軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第44話 無法地帯の労働基準法、あるいは命の値段と三〇〇〇万円の足切りライン

【試練の塔】という名の運営からのボーナスステージ兼集金イベントが終わった。

アルカディアとしては、他を寄せ付けない圧倒的な攻略進度で成果を総取りし、俺個人としても懐が温まる――どころか、国家予算規模の資産が積み上がる結果となったわけだが。

そんな祭りの余韻に浸る間もなく、俺のもとには一通の招集状が届いていた。

差出人は、内閣府・ダンジョン対策室。

要件は『企業による探索者活動に関する緊急有識者会議への出席依頼』。

要するに、

「最近、企業がダンジョンで好き勝手やりすぎているから、どう規制すべきか知恵を貸してくれ」

という泣きつきである。

霞が関某合同庁舎。

重厚な会議室の空気は、紫煙と怒号で白く濁っていた。

「――ですから! 『自己責任』で済ませられる問題ではないと言っているんです!」

バンッ! とテーブルを叩いたのは、厚生労働省から出向してきている役人だ。

額に青筋を浮かべ、対面に座る企業連盟の代表たちを睨みつけている。

「ダンジョン内での業務中に発生した死亡事故に関して、労災が適用されないどころか、遺族への補償金すら支払われていないケースが多発している。

『異次元だから日本の法律は適用外』だなんて、そんなふざけた理屈が通ると思っているんですか!」

役人の怒りはもっともだ。

だが、責められている側の企業代表――大手商社や人材派遣会社の役員たちは、どこ吹く風といった様子で薄ら笑いを浮かべている。

「いやいや、〇〇さん。落ち着いてくださいよ。

我々も別に、人の命を軽んじているわけではありません。

ですがね、ダンジョンというのは『未知の領域』です。

そこでの活動は、本質的に『冒険』なんですよ」

代表の一人、恰幅の良い男が揉み手をしながら言う。

「彼らは雇用契約ではなく、あくまで『業務委託』の個人事業主として契約しています。

リスクを承知で一攫千金を夢見て潜っている。

契約書にも『死亡時の責任は負わない』と明記してあり、彼らはそれに同意してハンコを押しているわけです。

それを後から『金を出せ』と言われましても、株主への説明がつきませんよ」

「その契約自体が、公序良俗に反していると言っているんだ!」

平行線だ。

俺は末席で出された温いお茶を啜りながら、この不毛なやり取りを冷めた目で眺めていた。

現状、日本のダンジョン産業は「カオス」の一言に尽きる。

魔石という新たなエネルギー資源、そしてドロップアイテムという宝の山。

そこに群がったのは、金に目がない有象無象の企業たちだ。

彼らの論理はこうだ。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。

一社だけがブラックなことをすれば叩かれるが、業界全体が「ダンジョンとはそういう場所だ(無法地帯だ)」と開き直ってしまえば、それがスタンダードになる。

特に酷いのが「労基法無視」のロジックだ。

「ゲートの向こうは日本国外、いや異世界である。よって日本の労働基準法は適用されない」。

小学生でも呆れるような屁理屈だが、法整備が追いついていない現状では、このグレーゾーンを突いて暴利を貪る連中が後を絶たない。

「……八代さん。どう思われますか?」

議論に行き詰まった役人が、助け舟を求めるように俺に視線を向けてきた。

会議室の全員の視線が俺に集まる。

「日本最強の探索者」にして、ギルド「アルカディア」の代表。

現場を知り尽くした俺の言葉なら、この場を動かせるかもしれないという期待と、余計なことを言うなという企業側の牽制が入り混じっている。

「どうと言われましてもね」

俺は茶碗を置き、ゆっくりと口を開いた。

「企業側の言い分も、役人さんの怒りも、どっちも分かりますよ。

ただ一つだけ確かなのは……今の企業参入モデルは、『クソほど儲かる』ってことでしょう?」

俺の直球な物言いに、企業側の役員たちがピクリと眉を動かした。

「探索者一人をダンジョンに送り込む。

彼らが命がけで拾ってきた魔石やドロップ品の、平均して『2割』を上納させる。

これ、とんでもない利益率ですよ」

探索者ビジネスの基本構造は、極めて単純な「ピンハネ」だ。

場所(ダンジョン) はタダ。

資源(魔石)もタダで湧いてくる。

企業が用意するのは、最低限の窓口と多少の初期装備の貸し出しのみ。

あとは探索者が勝手に稼いでくるのを待つだけで、売上の20%が懐に入る。

「しかも、使い捨てができる。

死んだら装備を回収して、次の新人に貸し出せばいい。

退職金も要らない。社会保険料の負担もない。

『個人事業主』という名目で、全てのリスクを現場に押し付けている。

そりゃあ、笑いが止まらんでしょう」

俺の指摘に、役員の一人が顔を赤くして反論した。

「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい!

我々は彼らに『機会』を提供しているんだ!

それに大手は、ちゃんと安全管理もしている!

装備だって最新のものを支給しているんだぞ!」

「ええ、知ってますよ。

だからこそ、『死人』の内訳を見ると面白いことが分かる」

俺は手元の資料をペラペラと捲った。

そこには、過去半年間のダンジョン内死亡事故の統計データがある。

「大手企業の契約探索者の死亡率。これは意外と低い。

なぜなら、おっしゃる通り装備が良いからです。

リーダー級の引率もついている。

死ぬ奴は、指示を無視して勝手に突っ込んだ馬鹿か、運が悪かった奴だけだ」

大手にとって探索者は「金の卵を産む鶏」だ。

むざむざ殺すよりは、生かして搾取し続けた方が長期的には儲かる。

だから最低限のラインとしての「生かさず殺さず」の安全管理は徹底している。

「問題なのは……こっちだ」

俺は別のグラフを指差した。

死亡事故の7割以上を占めている赤い帯。

「中小企業。

あるいは流行りに乗っかって参入しただけの、ノウハウのないベンチャー企業。

こいつらが雇った探索者が、ゴミのように死んでいる」

会議室が静まり返る。

誰もが薄々気づいていたが、口に出さなかった事実だ。

「資金力のない中小企業は、高い装備を用意できない。

ホームセンターで買った作業着と鉄パイプのような武器を持たせて、『行け、宝の山だ』と背中を押す。

教育も訓練もない。

そんな状態でE級やD級に放り込まれれば、どうなるか?

……虐殺ですよ」

魔石の需要がある以上、政府としても供給を止めるわけにはいかない。

「人命か経済か」という二元論で語られがちだが、現実はもっとシビアだ。

「魔石は欲しい。だが無能な企業に殺される命は無駄だ」というのが本音だろう。

「八代さんのおっしゃる通りです」

役人が重々しく頷いた。

「我々も中小企業の参入規制を検討しました。

しかし『大企業優遇だ』『中小叩きだ』という批判が怖くて、踏み切れずにいるんです。

『職業選択の自由』や『経済活動の自由』を盾に取られると、どうしても……」

弱腰だ。

だが、それが行政というものだ。

明確な 理由(ロジック) がなければ、規制の斧は振るえない。

「なら、 基準(ライン) を決めればいいんですよ」

俺は提案した。

感情論ではなく、もっとドライで誰も反論できない「金」のルールを。

「『保証金』の話をしましょう」

「保証金……ですか?」

「ええ。

日本の交通事故の死亡賠償金。

相場は、だいたい3000万円くらいですよね?」

俺の言葉に役人が頷く。

「ならば、それをダンジョン産業にも適用するんです。

『業務中の死亡事故が発生した場合、企業は遺族に対して即座に最低3000万円の補償金を支払わなければならない』と法制化する」

ざわっと、企業側の席が揺れた。

「さ、三〇〇〇万!?

無茶だ!

そんな大金を一件の事故ごとに払っていたら……!」

「払えないなら、事業をする資格がない」

俺は冷たく言い放った。

「人の命を使って金儲けをしているんでしょう?

なら、その命の値段くらい、あらかじめ経費に組み込んでおくのが経営者の責任だ。

それができない自転車操業の会社は、最初から参入すべきじゃない」

俺はホワイトボードに向かい、マーカーで線を引いた。

「とはいえ、いきなり全廃しろとは言いません。

段階を設けましょう。

『F級ダンジョン』。ここは初心者向けで、適切な装備があれば死ぬことは稀です。

ここは、規制緩めでいい」

F級はスライムやゴブリンが出る程度だ。

ヘルメットと防刃ベスト、それに警棒があれば素人でもなんとかなる。

ここでの死亡事故は、よほどの不運か慢心だ。

「問題は『E級』以上です。

ここからは本格的なモンスターが出る。装備の質が生死を分けます。

だから、ここで『足切り』をする」

俺はE級の上に、太い横線を引いた。

「『E級以上のダンジョン業務契約を結ぶ企業は、従業員一人あたり3000万円の供託金、もしくは同等の支払能力を保証する保険への加入を義務付ける』。

これをクリアできない企業は、F級のみの操業とする。

どうです?」

大手企業の代表たちは顔を見合わせ、やがてニヤリと笑った。

彼らにとって3000万円は、払えない額ではない。

むしろ保険会社と包括契約を結べば、スケールメリットで安く済む。

この規制が導入されれば、ライバルである中小零細企業が一掃され、市場を独占できる。

彼らにとっては「渡りに船」だ。

「……なるほど。

安全管理の徹底された優良企業のみが深層へ挑める。

理に適っていますな」

大手の代表が賛意を示す。

役人も、これなら「中小叩き」ではなく「労働者保護」という名目で通せると計算したようだ。

「し、しかし!

それでは我々中小企業は……!」

反対したのは、やはり中小の代表たちだ。

一人3000万の保証など、逆立ちしても用意できない。

保険に入ろうにも、事故率の高い彼らの保険料は天文学的な数字になるだろう。

つまり事実上の「E級以上への参入禁止」宣告だ。

「F級で頑張ればいいじゃないですか」

俺は彼らに、慈悲のない言葉を投げかけた。

「F級でコツコツと魔石を集めて、資金を貯めて、安全装備を揃えて、実績を作れば保険会社も契約してくれるようになりますよ。

それが『経営努力』ってやつでしょう?

今までみたいに鉄パイプ一本で新人をオークの群れに突っ込ませるような商売は、もう終わりです」

ぐぬぬ、と彼らは押し黙るしかなかった。

反論すれば「金がないから、人の命を安く買わせろ」と言っているのと同じになる。

この場にはメディアはいないが、議事録に残れば社会的に抹殺される。

「……決まりですね」

役人が、安堵と決意の混じった表情で締めくくった。

「直ちに法案の作成に入ります。

『ダンジョン労働者安全確保法(仮)』。

補償金の下限設定と、ランク別の参入規制。

八代さん、ご協力感謝します」

「いえいえ。

これで少しは、ダンジョンの中も綺麗になるでしょう」

俺は席を立った。

これは単なる人助けではない。

市場の健全化だ。

無謀な特攻で死ぬ探索者が減れば、それだけ熟練した探索者が増える。

彼らが生き残り、稼げるようになれば、俺の作った高級装備を買ってくれる「優良顧客」に育つ。

逆に金払いの悪いブラック企業が潰れれば、焦げ付きリスクも減る。

そして何より、大手企業が「保険料」や「安全対策費」でコスト増になれば、相対的に俺たちアルカディアの利益率の高さが際立つ。

まさに三方よし。

いや、俺だけが一番得をする「俺よし」の提案だ。

会議室を出ると、廊下の窓から東京の景色が見えた。

そこには無数のダンジョンゲートが口を開け、今日も多くの人々が吸い込まれていく。

明日からは、その入り口に「命の値段」という見えないゲートが一つ増えることになる。

3000万円。

それが高いか安いかは、潜る本人と送り出す企業の覚悟次第だ。

少なくとも「タダで死ねる」時代は、終わったのだ。