軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 二一歳の冬 三八

ライン三重帝国の移民は各国各地からやってくる。西の果てから南の終わりまで、住みよい土地を求める流浪の一族は、この時代に溢れていた。

諸国と比べて開明的かつ下々への締め付けも、商売への制限も厳しくないこともあり、故国が政変などによって居づらくなった人間の受け口として好かれているからだ。

世が世なのだ。国家によってはヒト種以外は人類にあらずと標榜し数の利によって多種族を迫害していることもあれば、逆に非定命が長々と君主位を占有して定命を圧迫している国もある。

統治政策において一定の被差別階級を意図的に作って不満の矛先を逸らすことは、政策上では奇策ではなく、むしろ常套手段とさえ言えた。

こういった事情により帝国に流れてきたウェレドの一族は、濃い褐色の肌や大型の蜘蛛といった体躯から想像できるよう、南方大陸の血が濃い。

ウェレドは移民三世。マルスハイム生まれにしてマルスハイム育ちであるため帝国の地以外を知らないが、そのナリ、そして蠅捕蜘蛛種とは逆しまに幼い内から酷く大人びる特性によって、子供達の輪に入って遊ぶことは適わなかったという。

そんな友達がいない彼女にとって、数少ない余暇の慰みが広場にて詠われる恋愛詩であり、また詩の登場人物達であった。

一度も会ったこともない人々の物語は、特異性によって遠巻きされてきた彼女にとって、登場人物を友人のように思わせるほどに心を救ってくれたのである。

敵対する名門家の嫡男と長女が織りなす切ない物語や、復讐のため狂人を装った恋人と父の間で惑う乙女の物語は、詩劇を通じてウェレドの葛藤を上手く消化し慰んだ。

そして何より、自らと同じく種族の性質によって〝飢える〟ことを宿命づけられた狩人の乙女が、奇しくも同じ荘に生まれた才気溢るる少年によって救われる恋歌は、自身の境遇も相まって何よりも刺さった。

況してや、その人物がマルスハイムの死せざる伝説であり、やる気さえあれば師事が適うとあれば、詩で聞いた彼女のようになりたいと願うのは自然な流れであった。

然りとて「貴方のようになりたいのです」なんて縋られようと、恋歌の主人公たる――不思議と、その詩は剣友会が有名になるより前に東より伝わったとされる――マルギットも扱いに困っただろう。

自分より〝八つも若い〟同属異種の蜘蛛人は、 種族の輪郭(シルエット) が似ているだけで特性が己とはまるで違うのだから。

身を屈めて尚も金の髪のエーリヒを越える体高、差し渡し三mはあろう蜘蛛の体躯は、どうあっても、どれだけ工夫してもマルギットと同じ隠行や攻撃を実現不可能たらしめる。

一体この世の何処に彼女を隠してくれる巨体の持ち主がいようか。それこそ人類の中でも有数の大きさを誇る巨鬼でさえ、上背は何とかなっても横幅が全く足りなかろう。

それでも苦心の末、辛うじて自分の技能とウェレドの肉体に合わせて落とし込んだのが、蜘蛛人に共通して得意な全霊をかけた伏撃。

それを更に先鋭化し本来有り得ない〝壁を貫いて飛んで来る不意打ち〟に昇華させるまでに、一体どれだけの苦労が師の脳裏で渦を巻いたかは筆舌に尽くしがたい。

この巨体でよちよちと幼児が親を追いかけるようについて回り、お師様お師様なんて慕って自分の真似をしようとするのだ。相方と同じで変に面倒見が良いマルギットは、さぞ大変であっただろう。

何せ一時は、もう霜の大霊峰にでも登って、彼女の背丈に見合った巨人の落とし子でも探してこようかと捨て鉢になるくらいだったのだから。

「えーい!!」

壁材も芯材も、何なら一本通っていた細い補強の柱さえもぶち破ってウェレドは老僧に組み付いた。巨体を維持し、一瞬であれば凄まじい膂力を生み出す筋力を大きく溜め、瞬時に解放する身のこなしは師匠から遺漏なく受け継いだ直伝の威力。そこに天与の恵まれた巨体と生体装甲を持つ巨大な下肢が組み合わされば、館の内装程度は移動の妨げにもならぬ。

「ぐっ!?」

まず、亀甲人を襲ったのは礫として無差別に浴びせられる壁だったものの残骸。勢いはあろうが壁材如きで怯むような彼ではないが、飛礫を受けて一瞬目を瞑ってしまったことで、反応が遅れて回避行動に失敗した。

無理もない。普通、壁諸共に突進で、しかも直前まで〝前衛二人の殺気〟に塗りつぶされて察知されないほど気配を潜め不意打ちしてくる敵など想定するまい。

しかも、前衛二人は何度も死が首筋を掠めるような攻防をしているのだ。正気を失っていなければ、絶対に不意打ちが極まる瞬間に攻撃させるべきだと分かっていても、こんな際の際まで伏せさせていられるものか。

克己心によって恐怖を飼い慣らしているから、あるいは狂気的な合理性に基づく殺意を魂で醸造しるからこそ、今の今まで伏せていられた。

状況は開戦の直前から旧教側が圧倒的な数的優位を持っていたのだ。老僧のような大駒が出てきた場面を警戒するにしても、普通は異形の聴講生崩れと共に出ていてもおかしくなかろうに。

だが、剣友会の正規会員には、それができる。できるからこそ、剣の友を名乗るのだ。

ウェレドの理不尽さは攻撃を不可知の状況で放ってくるのみならず、辛うじて反応しても一歩や二歩の移動では逃れられぬ広範囲への抱擁という形に表れる。

上体の人の腕は顔を護ることに使っているが、ただでさえ巨大な蜘蛛の前肢を広げているのだ。ちょっとやそっとの移動では、どうあっても彼女の射程から逃れることは許されない。

欠点があるとするならば、一撃の威力に全てを注ぎ込んだ弊害か、当の本人が突進の勢いを完全に制御しきれていないということ。

故にウェレドの攻撃に誰もが巻き込まれる可能性がある。彼女の存在を前提においた四番の連携での前衛は皆、死に番であるのだ。

「ウェレド! 加減しろ馬鹿!!」

突撃の凄まじさは老僧の粘り強い体幹でも止めきれず、更には廊下の対面をぶち抜いて奥側の部屋に雪崩れ込むほどであった。濛々と立ちこめる粉塵を払って叫ぶエタンの言う通り、射程が長く範囲を巻き込めるのは良いが、それで味方の射程から敵を遠ざけるのはいただけない。

「ぐっ……離せっ、ぐふっ!?」

だが、欠点を呑み込んで尚も強力な負の修正が亀甲人を襲っているならば、ある程度の勘定は合うだろう。

「死んでもっ、離し、ませんっ……!!」

ウェレドの不意打ちは、ただの突撃ではない。蜘蛛の長く強烈な脚でそのまま絡め取り圧死を狙う制圧攻撃。敵に転倒を強いると同時、絞り上げることで継続して肉体を痛めつけるのだ。

マルギットであれば、四肢の一本か胴体にしがみつくのが限界であろうが、比類なき巨体のウェレドには人間一人を余裕で包むことができる。待機室に押しかけてきた豚鬼も、同じように圧搾の抱擁にて絞め殺した。

されど、老僧はただ寿命に飽かして長生きしただけの武人ではない。頸椎をへし折らんと首に回された前肢二本の間に左腕をねじ込み、空間を確保することで呼吸を止められないようにしている。

更に、足の間に巻き込まれて使用不能にされないよう、右腕を確実に拘束の隙間から逃していた。

年を経るに連れて頑強になる亀甲人の装甲を貫徹することを諦め、どうあっても鍛えようのない関節を狙ってくる手合いなど幾らでもいた。その中には練武神や陽導神の武僧であり、自身の賦活力に任せてゴリ押しで関節技や寝技を押しつけてくる達人もあった。

そして、彼はそういった技術と力自慢を全てねじ伏せて、今も生きている。不意打ちにこそ驚いて対応が後手に回ったが、完全な反撃不能に陥ることを避け、最悪の中でも反撃し打開することを諦めていなかった。

「かったい! 締め落とせない!?」

「我が信仰、我が装甲は鐘楼の崩落にも耐えてみせたのだ! この程度で砕けるものかっ!!」

胴を護る甲羅は圧力に負けず、抱擁の中で藻掻く体が力点をズラして負担が一箇所に掛かることを妨げていた。更には強靭な背筋と腹筋が、逆向きに体を折り曲げようとする力にも抗い圧死を拒む。

それでも老僧が狙った、複雑に回転することで上下を入れ替え、上を取られる不利を覆す決定打にはならぬ。なにせウェレドと足の数が違うのだ。拘束に使っている足を小まめに入れ替え、支えに使うことで回転を防がれてはどうしようもない。

となれば、後はもう殴り合いだ。

「うっ……!!」

「ぬっ……!!」

蜘蛛人が頭頂に掲げて組んだ両拳を槌のように亀甲人の顔面に叩き込むのと、彼女の腹筋に老僧の拳がめり込むのは殆ど同時であった。

総合格闘技において絵面が地味なため、塩だの何だのと言われる展開ではあるが、この状態ではひたすらに互いの打撃力と強靭さの比べ合いだ。自分の頑丈さに自身がある老僧は狩人の拳を一切避けようともせず受け止め、逆にこの状態なら空いた右腕も防御に回すだろうと想定していたウェレドは人の腹に予想外の一撃を受けることとなる。

しかし、想定していない攻撃を受けたのは老僧も同じであった。

亀甲人は、その体の構造上、基本姿勢がかなり猫背気味だ。折りたたんだ柔軟な首が能く伸びるようになっているが、そのせいで強力な一撃を受ければ勢いよく背後へ頭が飛んでいく。

即ち、床という頑丈な鈍器で後頭部に二度目の打擲を受けるのだ。

「げぷっ……」

「ぬぅっ……」

長い生涯で亀甲人は殆どの戦いを立位にて終わらせてきたため、寝技や関節技の応酬に対応はできても熟達はしていない。自慢の装甲と足運びで後の先を制し、一撃必倒の鉄拳で全てを薙ぎ倒してきた達人には、鍛錬以外で完全に組み付される体験する機会がそもそもなかったのだ。

故に頭上から延々と振り下ろされる拳の勢いに脳が揺らされ、満身の一撃を放つことが適わない。足腰の動きは抑えられ、殆ど手の力だけで放つ拳打では、斥候装束の下で綺麗に六つに割れている腹筋を貫通するに至らなかった。

無論、それでも牛躯人を悶絶させる打撃の持ち主だけあって、比較的威力が落ちただけに過ぎぬ。ウェレドの左肋は下側三本が、たった一発の拳で完全に折れていた。のみならず浸透した衝撃が肺腑と胃を揺らし口元から反吐が溢れる。

それでも、両者は泥臭い攻撃を止めない。頭蓋の内側で脳が乱打されて視界がブレようと、一度折れた肋が更に分割されて肺に突き立とうとも。

ここで譲ればいずれも死ぬのだ。世界が揺れていると錯覚しそうな脳震盪であろうが、口の端から溢れる反吐が血に変わろうが頓着していられない。

ウェレドの不意打ちは、正に一発だけの最終兵器。この老僧が先の奇跡を使い、再び得意の拳闘に構えれば満身創痍の一党に勝ち目はなかった。

この瞬間こそが、 全てを突っ張る(オールイン) に値する時なのだ。

たとえくたばっても、死後の硬直で体を縫い止めてやると腹を括った斥候見習いの鼓膜を足音が揺らした。

「ウェレド! 何処狙えばいい! 俺にはよく見えん!!」

エタンだ。穴の入り口では彼と連携していたヒト種の会員が、もう一人の会員と合流して老僧を救わんと殺到する雑兵を踏み留めており、応接間では体を槍で串刺しにされながらもヤンネが意識不明の権僧正を護っている。

駒一枚、剣友会の方が勝っていた。

「股の直ぐっ……前に……げふっ、首が!!」

「分かった! 手ぇ止めろ! 腕ごと叩き落としたくねぇ!!」

「ぬぅぁぁぁ、離せっ! 退けぇぇぇぇ!!!!」

蜘蛛人に組み付かれて尚も惑いの奇跡は有効であったのか、エタンには老僧を正しく捉えることができなかった。なので山勘で剣を振り下ろすべく背を反らし、剣の刃先が尻にくっつくほど大きく振りかぶる。

普段の実戦では使えない試刀の構えだ。一対一の斬り合いでは隙が大きすぎて実用的ではないものの、仲間が敵を拘束してくれているのであれば大火力の必殺攻撃として成立する。

「それじゃっ、無理です!! 手首っ、手を、狙って!!」

ただ、それでも惑いの奇跡が勝ったならば?

ウェレドは最悪を想定し、拳を解いて手探りで老僧の首を絞めに掛かった。

彼女には感覚で分かっているのだ。こうやって全身を絡め取っている今でさえ、藻掻く動きや触覚を頼りに拳を滅茶苦茶に振り下ろしているだけで、狙って攻撃を当てようとすると失敗することを。

そうであるなら、明確に亀甲人の首を狙って振り下ろした刃は外れる可能性がある。それが高位の神職に与えられた奇跡の恐ろしいところ。

ならば、狙いを正確に、そしてより違うモノにすれば良い。

エタンの剛剣であれば、ウェレドの手首諸共に旧教の怨念を斬り伏せることもできるだろう。

一瞬の逡巡……を経ることもなく、牛躯人の冒険者は溜めに溜めた一撃を解き放っていた。

剣友会では、率先して死に番を務めると申し出た人間の覚悟を無にすることこそが無粋なのだ。

それに即死さえしなければ、手足などあとでどうとでもなる。引きちぎったような酷い傷跡でなければ、彼等の癒やし手、若草の慈愛カーヤが腕の一本や二本、お説教を添えて継いでくれるのだから。

「神よっ、雌熊の神よっ……!! 汝は、汝は何処に……!?」

老僧の悲嘆溢れる絶叫。しかし、部屋に差し込んでいた月光は翳っていく。何の因果か皮肉か知らぬが、雲が道行きを照らす光を遮ったのである。

戦の終わりを報せるのは、硬い硬い、千年の時を経て厚みを増した装甲が断ち切られる轟音…………。

【Tips】死に番。敵拠点への強襲や迷宮への挑戦など、閉所戦闘を強いられることが多い剣友会特有の概念。最も不意打ちや罠を喰らいやすい先頭の人間が、自分から死ぬ番だと認識することで意識を研ぎ澄まさせ、最低限何があっても相手は殺すと腹を括る戦術。

ひいては、流動的な戦闘の中で「自分ごと殺れ!!」と腹を括った会員のことも指す。