軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第31話 ハネムーンは最高の「引きこもり」

「……ねえ、クロード」

「ん?」

「今、何時ですか?」

「さあ。時計は外してしまったから、分からないな」

「……最高ですね」

私は木陰に吊るした布の上で、幸せな溜息をついた。

ここは南の海に浮かぶ、小さな孤島。

王家が所有する別荘地であり、私たちのハネムーンの舞台だ。

白い砂浜。

エメラルドグリーンの海。

そして、誰もいない静寂。

ここには、分厚い進行表も、重たいドレスも、口うるさい儀典長もいない。

あるのは、波の音と、私たち二人だけ。

出発の前日、ヴァレリウス大公に呼び止められたことを思い出す。

『……エリアナよ』

式が終わった直後、控室でのことだ。

大公は、私が即席で作ったクリスタルの指輪が入った箱を、愛おしそうに撫でていた。

『儂は、古い人間だ。伝統こそが正義だと信じて生きてきた。……だが』

彼は片眼鏡を外し、素顔の疲れた瞳で私を見た。

『お前の言う通り、形だけの伝統はいつか朽ちるのかもしれん。……この指輪の輝きを見て、そう思った』

『叔父様……』

『これからの王家を支えるのは、重苦しい黄金ではなく、お前のような……規格外の光なのかもしれんな』

彼はフンと鼻を鳴らし、背を向けた。

『行け。……そして、たまには顔を見せに来い。……シルビアも寂しがる』

それが、あの頑固なラスボスからの、精一杯の祝辞だった。

私は深く頭を下げた。

勝利宣言などしない。

ただ、分かり合えたという事実だけで十分だった。

「……エリアナ。焼けたぞ」

香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

目を開けると、Tシャツに短パンというラフな姿のクロード様が、皿を持って立っていた。

「わあ、美味しそう」

皿に乗っているのは、近くの岩場で釣れた白身魚のソテーだ。

味付けは塩とハーブのみ。

付け合わせは、帝国製のレトルト野菜。

王宮のフルコースに比べれば質素極まりないが、今の私にはどんなご馳走よりも輝いて見える。

「料理なんて初めてしたから、焦げてしまったが」

「いいえ。この焦げ目がいいんです」

私は吊り寝台から降り、木陰のテーブルについた。

一口食べる。

ふっくらとした身と、炭火の香り。

「……んー! 美味しい!」

「よかった」

クロード様が、少年のように安堵の笑みを浮かべた。

「君には、もうこれ以上働かせたくないからな。……ここでは私が、君の専属執事だ」

「あら。では、肩も揉んでいただけますか?」

「喜んで」

彼は私の背後に回り、大きな手で肩を揉み始めた。

力加減が絶妙だ。

やはりこの人は、宰相よりもマッサージ師に向いているかもしれない。

「……あ、そこです。効きます……」

「凝っているな。……本当に、無理をさせてすまなかった」

「いいえ。楽しかったですよ、振り返ってみれば」

私は海を見つめた。

婚約破棄されたあの日。

私はただ、静かに暮らしたくて図書室に逃げ込んだ。

成り上がるつもりなんてなかった。

誰かを見返すつもりもなかった。

でも、気づけば。

国を救い、他国の皇女を手懐け、古い伝統を塗り替えていた。

「……『努力しないで幸せになりたい』」

「何か言ったか?」

「私の座右の銘です」

私はクロード様の手の上に、自分の手を重ねた。

「私、頑張るのが嫌いなんです。でも、貴方と一緒にサボるためなら……少しだけ頑張るのも、悪くないかなって」

「……ふっ」

クロード様が吹き出した。

そして、私を後ろから抱きしめた。

「君らしいな。……愛しているよ、私の最高の怠け者」

「私もです、働き者の旦那様」

波が寄せては返す。

ザザァ……ザザァ……。

心地よいリズム。

「……ねえ、クロード」

「ん?」

「お腹がいっぱいになったら、眠くなってきました」

「奇遇だな。私もだ」

「あの布、二人でも乗れますかね?」

私は木陰に吊るされた布を指差した。

あれは、この島に来る前、私が職人に特注して作らせたものだ。

船乗りたちが使う網の寝床をヒントに、丈夫な帆布とクッションを組み合わせて作った、私の発明品である(現代のハンモックみたいなもの)。

貴族たちは「布にぶら下がるなんて」と笑ったけれど、この揺らぎの心地よさを知らないなんて損をしている。

「……エリアナの発明品か。君が作ったものなら、強度は完璧だろう」

「もちろんです。大柄な帝国軍人が二人乗っても大丈夫なように設計しましたから」

「試してみようか」

私たちは狭い布に、無理やり二人で潜り込んだ。

密着する体温。

布がたわみ、私たちを包み込む。

少し窮屈だけど、それがかえって安心する。

「……おやすみなさい」

「ああ。……世界で一番贅沢な昼寝をしよう」

瞼を閉じる。

意識が遠のいていく。

これからも、きっと面倒なことは避けて通るし、定時には帰るし、休日は二度寝する。

でも、その隣にはいつも、この人がいる。

それだけで、私の人生は最高に幸せだ。