作品タイトル不明
第24話 花蜜湯の壺
聴聞の翌日、ミレーヌ・ローゼンがリディアの前に現れた。場所は王宮の中庭だった。国王の粥を作り終え、リディアが厨房の匂いを抜くため外へ出たところで、白薔薇色のドレスが石畳の向こうに立っていた。
以前と同じように美しい。だが顔色は悪く、扇を持つ手に力が入っている。
「リディア様」
呼び方が変わっていた。
「ミレーヌ様」
リディアは礼をした。必要な礼だけ。深すぎない。ミレーヌはしばらく黙っていた。
中庭には噴水があり、王宮らしく花が整えられている。けれど、リディアにはその花の匂いが少し強く感じられた。
「あなたは、満足ですか」
ミレーヌの声は震えていた。
「わたくしの侍女は取り調べられ、ガレア商会は王宮取引を停止され、ローゼン家も調査されます。殿下はわたくしを避けている。あなたは王の前で名を上げた」
リディアはすぐに答えなかった。満足。
その言葉は、まるで彼女がすべてを仕組んだかのようだった。
「陛下が粥を食べられたことには、安堵しています」
「そういう綺麗な答えではなく」
「綺麗ではありません。私は、あなたの花蜜湯の匂いを嗅ぐたびに、陛下の咳を思い出します」
ミレーヌの顔が強張った。
「わたくしは、陛下を害するつもりなどありませんでした」
「それは信じます」
リディアの返事に、ミレーヌは意外そうに目を見開いた。
「ですが、害するつもりがなくても、害になることはあります。私も王宮にいた頃、陛下のためと言いながら、自分の限界を隠していました。結果として、誰も私の仕事を学べなかった。私がいなくなった途端、陛下は困りました」
「あなたまで、悪いと言うの?」
「悪いというより、危うかったのです」
リディアは噴水の水面を見た。
「ミレーヌ様は、美しいものが人を救うと信じておられるのでしょう。花、香り、明るい色、優しい言葉。それが必要な時もあります。けれど、弱った胃には重い香りがつらい。胸が詰まる朝に甘すぎる湯は入らない。相手の体を見ずに、自分の信じる優しさを押しつければ、傷つけます」
ミレーヌは扇を握りしめた。
「わたくしは、王妃になるために、王宮を明るくしようとしただけです」
「王妃になるなら、暗い薬草棚も見る必要があります」
その言葉に、ミレーヌの目に涙が浮かんだ。
「あなたは、わたくしを笑っているのね。厨房に立つしかない子爵家の養女だったのに、今は公爵様に守られて」
「守られています」
リディアは否定しなかった。
「同時に、私も公爵様の食事を守っています。人に守られることは、恥ではありません」
ミレーヌは言葉を失った。彼女はきっと、守られることを飾りのように考えていた。守られる者は美しく、守る者は下にいる。そういう王宮の物語の中で生きてきたのだろう。
リディアも別の形で、同じ物語に囚われていた。役に立てば、いつか認められる。
どちらも、相手を見ていなかった。
「花蜜湯の壺は、廃棄しません」
リディアは言った。
「健康な方の茶会で、少量なら使えます。けれど病人食の棚からは外します。嗜好品として記録し直します」
「なぜ、捨てないの」
「物に罪はありません。使い方を間違えた人間の記録を残す方が大事です」
ミレーヌの涙が一滴、扇に落ちた。
「わたくしは、王妃に向いていないのかしら」
その問いに、リディアは答える立場ではない。
「分かりません。ただ、向いているかどうかを決める前に、薬草棚を見てください。厨房の火も、陛下の咳も、下働きの食事も。王宮を明るくしたいなら、暗いところから目を逸らさない方がいいと思います」
ミレーヌは何も言わなかった。彼女はリディアに礼をすることも、謝ることもしなかった。ただ、中庭の白い花を見つめていた。
それで十分だとは思わない。だが、物語の悪役として倒すには、彼女はあまりに未熟で、あまりに王宮らしかった。
リディアが厨房へ戻ると、エルヴィンが廊下で待っていた。
「大丈夫か」
「はい。少し、苦かったです」
「湯を作るか」
その言い方が真面目だったので、リディアは思わず笑った。
「今は、甘すぎないものをお願いします」
エルヴィンは頷いた。
「北境の白葉草で」
花蜜湯の壺は、病人食の棚から外された。その壺に貼られた新しい札には、こう書かれた。
嗜好品。療養食への使用禁止。リディア・ベルセ確認。王宮の棚に、彼女の名が残った。