軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話 オーヴァを越えて(後編)

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吹き抜ける風の匂いが違う。

今まで嗅いだ、どんな風とも違う。

鮮烈なのにどこか生臭く。

開け放たれているのに、何かに包まれているように感じる。

朝霧の中、大河オーヴァを渡る帆船に、バルドは乗っている。

渓流に運ばれる丸木舟以外の船を知らないバルドには、ひどく新鮮な経験だ。

リンツからなら二晩つまり三日はかかる船旅も、この辺りでは川幅が狭まっているため、風さえよければたった一日で終わる。

笹の葉を二枚懐から出して、川面に落とした。

アーフラバーン伯爵は、なんと三十人の騎士と三十人の従騎士を連れてきていた。

装備は一級品で、練度も高い。

どこの砦を攻め落とすつもりだったのかと聞きたくなる。

もっとも従卒も輜重隊もない。

機動性を重視したためだろう。

ばらばらになってドリアテッサを捜索していた一行は、知らせを受けてオーヴァ川沿いの 津(みなと) ヒマヤに集結した。

ヒマヤは、リンツに比べればごく小さい津だが、なかなか上等の旅館があり、人も多く活気があった。

さすがにこの一行が馬ごと一度に乗り込める船はなかったが、それでもたった二回で運べるという。

船自体も大きいうえ、食事と宿泊の設備が必要がないから、大勢が乗れるのだ。

よほど大枚をはたいたのか、一行は早々に船に乗り込み、待つほどもなく出発することができた。

日が昇るにしたがい、大峰フューザがオーヴァのかなたに姿を現してきた。

水面越しにみるフューザは、また格別の見応えがある。

船縁でドリアテッサが飽きもせずに景色を眺めている。

ただしその視線はフューザのほうではなく、東のほうに向けられている。

喜びとせつなさに満ちた目で、じっと東のほうを見つめている。

おそらく滝つぼを見ているのだろう、とバルドは思った。

無論ここから見えるわけはない。

それでもきっと、ドリアテッサの目には、あの滝つぼのほとりが映っている。

あれは不思議な場所だった。

大国の大貴族の娘であるドリアテッサも、地方領主であるゴドンも、流れ騎士であるバルドやカーズも、盗賊であるジュルチャガも、何の隔てもなく心許せる仲間であり得た、不思議な場所だった。

神々の懐に抱かれたかのように、安心で、愉快で、驚きに満ちた場所だった。

あの場所に戻ることは二度とできない。

兄の迎えを受けた瞬間、ドリアテッサは本来の身分に戻ったのだ。

生身の人間に戻った、といってもよい。

だから、限りない感謝と憧憬を込めてあの場所を振り返り、心に焼き付けているのだろう。

そのドリアテッサを、少し離れた場所からアーフラバーン伯爵が見つめている。

それは、妹を見る目などでは決してない。

命懸けで惚れた女を見る目だ。

そのまなざしを、伯爵は隠そうともしていない。

この数日で、バルドは知った。

アーフラバーン伯爵は、女としてドリアテッサを愛している。

だが、ドリアテッサは、父を同じくする兄であるアーフラバーンの恋情に、嫌悪を感じている。

母が違っても父が同じでは、どこの神官もけっして結婚は認めないだろう。

世間もその関係を正しいものとはみない。

何代か前のゴリオラ皇王が、妹を愛し、そのあいだに出来た子を正妃の子にしたて、帝位を継がせたことは有名だ。

そしてまた、帝位を継いでわずか半年後に有力貴族の反乱で殺され、危うく皇統が絶えるところだったのも、同じく有名だ。

実の兄の愛に身を委ねれば、日陰の道を歩むしかない。

それでもドリアテッサの安寧を守り抜く権力と財力と覚悟を、アーフラバーン伯爵は持っているのだろう。

誰はばかることなく、堂々と妹に対する思慕を体全体で表現しているアーフラバーンが、バルドの目にはまぶしくみえた。

許されぬ恋を貫くのも、よい。

それも英傑の生き方の一つではないか。

バルド自身は、そういう生き方はできなかった。

だから、それを望む者を応援したい気持ちがある。

ただし、ドリアテッサは、バルドのみるところそれを望んでいない。

このように気付いてみると、今まで不審に思っていた多くのことがふに落ちた。

ジュルチャガは、水煙の向こうのフューザを眺めながら、何かをもしゃもしゃ食べている。

バルドは小さな怒りを感じて、歩み寄った。

こらっ。

ジュルチャガ。

お前、まだ油ゆでを持っておったなっ。

「えっ?

いやだなあ、旦那。

違うよ。

これはね、もう身の残ってない骨だよ。

包装してた笹に、ちょびっと塩が残っててね。

くっつけてしゃぶるとおいしいんだ」

ジュルチャガとは泊まる宿も違い食事の場も違ったから、船に乗るまで顔を合わせなかった。

出航してから、

「もう冷えちゃったけど、こんなの食べる?」

と言って差し出したのは、ポド芋をざく切りにしたものと、コルコルドゥルの骨付き肉だった。

冷えてはいたが、何かしら食欲をそそる匂いがした。

食べてみて驚いた。

何ともうまい。

食べたことのない、しかしどこかで知っているような料理法だ。

聞いてみてもう一度驚いた。

なんとこの料理は、水を沸かしてゆでる代わりに、油を沸かしてゆでたのだというのだ。

辺境では油は貴重品だ。

武具を始めさまざまな道具の手入れに、明かりに、調薬に、傷の手当てにと、その用途は広い。

リンツなどでは魚から採れる油も使うが、バルドがよく知っている油は、いずれも木や草から採るものだ。

ランプに使えばあっという間に備蓄を使い果たしてしまうから、室内でもできるだけ松明で明かりを採り、それも使わずに済めば使わないようにしていた。

料理にももちろん油を使うことはあるが、湯の代わりに油を使ってゆでるとは、なんたる贅沢か。

砦で凍える冬には羊の脂を沸かして飲んだことはあるが、油で食材をゆでるという発想はなかった。

相当に新鮮で、混ざりもののない、質のよい油をたっぷりと使うのだろう。

「やだなあ。

途中、峠からボーバードを見たじゃん。

ほら。

黄色い花のじゅうたんが広がってたでしょ。

あれ、チャリアの花だよ。

ボーバードはチャリアの大産地なんだ。

だから、チャリア油が、そりゃもう山のように取れるんだ。

あそこじゃ平民でも油は安く買えるから、油をたっぷり使った料理がたーくさんあるんだって。

とーぜん、この 津(みなと) にも油はたっぷり来るからね。

これ、街の屋台で売ってたんだよ。

あつあつのときは、そりゃもう死ぬほどおいしかった」

うまい。

食べれば食べるほど、うまい。

芋のほうは、たぶん塩をかけただけだが、これがうまい。

コルコルドゥルのほうは、何かたれに漬け込んでから油ゆでしてあるが、これは未知の味わいだ。

くそっ、ジュルチャガめ。

一人でこんなうまい物を。

しかし、どうしてこんなうまい物が、わしたちの料理には出なかったのか。

「いや、だから。

この辺じゃ、油ゆではありふれた料理なんだって。

それに、旅籠には賓客の料理に使えるほど上等の油がなかったらしいって、騎士の人が言ってた」

ゴリオラ皇国にも油ゆでがあるといわれなければ、バルドはボーバードに引っ返していただろう。

ドリアテッサが振り返ってこちらを見た。

ヒマヤでゆっくり湯につかり、髪に油も乗せた。

肌も化粧し、唇には紅が引いてある。

とがった顎。

りりしい目鼻。

男性的な装いが、逆に女としての美しさを引き立てている。

このおなごを見ると胸がざわつく。

なぜじゃろうか。

びゅうと強い風が吹いた。

風は髪留めから髪を引き抜き、右半分の髪だけが前方に吹き流された。

匂い立つような色香が、一瞬はじけた。

6

まずいことになったらしい。

アーフラバーン伯爵は、金と権力で無理やり船を仕立てたが、そのため、本来ならヒマヤから運ばれていたはずの油樽が、三日遅れることになった。

その油樽の買い手は、パルザム王国の辺境騎士団だった。

部下を謝罪に行かせたのだが、なんと先方は騎士団長自身が来ているとのことだった。

相手の爵位は伯爵で、辺境騎士団長であるうえ、王都に上って留守中のガドゥーシャ辺境侯の全権代理でもある。

つまり、アーフラバーンと爵位は同じで、職位はあちらがはるかに上、ということになる。

新任の騎士団長であるため、視察がてら来たらしい。

アーフラバーン伯爵は、自ら謝罪するため相手を訪ねなければならない。

という話をしていたところに、先方の騎士団長が訪ねてきた。

その相手の顔をバルドは知っていた。

向こうもこちらを覚えていて、話しかけてきた。

「バルド・ローエン卿!

ここでお会いできるとは、まさしく 星神(ザイエン) のお導き」

ザイフェルト・ボーエンだった。

かつてパルザム王の勅使の随行をしていた練達の騎士だ。

勅使の病気をバルドが手当てしたのが機縁となり、友誼を結んだ。

ともにカルドス・コエンデラを謀った同士でもある。

それにしても、アーフラバーン伯爵より先にバルドに話し掛けるのは、相当に礼を失した振る舞いだ。

そうバルドは思ったのだが、無論ザイフェルトはうかつな人間ではない。

アーフラバーンとあいさつを交わし、油が遅延する件については、

「おかげで部下たちが、三日間の休暇ができたと喜んでござる」

と 韜晦(とうかい) して相手を許したザイフェルトは、ときにバルド・ローエン卿がご一緒のわけをお聞きしてよろしいか、と言った。

妹の恩人ゆえ、皇都にお連れして歓待いたす所存、とアーフラバーンが答えると、ザイフェルトは驚くべきことを言い出した。

「このたび飛燕宮のあるじとなられたおかたの導き手にして師父たるバルド・ローエン卿は、わが国に大いなる貢献をなされた。

ついては、バルド・ローエン卿を賓客として王都にお招きする旨、王陛下はそれがしに命を下されたのでござる。

フューザに向けて放浪の旅に赴かれたと聞き、捜索の段取りを付け始めておったところなのです。

客を奪うようで恐縮にござるが、勅命ゆえ、バルド・ローエン卿は、こちらでご案内つかまつる」

こう言われてみれば、弱みもあるし、アーフラバーンには言い返しようもない。

先ほどまずバルドに話しかけたのも、パルザム王国にとってはアーフラバーンよりバルドのほうが格上として扱われる、ということをあえて示したのだろう。

そうなると、いよいよアーフラバーンはバルドの行動に注文をつけにくい。

バルドたちはザイフェルトに同行することになった。

まずはパルザム王国辺境騎士団の根拠地たるロードヴァン城に行き、王都と連絡をとるという。

あとで訊いたところ、飛燕宮というのは王の継嗣たる人物の住居だった。

正式に立太子されれば同じ宮殿が紫燕宮と呼ばれる。

ジュールランは今、そこに住んでいるのだ。

「ただ者ではないと思っていたが、パルザム王のご長子の 傅(ふ) にして騎士の誓いの導き手を任されるようなかただったとは。

ここでお別れするのは残念至極。

用務が済まれたら、必ずやゴリオラ皇国の皇都にファファーレン侯爵家をお訪ねあれ。

必ずですぞ。

毛皮の代金は、辺境侯の城にお届けする」

と、アーフラバーン伯爵はバルドに言った。

そもそもゴリオラ皇国の皇都とやらで位の高い貴族たちとまみえるのは、あまり気が進まないことだった。

それに対して、パルザム王国の王都を訪ねてジュールランの近況を確かめるのは、悪くない。

だから、ここでアーフラバーンたちと別れるのは構わないのだが、ドリアテッサが物悲しげな目でバルドを見ている。

あなたは私を見捨てるのですか、とその目線が語っている。

胸が詰まる思いがして、バルドは思わず、

ドリアテッサ殿。

ジュルチャガをあなたに随行させる。

何か連絡があれば、ジュルチャガにお言いつけなされ。

と言ってしまった。

ドリアテッサの顔が明るく輝いた。

ジュルチャガは、分かったとばかりにうなずいた。

7

「やあ。

こうして再びバルド殿と酒を酌み交わせるとは、実に愉快。

ザルコス卿もカーズ殿も遠慮なく杯を干されよ。

湖のほとりでお別れして以来ですな。

あれからコエンデラの城に行ったが、事の成り行きが、いちいちバルド殿の予測通り。

何も知らずに行っておったら、あそこで死なねばならなんだ。

貴殿は恩人です」

バルドは、カルドスは王都に招かれたらしいが、どうなったのかと訊いた。

ザイフェルトは、詳しい成り行きを説明してくれた。

カルドス・コエンデラは王都に召され、ウェンデルラント王にかつて与えた恩義の報いとして、伯爵位と屋敷を与えられ、当分のあいだ王の話し相手として王都にとどまることになった。

この場合の当分のあいだとは死ぬまでという意味であり、屋敷から一歩も出ることは許されない。

一方、ジグエンツァ大領主領の設立が正式に認められ、パルザム王国との庇護契約が結ばれた。

ただし、王の長子の偽物を立てた罪により、コエンデラ家は大領主の座に就けないものとされた。

カルドスの長子ゼオンは、死刑に処せられた。

コエンデラ家は、着服した養育費を今後三十年にわたって返却することとなった。

初め、ウェンデルラント王は、大領主の座をテルシア家に与えるつもりだった。

だが、それをジュールラント王子に相談したところ、それは適当でないという意見を奏上した。

ジュールラント王子によれば、余分な仕事が増えれば、大障壁の切れ目を守るという役目に支障を来しかねない。

また、テルシア家が政治権力を持つことは、長期的にみれば使命の妨げとなる。

この意見に王は深く納得し、では誰を大領主にすればよいか、と下問した。

ジュールラント王子は、ノーラ家が適当と思われます、と上奏した。

ノーラ家は、長年大領主の座をコエンデラ家と争ってきた名家である。

当主始め一族のほとんどがコエンデラ家に殺されたが、末子がパクラに逃げ込んできたため、ジュールラント王子の進言によりひそかにかくまっていたのだ。

家格や歴史的経緯からすれば大領主にふさわしい家だし、親戚や朋友も多い。

この状況で大領主に任じられれば、パルザム王国への忠誠は強固なものとなり、またテルシア家には強い恩義を感じるだろう。

周囲の諸家もテルシアの高潔をますます知ることになる。

この件ではテルシア家は利を得ないことが最大の利を得ることになる。

これを聞いて王は大笑いし、三名の騎士を呼んで、ジュールラント王子の指示に従い東部辺境の仕置きを行うよう命じた。

バルドは、ザイフェルトがジュールランのことをジュールラントと呼ぶのを怪しんだ。

これはパルザム王家独特の慣習で、名前の末尾がランかエンで終わる男子のみ、トを加えて呼ぶのだという。

ジュールラント王子は、飲み込みが早く順応力が高く、優秀な教育係たちをうまく使って周囲になじみ信頼を集め、もはや生まれたときから王宮にいたかのように振る舞っている、とのことだった。

それでこそジュールランじゃ。

バルドはひどく誇らしい気持ちになった。