作品タイトル不明
第13話 陛下の匙が止まる
王宮では、国王ユリウスの朝の匙が止まる日が増えていた。グラント料理長は、リディアが送った七日分の手順を守ろうとした。だが薬草棚の鍵はミレーヌ側にあり、甘みを避けるように書かれた日にも花蜜湯が食卓に置かれる。
侍医長は何度も抗議した。
「陛下の食事は、香りを弱くする必要があります」
ミレーヌは困ったように眉を下げた。
「ですが、陛下は暗い薬湯をお嫌いですわ。少しでも気持ちを明るくして差し上げたいのです」
その隣で、セドリックは黙っていた。黙ることは、許すことだった。
グラントはそれをよく知っている。王宮の者は、誰かが黙っている間に仕事を押しつけ、責任の形を変える。ある朝、国王は白粥を一口だけ食べて匙を置いた。
「違う」
痩せた声だった。
「焦げてはいない。だが、違う」
グラントは膝をついた。
「申し訳ございません」
「そなたを責めているのではない。リディアは、私の喉が乾いている朝、塩を最後にした。眠れなかった朝は、香りを控えた。今朝は……何だ」
侍医長が脈を取り、顔を曇らせた。
「脈が弱い。昨日の花蜜湯の甘みが残っています。朝の薬が入りません」
国王は苦しそうに目を閉じた。
「セドリック」
「はい、父上」
「リディアを、何と扱った」
王太子は顔を強張らせた。
「彼女は自分から」
「何と扱った」
二度目の問いは、逃げ道を許さなかった。ミレーヌが口を開いた。
「陛下。リディア様は、王宮の品位を」
「私はセドリックに聞いている」
部屋が静まった。セドリックは唇を結び、やがて低く言った。
「厨房に立つ子爵家の養女として」
「それだけか」
「……正式な役職を与えてはいませんでした」
「俸給は」
「手当として」
侍従長が青ざめた。国王の目が、病人の目から王の目に変わる。
「私の食事を四年支えた者に、役職も俸給も与えず、王宮の品位を理由に追い出したのか」
「追い出したわけでは」
「言葉の形を変えても、したことは変わらぬ」
咳が出た。侍医長が背を支える。国王はしばらく息を整えたあと、グラントへ言った。
「リディアに詫び状を書く。私の名で」
セドリックが顔を上げた。
「父上、王の名で子爵家の養女に詫びるなど」
「王の朝を支えた者に、王が礼を欠いた。それを正すのに身分は関係ない」
ミレーヌの顔から血の気が引いた。国王はさらに続けた。
「そして、王宮の薬草購入を調べよ。花蜜湯の壺が、なぜ朝食に割り込んだのか。誰が鍵を持ち、誰が料理長の手順を妨げたのか」
侍従長は跪いた。
「直ちに」
だが調査は簡単には進まなかった。
薬草棚の鍵は、ミレーヌの侍女が持っていた。だが侍女は、王太子付き侍従から許可を受けたと言う。侍従は、王宮の品位管理の一環だと言う。ガレア商会の納品書には、ローゼン侯爵家の推薦印があり、価格は以前の三倍になっていた。
誰も、自分が国王の匙を止めたとは言わない。責任は、甘い香りのように部屋中へ広がり、誰の手にも残らなかった。
グラントは厨房へ戻り、焦げていない鍋を見た。それでも陛下は食べられなかった。
つまり、ただ手順をなぞるだけでは足りない。リディアは、食事の前後にある全部を見ていた。
薪の湿り気。鍵の所在。薬草の匂い。陛下の喉。王太子の予定。侍女の動き。朝に混ざる香水。小さなものを見ていた人が去ると、王宮の朝はこんなにも穴だらけになる。
その日の午後、国王の名で北境へ詫び状が送られた。宛名は、リディア・ベルセ嬢。
王宮で初めて、彼女の仕事が王の文書に名前として残った。