軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3

蟻退治を終えて、疲れ切って眠りについた夜のことだ。

その晩はどうにも夢見が悪く、僕はちろちろと燃える角灯の薄明かりの下で、目元を腕で覆いつつ、呻きとともに目を開いた。

腕の陰から見えるのは、鮮やかな木目。

数年前、この《灯火の川港》を切り開いた際に、保存状態の良かったこの館の遺構を改築して張り直した天井だ。

見慣れた光景。

見慣れた匂い。

見慣れた感触。

どこにも異常は見られない。

木製の枠によく干した藁束を詰め込み、そこにシーツをかぶせたベッドも。

籾殻と一緒に夏のハーブを詰め込んだ枕も。

みんないい匂いで、いつもなら身を横たえればぐっすりと眠れるはずなのに、今日はどうしてだか胸騒ぎがする。

――これは何かの予兆なのではないだろうか。

そう不安になった時だ。

コツ、コツ、コツ、と窓を叩く規則的な音がした。

「…………」

僕は、眉を潜めた。

メネルの「夜這い」なんて話が脳裏によぎらないでもなかったけれど――

そもそもここは、二階だ。

バルコニーはあるけれど、そんなに大きなものではないし、簡素なものだから人が足を乗せるとギィギィと大きく軋む。

夢現の状態だったとはいえ、今の僕がその音を感知できなかったとは思えない。

……この世界ではまだ、廉価で平らでかつ透明なガラスを量産する方法が発明されていない。

窓を覆うのは、普通の木の板できた簡素な鎧戸だ。

窓の向こうを見通すことはできない。

「――……」

寝台のすぐそば、ドワーフ造りの剛健なサイドテーブルに視線を向ける。

すぐに手が伸ばせられる位置に、《 喰らい尽くすもの(オーバーイーター) 》がある。

木製のシンプルな鞘と、なんということはない革巻きの柄。

けれどその奥には、神々や竜すら恐れる、あの艶めく黒刃が隠されている。

開けた瞬間に何らかの攻撃が来ても、回避しつつ剣を取るまでワンアクション。

そこから更に身をひねり、抜剣ざまの斬撃までワンアクション。

……二挙動で切り込める。大丈夫だ。

それを確認してから、僕は慎重に鎧戸を開け――

「やぁ」

バルコニーの手すりに、赤い瞳の鴉がいた。

月を背にして目を細め、それはそれは嬉しそうに笑みを浮かべているのが見える。

「…………」

僕は無言で、ぴしゃりと鎧戸を締めた。

「……寝ぼけてたのかな」

そう呟くと、鎧戸の向こうから返事がきた。

「寝ぼけてはいないとも。私だよ、スタグネイトだ。愚かで賢い私の敵よ、《最果ての聖騎士》よ」

「…………」

寝ぼけていると思わせて欲しかった。

「さ、開けてくれたまえ」

「…………」

驚きと呆れで口もきけない。

……誰が予期するだろうか。

仮にも神の一柱、遠く隔絶し、敬うべき存在が――予告もなく、こんな風に軽々しく現れるだなんて。

コツコツ、と再び窓を叩く音がする。

おそらくは嘴の先で、軽く鎧戸をつついているのだろう。

「……何の御用ですか」

「いやだな、私にそれを言わせる気なのかね?」

「真剣に、来訪を受ける理由が思い浮かばないのですが」

鎧戸越しに、スタグネイトの《遣い》である大鴉が首をかしげ、目を細める仕草が見えた気がした。

なんだかとても嫌な予感がする。

「……なんのことはない。騎士を慕う乙女が、恥を忍んで夜這いに来たのだよ? ここは微笑みとともに迎え入れて一夜を共に――おおっとそれはやめたまえ、その剣は洒落にならない」

無言で枕元の《 喰らい尽くすもの(オーバーイーター) 》に手を伸ばしかけたのを察知された。

あるいは鎧戸越しに貫いてしまうべきかとも思ったのだけれど、流石に神さまの《遣い》相手にそんな手は通じないようだ。

「そう怖がらないでくれたまえ、今のは半分は冗談だよ」

「それ半分は本気ってことですよね?」

「そうとも言うね」

くつくつと楽しそうに笑う気配。

嘴をかつかつと打ち鳴らす音がする。

「いずれにせよ、神が人を訪ったのだ。跪けとは言わないが、鎧戸を開け、対面くらいはしてくれても良いだろう」

「招かれれば、入れるようになるからですか?」

そう返すと、

「……ご明察。くくっ、鋭いなぁ、キミは」

思わずゾクリとするような、トーンの落ちた低い声。

……普段身を休める寝室だ。

僕もだいぶ人間離れはしたけれど寝込みの守りが完璧とは言い難いので、それなりに魔法や祝祷を重ねて防備には気を使っている。

不死神にとって、僕の部屋は宿敵である灯火の神の浄域……とまではいかないけれど、かなり相性の悪い空間であるのは間違いない。

《 木霊(エコー) 》ならばともかく、《 遣い(ヘラルド) 》では「招かれる」という段階を踏まないで入ることは難しいのだろう。

「…………」

まさか本当に夜這いに来た、だなんて思いはしないけれど。

このまま招く仕草や言葉を発さなければ、不死神は僕の寝室に踏み込むことはできないはずだ。

できたらこのまま、窓越しに要件を聞き出して、

「―― 貸しを一つ(・・・・・) 、 返してくれたまえ(・・・・・・・・) 」

その、笑みを含んだ言葉に、僕は硬直せざるを得なかった。

「…………」

「借りなどない、などとはよもや言うまいね?」

「……言い、ませんよ。不死神スタグネイト。あなたには、借りがあります」

《くろがね山脈》でのヴァラキアカとの決戦は、今も僕の記憶の中に鮮明に息づいている。

危ういところで割って入ってくれた不死神の助力も。

不死神の力で、ヴァラキアカに報仇雪恨の機会を得たドワーフ戦士たちの魂の、その会心の笑みも。

――全て、僕は、覚えている。

「さあ、私を入れてくれるかな?」

「…………」

不死神スタグネイトは怖い。

改めてそう思う。

暴威と悪逆を振りまいて辺りに被害を撒き散らす。

そんな存在ならば、どれほど強く恐ろしくても、僕は神さまとの誓いのために立ち向かうだろう。

けれど不死神スタグネイトは、そんな単純でわかりやすい悪意ではない。

――この神さまは幾分の歪みはあれど、間違いなく人を愛しているのだ。

情熱や理想に共鳴し、人の正義や誇りを尊重し、そしてその営為を心から慈しみ、愛おしんでいる。

だから彼女は、善も正義も一切侮らない。

むしろ共感し賞賛するし、そこに一切の嘘はない。

そして懐に入り込み、ゆっくりと切り崩し、蕩けさせ、己の信奉者とするのだと、理解はしている。

理解はしているけれど――では、ここで「それでも入るな」と突っぱねられるだろうか。

僕は彼女に、借りがある。

それを忘れて、知らないふりをして突き放すのは、神さまに恥じない行いだろうか。

灯火の神グレイスフィール。

女神に仕える、一人の騎士として、そのような振る舞いは肯定されるものだろうか?

「いいとも、ゆっくり悩みたまえ」

――……こんな自問自答をすることも、スタグネイトはお見通しなのだろう。

その上で僕を訪問しているのだ。

鎧戸の向こうで、くつくつと、恐るべき慈悲の女神が笑っている。

「くふっ、実にいいなぁ。……キミの煩悶の様子を眺めているだけで、私はなんだかゾクゾクしてくるよ」

挑発めいた物言いに、僕は呻く。

本当に、直接的な敵意や害意が一切ないだけにやりづらい。

……神さま、どうすればいいのでしょう?

困り果てて心のなかでそう呟いてみても、神さまがそうそう都合よく答えをくれるわけもなし。

それからたっぷり数呼吸ほどの間を置いて――

「…………どうぞ、お入り下さい」

僕は、ついに不死神を寝室に招き入れる羽目になってしまった。

初夏の夜の空気を招き入れるように、両の鎧戸を開く。

吹き込む夜風のなか、軽快な仕草で鴉が窓枠に飛び移り――

「くく。お邪魔するよ? 聖騎士ど――」

僕の背後。

部屋の角灯の 灯火(・・) が、ぼぅッ! と異様な音を立てて揺らめいた。

まさに不死神の遣い鴉が、僕の寝室に入ろうとした瞬間のことだ。

「ぉぉう」

遣い鴉が開き、警戒したように羽を逆立てた。

「あ、すみません。……驚かせてしまいましたね、風が吹き込んだせいでしょうか」

立ち上がり、不死神に背を向けて、角灯の風防を少し調節する。

不用心かもしれないけれど、ここで背中から刺してくる相手ではない、という程度の信頼はある。

「失礼しました。改めて、どうぞ」

「……いや、ここでいいよ。ここで話そう」

「――――?」

なぜ急に心変わりをしたのだろう。

やはり許しを受けていても、灯火の神さまに日夜祈りを捧げているこの空間は不死神にとっては居心地が悪いのかもしれない。

そのくらいは、ふてぶてしく笑いながら無理を押すところもあるのがスタグネイトだとも思うけれど――神意は測り難い。

「といってもなに、要件は単純でね」

窓枠に留まる鴉がするりと姿を変じる。

――風に翻る、ひだつきの長いスカートは、夜空のてっぺんを写し取ったような色をしていた。

なびく豊かな黒髪の上を、月光が滑り落ちる。

吸い込まれるような妖しさをたたえた、血のような瞳。

紫色の口紅の引かれた、ふっくらとした唇。

剥いた卵のようにシミひとつない肌に、すらりと美しい首筋。

身にまとうのはイヴニングドレスに似た、ふしぎな光沢を持つ生地でつくられた衣だった。

ふわりと膨らんだひだの多いスカートは長く、足首までを慎み深く隠しているけれど――肩からは大胆に露出され、豊満な胸までの曲線は、見せつけるように露わだ。

「キミに頼みたいことが――ふふ、おや?」

窓枠に肩を預けるようにして斜めに腰掛け、顎に手をかけ、僕にいたずらっぽく笑いかける彼女――

それはまさに、現し世に現れた女神そのものの姿だった。

「見惚れたのかね?」

「…………回答を拒否します」

「そうかそうか、ふふふ、そうか。キミは嘘がつけないものなぁ! ……では追求はしないでおいてあげようか!」

思わず呻く。

神さまにとって、外見や性別なんて飾りのようなものだ。

どんな綺麗な姿でも、可愛らしい姿でも思いのままだと知ってはいるけれど――知ってはいるけれど、それはそれとして仕方のない反応というものはある。

ほんとうに美しいものを前にしては、人間、どうしたって呆然とするしかないのだ。

「そ、それよりも! 夜這い以外の用件について、伺いたいのですが」

どうにもペースを握られていると自覚しつつ、そう問いかける。

実際問題、彼女に目を奪われつつも疑問ではあった。

……数多の不死なる英雄を抱えるスタグネイトが、僕に、頼み事?

彼女は大抵の用件は、彼女の英雄や信奉者たちによって解決してしまうだろうに。

「先程おっしゃりかけた、『頼みごと』というのは……」

「ああ、単純だよ」

不死神スタグネイトは、僕の前で、悠然と足を組み替えつつ――

「……少しばかり、私のいくさに助力してもらいたいのだよ」

とんでもないことを言い出した。