軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

しずく

「ししょう、ほんとう?」

師匠の言葉に顔を上げたマリエラ。

涙でぐしょぐしょのマリエラを見る師匠の表情は、いつになく険しい。

「あぁ。だがな、マリエラ。お前をここに 繋ぎ止めるもの(、、、、、、、、) が弱ければ、帰って来れなくなるかもしれん」

師匠の言葉を聞いたマリエラは、自分の手を握るジークを見つめ、何かを思い出すようにしばらく瞳を閉じた後、もう一度ジークを見つめたまま「大丈夫です」と力強く答えた。

そんなマリエラの様子を見ていたジークは、マリエラに頷くと二人して立ち上がり、

「どうか、マリエラに友人を助けさせて下さい」

と、フレイジージャに頭を下げた。

手を繋いだままで頭を下げるマリエラとジークに、師匠はほんの少し困ったような寂しいような表情を見せると、「付いてきな」と二人を大雨の降りしきる裏庭へと連れ出した。

「命の雫は万物に宿り、世界をめぐり地脈に還る。だから地脈に聞くんだよ」

聖樹の梢が大雨を遮る下で、炎災の賢者が伝えた方法は、そんな途方もないものだった。

「マリエラ、お前の《ライン》は誰より太い。それは誰より強く世界の根源につながっているということだ」

景色がけぶって見えるほど、激しい雨が降る中で、師匠の声は雨音にかき消されることなく伝わってくる。

「私の《ライン》……」

雨の中、瞼を閉じたマリエラは、自分自身に問うてみる。

《ライン》――、それはスキルに紐つくものだ。自分の根幹に根付くものだ。自分を自分たらしめるものを探って、マリエラはちっぽけな自分の体の中の、内へ内へと目を向ける。

「つながっているのがわかるだろう。いつも《命の雫》を汲み上げるつながりを辿るんだ。根源へ。

《命の雫》そのものへ――」

雨が降る。

たたたたた、と激しく雨は降っている。

いつもなら、自分のからだと世界の境界をはっきり認識できるのに、大雨の中傘もささずに立つ今は、髪も服も体もどこもかしこもびしょ濡れで、次から次へと落ちて来る雨粒のせいで世界と自分の境界があやふやに思える。

波間に 揺蕩(たゆた) う海藻に世界と自己とを認識するすべがあったのならば、このように感じるのではなかろうか。いや、空を漂う雲の方が空と混ざって境界があいまいかもしれない。

ぽつり。

落ちる雨粒の一滴を感じる。

ぽつ、ぽつと大粒の水滴がマリエラにふりそそぎ、髪を肌を服を伝って地面に滴たり落ちていく。空から、あるいはマリエラから滴り落ちた水滴は大地に染み込み大地の奥へ奥へと潜り込んでいく。まるで、《命の雫》が地脈に還っていくように。

――マリエラ、その雨はどこからきた――?

雨音が支配する世界で、師匠の声が聞こえてくる。

――そら。

嵩の高い部厚い雲から。

あぁ、地面から見るあの雲は、ふわふわと飛び込みたいほど柔らかくて、 愉(たの) しいものに見えるのに、近くによると違うのね。零れ落ちそうなほどたくさんの雨粒と、猛り狂う雷を抱え込んだ雷雨の巣箱だったのね――。

――そうだよ、マリエラ。あれは海からやって来たんだ。気まぐれな風に吹きあげられて、たくさんたくさん水を抱えて、ほら、もう持ちきれない。

底が抜けたように、どんどん雨を降らせるよ。

わかるだろう? マリエラ。

雲にも雨にもほんの僅かずつだけど、《命の雫》は混じっているから。

この街の外にも中にも降り落ちる雨の一粒一粒が、とても近くに感じるはずだ――。

――うん師匠。

雨粒、丸いね、まん丸い。

くるんとまるまってるのに、雨粒って風におされてふにって広がっちゃうんだね。

あぁ、山が遥か下に見える。地面がとても近くに見える。

街の屋根に当たって、木々の葉っぱで弾んで、雨粒がそこにもここにも、とてもいっぱいあるよ――。

マリエラは『木漏れ日』の裏庭にいるのに、街の中に、外に降りしきる雨の中にも広く薄くいるように思える。雨は激しく大地には雨水の膜が張って低いところに流れ出しているし、空気中もけぶる様な雨の具合で、陸の上だというのに水の中にいるようだ。今ならば、魚も空を飛んでいけそうだ。

――マリエラ、お前の友達はどこにいる――?

――キャル様、キャル様はどこ――?

どんなに街が雨で満たされていても、《命の雫》はほんとうに薄くて、《命の雫》をたどるマリエラはどこにでもいるのに、ここにしかいないようにも思える。

街中を広く近くに感じるのに、どこもはっきりと見ることができない。

――マリエラ、お前の友達はどんなヤツだ――?

――キャル様は、やさしいよ。綺麗でお姫様みたいで、でも強いの。いろんな薬を作って、たくさんの人を助けたいと思ってる。いろんな薬を一緒に作ったの――。

――錬金術スキルで――?

――うん。ラインは繋がっていないけど、キャル様は錬金術師なんだと思う。

だから、きっと地脈もキャル様に繋がりたいと思ってる。

ポーションをつくって欲しいって。

あぁ、そうか、そうだ。キャル様だ。

それがキャル様だ。

キャル様、どこ――?

ラインを通じて逆流するマリエラの魔力。

それは、《命の雫》とからみあい、混じり合い、溶け合って、あまねく街を包む雨粒に広がっていく。

ぽぽん

地に落ちるその前に、はじけ飛ぶ雨粒。

何かを、誰かを探すように、小さく小さく広がって、大地に落ちて地脈に還る。

水滴が踊るようにはじける様に気づいた者がいただろうか。そんなわずかな変化は、激しく打ち付ける雨に紛れて、きっと誰も気づかない。

気付いたのは、きっと雨粒自身だけだろう。

「みつけた」

ふわふわと、体はここに確かにあるのに、まるで中身がここにはいない。そんな様子で、マリエラは呟いた。

*****************************

キャロラインが目を覚ましたのは、石造りの薄暗い部屋だった。

取り巻く空気はひんやりしていて、夏の暑さに慣れた体には少し肌寒い。キャロラインが寝かされていた石の台も、近くの石壁もしっとりと濡れている。遠くで雨音が聞こえるから雨水のせいかもしれない。

「目覚めたかい、キャル」

体を起こしたキャロラインに声をかけたのは、彼女の良く知る人物だった。

「お兄様……」

狭い石造りの部屋の隅に腰掛けるロバートにキャロラインは尋ねる。

「お兄様、説明をお願いいたしますわ」

「随分と冷静だね、キャル。命を狙われていたというのに」

ロバートが告げる衝撃的な台詞をさして気にする風もなく、キャロラインは自分のいる場所を見回した。古い石組みの部屋だ。石材の様子からエスターリアが眠っていた屋敷と同じ頃に作られたのかもしれない。キャロラインが寝かされていた石の台は、何か荷物を載せる台なのだろう。キャロラインが寝ころべるほどに横に長いけれど奥行きは浅く、寝返りを打てば転がり落ちてしまいそうだ。

隅の床には頑丈なつくりの箱が無造作に置いてあって、その一つにロバートが腰掛けている。キャロラインが横たえられていた石の台は、あの箱を置く場所なのかもしれない。

この部屋は秘密の倉庫か何かだろうか。

明かりは照明の魔道具だけで窓はなく、ロバートの背後には勾配の急な階段が見えるから、地下室なのかもしれない。

「我が家にこんな秘密の地下室がありましたのね」

「ルイス伯父上から直接教わった場所だからね。父上はご存じないよ」

助けは来ないと伝えたいのか、キャロラインの言葉を肯定するロバートの返答に、キャロラインはほんのすこし安堵する。

(ここがアグウィナス家 所縁(ゆかり) の、お兄様の秘密の場所だというのなら、他に人はいないはずだわ)

兄の性格を把握しているキャロラインはそう推察する。

ロバートは優秀ではあるのだが、いささかこだわりが強いというか、面倒な性格をしているのだ。例えば、彼はアグウィナス家が代々守ってきた錬金術師に関する事柄に、強く執着していてそこに部外者を立ち入らせることを嫌う。

新薬の開発にしても、帝都から呼び寄せた錬金術師たちに手伝わせてはいたのだが、全員を呪術で縛る有様だった。

アグウィナス家が守ってきた錬金術に関する場所は、ロバートにとってパーソナルスペースと言ってよく、彼の完璧な理解者か完全に支配できる者しか立ち入らせたがらない。

この地下室は父ロイスさえ知らない場所だと言っていた。ここがロバートにとって大切な場所であるならば、本当はキャロラインさえ 匿(かくま) いたくはなかったはずだ。逆に考えれば、他に場所のあてがなく、頼れる協力者もいないということだ。

(昔から、お兄様はお友達がいませんでしたから……)

兄が聞いたならば顔を真っ赤にして小一時間ほど小難しい理屈を早口でまくしたてそうなことをキャロラインは考える。

キャロラインは兄の性格を十分把握しているのだ。兄がとても優秀で、それゆえ導き出した解答に疑いなく突き進む性格を。他者と話し合ったなら違う視点も開けるだろうに、それができない不器用さを。プライドが高くて面倒くさいけれど、実はとても優しいことを。

「お兄様は、わたくしを助けてくださいましたのね」

「おま……、お前がまんまと乗せられるのが悪いのだ」

妹になじられると身構えていたのだろう。穏やかに微笑むキャロラインの言葉に、ロバートは口ごもりながら返事を返す。

「迷宮討伐軍がおさえた錬金術師のために、身代わりになるなどと……。しかもポーションを市販するなど。シューゼンワルド辺境伯家はなにを考えているのだ!」

「まぁ、お兄様。わたくしのお手紙を読んでくださっていましたのね」

憤る兄の様子を微笑ましいもののように見つめながら、おっとりと返すキャロライン。そんな妹に「何を暢気な! わかっているのか」とロバートは続ける。

「市販が可能なほど大量のポーションを錬金術師に作らせるなど、酷使のし過ぎにもほどがあろう! 軍は錬金術師を物か何かと勘違いしているのではないか!?

そもそも市販を始めるにしても早急すぎる。生産、販売体制が整えばよいというものではない。ヤグー隊商のもたらしてきた利権構造を変革しようというのだぞ。それをわかっているのか!

これだから軍属というやつは、話にならんのだ!」

肝心の 錬金術師(マリエラ) 本人は、ポーションのあり得ない大量生産を繰り返してはいるけれど、ポーションの作製自体に疑問すら感じてはいないし、毎日、師匠に怒ったりジークや『木漏れ日』の仲間と笑ったりして大層健やかな暮らしをしているから、ロバートの話は彼の妄想が多々含まれている。

けれど、市販に関する問題は、長くポーションを管理してきた一族の後継としてふさわしい、的を射たものだった。

この200年、迷宮都市は山脈を越えてヤグー隊商にあらゆる物品の運送を託しており、そのコストは甚大だ。それは、隊商の行路にあるいくつもの領地に、多額の利益をもたらしてきた。

街道沿いの村々は宿場町として栄えただけでなく、整備された街道を使って領地間の交易が盛んになった。迷宮都市と帝都、小規模国家群へ続く街道の分岐点に位置するベラート伯爵領地等は、迷宮都市と帝都の交易だけでなく、小規模国家群の戦火から帝国を護る壁として位置する帝国辺境伯領へ、ロック・ウィール自治区の高品質な武器防具を運ぶ経由地としても栄えた。

街道はすでに整備されているし、迷宮都市から一番近い、すなわち帝都から最も遠くて辺鄙だったドワーフたちのロック・ウィール自治区と、ベラート伯爵領を経由する商流にポーションは影響しないけれど、迷宮都市の隊商がこの山岳街道を経由せず、魔の森を抜けるようになれば、彼らの利益は大きく減少するだろう。

ポーションの市販というのは、従来の商流がもたらしてきた利権構造を塗り替える物だから、迷宮都市にとって利益しかない改革であっても、利権を失う者たちが黙っていようはずがない。

「ヤグー隊商の利権にまみれた者にとっては、錬金術師は邪魔な存在なんだよ、キャル。奴らにとっては、迷宮が倒されることも、この地に再び錬金術師が生まれることも、どうでもいいことなんだ」

言葉を選ぶロバートを、優しい人だなとキャロラインは思う。ロバートはひどく怒っているけれど、その怒りはロバートに関係のないものだ。錬金術師やキャロラインが危険にさらされていることに、彼は憤っているのだから。

「えぇ。承知しておりますわ。お兄様」

微笑みを絶やさず返事を返す妹に、ロバートは言いにくそうに言葉を繋ぐ。

「錬金術師を守ろうというのだね、キャル。その心意気はアグウィナス家の者として正しく、兄として誇らしい。けれどね、お前が身を挺して守っているのは、錬金術師ではなくて迷宮討伐軍の名誉と体裁なのだよ」

迷宮討伐軍が錬金術師を掌握しているのならば、どんな刺客が放たれようと、守り通して見せるのだろう。結果として錬金術師を高い塔や深い穴倉へ閉じ込めることになったとしても。けれどそんなことをすれば、非人道的な扱いと後の世にシューゼンワルド辺境伯家や迷宮討伐軍は汚名を残す可能性がある。

だからこそ、『錬金術師』の役目を担うキャロラインが自由に行動し、自発的に迷宮討伐軍に協力していることを都市の内外に知らしめる必要がある。

キャロラインの“錬金術師を守りたい”という思いは、錬金術師ではなく迷宮討伐軍の名誉を守るために利用されている。

それが、ロバートには何よりも許せなかったのだ。

「心配してくださって、ありがとう、お兄様。それでもわたくし、この勤めを果たしたいと思いますのよ」

ここまで言ってもキャロラインは表情も、意思も何一つ変えない。穏やかでたおやかな美しい令嬢であるというのに、この頑固さは誰に似たのか。

「キャル、お前が命を懸ける価値などないのだよ」

何とか妹を止めようと言葉を探すロバート。けれどキャロラインは強い意思の宿った瞳で兄を見つめると、こう続けた。

「お兄様。アグウィナス家は錬金術師を庇護する家系。矢面に立つのは当然でしょう。わたくしが衆目を集め、いつか迷宮が倒され錬金術師が溢れる街に戻ったならば、 魔の森の氾濫(スタンピード) を生き残った錬金術師は、ただの錬金術師として新たな世界で生きていけます」

そう。それがキャロラインの願い。

いつか再び『木漏れ日』で、マリエラと二人ポーションを売りたい。

唯一で特別な店でなくていい。他にたくさんあるポーション屋の一軒でいい。

どれだけライバル店があったって、マリエラと自分が作るポーションならば他の誰にも負けはしない。あの暖かな陽だまりに人が絶える日など来はしない。

マリエラは貴重な錬金術師であるけれど、身分はただの庶民に過ぎない。祭りあげられ衆目を集め、政治の道具にされてしまえば、自由に生きることなどできないだろう。

錬金術師を守るのは、アグウィナス家の、キャロラインの使命であるのだ。

「キャル、お前は……」

ロバートはこの時初めてキャロラインを理解した。キャロラインが様々な魔道具や薬草を集めて薬を作っているのは知っていた。幼いころは「兄さま兄さま」と後を追ってきた妹だ。自分のまねごとをしているのだと思っていた。

けれど違った。彼女にはアグウィナス家の血が流れ、そして正しく“錬金術師”だったのだ。

むろん地脈と契約は交わしていない。スキルを保有しているだけでポーションなど作れはしない。けれどスキルとは魂と肉体の有り様を指し示すもの。

ポーションがないならば、人を癒しうる薬を。

それは錬金術スキルを有する者にとって、とても自然なことだったのだろう。

“錬金術師”たる妹の“アグウィナス”たる決断を、どうして否定できようか。

「……わかったよ、キャル。ならば、アグウィナスに連なるものとして、お前を助けよう」

「ありがとう! お兄様」

心から嬉しそうなキャロライン。

(私の命も後わずか。けれど、せめてキャルだけは守らせてくれ。)

炎の刻印が刻まれた左手首を握り祈るロバート。火遊び賢者の気まぐれ刻印は期間限定の便利なアイテムではあるけれど、命も寿命も減らしはしない。

キャルの思いは知ることができた。二人の溝は埋まったと言えよう。200年の長きに渡りポーションを、錬金術師をつかさどってきたアグウィナス家の総力を結集する時が来たのだ。

ただ一つ残念なことに、ロバートの盛大な勘違いは、あと一つだけ残されたままだった。