものまで宝箱から出るとは、と宿主は心底不思議そうにそれを眺めているが冒険者生活の長いジルやイレヴンさえ宝箱から釣り竿など引いた事は無い。相変わらずリゼルの宝箱運は良いのか悪いのか分からないが、本人は未だ冒険者らしい迷宮品を諦めてはいなかった。
「何処で釣るんですか?」
「港の桟橋ですよ今の時間空いてるんで」
リゼルは宿主から釣り竿を受け取ってポーチへと仕舞い直し、先導されるままに歩き出した。
「こういうの、穴場って言うんですっけ」
「お客さんって何でそんな顔広いの?」
リゼル達は長い桟橋の中腹で立ち止まり、海を見下ろしたり準備したりしながら話していた。
この場所を勧めてくれたのは港で偶然出会った鎧鮫の解体に一役買った漁師の内の一人だ。リゼルが釣りに初挑戦すると言ったら、一度はやっておけと力説しながら自らが管理するこの桟橋を紹介してくれた。
アスタルニアでは誰もが幼い頃一度は釣り遊びをする。今までやった事が無いと言うリゼルがそれ程信じられなかったのだろう。
「簡単な奴ですが椅子どうぞ」
「宿主さんが自分用に持ってきたやつでしょう? 一つしか無いし、使って下さい」
「俺だけ座ってお客さん地面に座らせるとか全力で石投げられるレベルでやっちゃいけない事だと思います」
折りたたみ椅子を前にそんな事を言う宿主に苦笑し、それならとリゼルはポーチを漁る。
何だかんだで野営もちょくちょくあるし、夜の見張り用に椅子もある。地べたに座るのを初野営の時にジャッジが許さなかったのでリゼルの中では見張りは椅子に座ってする事とイコールになっていた。
「俺も持ってるので、大丈夫です。ただちょっと桟橋には不釣り合いな気がしますけど」
「空間魔法って凄いですねマジで」
いかにも野外用と言いたげな宿主の折りたたみ椅子とは違い、ジャッジにより用意されたリゼルの椅子は無駄な装飾は無いものの背もたれも肘置きもある普通の椅子だ。宿主が置いた折りたたみ椅子の横にコトリと置き、これなら大丈夫だろうと満足げに眺める。
果たして大丈夫なのだろうか。いや作り自体はシンプルだし違和感は少ない。むしろリゼルが折りたたみ椅子に座っているより違和感が少ない。宿主はそう納得して力強く頷いた。
「じゃあ釣り始めましょうか」
「はい」
宿主は持ってきた竹の籠を海へと沈める。
持ち上げても水が漏れないそれは相当しっかりと編まれているのだろう。釣れた魚をそこに入れるのだろうと覗きこむリゼルの前に、他の荷物の中から三つの容器を取り出した。
しゃがんで桟橋の上に並べると、リゼルもしゃがみ込んでそれを眺める。本当に釣りに興味があったんだなと今更ながらに意外に思いながら、一つ目の容器を開いた。
「はい今回用意した餌は三種類ですご覧ください。一つ目は俺お手製練り餌で固めて針に付けるも良し撒いて魚をおびき寄せても良しの優れ物」
「成程」
餌まで手作りするなど彼の凝り性っぷりが現れている。今までの食事や弁当を見ていれば分かるけど、とリゼルは頷いた。
「二つ目は魚卵です種類は色々。どうにも固くて食用には向かない卵を産む魚もここら辺多いので店で釣り用に安く売ってたりします」
「無駄が無いですね」
固いだけでは無く味も余り美味しく無いようで、固い食感を楽しむ塩漬けなど酒のツマミとして売られることはあるようだが通常の料理には向かないらしい。
そのかわり針に刺しても簡単に崩れる事は無く、大きさも大小あるようなので釣り人は狙う魚に依って使い分けたりもするそうだ。リゼルには大きさ以外の区別がつかないが、宿主に言わせると違うらしい。
「そして三つ目ですが貴族なお客さんの目に入れるのがとてつもない罪悪感。でも知りたそうに見られてるし行きますよハイどーん」
そして三つ目、開かれた容器の中では激しく蠢く白色のミミズがいた。
しかし動き過ぎでは無いだろうか。ミミズと言うよりは陸に上げられた魚のようにビチビチとその身をくねらせている。
「これって魔物ですよね、図鑑で見た事があります」
「おっと意外と普通に返された。そうですね畑荒しで有名な種喰いワームの子供です」
通常ミミズが住み着く畑は良い畑だと言うが、この魔物はミミズの姿をした全く別のものだ。何故なら畑に蒔かれた種を全て食べ尽くす、最大二メートルまで巨大化する、巨大化したら種どころか作物まで食い荒らすと農家の天敵でもある。
普段は畑の中にいるので見つけにくく、普通のミミズと見間違い放置してしまうなど厄介な魔物だが釣りの餌には最適のようだ。何十匹も蠢くそれらが今までどんな悪行を働いて来たのかと無駄に想像してしまう。
「好きなの選んで貰って良いですよ」
「そうですね」
初心者ならば魚卵が取っ付きやすくて良いだろうか、と真剣な顔をして悩むリゼルを宿主は眺める。しかしこんなに真剣な顔は初めて見た、それで良いのか冒険者と心の中で突っ込みを入れる。
「魚卵だったら二粒ぐらい付けちゃっても」
「やっぱり大切なのは鮮度と活きの良さだと思うので、コレで」
「ぎゃぁぁぁぁまさかの手づかみに俺の目が激しい違和感を感じすぎて現実を見失った! ちょっと待って理解が追いつかない!」
ひょいと種喰いワームを摘まんだリゼルに宿主が叫んだ。
穏やかで品の良い顔立ち、洗練された物腰、人の視線をふっと自然と引き寄せる微笑みと高貴を宿した瞳、差し出された整った指先……の先で激しく動く種喰いワーム。違和感しか無い。
まさか選ぶとは思わなかったと項垂れる宿主を気にせず、リゼルはまじまじと摘まんだ種喰いワームを見下ろした。
この大きさだとまだ噛みつかないようだ、と思いながら良しともう片方の手で釣り針を構える。
「ん、動いて刺し辛いです」
「危ない危ない手付きが危ない! 何で頭から刺そうとしてるんですか!」
びちびちと最も動く先端から針を通そうとするリゼルを宿主は急いで止めた。
種喰いワームの動きに合わせて針がうろうろしている。言う程危ない手付きではないのだが慣れきった宿主から見ればぎこちなかったのだろう、急いで止められてしまった。
「針を隠した方が良いって聞いた事があるので、頭から通して針に被せるようにぐっと」
「しようとしたんですね分かります。でも難しいから止めておきましょう背中にちょいっと刺してくれれば充分なんで」
背中にちょい、リゼルは手元を見下ろしながら背中側と腹側が分からないなと思っていたがどちらでも良いことぐらいは分かる。未だに頭なのか尾なのか分からないが盛大にびちびちとしている魔物の、指で押さえている部分にぐいぐいと針を突き刺した。
意外と表皮が固く、数度桟橋へと落とした上にその内の一匹はそのまま隙間を通り過ぎて海に落ちてしまったりもしたが何とか無事餌を付ける事に成功する。宿主はリゼルの前で手出しをしたいと言いたげに手をうろうろ動かしていたが、何とか見守ることに成功した。
「宿主さんは何を使うんですか?」
「俺は魚卵ですね保存利かないんで。練り餌のが食いつき良さそうだったら変えますけど」
手慣れた手つきでプチプチと卵を刺し、ひょいと竿を操りながら立ち上がる。
そして撒き餌にもなるという手製の練り餌をパッと撒いた。上から見ていると練り餌が海中に落ちた時に溶けるように広がったのが分かる。
リゼルも立ち上がり、練り餌を撒いた個所へと行くように片手で竿を操り針を投げ込む宿主を見た。柄のギリギリを持って、少し竿をしならせるように投げ込む姿がいかにも釣り人らしい。
何事も挑戦だと、リゼルも同じようにしっくりと来る竿を握って振り被る。
「失敗しました」
失敗した。
「大丈夫ですか怪我ないですか刺さってないですか」
「いえ、服に引っ掛かっただけなので」
背中に回った針が服に引っ掛かっており、自分では届きそうにない。
自分の竿を固定した宿主が背中に回って針を取ってくれる。ついでに餌も振り被った拍子に何処かに飛んで行ったので付け直してくれた。
「すみません、有難うございます」
「いえいえ全然幾らでもどーぞ。投げ込む時は糸持ってみましょうか、竿だけ前出して糸掴んで振り子みたいにひょいっと離すと狙い通りのトコに行くと思いますよ」
宿主の手がリゼルの竿を掴み、海へと向ける。アドバイス通り少し反動を付けるように糸を手放せば上手く撒き餌の個所に針が向かってくれた。ぷかりと浮かんだウキが波に揺れている。
「後は待つだけなので座って待ちましょうか。多分そんな待たないとは思いますけど」
「はい」
椅子に座り、リゼルは手に持つ釣り竿の先を見た。
手にビンビン来たらかかっている、と聞いたが正直今でも微かに絶えずビンビン来ているような気がする。釣り竿の先も小さく引いてはいるのだが、しかし宿主が何も言わないのなら食いついていないのだろう。
「よっしゃ来た」
ふいに宿主が笑みを浮かべながら立ち上がった。
然程大物では無いのかそのままひょいと釣り竿を持ち上げると、糸に二つ付いた針には両方とも小型の魚が食いついている。器用に針から外して竹籠の中に放り込んだのをリゼルは上から見下ろした。
「小さいですけど、これも食べられるんですか?」
「唐揚げとか美味しいですよ小さいから骨まで食べれるし。俺の夜食にでもしようかなってお客さん引いてる引いてる」
宿主に促されリゼルはウキを見る。波に揺れているのと大して違いが無いように思えるが、気付いてみれば握った竿が時々やや強くビクビクと震えているような気がする。
リゼルも立ち上がり、そのまま引こうとするが手ごたえの割に結構重い。しかし持ち上げられない程でも無く、宿主と同じようにそのまま上へと竿を引くと一つだけの針に魚が一匹しっかりとかかっていた。
「凄い、釣れました」
「そのままこっち寄せて下さいぅわ凄い勢いで来た」
「あ、すみません」
針から取ってくれるらしい、と竿をそちらへ向けると思いの外勢いがついた。
魚が暴れるのも相まってぐるんぐるんと揺れる糸を宿主が何とか捕まえ、すんなりと針を外す。
「あーお客さんコレ少ないけど毒持ちですよ」
「ならイレヴン用ですね」
「!?」
リゼルに自分で初めて釣った魚を海にリリースする発想は少しも無い。
それを悟ったのか、宿主は恐る恐るそのまま竹籠へと毒持ちだという魚を入れた。確かに舌が痺れる程度で命の危険は無い毒でしか無いのだが、まさかこう来るとは。
これを調理するのかと黙々とそれを眺める宿主の横で、リゼルは新しく餌を付けようと少しも活きの良さが無くならないビチビチしている種喰いワーム相手に奮闘していた。
そして夕食時、普段ならば特に声をかけずとも揃う三人だが今日はリゼルがジル達に声をかけて食堂へと向かっていた。階段を降りながら、リゼルは楽しそうに言う。
「今日の夕食、俺が釣った魚が出るんですよ」
「リーダー釣りしたんスか。似合わねー」
「捌こうとしなかっただろうな」
「本当はやりたかったんですけど、“この間猫の手を覚えました”って言ったら猫の手じゃ太刀打ち出来ない相手だからって断られました」
英断だ。
「イレヴンの為にたくさん釣ったんです」
「へぇ、楽しみ」
微笑むリゼルに、目を細めながらイレヴンも笑う。
どうやら全く釣れなかったという事は無かったようだ。それもそうだろう、慣れた人間のフォローもある上に一番大切な場所選びも海のプロである漁師によって示されたのだから釣れない筈が無い。
三人は食堂へと入り、既に三人分の食事が用意された机へと向かう。そして魚料理と付け合わせが並ぶその机の上に置かれているものを見て、三人は足を止めた。
「なんか俺だけ指定席になってる」
「そこ、イレヴンの席なので」
並べられた食事の前に置かれたプレートには“ELEVEN ONLY”と書かれていた。無駄に凝った装飾なので置いたのはリゼルだろうと思えば避ける訳にもいかず、一体何がと思いながらその席へと腰かける。
そして間を空ける事無く、キッチンから宿主が姿を現す。
「はいこれが最後の魚の唐揚げですごゆっくりどうぞー」
並べられたのは狐色の衣を纏う美味しそうな唐揚げで、三人は早速と手を付け始めた。
今日釣りたてだからだろうか、身が引き締まっていてとても美味しい。
「流石宿主さんが釣った魚ですね」
「お前が釣ったんじゃねぇのかよ」
「俺のはイレヴンのだけですよ」
そして二人がイレヴンを向くと心底複雑そうな顔でサクサクサクと魚を食べていた。
「これ嫌がらせじゃねぇんスよね」
「すみません、俺はそれしかかからなくて」
苦笑するリゼルに、なら良いけどと食べ続ける。彼にとって毒は全く問題ではないが、しかし自分だけ毒入りの魚を出されるとは一瞬何事かと思った。
事情を察したジルが呆れたようにリゼルを見る。しかしリゼルとて狙ってその魚ばかり釣った訳ではなく偶然の産物で、しかもそれなりの数が釣れてしまったものだから確実にあるだろうイレヴンのおかわりは全て毒入りとなる。
「餌を変えたりもしたんですけど……釣りも奥が深いですね」
「餌の問題じゃねぇだろ」
「リーダー運が良いのか悪いのか分かんねぇ」
その後、イレヴンは何だかんだ言いながら最後の一匹までリゼルが釣った魚を食べ尽くした。