軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

4.悪役令嬢はハッピーエンドを迎える!

婚約契約書を交わしてからというもの、アンジェリカは客としてグリーンウォルド城の客間に滞在することになった。

朝は騎士たちの訓練を見に行き、泥と汗にまみれて剣を振るうウィルフォードを見ては、「今日も素敵ですわ」と満面の笑顔で言う。

執務の時間には勝手に邪魔をせず、手が空いた瞬間だけを見計らって、「さすがですわ」と目を輝かせる。

食事の席では頬の傷を褒め、夜には国境の話を聞きたがった。

褒め言葉に含みはなく、狙いも駆け引きもない。毎日まっすぐに好意を向けられ、ウィルフォードはたじたじだった。

使用人たちも、そんな様子を見ているうちに、すっかりアンジェリカの味方になった。

王都育ちの令嬢なら不満を漏らしそうな場面はいくらでもあった。

土埃は多いし、風は強い。菓子の種類は少なく、流行の品がすぐ手に入るわけでもない。

それでもアンジェリカは眉一つ動かさなかった。

むしろ、訓練場が近いのは景色が開けていて気分がいい、食事も飾り気がなくて美味しいと喜んだ。

湯加減を調整したメイドには礼を言い、食事を運ぶ使用人にも笑顔を向け、廊下ですれ違う下働きの子の名まできちんと覚えた。

最初は「押しかけてきた王都のご令嬢」だと眉を顰めていた反対派の者など、数日で「あの方なら歓迎です」に変わっていた。

屋敷の者にとっては喜ばしい変化だったが、ウィルフォードにとって厄介だったのは、アンジェリカの熱が一向に冷めないことだった。

今日は一歩引くかと思えば、翌日には昨日以上の勢いで褒めてくる。

どこまで本気なのかと疑いたくなるほどだったが、本人は毎回いたって真剣。国境守備の話も、領の悩みも、面白がって聞くのではなく、理解しようとして聞いていた。

そのせいで、ウィルフォードはだんだん困ってきた。

屋敷の者は日に日に浮かれ、ケビンは露骨に面白がり、乳母などはもう祝言の日取りまで考えていそうな顔をしている。

押されている。

確実に押されている。

そう分かっているのに、嫌じゃない。その逆だ。

『厄介』なのは、アンジェリカではなく、思った以上にチョロい自分のほうでは? とウィルフォードは気づき始めていた。

そんなある日、アンジェリカは城の裏手にある、ほうっておかれている畑を見つけた。

聞けば、春には白い花が咲き、秋には赤い実をつける木だという。

枝ぶりは前世で見た林檎の木によく似ていたが、実は一回りほど小さい。丸くて赤く、ところどころ黄色が混じっている。

「まあ、林檎だわ……」

「りんご? ……これは、『エルマ』という名の実でございますよ」

案内役のメイドが答えた。

「『エルマ』?」

聞き慣れない名だったが、見た目はほとんど林檎である。

試しに一つ齧ってみると、しゃり、と小気味よい音がした。

果汁は出る。香りも悪くない。

だが、次の瞬間、アンジェリカは片目をつぶった。

「……ものすごく酸味が強いですわね」

「ええ。嫌いではない方もおりますが、たくさん食べるようなものではなくて」

「王都へ出したことは?」

「昔、一度だけ……。ですが、あまり受けが良くなかったそうで諦めたと聞いてます」

なるほど、とアンジェリカは頷いた。

生で売るには弱い。見た目は愛らしいのに、齧った瞬間に頬の内側がきゅうっとなる。

これでは、王都の令嬢や貴族夫人が好んで手を伸ばすとは思えない。

「……そうだわ、火を通したらどうかしら?」

その足で厨房へ向かった。

最初に作ったのは、エルマの蜜煮。砂糖と少しの香辛料でゆっくり煮ると、強すぎた酸味が丸くなり、香りが立った。

次に、それを刻んで生地へ混ぜ込み、焼き菓子にする。

焼き上がる頃には、厨房いっぱいに甘い匂いが広がっていた。

料理人や使用人たちは最初こそ半信半疑だったが、焼き立てを切り分けて口へ運んだ瞬間、顔つきが変わった。

「この酸味は、焼くとちょうどいいんですなあ」

「甘酸っぱくて美味しいですね、香りも良い!」

アンジェリカは満足げに頷いた。

翌日には薄切りにして乾かし、干しエルマも作った。

こちらは騎士たちに評判がよかった。軽くて持ち歩きやすく、口に入れると甘みが増す。

さらに細かく刻んだ乾燥エルマを茶葉に混ぜ、果実茶にもしてみた。湯を注ぐと、湯気に混じってやわらかい香りが立つ。

城の者たちは面白がりながらも、次々に口へ運んだ。

料理長は腕を組み、唸った。

「保存が利くのは大きいですなあ」

「ええ。焼き菓子にもできますし、干したものは持ち運びにも向いておりますわ。王都へ送るなら、生よりこちらです」

数日後には、試作品が箱に詰められ、ランカスター伯爵家へ送られた。

甘さの具合はどうか。見た目はどうか。王都の者の口に合うか。率直な感想を書いて返してほしいと、手紙も添えた。

ついでに、ウィルフォードにも食べてもらった。

執務の合間、皿の上の焼き菓子を無言で見下ろしていた彼は、一口食べたあとで、少しだけ目を見開いた。

「……うまいな。これが、あの酸っぱい実か?」

「ええ。生で売るからいけなかったのですわ。向いている形で出せば、ちゃんと価値が出ます。きっと、領の名産になります」

彼女は、ウィルフォードだけを見ているのではなかった。

この土地も、ここで生きる人たちも、好きになっていた。

焼き菓子はランカスター伯爵家で上々の評判を得て、干しエルマと果実茶も「売れると思う」と返事が来た。

感想を寄せた手紙の末尾には、伯爵の端正な字で、娘の近況を喜ぶ言葉と、以下のことが綴られていた。

〈なお、娘がそちらで珍妙なことを申していたとしても、話半分でお聞き流しいただきたい。

とはいえ、卿のことを思う気持ちに偽りがないことだけは神に誓います〉

その文字を読んだとき、ウィルフォードはしばらく黙った。

父よりも年上の男へ嫁がされる、という話は、ずいぶん大きく盛られていた話らしい。

だが、方便まで使って食らいついてくる理由が、なぜ自分なのかが分からない。

若く、美しく、頭の回る伯爵令嬢が、辺境暮らしの傷持ち男へここまで本気になるのか。

その夜、執務机に向かったまま考え込んでいたウィルフォードは、書類を片づけていたケビンに、つい漏らした。

「……なぜ俺なのだろう」

ケビンは羽根ペンを置き、心底面倒そうな顔になった。

「好きだからに決まっているでしょう? 毎日あれだけ分かりやすく好意を示されているのに、なあにが、『なぜ俺なのだろう』ですか? 惚気ですか? 恋人がいないオレにマウントですか? ああん?」

「惚気でもマウントでもない。純粋な疑問だ」

「だから、好きだからでしょうが。領のことも真面目に考え、使用人にも好かれ、騎士どもにまで菓子を配って掌握してんのも、お前が好きだからだっつの」

執事としてでなく、友人としての口調になっているケビンはそのまま続ける。

「面倒くせえ。いいから腹括れ。もっとシンプルに考えろ、お嬢様が好きか嫌いか、抱けるか抱けねえか。んで、後者ならお帰りいただけ。そうでねえなら、式の日取りを決めろ。ぼやぼやしてっと逃げられっぞ!」

主に対してひどい言い草である。

そして、当のアンジェリカは逃げるどころか、日ごと勢いを増している。

エルマの加工は城の厨房だけで終わらなかった。

干しエルマは騎士たちの携行食に向くと好評で、菓子のほうも来客用にちょうどよかった。

果実茶は女性たちに受け、城下でも少しずつ真似する家が出てきた。

凝った縦巻きの髪型もやめ、一本結びでせっせと働いている姿に、心が動かないはずがない。

だからこそ、余計に臆した。

王都では、アンジェリカが辺境で上手くやっているという話が少しずつ広まっている。

エルマの菓子がランカスター伯爵家へ届いた以上、その噂が元婚約者の耳に入らないはずもない。

そんな折である。

ある日の午後、来客を告げる声に応接室へ向かったウィルフォードは、そこでエリック・リツェンハイン──アンジェリカの元婚約者に会った。

何やら、顔色が悪く、雰囲気が冴えない様子である。

アンジェリカもすでにそこにいた。驚いた様子はなく、「何をしに来たのかしら」とでも言いたげに首を傾げている。

エリックは数歩進み、湿った声で言った。

「頼む。もう一度、俺とやり直してくれ!」

アンジェリカは数秒黙って相手を見つめた。

未練も動揺もない。ただ、意味が分からなかった。それから本気で不思議そうに尋ねた。

「あなた、既婚者でしょう?」

「ミシェルとは籍だけだ! 本当の夫婦じゃない!」

何言ってるんだ、こいつ。馬鹿か──部屋にいる者たちの心の声がシンクロする。

「そうだとしても。私、あなたのこと散々に言いましたのよ? どうしてやり直したいなんて思ったの? 意味が分からないわ。あなたってマゾなの?」

エリックの表情が引きつった。

それでも彼は引かなかった。

ミシェルとのことがいかに誤りだったか、自分がどれほど追い詰められているか、アンジェリカの価値をようやく理解したこと、やり直せば今度こそ大事にすると、見苦しいほど並べ立てた。

アンジェリカは途中から明らかにうんざりしていた。

「要するに、今の生活に耐えられないってことですわよね?」

「違う、俺は本気で……」

「はあ……説得力がない方のお言葉って、どうしてこんなに聞き苦しいのでしょう」

きっぱり切られても、エリックはなお食い下がった。

「お前だって、こんな田舎に本気で骨を埋める気じゃないだろう。王都へ戻れば──」

その先で、ウィルフォードの堪忍袋の緒が切れた。

「彼女は俺の婚約者だ」

気づけば口にしていた。

自分でも驚くほど冷えた声だった。

エリックが振り向き、室内の空気がぴたりと止まる。

「式は来月挙げる。今後、彼女に近づくな」

エリックは呆然と立ち尽くし、何か言いたげに口を動かしたあと、結局何も言えずに去っていった。

場が落ち着いたあと、ウィルフォードはようやく自分の発言の重さを思い出した。

顔を上げると、アンジェリカが信じられないほど目を輝かせてこちらを見ている。

「……勝手に来月などと言ってすまん」

すると彼女は、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。可愛い。

「問題ございませんわ! 明日にでもしたいくらいですもの!」

声が弾みすぎている。とても可愛い。

まったく困っていない様子だ。

その勢いに押されて、ウィルフォードは一度目を閉じた。

ここまで来て、まだ方便だの契約だのと言い張るのは往生際が悪い。

好きか嫌いかで言えば、答えはもう出ている。

目を開けたときには、腹は決まっていた。

「あなたが嫌でないのなら、来月、正式に式を挙げよう。……だが、本当に俺でいいのか?」

アンジェリカは、そこでようやく少しだけ息を呑んだ。

それから、年相応の素直な笑みを見せた。

「ええ! あなた様がよろしいのですわ!」

そうなってしまえば、話は早い。

もともと婚約の契約書は交わしてある。屋敷の者たちは前日から祭りのように浮かれ、ケビンは「ようやくですか」と呆れながらスキップをし、乳母は遠慮なくおいおい泣いた。

騎士たちにまで祝われ、厨房は張り切り、エルマの菓子も祝いの席に並んだ。

城で行われた式は、王都の大貴族のものほど華美ではなかったが、アンジェリカにとっては申し分なかった。

隣には、出会ったときから見目が良く、傷まで素敵で、しかも今では自分を選んでくれた夫がいる。

これ以上、何を望むというのか。

かくして悪役令嬢アンジェリカは、前世で知っていた破滅の筋書きを踏み外し、辺境の要塞で誰よりも満足げな花嫁になったのである。

◇◇◇

さて、グリーンウォルド侯爵夫人となったアンジェリカは、その後も領内で遠慮なく才覚を振るった。

エルマは品種改良が進み、甘みの強い実が取れるようになった。

焼き菓子、果実茶、干しエルマも領の名物となり、王都での評判も上々。

グリーンウォルド領の名は、辺境の砦だけでなく、美味いものの産地としても知られていった。

さらに、国境勤務は危険が大きい分、手当や住まいを厚くした募集を出したところ、若者の志願も増えた──前世の知識から福利厚生の大事さを分かっていたことが功を奏した。

そのおかげで、エルマ畑と加工場の仕事も広がり、領内は目に見えて活気づいた。

加えてアンジェリカは、領の娘たちへ『モテる女講座』なるものまで開いた。

姿勢、言葉づかい、笑い方、髪の結い方。これが、予想に反してためになったらしく、「グリーンウォルド領の女性は美人が多い」という噂まで広がった。

縁談は増え、子どもも増え、領主館では「奥様が来てから領が色気づいた」などと言われている。ケビンにも恋人ができた。

※ウィルフォードへハニートラップでミシェルが突撃するエピソードは大したことがないので、この話は割愛する!

のちに、アンジェリカは二男二女に恵まれた。

国境では小競り合いが起きることもあったが、妻子を持ったウィルフォードは鬼神のごとき勢いでこれを退け、アンジェリカはその隣で、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。

【完】