軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第52話 国家公務員給与法の破壊と再生、あるいは暴力の価格設定について

永田町、衆議院第二議員会館。

その最上階にある特別会議室からは、国会議事堂のピラミッド型の屋根が見下ろせる。

日本の政治の中枢。

だが今の俺には、ここが酷くカビ臭い、時代遅れの老人ホームのように思えてならなかった。

ダンジョンという「理外の理」が世界を侵食し始めてから、もう七ヶ月が経過しようとしている。

街の景色は変わり、人々の価値観は激変した。

街中を甲冑姿の探索者が歩き、ニュースでは魔物の討伐数が天気予報のように報じられ、子供たちの将来の夢ランキングでは「ユーチューバー」を抜いて「探索者」が一位になった。

世界は秒速で進化している。

だというのに、この国の 行政機構(システム) ときたら、亀の歩みよりも遅い。

「……えー、それでは議題の三番に移ります。

自衛隊、警察、および新設されるダンジョン対策特殊部隊の隊員に対する危険手当の増額についてですが……」

司会進行を務める内閣府の参事官が、分厚い資料を読み上げる声が、会議室の空気を澱ませていく。

俺は欠伸を噛み殺しながら、手元の資料に目を落とした。

そこには、財務省の役人たちが血眼になって計算したであろう、涙ぐましい数字が羅列されていた。

『ダンジョン内任務における特別危険手当:日額一万二千円(現行の四千円から増額)』

『死亡退職金および公務災害補償の特例措置:二割増し』

プッと吹き出しそうになるのを、俺は必死で堪えた。

いや、堪えきれずに鼻で笑ってしまったかもしれない。

部屋の隅に控えていた政府側の担当官である佐伯が、俺の不躾な態度に気づき、眼鏡の奥から「余計なことをするな」と言いたげな鋭い視線を送ってくる。

神経質そうな細身のスーツ姿。

彼はいつもこうだ。

俺が暴走しないか監視するのが仕事だからな。

だが知ったことか。

俺はこの茶番を、ひっくり返しに来たのだ。

「……八代様、何かご意見が?」

財務省の主計局長が、冷ややかな視線を向けてきた。

俺は、待っていましたとばかりに座り直す。

「いやあ、素晴らしいですね。日額一万二千円ですか。

今の日本の物価高を考えれば、高級ランチが三回食べられます」

俺は、わざとらしく拍手をした。

会議室が静まり返る。

俺の皮肉が通じていないわけがない。

「……ふざけているのですか?

これでも財源確保には骨が折れたのです。

他の予算を削りに削って、ようやく捻出した額でしてな」

主計局長が不愉快そうに反論する。

俺はスッと真顔に戻り、机の上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。

「命の値段が安いと言っているんですよ、局長」

「公務員には奉仕の精神が求められます。

金銭のためだけに働くわけではない」

「奉仕の精神で、ゴブリンの棍棒から頭を守れますか?

オークの怪力から身を守れますか?

奉仕の精神があれば、ミスリルの剣が割引で買えるとでも?」

俺はペットボトルを机に叩きつけた。

ドンッ、という音が響き、数人の役人が肩を震わせる。

「七ヶ月です。

ダンジョンが発生してから、もう七ヶ月も経っている。

その間、現場の自衛官や警察官が何人死んだと思いますか?

怪我でリタイアした人間が、何人いると?

彼らの多くは装備も不十分なまま、旧時代の『精神論』で戦場に送られている。

日額一万二千円?

……笑わせないでください」

俺は冷たい目で官僚たちを見渡した。

「今の相場をご存知ですか?

アメリカによる買い支えの影響で、F級魔石一個の買取価格は現在『三万円』です。

わかりますか?

高校生がアルバイト感覚でF級ダンジョンに潜り、一時間粘って運良く魔石を一個拾えば、それだけで三万円稼げるんです。

あなた方が提示した命がけの危険手当の、約三倍だ」

会議室がざわつく。

数字の暴力だ。

「1日命がけで働いて1万2千円」対「1時間で3万円」。

この格差を突きつけられて、平然としていられる若者がどれだけいるだろうか。

「民間ならリスクはありますが、リターンも青天井です。

対して公務員は、命を懸けても日当一万二千円。

これでは優秀な人材が残るはずがない。

実際、すでに離職率は過去最悪の数字を叩き出しているでしょう?」

「……うぐっ」

防衛省の幹部が呻いた。図星なのだ。

「では、どうしろと仰るのですか。

公務員の給与体系は法律で決まっています。

民間のように無尽蔵に給料を上げるわけにはいかない」

「法律を変えればいい。

そのための『有識者会議』でしょう?」

俺は周囲を見渡した。

政治家、官僚、学者。

彼らの表情には「そんな無茶な」という困惑が浮かんでいる。

ここらで、劇薬を投入するか。

「いいですか、皆さん。

私は今日、探索者としての立場は一旦置いて、一人の国民として警告しに来ました。

今の日本の治安維持能力は、崩壊寸前です」

俺は手元のタブレットを操作し、会議室の大型モニターに資料を映し出した。

それは俺の情報網が収集した、裏社会の動向レポートだ。

これを見せることについて、事前に佐伯には話を通していない。

彼が驚いた顔をしているのが、視界の端に見える。

『指定暴力団・準暴力団構成員のダンジョン進出状況』

『未認可魔導装備の流通ルート』

『違法レベルアップの蔓延』

画面に映し出された禍々しい見出しの数々。

会議室にどよめきが走る。

「半グレ、暴力団、あるいは海外のマフィア。

彼らは今、水面下で着々と力をつけています。

なぜか?

彼らには『資金力』があるからです。

違法ビジネスで稼いだ金で高額な装備を買い揃え、組織的にダンジョンに潜っている。

彼らの目的は秩序の破壊ではありません。

ただの金稼ぎと、シノギの拡大です。

ですが、結果として何が起きているか」

俺はモニターの画像を切り替えた。

映し出されたのは、繁華街で起きた喧嘩の映像だ。

刺青を入れた大男が、駆けつけた警官隊を素手で――文字通り素手で吹き飛ばしているシーン。

警官が発砲した拳銃弾が、大男の皮膚で弾かれる様子まで映っている。

「……なっ」

誰かが息を呑んだ。

これは、レベル差による暴力だ。

「彼ら『闇探索者』は、金に物を言わせてダンジョン産の『魔剣』や『魔導アーマー』を購入しています。

強力な武器があれば、より強い魔物を倒せる。

強い魔物を倒せば、より早くレベルが上がる。

この循環により、彼らの戦闘能力は日に日に向上しています」

俺は言葉を区切り、一人ひとりの目を見据えた。

「対して警察官は、どうですか?

支給されるのは、ダンジョンの魔物には通用しづらい旧来の拳銃と、ペラペラの防刃ベスト。

そんな装備でレベル上げなんて、できるわけがない。

結果、犯罪者集団との『レベル格差』は開く一方です」

「……っ」

「今はまだ、彼らも警察組織との全面衝突を避けているから、平和に見えるだけです。

ですが、もし彼らがその気になったら?

レベル20を超え、全身をミスリル装備で固めた半グレ集団が交番を襲撃したら?

誰が止めるんですか!」

扇動。

恐怖心の植え付け。

実際には日本のヤクザはそこまで好戦的ではないし、組織の論理で動く。

だが装備とレベルの格差は、歴然として存在している。

官僚たちは「想定外の事態」と「責任問題」を何よりも恐れる生き物だ。

「や、八代様のおっしゃることは理解できます。

ですが、そんな高価な魔導装備を全員に支給する予算など……」

主計局長の声が弱々しくなる。

ここだ。ここで畳み掛ける。

「予算がないなら、稼げばいい」

俺は言い放った。

「私が提案するのは、ダンジョン専門部隊における『完全歩合制』の導入です。

もしくは、基本給に上乗せする形での『成果報酬制度』」

「せ、成果報酬……?」

「簡単です。

彼らがダンジョン内で入手したドロップ品、および魔石。

これを国庫に全額納めさせるのではなく、その市場価値の一定割合――例えば50%を、そのまま隊員個人の報酬として還元するのです」

会議室が騒然となった。

公務員が公務中に得た利益を懐に入れる。

それは従来の公務員法では横領に近い行為であり、倫理規定に真っ向から反する。

「馬鹿な!

そんなことをすれば、彼らは金のために任務を行うようになる!

公僕としての矜持はどうなるのですか!」

古参の議員が顔を真っ赤にして叫んだ。

俺は冷ややかに笑う。

「金のために働いて、何が悪いんですか?」

「なっ……」

「命を懸けているんです。

家族を養い、美味い飯を食い、そして何より『自分の命を守るための高性能な武器と防具』を買いたい。

その欲望こそが、人間を強くする最大の原動力でしょう。

『矜持』だけで銃弾の前に立てというのは、今の時代、ただのブラック企業の洗脳です」

俺は指を立てた。

「高性能な魔導装備は、一式揃えれば数千万円します。

給料一万二千円の公務員が、どうやってそれを手に入れるんですか?

国が買ってくれないなら、自分で稼いで買うしかないでしょう!」

俺は、さらに言葉を重ねる。

「もし日本が今のまま『やりがい搾取』を続けるなら、どうなるか。

答えは明白です。

自衛隊や警察の中で才能に目覚めた優秀な人間から順に辞めていきますよ。

そして、アメリカのPMCに引き抜かれるか、あるいは……より実入りのいい『裏社会』の用心棒に転職するでしょうね」

人材流出。

それが国家の安全保障に関わる戦力であれば、その損失は計り知れない。

「自衛隊のエースがヤクザの用心棒になる」という未来図は、彼らにとって悪夢だろう。

「そ、それは困る……!」

防衛省の幹部が、悲鳴のような声を上げた。

彼は知っているのだ。

すでに現場では若手の離職率が過去最高を記録していることを。

「だからこそ、待遇を改善するんです。

『国のために戦えば億万長者になれる』。

そう、夢を見させてやるのが政治の役割でしょう!」

俺は机を叩いた。

熱弁を振るう俺の姿に、何人かの若手官僚が目を輝かせているのが見えた。

彼らもまた、硬直した組織の中で閉塞感を感じていたのだ。

「予算の問題も、これで解決します。

ドロップ品の売却益を報酬に充てるのですから、税金からの持ち出しは最小限で済む。

むしろ、彼らが強くなり、より深い階層へ潜れるようになれば、国が得られるドロップ品(残り50%)の総量も増え、国庫は潤う。

まさに一石二鳥じゃありませんか」

主計局長が電卓を叩く手が止まった。

彼の脳内で、そろばんが弾かれた音まで聞こえてきそうだ。

「税金を使わずに公務員の給与を上げられる」。

この魔法の言葉は、財務省にとっても魅力的すぎる提案だ。

「……特区法を活用すれば、可能かもしれませんな」

法務省の役人がボソリと呟いた。

「ダンジョン内を『法治の例外区域』とし、そこでの経済活動に関する特例措置を設ける。

公務員法の一部適用除外……あるいはダンジョン専門部隊を『独立採算制の特殊法人』のような扱いにすれば……」

議論の流れが変わった。

「できない理由」を探す段階から、「どうやればできるか」を探る段階へ。

こうなれば、日本の官僚は優秀だ。

瞬く間に法的な抜け穴を見つけ、ロジックを組み立てていく。

「八代様の提案をベースに、至急、法案の骨子をまとめましょう」

「警察庁としても、特殊急襲部隊(SAT)の魔導装備拡充は急務です。予算がつくなら反対する理由はない」

「防衛省も同意します。隊員の士気に関わる問題だ」

次々と上がる賛同の声。

俺は心の中でガッツポーズをした。

これでいい。

俺が求めているのは、正義の味方ではない。

「強くて、金回りが良くて、俺の商売相手になってくれる公的機関」だ。

彼らの給料が上がれば、どうなる?

俺の会社が販売する高額な魔剣やミスリルアーマーが、飛ぶように売れるようになる。

彼らが強くなれば、どうなる?

ダンジョンからの素材供給が安定し、俺の工場の稼働率が上がる。

そして何より、彼らが「半グレ」や「暴走した探索者」をしっかりと抑え込んでくれれば、俺は面倒な治安維持活動に手を煩わせることなく、金儲けに専念できる。

警察や自衛隊を、俺のための「最強のガードマン」に仕立て上げる。

しかも、その費用は彼ら自身に稼がせる。

これほど美味しい話はない。

「ありがとうございます、八代様。

あなたの提言のおかげで、目が覚めました」

会議の終わり際、防衛省の統合幕僚長が深々と頭を下げてきた。

その顔には先ほどまでの悲壮感はなく、これから始まる改革への希望が満ちていた。

「いえいえ。

私はただ、日本の未来を憂う一市民として、当たり前のことを言っただけですよ」

俺は爽やかな笑顔で応じた。

その背後で、佐伯が呆れたように溜息をついているのが気配でわかったが、俺は無視した。

彼ら政府側にとっても、自衛隊の戦力強化は悲願のはずだ。

過程はどうあれ、結果には文句を言えまい。

会議室を出ると、廊下にはすでに夕闇が迫っていた。

窓の外には、煌びやかな東京の夜景が広がっている。

あの光の一つ一つが、これからは俺の顧客となり、俺の帝国を支える礎となる。

俺はスマホを取り出し、 会社(アルカディア) の販売統括部長にメッセージを送った。

『政府との合意形成、完了。

警察・自衛隊向けの新型武器カタログ、至急印刷に回せ。

価格設定は、強気でいい』

送信ボタンを押し、俺は一人、薄暗い廊下で笑みを深めた。

さて、次はどこの岩盤をドリルでぶち抜いてやろうか。

教育? 医療? それとも金融?

既得権益という名の岩盤は、まだまだこの国に山ほど埋まっている。

俺の「ダンジョン・リノベーション」は、まだ始まったばかりだ。