作品タイトル不明
第3話 魔獣来襲(後編)《イラスト:古代剣》
3
魔獣たちのうなり声が響いている。
大岩猿の魔獣が突撃してきたあいだに、後ろの獣たちはうなり声を上げ始めていた。
吠えずに、ただうなるのである。
それは夜の闇が辺りを覆っても、ずっと続いている。
バルドは城壁の上の崩れかけていない場所から闇をにらんだ。
そこには魔獣の大群がいる。
バルドも見たことはおろか想像もしたことのないほどの大軍だ。
思わず知らず、バルドは腰の古代剣に手をやった。
そのとき、古代剣のつかを握る手が、ちりちり、とうずいた。
兵士たちの一部はひどく消耗している。
大岩猿たちの突撃は、彼らの精神を相当に痛めつけたようだ。
魔獣は、撃っても撃っても死なずに起き上がり、攻撃を続ける。
恐ろしいほどの怒りと憎しみを、人にぶつけてくる。
知識で魔獣というものを知ってはいても戦ったことのない者にとって、魔獣は地獄の悪鬼そのものだ。
無謀ともいえる大岩猿たちの突撃は、守備兵たちの心に確かなくさびを打ち込んだ。
そして、このうなり声である。
今にも襲い来るかと思わせつつ、矢の届かない距離でうなる魔獣たち。
城壁に灯した松明の明かりでぼうっと闇の中に浮かぶ彼らと、 爛々(らんらん) と光る赤い目。
この城ごと、この世でない別の場所に運ばれてしまったかのような錯覚さえ覚える。
守備兵たちは休むこともできず、いよいよ消耗していくだろう。
城の中の非戦闘員たちの不安も募る。
「旦那、旦那。
あったかいスープ持ってきたよ」
バルドは礼を言ってジュルチャガから器を受け取った。
兵たちも交代で休憩し、食事を取り休むようにさせている。
こういうときは、少々図太いくらいのほうがよい。
いい例がジョグ・ウォードだ。
城壁の中に戻されたジョグは、では当分俺たちの出番はないなと言い、部下たちにさっさと食事を取らせた。
自分自身も食事を済ませると、鎧を着けたままごろりと寝転んでぐうすか寝息を立て始めたらしい。
部下たちも将軍を手本にくつろいで休憩を始めたという。
これを聞いたバルドはあきれもし、感心もした。
そして、非戦闘員たちに食事を作り、自分たちも食べ兵士たちにも配るよう命じた。
何かすることがあったほうが気が紛れるし、温かい食事は気持ちを落ち着け体力を養う。
長丁場の戦いになると思われるから、交代で睡眠も取ったほうがよい。
そのようにザイフェルトとアーフラバーンにも命じた。
今日は一つしか月が出ていない。
〈 妹の月(サーリエ) 〉だけだ。
サーリエは、〈 姉の月(スーラ) 〉より明るいのに、地を照らす力は弱い。
そのうえ今夜のサーリエは細い三日月だ。
暗さは人間の不安を高める。
いや、不安だけではない。
実際に物が見えにくいのだから、人間の戦闘能力はぐっと低下する。
そして敵には耳長狼と青豹がいる。
夜は彼らの時間なのだ。
そんなことをバルドが考えていた矢先、赤く光る多数の目がものすごい速度で城に近づいて来た。
ザイフェルトが兵たちに警告の声を掛け、休んでいた者たちも戦闘配置につけた。
4
やって来たのは耳長狼と青豹だった。
シロヅノは夜は活動しない。
オオハナも、夜はあまり活動しない。
それに対して耳長狼と青豹は夜こそ真価を発揮する獣だ。
襲い来るかと思ったが、そうではなかった。
北門近くに広く散開してうろつきながら、吠え声を上げ始めたのだ。
これでは寝ている者も起きるだろう。
非戦闘員たちにはつらい夜となりそうだ。
近づいて来る獣もあるから威嚇のつもりでアーフラバーンが時々射掛けさせるが、有効な攻撃にはならない。
ほとんどの魔獣は弓の有効射程の中には入ろうとしない。
もはやこちらの手の内は見切ったといわんばかりに。
よくもこんなに吠え声が続くものだと妙な感心をしながら、バルドは漠然とした不安に駆られていた。
何かが、何かが、心のどこかに引っかかっている。
大事なことを見落としているような気がする。
「アーフラ 兄(にい) ちゃん」
「その呼び方はするな。
何だ」
ジュルチャガとアーフラバーンが、先ほどから気の抜けるようなのどかな会話をしている。
獣たちの吠え声の中ではあるが、なにしろバルドの真横で会話しているのだから、よく聞こえる。
近くの兵たちにも聞こえるだろうに、ジュルチャガの口調はこれでよいのかと思う。
だがジュルチャガは恐ろしいほどに空気を読める男だ。
そのジュルチャガがこうしているのだから、まあいいのだろう。
「アーフラ兄ちゃん、昔フクロザルを飼ってたんだって?」
「うむ。
皇都では猿は珍しくてな。
フクロザルは小さいときは実にかわいらしいから、貴族の女性には欲しがる者が多い。
ドリアテッサの土産にもらってきたのだが、あれは生き物を飼うことに興味がなかったようでな。
結局私が育てた」
「アーフラ兄ちゃん、けっこうまめだね。
フクロザルって頭いいよね」
「だからその呼び方はするな。
うむ。
芸もよく覚えるし主人には忠実だからな。
大きくなってからは庭に放って 番猿(ばんざる) にしたぞ」
「フクロザルって、道具も使うしね。
前にね、森から来たフクロザルがさ。
村の家に入り込んで、かめを木の棍棒でたたき割って、中の芋を持ってっちゃったんだ」
「はは。
それぐらいはするだろうな。
うちのフクロザルはドアの開け閉めができたぞ」
「アーフラ兄ちゃんの育てた猿だったらさあ。
やっぱりすごく偉そうな猿だったんだろうね」
「それ以上無礼な口をきくと、斬るぞ」
「へー。
おいらを斬れるほど上達したんだ。
頑張ったね、アーフラ兄ちゃん」
聞きながら、バルドは自分の顔が青ざめるのが分かった。
猿だ。
フクロザルがいない。
昼やって来た魔獣たちの中に、フクロザルがいなかった。
コルポス砦を襲った魔獣の中にはフクロザルもいたが、それは全滅させた。
ジョグ・ウォードが撃退した魔獣の中にもフクロザルがいたというが、そちらは全滅まではさせられなかったという。
ならば、他の砦を襲った魔獣の中にもフクロザルはいたのではないか。
それなのに、ここには一匹もいない。
では、今どこにいるのか。
西門に変事があったことを告げる太鼓の音が聞こえてきたとき、バルドはおのれの失敗を知った。
5
フクロザルが城の中に侵入してきたのだった。
西門と南門のあいだの手薄な場所で、城壁をよじ登ったようだ。
バルドは、フクロザルが来るかもしれないと警告を発して見張りを密にしておくのだった、と後悔した。
といっても、ロードヴァン城は広すぎて、とても城壁を網羅するだけの人間も松明も手配できなかったのだが。
フクロザルを最初に発見したのは非戦闘員の住人だった。
二十匹ほどのフクロザルは、悲鳴を上げる住人を無視して走った。
西門に。
この城では北門と南門は大きい。
北門など、入り口の扉が三重構造をしていて、さしもの魔獣にもそうそうは破られない安心感を与えてくれる。
西と東の門は小さい。
板の開き戸になっていて、かんぬきで閉ざし、つっかい棒で補強する。
その西の門を、猿たちは開けた。
北門前で威嚇行動をしていた耳長狼たちと青豹たちは、まるで申し合わせたかのように、突然西門のほうに走った。
バルドたちは城壁から降り、馬で移動した。
松明の配置してある城壁沿いにバルドたちは走った。
バルドたちより早く移動を開始した耳長狼と青豹の魔獣たちは、すでに西門から侵入を開始していた。
だが、ジョグ・ウォードがいち早く駆けつけて、西門を閉じることに成功していた。
これは大殊勲である。
バルドが西門に到着したとき最初に目に入ったのは、ジョグの獅子奮迅の戦いぶりだった。
数人の兵士が西門を必死で押さえ込み、丸太のつっかい棒を置き、 土嚢(どのう) と石を積み上げている。
コリン・クルザーと何人かの騎士が作業をする兵士たちを守って、魔獣を牽制している。
その前でジョグがたくさんの魔獣をたった一人で相手している。
いや、一人でというのは正しくない。
その周りでは騎士たちが魔獣と戦ってはいるのだ。
だがジョグの周りには誰も近寄れず、そのジョグを驚くべき数の魔獣が取り囲んでいる。
ジョグは全身を黒い鎧で包み、頭には兜をかぶらず、黒い大剣を縦横無尽に振り回している。
魔獣が次々に飛び掛かるのだが、そのことごとくをはね飛ばしている。
まさに、〈 暴風(パンザール) 〉。
ジョグの体にかみつき、あるいは爪を立てる魔獣もいるが、ジョグは体の回転力でふりほどいてしまい、剣ではじき飛ばす。
はじき飛ばされた魔獣たちは、悲鳴を上げて大地にたたき付けられながらも、すぐに起き上がってまたジョグに襲い掛かる。
炎に引き寄せられる 蛾(が) のように、ジョグ一人を目がけて魔獣たちは自然に攻撃の円陣を作っていたのである。
すさまじい加速をつけて振り回され続ける黒い大剣は、委細構わず魔獣を吹き飛ばす。
頭を砕かれた魔獣もいる。
足を折られた魔獣もいる。
今しもバルドの目の前で黒剣の直撃をくらった青豹は、外壁にたたき付けられ、きゃいんと鳴いた。
魔獣であることを忘れ、一瞬かわいそうに思ってしまった。
おそらくこのとき侵入した魔獣は、耳長狼二十匹ほどと青豹十匹ほどだった。
ジョグのこの後先考えない無茶苦茶な戦いぶりは、無論わずかな時間しか続かない。
だが貴重な時間を稼いでくれた。
バルドは馬を下り、古代剣を抜き、魔獣たちに襲い掛かった。
古代剣を握る手が、ちりちり、とうずいた。
他の騎士たちも次々に到着し、参戦した。
魔獣を一振りで絶命させるバルドは、見る者の度肝を抜いた。
しかしこのとき最も恐るべき活躍をみせたのは、カーズ・ローエンである。
魔剣〈ヴァン・フルール〉を抜いたカーズは、この暗がりの中で迷いもなく素早く動き獣たちを斬った。
ほとんどの場合首をなぐか心臓を一突きにする正確な剣さばきで、あっという間に魔獣たちを葬るそのわざは、のちのちまで辺境騎士団での語りぐさになる。
アーフラバーンも、魔剣〈 ネリベル(黒き咆哮) 〉を手に、強力で正確な斬撃で敵を 屠(ほふ) っていった。
北門での指示を終えてからバルドの後を追い、遅れて着いたザイフェルトは、素早く状況を把握すると、部下を率いてフクロザルたちの侵入地点に急行した。
これ以上の猿を城壁の内側に入れないためであり、すでに中に入った猿どもを探し出して殺すためである。
フクロザルそれ自体の攻撃力は、さほど脅威ではないが、非戦闘員たちを襲われてはたまらない。
またザイフェルトは、西門の周りで吠えている魔獣たちに油を掛けて焼き殺せ、と命じた。
状況は落ち着きつつあり、バルドはほっと息をつきかけた。
だがこのとき、北門の方角から異常を知らせる鐘の音が響いた。
シロヅノたちが、北門に突撃を始めたのである。
6
バルドが北門に引き返したとき、騎士マイタルプの指揮のもと、弓兵たちが攻撃を開始していた。
だが暗くもあり、弓兵たちも日中の戦闘で疲労しているため、攻撃の勢いは強くない。
シロヅノの魔獣の硬い表皮には、少々の矢などでたいした痛手は与えられない。
それでもありがたいことに、毒を仕込んだ矢がまだ残っていた。
バルドはマイタルプに、矢でシロヅノを倒そうと思わず、百匹全部に毒を打ち込むつもりで矢を射るよう指示した。
そしてこの暗さの中では無理な注文ではあるけれども、硬い頭部ではなくできるだけ胴体部分を狙うように命じた。
それにしても恐ろしい音と振動である。
北門の近くには大岩猿の死体が折り重なっていた。
その死体は相当邪魔なはずだ。
シロヅノは夜にはよく目が見えないはずであるから、なおさらである。
現に大岩猿の死体につまずいて倒れるシロヅノも多い。
それでも足が折れるのもかまわないとばかりにシロヅノは突撃してくる。
扉といわず石の城壁といわず、百匹のシロヅノが狂気の猛突撃を繰り返している。
その足音は怒濤のようであり、その激突音は絶え間なくたたき付けられる地獄のハンマーだ。
歴戦の勇士でも怖じ気をふるわずにいられない恐ろしい音だ。
ほどなく第一の門扉が破られたという報告がきた。
バルドは一瞬、槍を装備した騎士隊を東門から出してシロヅノたちを攻撃しようか、と考えた。
だめだ。
後ろに控えているはずのオオハナたちが襲い掛かってくるだろう。
オオハナはひどく頑丈な鼻と鋭い牙を持つ大型の猪で、突撃速度が異常に速い。
馬に乗ったままでは戦いにくい相手である。
オオハナに手こずっているうちに西門の外で騒いでいる耳長狼と青豹がやって来たら、外に出した騎士隊は全滅する。
見ればザイフェルトは北門の内側に石を積み、大盾を持った騎士をその内側に配置している。
いい判断だ。
第二の門扉と第三の門扉のあいだにも石が積まれてあるから、シロヅノたちも一度にたくさんは入って来れない。
バルドは覚悟を決め、ザイフェルトに指示を出した。
シロヅノを食い止めようとは思わず、大盾を並べて突入方向を誘導する。
ありったけの槍を用意し、この北門前の広場に 槍衾(やりぶすま) を作る。
そのように布陣せよと。
毒矢がなくなった時点でいったん弓の攻撃はやめさせた。
北門の上部はいつ崩れるか分からない状態なので、左右に避難させた。
接近戦のできない従卒たちは、とにかく弓を持って城壁に登るように命じた。
非戦闘員のうち若い男たちには矢の運搬を手伝わせた。
それ以外の非戦闘員は城の中にこもり固く扉を閉ざすよう命じた。
そのとき、第二の門も破られたという報告が来た。
バルドは油を城壁の外側に振りまくよう命じた。
もう昼に使った小振りの壺がないため、大きな壺を運ばせた。
壺の一つは魔獣たちの突撃で城壁が揺れたため、城壁の上で割れてしまった。
だが構わず壺の中身を、城門を破ろうと押し寄せるシロヅノたちの上にぶちまけた。
油をかぶってしまった兵たちを遠ざけてから、火矢を射掛けさせた。
夜の闇の中に炎が吹き上がった。
魔獣たちが憤怒の叫びを上げる。
火だるまになりながら絶叫するその姿は、地獄の王の使いというにふさわしい。
バルドは広場に降りた。
この広場にとげ付きの柵を作らせておけばよかったと思いながら。
よい知恵というのは手遅れになってから思いつくものだ。
ジュルチャガが差し出した水を飲んだ。
体に力がよみがえってくる。
ジョグがやってきた。
鎧はぼろぼろだ。
顔にも魔獣の爪痕が幾筋も残っており、乱暴に拭き取った血の残りと新たに流れる血が生々しい。
やはり水を飲んでいる。
いや、水ではない。
なんと蒸留酒を水筒に入れていたようで、ぷうんと酒精の匂いがした。
バルドの視線を勘違いしたのか、
「じじいもやるか」
と水筒を差し出してきた。
受け取って、ごくりと飲んだ。
きつい酒である。
喉が焼ける。
腹がかあっと熱を持つ。
水筒をジョグに返したとき、最後の門が破られたという声が聞こえた。
いよいよ最後の決戦だ。
だが魔獣の数は戦える人間の数より多い。
勝つことは難しい戦いである。
だが敗北して死ぬとしても、削れるだけ魔獣の数を削る。
それが今の自分に与えられた使命だ、とバルドは思った。
それから地獄のような戦いが始まった。
大盾で誘導されながら次々に飛び込んで来るシロヅノ。
ジョグとカーズとアーフラバーンとザイフェルトが待ち構えて前脚に斬りつける。
城門の狭いすき間を押し合いながら侵入してきたシロヅノには、突進速度は欠けている。
しかしその巨大で暴力的な姿を前に、平然と立ちはだかって、しかも一撃で脚にダメージを与えられるのはこの四人だけだ。
脚にけがを負った魔獣は、槍部隊多数が取り囲んで一斉に攻撃する。
魔槍を持ったナッツが活躍していた。
魔槍は全部で六本しかない。
もう何本か魔槍があれば、とバルドは思った。
意外にバトルハンマーが有効打を与えている。
最初の十匹少々はよかったのだが、死にかけたシロヅノがそこここでのたうっている状態になると、足場が悪くなり、転倒したり魔獣の攻撃をかわしそこねる者が出始めた。
カーズも疲労から目に見えて技の切れが落ちてきた。
ジョグは一度シロヅノに吹き飛ばされたが、起き上がると何事もなかったかのように戦線に戻った。
ザイフェルトは足を負傷して後ろに退いた。
次々に味方が魔獣にはね飛ばされ、踏みつけられ、押しつぶされて死んでいくのを見た。
それでも勇士たちはひるまず戦い続け、魔獣を食い止めた。
バルドも広場に降り、後方で陣形の指揮を取りながら、魔獣を迎え撃った。
古代剣は恐るべき攻撃力を与えてくれるが、防御力はただの老人である。
幸い優れた鎧が致命傷は防いでくれるものの、何度も魔獣の突進を受け損ねては転倒した。
鎧も次第にゆがみ、傷ついていった。
古代剣を握る手が、ちりちり、とうずいた。
やがて毒の効果が現れ、魔獣の動きがにぶっていった。
炎で体力を削られてもいたろう。
こうしてシロヅノの攻撃が終盤にさしかかったころ、北門の上部の城壁が崩れ落ちた。
これによって外にいるシロヅノは侵入できなくなった。
物見が何かを叫んでいる。
このころにはそれまでの騒乱でバルドの耳はほとんど聞こえなくなっていた。
城壁に登ると、オオハナの群れが押し寄せてきていた。
両翼の城壁には弓兵と大量の矢を上げているのだが、指揮官がいない。
バルドはありったけの矢を射るよう命じた。
馬場頭を始め知った顔が何人かみえたので、倉庫からどんどん矢を運ぶよう命じた。
オオハナは積み重なったシロヅノの死体とがれきが邪魔で侵入できない。
よい的だ。
だがオオハナの毛皮は硬く、矢はなかなか刺さらない。
そうしていたところ、左の方から回り込んできた耳長狼と青豹ががれきの上を走り越えて突入してきた。
重い。
体が重い。
この鎧は高い防御力を持つが、長期戦を戦うにはバルドにとって重すぎた。
階段を降りようとしたら誰かが盾を差し出したが、断った。
もう盾を構えるような力は残っていなかったからだ。
それでもバルドは、古代剣を抜いて耳長狼や青豹たちを斬っていった。
事態は完全な乱戦であり、事ここに至れば指揮は要らないしできない。
そこここで騎士たちが魔獣を倒し、そして魔獣に殺されている。
ここからあとのことは、よく覚えていない。
地獄の中で、バルドは戦い続けた。
どれほどの時間がたったろうか。
気が付けば、倒すべき敵がいなくなっていた。
広場は血と死体で埋め尽くされていた。
バルドの体中に、屠った魔獣の臓物と血が張り付いていた。
勝った、のか?
わしらは、勝ったのか。
呆然とたたずむバルドの腕を誰かが引いた。
うながされるままに城壁のほうを見ると、何やら物見の兵が大きな身振りをして騒いでいる。
体を両側から支えてもらいながらバルドは城壁に登った。
そして、物見の兵が指す方角を見た。
そこにはすべての希望を打ち砕く光景があった。
夜明けの地平線をこちらに向かってやって来るものがいる。
川熊だ。
川熊の魔獣だ。
数は二百を優に超えるだろう。
移動の遅い川熊は、遅れて到着したのだろうか。
川熊の魔獣ほど手強いものはない。
その皮の硬さと攻撃の通りにくさ。
その手の破壊力と戦慄すべき顎の力。
崩れてしまった北門では、この新手の群れを食い止めることはできない。
何しろ川熊は木登りも得意だ。
この程度のがれきは造作もなく乗り越えるだろう。
もう騎士たちに戦う力は残っていない。
カーズもジョグもアーフラバーンもザイフェルトも、 疲労困憊(ひろうこんぱい) して立つことも難しい。
もうこの城には戦力がないのだ。
しかも眼下には生き残ったオオハナたちが目を爛々と光らせている。
体中に矢を突き立てながらも、その強靱な生命力は尽きず、人間を殺せる時を待ち構えている。
終わりじゃな。
やるだけはやった。
とそう思った、そのとき。
バルドの中で、炎が燃え上がった。
こんなことで終わってたまるか。
わしの命と引き替えにしてでも、こやつらを葬る。
何の根拠もなくそんな思いだけが腹の底から吹き上がってきた。
そのとき、それまでにないほど強く、古代剣を握る手がうずいた。
そういえば、いつからだろう。
古代剣を握る手がちりちりとうずくようになったのは。
まるで何かを知らせるように。
まるで何かを求めるように。
思わず古代剣を持ち上げた。
もう持ち上げる力さえ残っていないと思っていたのに、剣はすうっと持ち上がった。
それ自身の意志であるかのように。
その平たく断ち切られた剣先を、バルドは迫り来る川熊の魔獣たちに向け。
喉も裂けよとばかりに叫んだ。
スタボローーーーーーーース!!!!
城の反対側にいた人にもその声は聞こえたという。
そのバルドの叫び声を受けて、古代の魔剣に光がともった。
見る見るその光は巨大な光玉となり、昇りかけた太陽を圧するほどの輝きを放った。
そして巨大な何かが剣から飛び出して、まっすぐ魔獣たちの元に向かった。
それは竜であったと言う者もいる。
いや馬であったと言う者もいる。
とにかくその場に居あわせた者たちは、それを見た。
バルドから発せられた光の柱が魔獣たちを直撃し、爆発的な閃光を発するのを。
閃光が収まったとき、バルドは薄れゆく意識を必死に保ちながら、魔獣たちがどうなったかを見定めようとした。
魔獣たちは、吹き飛ばされもせず、そのままそこにいた。
バルドの意識は闇に落ちた。
崩れる体を誰かに支えられたような気もするが、そのあとのことは覚えていない。
だがそうして五感の機能を失い倒れてゆきながら、一つの声なき声が頭の中で鳴り響いたことは記憶している。
《見つけたぞ》
その声を聞いたのはバルドだけではない。
大陸中のあらゆる人間が、亜人が、その声を聞いた。
イラスト/マタジロウ氏