作品タイトル不明
02 初恋は、だいたい誤解でできている
王都に着いて三日目。
私は早くも心が折れかけていた。
「人、多すぎでしょ……」
朝なのに道が混んでいる。
いや、朝だから混んでいるのかもしれない。
馬車が通り、商人が怒鳴り、貴婦人が笑い、どこかで喧嘩が始まり、屋台からは香辛料の匂いが漂ってくる。
うるさい。
眩しい。
忙しい。
王都、情報量が多すぎる。
私は安宿の前でぐったりしながら、手元の紙を見下ろした。
『王都騎士団第三宿舎』
昨日、酒場で聞き込みしてようやく手に入れた情報だ。
ルークは正式な騎士になって、今は第三宿舎にいるらしい。
……正式な騎士。
改めて考えると、とんでもない。
あの無愛想な幼馴染が。
村で薪割りしてた男が。
今や王都騎士団所属。
出世しすぎでは?
「……会ったら、なんて言おう」
今さら急に不安になってきた。
元気だった?
久しぶり。
手紙、届いてた?
いや待って。
そもそも会ってくれる?
もし迷惑だったら?
というか、王都で恋人とかできてたら?
――その可能性を考えた瞬間、胃がきゅっと縮んだ。
「……帰ろうかな」
弱気が顔を出す。
けれどここまで来て引き返す勇気もなかった。
私は意を決して騎士団本部へ向かった。
そして。
見つけてしまった。
「あ……」
石造りの美しい中庭。
噴水のそば。
磨き上げられた騎士服を纏った男が立っていた。
黒髪。
高い背。
凛と伸びた姿勢。
一瞬でわかった。
ルークだ。
でも、私の知っているルークじゃない。
村にいた頃よりずっと洗練されていて、周囲の騎士たちの中でも目を引くほど格好よかった。
会えた。
本当に会えた。
そう思って鼻の奥がツンとなった次の瞬間。
「グランツ卿」
甘い声が響く。
視線の先。
豪奢なドレスを纏った美女が、優雅に微笑んでいた。
深い紅のドレス。
惜しげもなく開いた胸元。
艶やかな金髪。
見るからに高位貴族だ。
そしてルークは、その女性の前に跪いた。
心臓が止まりそうになる。
やめて。
見たくない。
なのに目が離せなかった。
ルークが女性の手を取る。
その白い手の甲に、静かに唇を落とした。
「っ……」
息が詰まる。
さらに最悪だったのは。
そのあと。
ルークが少し照れたみたいに笑ったことだ。
……誰、それ。
知らない。
そんな顔。
私、知らない。
胸の奥がぐしゃぐしゃに潰れていく。
ああ、そっか。
当たり前じゃない。
王都だ。
綺麗な人がたくさんいて。
身分の高い令嬢もいて。
騎士として成功したルークに、田舎娘が釣り合うはずもない。
わかってた。
わかってたはずなのに。
こんなに苦しいなんて聞いてない。
いつの間にかこぼれ落ちた涙を袖で拭って、私は踵を返した。
逃げるみたいに。
いや実際、逃げた。
◇◇◇
「……隣国行きの乗合馬車は、明日の朝です」
「ありがとうございます」
受付の男に頭を下げる。
隣国は織物が盛んで、織物工房の働き手を募集していると酒場のおじさんたちが言っていた。
祖母に裁縫は仕込まれてるし、刺繍も得意だ。
ここにいれば、またルークを探してしまう。
期待してしまう。
だから離れた方がいい。
うん。ルークも王都で成功したんだ。
私だって隣国で一旗あげてやる!――と、ぐっと拳を握る。
宿へ戻り、最後の荷物をまとめる。
そして、小さな手紙を手に取った。
何度も書き直した手紙。
本当はルークに渡すつもりだった。
どうして返事をくれなかったの。
嫌いになった?
迷惑だった?
少しくらい、私に会いたいと思ってくれた?
でも、結局渡せなかった。
惨めすぎて。
渡したのは手紙ではなく、ただの連絡。
『祖父母が亡くなりました。
国を出ます。
元気で』
……短い。
驚くほど短い。
本当は聞きたいことが山ほどあったのに。
「これを第三宿舎のルーク・グランツさんへ」
「承りました」
シワひとつない、白く輝く制服に身を包んだ騎士が、二つ折りにしたメモを受け取ってくれた。
田舎から出てきた私の服は、お下がりでもらった何年着ているかわからないツギハギだらけの服。
裾なんてほつれたまま。
ぴかぴかの騎士たちの中にいると、自分だけ場違いみたいだった。
急に恥ずかしくなって、私は逃げるように宿へ戻った。
そしてその足で、すぐに乗合馬車の切符を買った。
ルークのことを振り切るために。
渡せなかった手紙を破ってゴミ箱へ捨てる。
私は小さく笑った。
「……これで全部終わり」
口にした瞬間。
胸が痛くて泣きそうになった。
◇◇◇
翌朝。
乗合馬車へ向かう道を歩いていると、昨日より街中がざわざわしていた。
なんだろう。
と思った次の瞬間。
「ミレナ!!」
聞き慣れた声が、王都中に響き渡った。
「へっ!?」
反射的に振り返る。
そして私は固まった。
ルークがいた。
ものすごい形相で。
しかも全力疾走で。
待って。
あの無表情男が?
あの何があっても冷静な男が?
真っ青な顔して走ってるんだけど!?
通行人がざわついている。
「騎士様!?」「何事!?」「事件!?」
違う。
たぶん私だ。
というか絶対私だ。
これ、逃げたら犯人扱いされちゃうヤツ?
「ミレナ!」
逃げるかどうか悩んでいたら、腕を掴まれた。
息を切らしたルークが、信じられない顔で私を見た。
「……どこへ行く」
「え、えっと……隣国?」
「なんで疑問形なんだ」
「勢い?」
「勢いで国を跨ぐな」
正論すぎて何も言えない。
ルークは険しい顔のまま私を見下ろした。
「手紙を見た」
「……そう」
「どういう意味だ」
「そのままだけど」
「説明になってない」
「ルークこそ何なのよ!」
気づけば叫んでいた。
「なんで追いかけてくるの! 放っといてよ!」
ルークの眉がぴくりと動く。
「放っておけるわけないだろ」
「なんで!」
「お前がいなくなる」
「っ……」
なんでそんな、期待させるような言い方をするの。
ずるい。
でも。
でも私は見たのだ。
あの綺麗な貴婦人に微笑むルークを。
「私がいなくなったってルークには関係ないじゃない!」
「何言って……」
「ルークにはいい人がいるんでしょう!」
「……いい人?」
「胸の大きい美人!!」
一瞬。
ルークが完全に思考停止した顔をした。
「…………誰だ?」
「とぼけないでよ!!」
「待て、本当に誰だ」
「昨日! 手に、き、キスしてた……人!」
するとルークが、ものすごく嫌そうな顔をした。
うわ。
初めて見た。
ここまで露骨に嫌そうな顔。