軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 公爵様は皿を運ぶ

エルヴィンの食事は、三日かけて三口から七口まで増えた。朝は薄粥。昼は柔らかく潰した芋と白湯。夜は鶏出汁に少量の麦。味は弱く、量も少ない。公爵家の厨房番たちは最初、こんな食事で北境の主が動けるのかと心配していた。

だが、三日目の朝、エルヴィンは自分の足で軍議室へ向かった。顔色はまだ白い。けれど、目の奥の鈍い疲れが少し薄れている。

軍医のバルトが驚いた声を上げた。

「公爵様、昨夜は眠れましたか」

「三刻ほど」

「三刻!」

バルトはリディアを見た。

「この一か月、二刻続けて眠ったことがなかったのに」

「胃が痛むと、体は眠っていても休めません。夜の湯を変えました。香りは弱く、体を温める程度に」

「薬ではなく?」

「食後の白湯です」

軍医は難しい顔で頷いた。

侍医や軍医は、薬で治すことに慣れている。リディアの仕事は、薬の前後を整えることだった。薬が入る胃を荒らさない。眠る前に体が冷えない。食べられたという小さな成功を、次の朝につなげる。

派手な治癒魔法ではない。だからこそ、毎日続ける必要がある。

昼前、リディアは公爵の軍議室へ粥を届けることになった。マルタは盆を持とうとしたが、エルヴィンが廊下で受け取った。

「自分で運ぶ」

「公爵様、お客様の前でそれは」

「彼らも私が食べるところを見た方が安心する」

軍議室には、補給官、騎士隊長、税務官、軍医が集まっていた。卓の上には地図と報告書が広がり、窓からは山道へ続く灰色の空が見える。

そこへ公爵が自分で盆を持って入ったため、全員が一瞬固まった。

「続けろ」

エルヴィンは何事もないように席につき、粥の椀を置いた。補給官ヘンリックが咳払いをした。

「公爵様、その、召し上がりながらでよろしいのですか」

「食わずに倒れるよりましだ」

部屋の空気が少し変わった。リディアは壁際に控え、彼の食べる速さを見た。今日は八口までいけるかもしれない。だが軍議が始まると、エルヴィンは無意識に匙を止める。

補給官が北砦の穀物不足を報告した。

「大麦は足りますが、小麦粉は王都からの荷が遅れています。兵たちは黒パンに不満を」

「黒パンを柔らかく戻す方法があります」

思わずリディアが口を開いた。全員の視線が集まる。

王宮なら、ここで黙れと言われただろう。しかしエルヴィンは、リディアに目を向けただけだった。

「聞こう」

「固くなった黒パンは、そのまま出すと胃を傷めます。細かく割って湯と出汁で煮れば、粥に近いものになります。葱や根菜を足せば、量も増えます。兵が嫌がるなら、表面を軽く焼いて香りをつけると食べやすいです」

ヘンリックは地図の端に書き込み始めた。

「手間は?」

「大鍋なら一度に作れます。ただし、塩漬け肉をそのまま入れると台無しです。塩抜きが必要です」

「塩抜きには水を使う。北砦の水場は凍りかけている」

「なら、雪を溶かす専用鍋を置きます。飲み水とは別に。灰を混ぜないよう蓋が必要です」

補給官の目が真剣になった。リディアは胸の中で、少しずつ息ができるようになっていくのを感じた。

厨房の仕事は、食卓だけで終わらない。補給、薪、水、鍋の数、兵の癖。全部がつながっている。王宮で「細かい」と嫌がられたことが、ここでは計画の一部になっていく。

エルヴィンは八口目を食べた。リディアは小さく手を上げた。

「公爵様、今日はそこまでです」

軍議室がまた静まった。エルヴィンは匙を持ったまま、少し不満そうに見た。

「もう少し食べられる」

「食べられるところで止めるのが、明日の食事を楽にします」

「軍議中に主の食事を止める客員厨師か」

「契約書に、体調調整に必要な助言を行うとあります」

ヘンリックが顔を伏せて笑いをこらえた。軍医バルトは堂々と笑った。エルヴィンはしばらくリディアを見ていたが、やがて匙を置いた。

「分かった」

その返事だけで、リディアの胸に不思議な熱が広がった。誰かが彼女の言葉を聞き、判断し、従った。

身分が違うからではなく、彼女の仕事に理由があるから。軍議が終わったあと、エルヴィンは空に近い椀を盆へ戻し、自分で立ち上がった。

「厨房へ返す」

「公爵様、私が」

「あなたは次の湯を作るのだろう。道を覚えたい」

「道を?」

「食べ物がどこから来るのか、知らずに任せるのは危うい」

リディアは返事に困った。公爵が皿を運ぶ姿は、使用人たちには少し衝撃だったらしい。廊下ですれ違う者が皆、目を丸くする。だがエルヴィンは気にしない。

厨房に入ると、トマが慌てて背筋を伸ばした。

「こ、公爵様!」

「椀を返す」

「は、はい!」

リディアは布巾を受け取りながら、思わず笑ってしまった。エルヴィンがこちらを見る。

「何かおかしいか」

「いいえ。ただ、王宮では誰も皿を返しに来なかったので」

「王宮は遠いな」

「はい」

その遠さが、今日は少しだけありがたかった。だが夕方、王都から二通目の早馬が届いた。

国王の食欲不振は続き、王太子はリディアの所在を正式に確認し始めたという。エルヴィンは封書を読み終え、リディアに渡した。

「王宮があなたを必要としている」

リディアは封書を受け取った。紙の端から、王宮の香の匂いがした。

「必要なのは、私でしょうか。それとも、私の手順でしょうか」

エルヴィンはすぐに答えなかった。

「それを決めるのは、あなたでいい」

短い言葉だったが、リディアの手の震えを止めるには十分だった。