軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

青年期 十八歳の晩春 四十九

逃げちゃ駄目だ、という自分のものではない妙に艶のある少年の声が頭で木霊した。

「ふぅ……」

煙草の副作用ではないと思われる。鎮静採用が強い品種を詰め、普段より深く肺に取り入れて脳に薬効を回しているが、単に前世の記憶が騒いだだけであろう。

事実、この手の「うわぁ、関わりたくねぇ」という案件から全力で逃げようとした場合、碌でもないことが起きるのがTRPGだ。そして、冒険の野に身を置いている今、TRPGの原則は往々にして現実にも適用できる。

そもそものシナリオが始まらずGMが無情にマスタースクリーンを畳んでくるだけならまだしも、場合によっては逃げたことが回り回って犯罪に繋がったり、報酬も得られず死ぬほど後味が悪い話を聞かされて終わったりすることもある。

この業界には間々あるのだ。関わることが前提で、下手に逃げると被害が大きくなるため、開き直って突っ込み台風の目をぶち抜いてしまった方がいいことも。

私はこれを今生において経験しているだろうに。私の狭い交友関係の中で、数少ない相手からも友人と思って貰えていると胸を張って言える相手。セス嬢の一件だ。

思い返せば、あれも普通の一般人であれば関わり合いにならない案件だ。空から女の子が振ってきて喜ぶのは、一部の界隈の人間だけだからな。

そして私は喜んで関わり、酷い目に遇いながらも一生の友人を得た訳だ。

うん、割と本当に酷い目に遇ってるな。精強無比の誉れ高い帝都の衛兵や人外集団とも呼ばれる近衛と追いかけっこをさせられるし、肩に矢を一発貰った上で下水道を這いずり回って感染症の恐怖に怯え、極めつきは十三年連れ添った左腕が一時的に家出しちまったのだ。

常人なら二桁は死んでいるであろうことを我ながら良く熟したもんだ。

報酬としてエリザに太い 後援(パトロン) がつき、私の人生も開けたことからあの冒険は良い物になった。結果論ではないかと言われればそこまでだが、やはり人生はサイコロを振る者にしか結果すら寄越さないのだ。

そして、今回のことも考えて見れば同じか。

モッテンハイムにとっては私達が逃れてきたことで壊滅を免れたと思えば――うぬぼれでも何でもなく、普通の冒険者の一党では手が足りなかっただろう――良い方に転がったとも言えるが、もっと最初から関わっていれば他にやりようがあったとも言える。

しかし、他の手があったかといえば微妙な所だ。

私が事態をここまで重く見ていなかったというのもある。

だって信じられるか? 面子の都合で別の卓で単発セッションに参加してきた一党の仲間が、何かスゲぇ大規模キャンペーン始動の予兆となるイベントを踏んでたとか。それこそありきたりの物語であれば、ジークフリートがデ・ア・ダインのお姫様に一目惚れするなりされるなりして、帝国の敵ルート驀地だ。

幸いにして我が戦友は良くないことへの嗅覚に長けており、絆されもせず決定的なことを聞かされることもなく回避してくれたからよかったものの、場合によっては剣友会の一党とその一族諸共“アレ”な目に遇う寸前である。

ジークフリートが名前すら聞かずに昏倒させるという素晴らしい成果を上げてくれたにせよ、どうしてこんな状態になるまで気付けなかったのか。

前提として私は一般冒険者をこの上なく満喫しており、ドロッとした年代物の側溝も綺麗な小川に見える政治的暗闘には一切触れてこなかった。貴族がらみの依頼は穏当な野盗退治程度に限り、クソのような関係に引きずり込まれるような仕事を徹底的に避けてきた。

これは私がアグリッピナ氏の下で死ぬほど刺客と戦ったことによる免疫過剰反応とも言える。一年間で暗闘に関わらなかった週が一週たりとて無かった時点でお腹一杯だというのはご理解いただけるだろうか。

どうあれ、アグリッピナ氏から蛮地もといエンデエルデにて大きな動きがあるということを知らされても、ここまで大きな絵図に繋げられる下地がなかったのだ。

現地で懇意にしている貴種がいるなりすれば話は大分違って来たが、真逆この地方に居た時点で関わること前提とは読めなかった。

本当に頭が痛い。煙草の煙を遠く遠くへ細く伸ばして意識を落ち着けた。

「ウビオルム伯が書簡にて仰った、後々仕事を回すとはコレ絡みでしたか」

「ええ、まぁね。折を見て私の遣いという体で要塞線建築現場に送り込む予定だったのよ」

「物資の運搬護衛ですか?」

「そうよ。魔導院から魔導炉を一基やることになっていてね。その技師として家の閥の魔導師が研究対を率いて随行する予定だったから、魔導師と折衝ができる人間が必要になるでしょう?」

それも不在によっておじゃんになったけれど、とアグリッピナ氏も私の煙に絡ませるように紫煙を伸ばす。淡い明かりが盛れる室内で、ふと思い出したかのように指が一つ打ち鳴らされた。

手の中に収まっているのは一本の掠れかけた附票の張られた瓶。光を遮る暗色の瓶は地下に出回らぬ貴種向けの上等な葡萄酒の保存容器であろう。

逆の手には纏めるように煌びやかな酒杯が二つ。触れもしないのに栓が抜け、首を握った瓶が差し出される。

注げというのだ。貴種は手酌で酒を呑まない。やんごとなき事情があって周りに人が居ない場合は、飲食を我慢する位には気位が高いのだ。

まぁ、この人は手酌じゃなきゃいいでしょ、とか宣って魔法で注ぐのだが。この場合は私という、かつて手足の延長として使った男がいるから使おうと思ったのだろう。

勝手知ったる主の指示だ。私は何も言わず瓶を取り、恭しく注いで差し上げた。

そして寄越される黒く馥郁たる芳香を放つ酒杯と、空の酒杯の口。心得ておりますともう一度注ぐと、彼女は満足げに頷いてから口を付けた。

寄越した物を先に飲むのも貴種の仕草。隔意はないし毒も入れておりませんという意思表明。

言外の命令を酒と共に飲み下すと、少し頭痛がましになった気がした。

良い酒だ。重く渋みが強い中に収穫期の葡萄畑を思わせる芳醇な原料の香りが広がり、その中に香草と似た刺激がある。甘い酒を好む帝国人の嗜好ではなく、食事に合わせた酒を造る西の酒、おそらくはアグリッピナ氏の故国で愛好される味。

酒精は強く、味は濃く、後味も爽やかというより印象深い。これは良い肉と合わせるともっと美味いだろう。塩味と肉の脂が恋しくなる。

「……魔導炉は何のために?」

落ち着けという気遣いのおかげで脳味噌が回り始めた。

アグリッピナ氏はこの地に利権を求めて食指を伸ばしている。つまり先の説明から既に分かっていたが、土豪側の敗北は既定路線なのだ。

孫子が説いたことと同じことを開闢帝リヒャルトは“悔恨碌”なる自著にて説いた。即ち戦争とは事前準備が全てであり、そこさえ固めてしまえば後はあって無きようなものだと。

帝国が仕立てた絵図に狂いはあるまい。百年以上も帝国の干渉を撥ね除け続けた東方の諸侯を打ち破った先帝と、彼を強力に補弼したグラウフロック公の支援もある。その上でマルスハイム辺境伯も能力はあるのだろう。然もなくばこんな間違いがあれば帝国全体に大きく響く地で胃痛を抱えてはいられない。

勝利か、より完全な勝利か。

その中でアグリッピナ氏は勝ち方によって得られる利を求めている。態々言葉に出したということは、魔導炉が何かしらの利益に関わっているのだ。

斯様な状況で私に札の一枚を見せたということは、意味があってのことだ。

だって、この人の魔力に色を付けるとしたら絶対青だぞ。やりたいことを絶対にやらせず手足を捥いでから殺してくる黒が滲んだ青が一番似合うのだ。意味も無く 手札(ハンド) を見せることなど、 生物(クリーチャー) の一枚として使役されてきたからこそ絶対に無いと確信できる。

「最新型の術式があってね。非魔導師依存の術式完全依存の探知魔術で、放った波長の反射に応じて対称の位置を探るものなのよ」

「……は?」

思わず煙管が手からこぼれ落ちかけた。今何つったこの人。それ、完全に魔法を使った 電探(レーダー) じゃねーか。他の基準が中世盛期だとすると七百年近く色々なことをすっ飛ばしてワープしてくれてんだけど、どういうことだ。

「これの実証実験を兼ねて国境での人の動きを観察しようとしてるのよ。といっても高い所に発振機を置かないと範囲が狭すぎて役に立たないから、国境線に要塞を作るついでに置いちゃおうかってことになった……のが表向きの話」

もうその技術だけで色々おかしいと突っ込む間も与えてくれず、アグリッピナ氏は更に巨大な爆弾を投下した。

「本当は閉鎖循環魔導炉の実証実験をしたいのよ。探知術式は落日派が着想を得た物を珍しいことに黎明派が完成させた合いの子だけど、この閉鎖循環魔導炉は宮中伯が召集した航空艦技術研究報告会の発想」

「ちょっとお待ちを、アグリッピナ・フォン・ウビオルム魔導宮中伯……?」

「なぁに?」

応えて浮かび上がる笑みは、それはもう見事なものであった。外連味の固まりとして、辞書の項目に見本の挿絵として載せてやりたいくらいに。

「もしや、この絵図は貴女も……」

「私は沢山合った火種の一つよ? ここまで面倒で金の掛かること、どれだけ無血帝が内政好きでも国内安定というたった一つの火種で起こさないのは事実だけどね。あのお方、どっか螺旋が飛んだ合理主義者だから一つの石で鳥の群れを根こそぎにしないと納得なさらないのよ」

ここまで大がかりなことになるとは思わなかったけどと嗤い、彼女は再び煙を吐いた。

何でもアグリッピナ氏考案の閉鎖循環魔導炉とやらは、魔法によって環境を調整した大きな箱の中、物理法則が狂った空間でのみ成立する“第一種永久機関”なのだという。

理屈は分からないだろうからと説明して貰えなかったが、物理的、魔導的に閉鎖された炉の中では火種となる魔力が延々と循環することで追加の魔力を生み出す機構が構築されており、理論上は炉が破壊されない限りは魔導師数人分の魔力を無尽蔵に魔力を抽出できるらしい。

ヤベー奴が元締めを務めて魔導院のヤベー連中を集め作った聞くからにヤベー集団が作り出した技術。マクスウェルの悪魔だとかをつま先で蹴飛ばして実現した物の実験場所は、失敗してもまぁなんとかなるべという場所を選ばないとできなかったそうだ。

場合によっては魔導師数人分とやらの魔力が暴走し、半径数キロが原子崩壊するかもしれないと言われればもう……。

ついででなんてこと実験しようとしてやがる! と思わず襟首を掴み上げそうになった。どっちか一つでも偉いことなのに、なんで二ついっぺんにやろうとするの……。

折角収まってきた頭痛が酷くなりつつあるが、問題はそこじゃない。

彼女は予定だったと言う。つまり、その魔導炉とやらはまだ辺境の国境線に到着していないのだ。

恐らく話の筋からして、まだ国境線の要塞建築も本格化はしていないのだろう。要塞建築こそが自分達へ最も打撃を与える物だと考えた土豪勢力が起こした治安の悪化策にて、碌に物資の集積もできていないのではなかろうか。

この状態のまま粘ったとしても帝国は勝つ。マルスハイム辺境伯が本気のフリして適当に戦っている内に帝国での準備が進み、やがて大軍が進撃して戦略的な隘路に放り込まれた土豪達は勝ち目が乏しい会戦を強いられる。

後は栄光に包まれた終焉を下賜してやり、西方事情は綺麗さっぱり。

しかしながら、アグリッピナ氏はそれだと遅いと考えておられる。

故に私の問いかけに答え、更なる情報を寄越した。

となるとだ……敵も準備万端で始めた訳ではなさそうだし、この治安を荒らして帝国の目を逸らす方法は少数でやっているに違いない。

その証拠が死霊術師。広範にわたって戦力を展開し、兵站の概念から解き放たれ現地徴用が出来る兵力。

普通であれば駒としても使いたくない筈だ。屍霊術は何処ででも聞こえがよくないし、況してかつては自分の支配領域に動死体を放ちたい支配者はいまい。彼等としては勝った後に自分達が統治するつもりでいるのだろうから、悪戯に人口を減らしてしまうことを考えると尚更であろう。

これ程の無理をして使っている以上、確実に土豪側は余力がない。所属を隠した騎兵はごく少数の運用に留まり、本体は集結するための準備中か。

軍隊とは巨大な生物である。準備運動無しに動けるものではなく、大食らいの胃袋を満たすために相応の準備が必要だ。それこそ即応体制と輸送体制が整った現代軍でさえ、一日二日で全力稼働はできない。

平時から戦時に体制を移し、司令部を置いて最高指揮官を決定し、農民を徴用して真っ当な軍隊を整えるのに数ヶ月はかかる。

ああ、やっぱりこれは全体的に無理をした時間稼ぎでもあるのか。

なら、アグリッピナ氏が何をして欲しくて、私が何をすべきかは分かった。

宣言通りにやればいいのだ。

殺す。このお粗末な一件を支えている屍霊術師を今度こそ殺す。

中途半端はよくないと昔から言われてるからね、さっくりぶっ殺してやるのが一番だ。

なにより、奴さんも私を殺したくて仕方なかろうからな。

「で、ウビオルム伯」

「何かしら、金の髪」

「ここまでのお膳立てをしてくださるということは、貴女も殺したいのでしょう? アレを」

最早上辺を繕うまい。ここまで知られているなら、彼女は全て分かってやってきた。迂遠な会話を挟む必要がどこにあろう。

「はぁ……可愛くなくなったわね。もっとわたわた慌てれば良いのに」

「それだけの経験を積ませたのは貴女ですよ、お師匠」

どれくらいぶりであろうか。我が師のきょとんとした顔を見たのは。彼女は暫し顎に手をやって考え事をした後、色々と思い当たる節があったのか煙管を咥えた口の端をくっとつり上げた。

何時だか誓った「いつかぎゃふんと言わせてやる」にはほど遠いが、少しは溜飲が下がった…………。