作品タイトル不明
40 騎士団長の思い出
40 騎士団長の思い出
俺の家は、伯爵家だ。
兄弟は四人。
俺が長男で、弟が二人、妹が一人。
家族仲は悪くなかったと思う。いや、かなり良かった。
父上は厳しかったが理不尽ではない。母上は怒る時は怖いが、笑えば屋敷が明るくなるような人だった。
そして――おばちゃんがいた。
物心ついた時からいた。
使用人なのか家族なのか、子どもの頃の俺にはよくわからなかった。
おばちゃんは、家族と一緒に同じ食卓についた。
部屋もあった。
侍女たちも、庭師も、執事も、みんな「おばちゃん」と呼んでいた。
だから俺たち兄弟も当然そう呼んだ。
おばちゃんは、いつもそこにいた。
風邪を引けば額に手を当て、転べば薬を塗り、兄弟喧嘩をすれば間に入る。
怒る時は怒る。
でも、最後には必ず味方だった。
今思えば、あの人だけ少し屋敷の中で立ち位置が違った。
だが、子どもの俺にはそんなことわからない。
ただ「家にいる大好きな人」だった。
子どもの頃、お茶の時間、俺は弟とふざけていてコップをひっくり返した。
コップには果実水が入っていて、テーブルクロスに果実水が広がった。
ガタンと音がして、母上が立ち上がった。文字通り目が吊り上がっていた。
「わざとじゃないんです。うっかりです。汚すつもりもなかったのよね」
おばちゃんがそう言いながら、立ち上がり、俺の頭を押さえて下げさせた。
「ほら、謝ってらっしゃいます。ほんとに悪いと思ってらっしゃいます。もうしないよね」
「ごめんなさい」「ごめんなさい」
俺と弟はおばちゃんの真似をして謝った。
母は、おばちゃんと僕たちを見て、ちょっと笑うと
「おばちゃんがそう言うなら。あなたたちこれから気をつけるのよ」
おばちゃんが一緒に『ごめんね』してくれたから、俺たちは助かった。
俺は学院の寮へ入って家を出た。
たまにしか家に戻らなかったが、おばちゃんはいつも待っていてくれた。
変わらなかった。
帰省すると土産を渡した。
「おばちゃん、これ」
「まぁ、わたしに?」
こっそり、誰にも見つからないように。
菓子だったり、小物だったり。
おばちゃんは、いつも本当に嬉しそうだった。
「ありがとうねぇ」
昔は大きく見えた背中が、少しずつ小さくなっていた。
騎士団へ入った年だった。
おばちゃんは死んだ。
薔薇の手入れ中に倒れて、そのまま。
葬儀の日、俺は初めておばちゃんのことを知った。
分家の出だったこと。
一度結婚し、子ができず帰されたこと。
実家にも居場所がなく、父上たちが引き取ったこと。
家族でもない、使用人でもない、曖昧な立場。
今にして思えば、いつも遠慮がちだった。
そういえば、他にも、何人かおばちゃんがいた。
彼女たちは、ある日ひっそりと家を出て行った。
「お嫁さんになります」と言って家を出た人もいた。
そのおばちゃんが家を出る前の日はご馳走だった。
あの頃は不思議とも思わなかった。
ただ、家にいる人だった。
でも違った。
当たり前に家にいる人にも、人生があった。
事情があった。
泣いた日も、諦めた日も、きっとあったのだ。
なのに、俺たちには笑っていた。
だから俺は今でも思う。
年上のご婦人は強い。しなやかだ。したたかだ。
そして、だいたい味方だ。
一緒に怒られてくれて。
一緒に「ごめんなさい」をしてくれる。
おばちゃんという生き物は、たぶんそういうものなのだ。