軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第75話 確定申告という名のラグナロク、あるいは税務署崩壊前夜の密約

世界を揺るがしたダンジョンゲートの出現から、十二ヶ月と少しが経過した。

スタンピードという名の「世界同時多発ボーナスステージ」を経て、人類は滅亡の危機を回避しただけでなく、未曾有の資源バブルに沸いていた。

街は復興し、探索者は英雄となり、経済はかつてないほどの活況を呈している。

だが、どんなに熱狂的な祭りであろうとも、終わった後には必ず冷徹な「精算」の時間が訪れる。

二月。

日本という法治国家において、ある意味でダンジョン深層よりも恐ろしく、そして絶対に逃れることのできない魔物が口を開ける季節。

――確定申告である。

霞が関、財務省本庁舎。

その地下深くにある特別会議室は、まるで霊安室のような冷気と静寂に包まれていた。

空調が効きすぎているわけではない。

円卓を囲むエリート官僚たちの顔面が、物理的に室温を下げるほど蒼白だからだ。

集まっているのは、財務省主税局、国税庁、そして内閣府ダンジョン対策室の面々。

そして唯一の民間人アドバイザーとして招集された、俺、八代匠。

「……八代さん。単刀直入に伺います」

国税庁の長官が、砂漠のように乾ききった唇を舐めながら、重い口を開いた。

その目の下には濃い隈が刻まれ、ここ数日まともに眠っていないことを如実に物語っている。

「探索者たちの納税状況についてですが……そろそろその時期です。

法律に基づき、前年度の所得に対する確定申告を行ってもらわねばなりません。

貴方のギルド『アルカディア』および提携クランの方々は、問題ないのですよね?」

「ああ、うちは大丈夫ですよ」

俺は出された渋茶を啜りながら、他人事のように涼しい顔で答えた。

「うちは法人化していますし、優秀な税理士チームを雇って帳簿も完璧です。

魔石の売上、装備の減価償却、経費計上。

すべて法に則って処理し、納めるべきものは納めます」

「そ、そうですか。それは重畳です……」

長官が安堵の息を漏らす。

だが、すぐにその表情は曇天のように陰った。

彼が本当に聞きたいこと、そして本当に恐れていることは、俺たちのような一部の優良納税者のことではないからだ。

「問題は……『それ以外』の探索者たちです。

フリーランス、中小ギルド、そしてブームに乗って参入した数百万人の一般市民たち。

彼らの大半が、帳簿などつけていないという報告が上がっています」

俺は肩をすくめた。

「他の探索者は知らないですけど、まあ、そうでしょうね。

彼らにとって魔石は『拾ったお金』みたいな感覚ですから。

財布に入れたら、それはもう自分のお金だと思っている。

税金のことなんて、1ミリも頭にないでしょう」

長官の顔色がさらに悪くなる。

彼は震える手でハンカチを取り出し、額の脂汗を拭った。

「ですよね……。

今のままだと、暴動起きちゃいますね」

その言葉に、会議室の全員がビクリと肩を震わせた。

「暴動」。

その二文字が持つ意味は、かつてとは比較にならないほど重い。

暴れるのは竹槍を持った農民でもなければ、プラカードを持ったデモ隊でもない。

レベル30を超え、ドラゴンすら屠る力を持ち、魔導兵器で武装した「超人集団」なのだ。

「起きますね……」

俺は淡々と肯定した。

「彼らは命がけで稼いだんです。

モンスターと殺し合い、泥水をすすって手に入れた金だ。

それを安全な場所でふんぞり返っていた国が、『半分よこせ』と言ってきたら?

間違いなく、キレますよ」

シーンと静まり返る会議室。

誰もが想像し、そして恐れていた最悪のシナリオ――。

物理攻撃や魔法によって「更地」にされる税務署の光景が、彼らの脳裏をよぎる。

「ど、どうしたら……」

主税局長が頭を抱える。

「でも、放置してたのは、日本政府じゃないですか……。

法治国家として、法律で決まっている以上、『怖いから税金取りません』なんてことが許されるわけがない。

そんなことをすれば国の威信に関わりますし、公平性を欠くとして一般国民からの批判も免れない……」

「いや、ですがね……」

別の役人が口を挟む。

「取り立てに行けますか?

相手はモンスターを殴り倒すような連中ですよ?

督促状を持っていった職員が、玄関先で消し炭にされる未来しか見えませんが」

議論は堂々巡りだ。

取るも地獄、取らぬも地獄。

進むも退くも茨の道。

「……とりあえず、日本政府としても黙ってるわけにはいかないので」

長官が決死の覚悟で言った。

「とりあえず『税率は55%です』と告知するしかありません。

所得税の最高税率45%に住民税10%。

数億円稼いだ探索者には、法に則りきっちりと半分以上を納めていただく。

まずは、この原則を曲げるわけにはいきません」

「……本気ですか?」

俺は呆れたように言った。

「みんな、そんなに現金持ってないですよ。

稼いだ端から、使ってますし」

「つ、使っている……?」

「ええ。

高級車やタワマンなら、まだマシです。売れば金になりますから。

ですが彼らの大半は、稼いだ金の全てを『装備』そして『レベル上げのための遠征費』に突っ込んでいます。

形に残らない消費、あるいは換金性の低い資産になっている。

手元の口座残高なんて、スズメの涙ほどでしょう」

探索者とは、強くなるために金を稼ぎ、稼いだ金で強くなる生き物だ。

10億稼いだら、10億の剣を買う。

それが彼らの「健全な」経済活動だ。

「そんな彼らに、『5億5千万払え』と言ってみてください。

『ない袖は振れない』と開き直るか、

『ふざけんな! 俺の剣を奪う気か!』と逆上するか。

……暴動ですよ」

俺の言葉に官僚たちが絶望的な顔を見合わせる。

「どうしたら……」

「でも、放置してたのは、日本政府じゃないですか……」

「いや、ですがね……」

同じ言葉を繰り返すだけの壊れたレコードのようだ。

彼らも分かっているのだ。

これまで、のらりくらりと法整備を先送りにしてきたツケが、今ここで爆発しようとしていることを。

俺はため息をつき、助け舟を出すことにした。

ここで彼らを見捨てて日本が無法地帯になれば、俺のビジネスにも悪影響が出る。

治安の維持は、俺の利益のためでもある。

「……提案があります」

俺が口を開くと、全員の視線が縋るように集中した。

「とりあえず、55%との発表は強行してください。

『法は法だ、払え』と毅然とした態度で告知するんです」

「えっ? で、ですが、それでは暴動が……」

「最後まで聞いてください。

ムチを見せたら、すぐにアメを出すんです。

『ただし、1年後の税制改革で、払いすぎた分は現金で還元金として戻ってくる』と説得するんです」

俺はホワイトボードに向かい、図を描き始めた。

「そして、その『税制改革』の具体案もセットで提示する。

プラス、公式日本探索者ギルド……先日設立されたI・G・Uの日本支部から、あらゆるオークションや魔石換金で『5%徴収』を告知するしかないですよ?」

俺はボードに大きく『5%』と書いた。

「来年度からは面倒な確定申告は不要。

ギルドを通した取引から自動的に5%が天引きされ、それで納税完了とする。

この『源泉分離課税システム』を導入すると、約束するんです」

官僚たちがざわめく。

「5%……。

あまりにも低い税率ですが……」

「捕捉率100%なら、トータルの税収は、55%を無理やり取るより遥かに多くなりますよ。

それに探索者側も、『面倒な計算をしなくていい』、『5%なら払ってもいい』と納得するラインです」

俺は彼らの顔を見渡した。

「そして、ここが重要です。

『今年55%払っても、来年には新制度との差額分が現金で還元されます』と言うんです。

つまり実質的には、『今年は一時的に預かるだけ』というポーズを取る。

これなら暴動は起きません。

『後で戻ってくるなら、まあいいか』と、彼らの怒りを先送りできる」

長官が、なるほどと唸る。

希望的観測を持たせることで、当座の爆発を防ぐ。

政治的な手腕としては王道だ。

「用意はしてるんでしょ?

I・G・Uとの連携システム」

俺が確認すると、佐伯が頷いた。

「ええ、事前に話をして予定済みですが……」

佐伯はそこで言葉を切り、眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせた。

何かを言いにくそうに、しかし図々しい要求を孕んだ目で、俺を見ている。

「……が?」

俺が促すと、佐伯は意を決したように口を開いた。

「八代さんからも、『(国から)還元金があるから、とりあえず税を収めよう』と、皆を説得していただけると……」

佐伯の言葉に、俺は思わず顔をしかめた。

「は?

つまり、俺に政府の片棒を担げと?

『みんなー! 政府がいいこと言ってるから、大人しく55%払おうぜ!』って、旗を振れと?」

「ええ。

八代さんのカリスマ性と影響力があれば、暴徒も鎮まります。

貴方が保証してくれれば、彼らも政府の言葉を信じるでしょう」

佐伯は、さも名案であるかのように言った。

俺の信用を使って政府への不信感を拭おうという魂胆だ。

俺は即座に、全力で拒否した。

「えー、やですよ」

俺は椅子にふんぞり返った。

「なんで俺が、そんな貧乏くじを引かなきゃならないんですか。

集中砲火されるじゃないですか。

『八代は政府の犬になった』とか、『金持ちの道楽で庶民を黙らせようとしている』とか。

俺のブランドイメージに関わります」

「そこをなんとか!

国難なんですよ!」

「知りませんよ。

俺は、あくまで一介の探索者です。

そこまで日本政府と、べったりじゃないですし……。

癒着を疑われるのも面倒だ」

俺は冷たく突き放した。

冗談じゃない。

俺はあくまで「自由な探索者の代表」というポジションでいたいのだ。

政府の太鼓持ちだと思われれば、アングラな連中からの信望を失う。

「ですよねー……」

佐伯がガックリと項垂れる。

他の官僚たちも、頼みの綱が切れた絶望感に包まれている。

「なんとか、税務署が更地にならない道はないか……ないですか?

はぁ……」

長官が深い深い溜息をついた。

その脳裏には、明日にも怒り狂ったバーサーカーたちが税務署に突撃し、窓口をハンマーで粉砕する光景が浮かんでいるのだろう。

会議室は沈黙に包まれた。

打つ手なし。

このまま55%を告知して玉砕するか、

それとも法を曲げて見逃すか。

どちらに転んでも地獄だ。

俺は時計を見た。

これ以上、この湿っぽい部屋にいるのは御免だ。

そろそろ「答え」を出させる時だ。

「……とりあえず、もう暴動起きる前に発表しましょう。

引っ張るだけダメです!

SNSじゃ既に、『税金対策オフ会(武装蜂起)』の企画が立ち上がりかけてるんですから!」

俺は彼らを急かした。

決断を遅らせれば遅らせるほど、事態は悪化する。

「55%の納税も、1年猶予で実質なしにするとかですかね……」

俺はボソリと、独り言のように呟いた。

その言葉に、全員が顔を上げた。

「……えっ?

猶予で実質なし?」

「そうですよ。

『今年は55%だが、1年間の納税猶予を与える』と発表するんです。

そして1年後、新税制(5%)が始まったタイミングで、

『昨年度の猶予分については、新制度移行に伴う特例措置として5%で再計算する』として処理する」

俺は指を振った。

「つまり、『払わなくていい』とは言わない。

『今は払わなくていい(1年待つ)』と言うんです。

そして1年後に、うやむやにして実質チャラにする。

これなら法的な体裁も保てるし、探索者の懐も痛みません」

「し、しかし……それは実質的な徳政令では……。

法の公平性が……」

「では、暴動が起きて税務署が燃やされるのと、どっちがいいですか?

物理的に更地になるより、帳簿上の数字をいじる方がマシでしょう?」

俺は究極の二択を突きつけた。

プライドか、生存か。

「……では、ダメですか?」

俺が念押しすると、税務署の役人たちは顔を見合わせた。

彼らは不満げだ。

「税金を取り立てる」という自分たちの職務を放棄することになるのだから。

だが同時に彼らは、現場の恐怖も知っている。

窓口に来るのは、ゴブリンを素手で引き裂くような連中なのだ。

「……更地になるのは、勘弁してくれ」

現場責任者が、絞り出すように言った。

それに続くように、長官も重々しく頷いた。

「……分かりました。

背に腹は代えられません。

『激変緩和措置』という名目で、1年間の猶予と、その後の特例処理を通しましょう。

総理には私が、腹を切る覚悟で説得します」

「じゃあ、そういうことで」

俺はパンと手を叩いた。

決着だ。

これで日本の税制は、実質的に「探索者優遇」へと大きく舵を切ることになる。

今年度はタダ(猶予)。

来年度からは5%。

この甘い汁を吸った探索者たちは、もう二度とカタギの仕事には戻れないだろう。

ますますダンジョンに依存し、俺の支配する経済圏に組み込まれていく。

俺は席を立った。

窓の外、夕闇に沈む東京の街は、まだ何も知らずに輝いている。

明日発表される「徳政令」が、この街にどんな熱狂をもたらすか。

それを想像すると、俺の口元は自然と緩んだ。