軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第42話 魔境への旅支度

旅の極意とは何か。

それは「我慢」ではない。「日常の持ち運び」である。

枕が変わると眠れない?

なら、枕を持っていけばいい。

外のトイレが汚い?

なら、綺麗なトイレごと移動すればいい。

「……完璧です」

王宮の裏手にある専用ガレージ。

そこに鎮座する巨大な物体を見上げ、私は満足げに頷いた。

「エリアナ。……これは、本当に馬車なのか?」

隣で、旅装束に身を包んだクロード様が、あんぐりと口を開けている。

彼の足元には、大型犬サイズになったルンが「でかい!」と尻尾を振っていた。

「ええ。名付けて『特注・居住型魔導馬車』。通称、『動く引きこもり部屋』です」

外見は、真っ白な箱型の馬車だ。

ただし、通常の馬車の二倍はある。

車輪は四つではなく八つ。

すべてに帝国製の最新サスペンションと、衝撃吸収魔法陣が組み込まれている。

牽引するのは、王家最強の軍馬四頭だ。

「さあ、中へどうぞ。内覧会です」

私がタラップを下ろすと、プシューという気密性の高い音がした。

中は、驚くほど広かった。

空間拡張の魔法は使っていない(魔力消費が激しく、魔境では不安定になるから)。

その代わり、徹底的な「収納術」と「可変ギミック」が駆使されている。

「玄関を入って右手がリビング兼ダイニングです」

壁に収納されたテーブルを引き出す。

椅子も床下からポップアップする。

ソファは、夜になれば広げてダブルベッドに変形する仕組みだ。

「左手はキッチン。魔導コンロ二口と、氷魔法を使った冷蔵庫を完備しています」

さらに奥の扉を開ける。

「そしてこちらが、最新式水洗トイレと、簡易シャワー室です」

「……馬車の中に、風呂があるのか?」

クロード様が絶句した。

「魔境の泥や瘴気は、その日のうちに洗い流さないと肌荒れの原因になりますから。水は循環浄化式です。私の魔力で常に清潔なH2Oを供給します」

「……君の『快適』への執念は、時々恐ろしくなるな」

「褒め言葉として受け取っておきます」

私は入り口の壁に設置された、小さな魔道具を指差した。

水晶板に、時計の針が浮かび上がっている。

「そして、これが今回の旅の最重要アイテム。『魔導タイムカード』です」

「タイムカード?」

「はい。今回の旅は『ルンの引率』という業務です。したがって、この馬車から一歩外へ出たら『出勤』。中に戻ったら『退勤』とみなします」

私は宣言した。

「外では、私は王弟妃として、魔導師として働きます。魔獣の撃退も、野営の準備もしましょう。……ですが!」

私は人差し指を立てた。

「一度この扉をくぐり、カードを『退勤』に切り替えたら、私はただのエリアナに戻ります。仕事の話は一切禁止。魔獣が吠えていても無視して、お茶を飲み、本を読み、寝ます」

「……なるほど。オンとオフの切り替えスイッチというわけか」

クロード様は苦笑しつつも、納得したように頷いた。

「いいだろう。魔境の緊張感に飲み込まれないためには、そういうルールが必要かもしれないな」

「ご理解いただけて何よりです。……では、荷物の積み込みを始めましょう」

荷造りは、価値観の衝突から始まった。

「エリアナ。このスペースには、予備の剣と解毒ポーションを詰めたいのだが」

クロード様が、物々しい木箱を持ち込もうとする。

「却下です。そこは私の『入浴剤コレクション』と『アロマキャンドル』の場所です」

「……は? 命を守る道具より、風呂の粉を優先するのか?」

「クロード様。魔境での死因ナンバーワンは何かご存知ですか?」

「魔獣による襲撃だろう?」

「いいえ。『ストレスによる判断力の低下』です」

私は力説した。

「ギスギスした心で剣を振るうより、ローズの香りで熟睡した翌朝の方が、生存率は高まるのです。……ポーションなら、最小限の濃縮タイプを私のポーチに入れてあります」

「……ぐうの音も出ない」

クロード様は剣を一本に減らし、入浴剤のスペースを空けてくれた。

物分かりの良い夫で助かる。

続いて、食料だ。

魔境には食品店もレストランもない。

現地調達できるのは、毒々しい色のキノコか、硬い魔獣の肉くらいだ。

「そこで、これの出番です」

私が床下収納から取り出したのは、大量の銀色のパッケージ。

「これは……?」

「『圧縮保存食』です。帝国との外交の際に考案した技術の応用ですね」

食材を一度凍らせ、真空状態で乾燥させる。

栄養と風味を損なわず、重量は十分の一以下。

お湯を注げば、瞬時に出来立ての味が蘇る。

「メニューは豊富ですよ。クリームシチュー、野菜カレー、リゾット、そして食後のデザートにフルーツポンチも」

「すごいな……。これなら一ヶ月籠城しても飽きないぞ」

「ルンのご飯も、馬車から出る生活廃棄物で賄えます。完全なエコシステムです」

「ママ、ご飯!」

ルンが期待に満ちた目でゴミ箱を見つめている。

頼もしい掃除機だ。

準備は整った。

ガレージの外には、見送りの人々が集まっていた。

「エリアナ様……っ!」

シルビアさんが、ハンカチで目元を抑えながら駆け寄ってきた。

その手には、重箱のような包みが抱えられている。

「シルビアさん。留守をお願いしますね」

「はい……! ですが、やはり心配です。魔境などという恐ろしい場所へ……お供できないのが悔やまれます」

彼女は今回の旅には同行しない。

魔境の環境は過酷すぎるため、戦闘力のない一般人は連れて行けないのだ。

「大丈夫ですよ。この『動く要塞』がありますから」

「はい。……こちら、道中で召し上がってください。シルビア特製、究極の幕の内弁当です」

「まあ!」

受け取ると、ずっしりと重い。

中身は見えないが、早起きして作ってくれたのだろう。愛を感じる。

「ありがとうございます。最初の『退勤後』に頂きますね」

「行ってらっしゃいませ。……ルンちゃんも、いい子にするのですよ」

「シルビア、またね!」

ルンがシルビアさんの手をペロリと舐めた。

シルビアさんは涙目でルンを抱きしめた。

すっかり孫を可愛がるおばあちゃんのようだ。

「では、出発しようか」

クロード様が御者台に座り、手綱を握った。

今回は彼が御者を務める。

もちろん、ただの手綱さばきではない。

馬たちに強化魔法をかけ、自動操縦に近い形で制御するのだ。

「エリアナ、乗ってくれ」

「はい」

私は馬車に乗り込み、窓を開けた。

「行ってきます!」

「ご武運をー!」

「お土産話を待ってますー!」

騎士たちやメイドたちの声援を受け、馬車が動き出す。

滑らかな滑り出し。

振動はほとんどない。

王都の門を抜け、街道を北へ。

目指すは地図の空白地帯、竜の谷。

本来なら、悲壮な決意で挑むべき冒険旅行。

けれど、今の私たちには、そんな気負いは微塵もない。

車内には、アロマのいい香りと、シルビアさんのお弁当の匂い。

足元では、ルンが床に落ちたパン屑を探して冒険している。

「……ふふっ」

私はソファに背中を預けた。

これは冒険ではない。

少し遠くへの、ドライブだ。

「……クロード様。お茶、淹れますね」

「ああ、頼む。……天気もいいし、最高の旅になりそうだ」

窓の外、遠くに黒い雲(魔境の入り口)が見えてきた。

普通なら恐怖を感じる光景だ。

でも、私にはこの「最強の馬車」がある。

定時になったら、カーテンを閉めてしまえばいい。

そうすれば、そこはただの、幸せな我が家なのだから。