軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 十八歳の晩春 六八

魂と魔力は繋がっているという。故に全ての生命が量の多寡に違いはあれど魔力を持って生まれ、あらゆる物質が概念的に魔力と関わりを持つ。

そして、魔力を弄ぶ者は必然的に繋がった魂に影響を受け、酷使すれば反動が魂に及び、魂に付いた傷は肉体に返る。

門を閉じるために無茶をした造成魔導師志願の聴講生は、そのために気絶してしまったが、同様に無理な魔力の運用をしているばかりに苛まれている者が一人いた。

とある寂しく湿っぽい光の入らぬ空間は、かつて民家の地下室であったのだろう。壁となる石は積み上げ方が雑な上に劣化が進み、踏み固めた土が丸出しの粗末な床も緩んで泥濘のよう。のみならず、上層の床を兼ねる天井の板きれは腐れ果て、老人の歯よりも酷く隙間だらけで頼りない。

誰かが不用意に上を歩けば崩壊してしまうような寂しく粗末な空間で、一人の人物が液体に身を揺蕩わせていた。

何処かから引っ張ってきたらしい浴槽には怪しげな色合いをした薬品が満たされており、揮発する刺激臭は常人であれば気道を糜爛させて卒倒するような煙を発し続けている。蒸発する薬液を絶えず補給する金属の缶が壁際に所狭しと詰め込まれ、蛇腹に撓む管を浴槽に差し込んでいる様は何とも不格好で、正しくあり合わせの急拵えといった風情。

うらぶれた工房とも呼べぬ工房の浴槽に浮かぶ人物。

いや、これを果たして人と呼んでよいのだろうか。

どうにも怪しい色合いの薬液の中で揺れているのは、肉塊としか形容できぬ異形であった。

人の皮膚と思しき色合いの合間合間より覗く、血色の肉からは透明な体液と黄色く濁った膿が止めどなく流出し続け、緑色の薬液を穢している。海月を連想させる陰影の下から漏れ、薬液に浸っているのは触手ではなく溢れた臓物の群れ。時折ひくつき、苦しげに蠕動している様から肉塊が辛うじて生きていることだけが窺える。

そして、悍ましき様を更に悍ましく飾り立てるのは、規則性もなく飛び出した手足の残骸。熱によってねじくれ、焼かれ、壊れかかった四肢は空気に触れる度に痛みを受けて戦慄き、救いを求めるように薬液に沈んでは、別の四肢が空気に晒されて苦痛に悶える。

最早、絶望すら生温い苦界にて責め苦で煮られているだけにしか見えぬ肉塊は、ただ終わりを求めて蠢いているかの如く怠惰に薬液に浸かっている。

だが、発させる膨大な魔力を見れば、誰もがこの死にかかっている肉塊が無力な存在であるとは思えないであろう。

尽きず放たれる暴力的なまでに膨大な魔力は精製される端から何処かへと転送され、何らかの術式制御に蕩尽されているが、その内の余ったほんの僅かな術式が肉塊と薬液に浸透し、か細き“細胞賦活術式”を維持していた。

「ああ、お労しや我が師」

「我等が苦痛を肩代わりできるのであれば……」

「神は何故、このような試練を我が師と我々にお与えになられたか……」

常人であれば肺腑を腐らせて死に至るような空間に来客が現れた。揃って泥色に沈んだ色彩のローブを着込み、顔を覗かせぬようにした陰気な一団は薬液に浮かぶ肉塊を労り、嘆き、そして淡々と仕事を果たした。

浴槽の中に用途不明の怪しく光る液体を注ぎ入れ、枯れた薬液の缶を魔法で新たな缶と交換し、剥落した死んだ細胞の澱を浴槽から掻き出して清浄化を試みる。

「よもや、我が師がここまでの痛手を受けられるとは……何たる熱量か……」

「熱量だけの問題ではない。会議の参加者を死なせぬため肉体を広げ、熱を全て内側で食って消えるまで耐えられたのだ。ただ焼かれるのとは訳が違う」

「お労しや、お労しや、これ程に献身し身を守った我が師を怪物扱いし、労を労うどころか被害が大きいと誹るとは……許せぬ、許せぬぞ辺境の野蛮人共」

陰気なローブの“魔導師”達が世話をしているのは、ただの不気味な肉塊ではなかった。

数千度の熱を会議中の天幕にいた指揮官を死なせぬために身を広げて受け止め、そして酸素を断とうと水を掛けようと消えぬ異形の火を留めるべく、拡大した肉体の内に取り込んで消えるまで抑え続けた“リアン・アンリ・マーガレット・シュマイツァー”の成れの果てである。

貴族位を剥奪され除籍処分を受けた教授は、本来ならばこのような痛ましい様に陥る筈ではなかった。肉体の恒常性を保つ術式を体内にて十重二十重に常駐で走らせ、結界ではなく再生力にて身を守ることを選んだ達人なのだ。

たとえ極光にて焼かれようと再生速度の方が上回る程の使い手である彼ならば、数千度の炎を呑み込み消えるまでの数分間熱波に晒され続けたとして痛痒すら覚えない。落日派に属し、我が身を粘土細工と同じく必要とあらば“捏ねて直せばよい”と心得る狂人共であれば、当然の備えだ。

否、そもそも強化し竜鱗に劣らぬ頑強性としなやかさ、そして耐火能力を持つ皮膚で押し止められていた筈であるし、人外の域に達した処理能力を持つ臓腑にて消化できぬ炎という化学現象さえ消化し、鋼も曲がる圧力に耐える骨格で全て押し止め害にすらならなかったのだ。

しかし、それは魔力の全てを己の制御に傾けていられればの話。

「どうしてこうも我が師は運がないのだ。下らぬことで学派どころか魔導院を追われ、更に此度の問題……全力であれば、あの程度の火、あってなきような物だというに」

「致し方なかろう……辺境全域に魔力を割き、万に近い動死体を同時に使役なさっているのだ。我等を端末としてお使いになられても、肉体に掛かる負荷と魔力の消費は人知を超えている」

「その上、慣れぬ魔導炉とやらと“直接繋がって”魔力を捻出しておられる。我等であれば耐えられぬような熱を受けて、生きておられるだけでも凄まじいことよ」

「……精神的にも追い詰められていらっしゃる。先日、可愛い末の妹弟子を亡くされたばかり。我等とて悲しかったが、師はその何倍も苦しまれたろう」

「意識を割いた護衛の個体を置いていただけに痛恨であられただろう……お労しや、お労しや」

運悪く様々な要因が重なって強力無比たる元教授は弱り切っていた。その肉体に宿る力量は、平時の三割程度に落ちていた。専心して魔導を学んだ訳でもない、魔法使いと呼ぶにも疑問がある冒険者の魔術で焼かれてしまう程に。

そもそも、貴族位を剥奪され、魔導院を除籍されたことも運が悪かったとしか言い様がないのだ。

魔導師など、人体を弄び禁忌外法に手を触れたことのない者など一人として存在するまい。落日派に限らず払暁派の技術狂い共も平然と“文明が終わる火力”の術式を生み出し、隠者気取りの黎明派も世の理をねじ曲げる術式を幾つも編んで、善人面した中天派でさえ魔導生物の製造実験に“人間”を用いて悪びれもしない。

人品倫理など書き損じの覚書より価値がない、外道や修羅の蠢く巷にてシュマイツァー卿の実験がどれ程の罪というのか。

人の命を永遠とし、神の如き瑕疵なき不死を目指すことの何に罪があろうかと弟子達は嘆いた。

魔導師の半分以上、定命であれば多くが夢見て、何かしらの策を講じている筈だ。不死、不老、非定命よりも完璧な朽ちぬ命を。

長命種は理想に近いが、完璧には程遠い。魂は人類の域を出ず、暇と飽きによって摩耗し、更に“殺せば死ぬ”ような常識的存在に過ぎぬ。

吸血種など問題外だ。魂を陽導神に呪われて陽の下で昼寝することもままならず、温き血を呑まねば正気を失う生態など欠陥以外の何であろうか。

竜、死霊、精霊、その全てが何かしらの問題を抱えており、浅ましき無学の民であれば憧れようとも、知れば知るほど羨望は遠ざかる。

そんな中で落ち度のない、完璧に優れたる不死を望むことの何が罪になろうか。

シュマイツァー卿はただ無謬にして静謐なる、誰も傷つくことのない世界を欲しただけだというのに。

「薬液の残りはどれ程だ? これ以上お体が崩れては大事に触る」

「案ずるな、まだ余裕がある。それに大分よくなられた。見よ、溶けて一塊になっていた指が、もう元に戻っておられるぞ」

「おお、誠だ、喜ばし、喜ばしや……流石は我が師、我であれば原型を取り戻すに何年かかるか……これならば三日もあればお体を取り戻されようぞ」

「阿呆、其方など最初の炎で焼き尽くされて終いよ」

「違いない、師と己の力量を比べようなどと烏滸がましい。蚯蚓が無肢竜の隣を這って眷属を名乗るようなものぞ」

「ほざけ! 其方らでは灰すら残るまいよ! 端末として請け負っている動死体の数は我が方が上ぞ!!」

弟子達の下らない、しかし険のない諍いを聞いて薬液に浮かぶ肉塊が揺れた。

直視していれば正気を削られるような肉塊は、このような様に成り果てようと外界の情報を正しく掴んでいたのだ。

その上で肉体の再生に割く魔力は最低限に留め、辺境全域に散った配下の動死体や弟子達との魔力供給網を絶やさず、同時に気を抜けば無茶な運用によって“機嫌が悪い”魔導炉の掌握も欠かしていない。

その余剰魔力で自身を再生する術式を回しているため、弟子の一人が予測した三日という予測は正しい推測であろう。全ての魔力を賦活に向ければ瞬きの間に全快してみせるのだが、それも一瞬とて術式網が途切れれば崩壊する現状では不可能である。

ほんの数秒、僅かな時間だけでも全力を出せればよい状況があまりに口惜しく、身を苛む苦痛が酷く煩わしくとも死霊術師は耐えることを選んだ。

全ては苦しみのない世界のために…………。

【Tips】禁忌とは魔導院にて“未熟者の扱いを禁ず”や“公にしてはならぬ”程度の軽い意味であるが、禁忌と呼ぶに相応の理由はあり、無分別に触れすぎた場合は相応の対価を支払うこととなる。

泥に沈むような深い眠りから目を覚ましたミカは、己の体が酷く軽いことに驚いた。

「……変だな」

寝台に肘を突いて身を起こせば、今までの疲労によって中々抜けなかった関節の軋みも肩の重さも、しつこく居座っていた頭痛や目の乾きさえ感じない。

たしかめるように寝台から降りて四肢を動かせば、誰かが着替えさせてくれたらしい夜着に包まれた肉体は何の問題もなく稼働した。

「妙な夢でも見たかな。我が友が居たような気もするし、それに体が軽い……もしかして、今までの籠城戦は全部性質の悪い悪夢?」

「起き抜けに気持ちいい冗談をどうも」

「ふぁっ!?」

唐突に誰もいないはずだった室内から掛けられた声に驚いて振り向けば、いつの間にやら誰も座っていなかった椅子に一人の女性が腰掛けていた。

ミカも知っている人物であった。友人として紹介していただき、まぁ“お互い”叱られない程度に仲良くしておきなさいと言ってくれた無二の友人の元雇用主だ。

「う、ウビオルム伯!? 何故ここに!?」

「何故、と問われると説明することが多すぎて面倒臭いから、後で暇な者を捕まえて聞きなさいな。それより興味を示しそうな話題を持って来てあげたから」

全く状況が掴めていないミカに対し、面倒臭い、たったそれだけの理由でアグリッピナは説明を拒否した。実際、色々語り始めると陽が暮れる、というよりも現時刻からすると陽が昇る程に事態は複雑である。

「貴方は丸一日と少し寝ていたわね。分かっているでしょうけど、重篤な魔力欠乏による典型的な脳の過負荷よ」

「ああ、まぁ、ですよね……我ながら無茶したなと。せめて鉄門を別の術者に起こして貰えばよかったのですが」

「脳に影響はないわ。普通なら半月は寝かせておくところだけど、今回はちょっとした霊薬を使ったから、もう動いていいでしょう」

「霊薬……ですか?」

霊薬と聞いてミカは背筋が凍るような思いをした。魔法薬の中でも極めて効能の高い物を指して呼ぶ俗称であり、効果の高さに正比例してとんでもない値段がする物だからだ。

その額は安くても数十ドラクマを下ることはなく、未だ貧乏苦学生であることに変わりないミカにとって夢のような金額である。正式な魔導師となれば、お高いけど無理すればなんとか……という額であっても、朝食を摂るか否か悩むような薄い財布の持ち主からすれば天の上の存在だ。

それを軽々に使ったと言われ、驚かずにいられる者などいるのだろうか。少なくとも魔導師を志す人間の中では、一般に則した常識を持っているミカには衝撃的すぎた。

「れ、れれ、霊薬……そ、そんなものをなんで……」

「別に気にしなくていいわよ、私からの奢りだから。今回の件で予算はたっぷり貰っているから、別に痛くもなんともないし。元側仕えの友人にお茶をご馳走してあげたのと大差ないわ」

「し、しかし、そんな物を下賜していただいても僕には報いる手段が……」

「だから気にしなくて構わないわよ。ただ、どうしてもというのなら……」

困惑する初な魔導師志願者の隙につけ込んで、邪悪な魔導宮中伯は心の黒さが滲み出るような笑みを作った。

こんな凝ったことをして借りだなんだと言わずとも、この聴講生が“ とあるエサ(英雄趣味の金髪) ”を使えば簡単に釣れることをアグリッピナは上司からの情報で既に知っていた。

それでも説明したり納得させたりという面倒な過程を省けるのであれば、悪辣にでも何にでもなるのが外道である。

脳が正気を取り戻す前にたたみかけ、事態が解決する確率を上げるべく畜生も恥じ入る邪悪は微笑を添えて提案した。

金の髪と英雄になってみないかと…………。

【Tips】霊薬。極めて効果の高い魔法薬の俗称であり、本来ならば教授会や議会の許可を得なければ使えない代物であるが、魔導宮中伯ほどの権力があれば何本かを“ちょろまかす”ことも難しくはない。