軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一話:今日も平和である

そこは宇宙だった。

宇宙。どこぞの神々が言う永久の闇の空間である。例え天使の翼を持ってさえそう易易と辿りつけない程、天高く、天界すら超えた先にあるというその場所は、何もかもが存在しないらしい。

重力も物も光も欲さえも存在しない。

そこに有るのは……そう。

「無……だけ」

「……無、だけじゃ……ありませーん!」

その細腕からは想像もつかない力に引っ張られ、昏く暖かく柔らかい無の空間から引きずり出される。

色欲は基本的に戦闘向けではないが、懸想が絡むとやたら性能が上がるという性質があった。まぁ、どうでもいい話だ。

美しい金髪に深いディープ・ブルーの目。やや幼気ながらも整った美貌は他の渇望を司る悪魔をしてグッと思わせるような雰囲気を持っていた。

だが、同時に彼女を襲うような不届き者はこの地にいない。

ローナ。姓はない。

色欲の悪魔にして、怠惰の王のお側仕えをしている悪魔である。

だが、かつて焦がれたその姿かたち、在り方を見ても、今の私の渇望はただの少しも刺激されなかった。

優越したから、とかもう羨ましくなくなった、とかじゃない。

面倒になったのだ。もう何もかもが。多分それは一種の解脱というやつなのだろう。

私とローナでは、私の方がやや背が低いがそれは誤差の範囲だ。だから、腕を取られて引きずり出されても地面に足が付く。

強い意志を秘めた吸い込まれるような青い眼に、私はいつものようにただ一言聞いた。

「……何か?」

「……なんで貴方が――レイジィ様のベッドに――」

それはルーチンワークだ。だから私はいつも眠くなる。

私は腕を掴まれたまま大きく欠伸をした。ローナの口元が僅かに引きつる、がその表情さえも愛らしい。

これが持って生まれた者という奴か……いや、色欲の悪魔にとっては当たり前の事なのか。彼らはいつでも他者の欲情を誘う。

身体の奥底からじんわりとにじみ出てくる闇。

嫉妬に似て抗い難く、しかして圧倒的に優しく、そしてただひたすらに穏やかで私の存在を堕落に引き寄せるそれを、眠気と呼ぶ。

怠惰の道が開けてからどのくらい過ぎただろうか。私は最近レイジィ様の気持ちがほんの少しだけわかるようになっていた。

すごい眠い。そして怠い。

嫉妬が焦がれ続け、暴食が飢え続けるように怠惰の欲は私に激しい動きをすることを許さない。

「……毎日毎日、飽きもせずよく……」

「毎日毎日貴方が飽きもせずに潜り込んでくるからでしょ!!」

本来の穏やかな気性が嘘のようにローナが箒で私を指した。

そして、レイジィ様の気持ちがわかるようになったように、ローナの気持ちも最近少しだけわかる。

彼女は優しいんじゃない。レイジィ様に、優しいのだ。甘やかしているのだ。

それは、微妙な差異のようであって、そうではない。

ローナが私の肩をがくがくと揺さぶる。

ここまでがルーチンワーク。怠惰の力のせいか、激しく揺さぶられてもほとんど痛痒がない。

「ミディア・ルクセリアハート! ちゃんと働きなさい!」

「……私は枕」

別に働くのが面倒なわけじゃない。

私の役割はレイジィ様のベッドの中で寝ることなのだ。この寝るというのは変な意味じゃなくて、ただ単純に睡眠することを指している。

そういう意味で私はこの上なく自分の職務に忠実だと言える。

その証拠に怠惰のツリーは順調に成長を続けています。

「じゃあ……今レイジィ様の頭の下にあるのは……何!?」

「……私の先輩」

レイジィ様は私とローナのやりとりを聞いているのか聞いていないのか、身動ぎ一つせずに枕に後頭部をうずめている。

まるで死んだように動かない所は以前と同じ。だが、ただそこにいるだけで感じられる力は確かに王のものだ。

先輩。私の先輩、である。

大魔王カノン・イーラロードから賜われた火竜の幼体の羽毛で構成された枕である。名前はもちろんない。が、火竜の素材で出来ているだけあってその枕は非常に頑丈で、極めて高い耐火性能を持ち、常に温かい上に絶妙に柔らかい。

言うまでもなく強敵である。

ある、が、最近そんな事わりとどうでも良くなってる自分がいた。そもそも、私には初めから認められない。

枕に嫉妬とか馬鹿じゃないか。そんな嫉妬の悪魔聞いたことない。

それでもまだその位置を目指してしまうのは、単に私の本能のなせる業なのだろう。

……別に他にやることもないし

それに、この影寝殿で尤も豪華な寝所は間違いなく魔王様の寝床だった。そこにいるだけで私の力は上がっていくのだ。

ローナが無言で手鏡をこちらに向ける。そこには、曾ての私が表情豊かに見える程無表情なミディア・ルクセリアハートが居た。

凄い無表情……

「……で?」

「……はぁ……ミディア。貴方、本当にそれでいいの?」

「いい」

「……はぁ……」

即答する私に、ローナが深くため息をついた。

その眼には憤怒の色はない。ただ、悲哀の色のみがあった。

ローナは決して怒りを表面に出すことがない。それが色欲としての本懐なのか、それともレイジィ様で慣れているのか、あるいは私を助けたのが自分だからなのか、私はその理由を知らない。

何かを言いたげにしているが、すぐに再び深い深い溜息をついてただ一言言った。

「せめて服を着なさい、服を……」

「……面倒」

そもそも、ベッドから禄に出る事がないので服を着る意味はなく、出る際も大抵ローナしかいないから隠す意味もない。

レイジィ様はいるけど、どうせ私の事なんて視界には入っても見ていないので恥ずかしいなんて感情はとうに消えてしまっている。考えるだけ無駄だ。

私の返答に何も返さず、ローナは陶酔したような笑顔でレイジィ様の方を一度見た。

「レイジィ様……ミディアを片付けたらお食事をお持ち致しますので、しばしお待ちを……」

「…………」

レイジィ様の睡眠時間は最近より長くなっていた。ローナの言葉にも身動ぎ一つしない。

その様子を見て満足気に頷くと、ローナは私の方に静かに腕を伸ばした。

脇の下に腕を入れられ、持ち上げられる。抵抗はしない。これもまたルーチンワーク。

持ち上げられるというのは奇妙な気分だ。文字通り地に足がつかない気分。

まるで荷物でも抱えるように私を持ち上げたローナに一言聞く。

「ローナ……」

「何?」

「無駄な事はやめたほうがいい」

どうせ何回片付けられても私はここに戻ってくる。

それは、ここしばらく、何度も何度も起こっていた事だった。帰巣本能のように、どんなに遠い部屋に片付けられてもそれは変わらない。

例え怠惰に反していても、それは私の中に残る『 嫉妬(インヴィディア) 』の残り香なのだろう。

落ち着かないのだ。ここにいないと。

「ミディア……貴方はレイジィ様の情操教育に悪いです」

「……情操……教育……?」

ローナはきっと盲目的だ。彼女は彼女の見たいものしか見えていない。

気が遠くなる程太古の昔から生き続ける名高き怠惰の王に情操教育って……一体レイジィ様にどんな夢を見ているんだか……

窓こそないが、壁に飾られた無数の燭台のお陰で室内は明るい。

また、もし暗かったとしても暗視能力のある私にはローナの表情ははっきり見えていただろう。

私はちょっとだけ考えて、聞いてみた。

「服を着ればいいの?」

「……そういう問題じゃありません」

じゃあどういう問題なのか。

そんな事は聞かずとも予測出来ていた。悪魔の渇望がその存在証明となるのならば、ローナの存在は 色欲(ルクセリア) で形作られている。

今この状態で私に嫉妬することなく、『 嫉妬(インヴィディア) 』を得ることなく、『それ』を抱き続けられるローナはある意味で私よりもずっと悪魔として上等だ。

それ以上何も答えず、ローナは私に被せるように灰色の毛布をかけると、もう一度脇の下から手を差し込んで私を持ち上げた。

音もなくレイジィ様の寝室の扉が開く。勇者も天使も、未だ誰も到達できぬ怠惰の王の間はそのメイドと、木っ端悪魔の私にとってだけは既に日常の一部だった。

あれほど大勢居た、怠惰のレイジィの軍は今や片手で数えられる程しか存在しない。黒い石で構築された影寝殿の中はひどく静かだった。

精強と有名だったレイジィ様の軍はそのほとんど全てがハード・ローダーの軍にそのまま吸収された。いや、もともとそれはハードの軍だったのだろう。だからこれは、当たり前の話なのだ。

もともと、この城は非常に広い。

以前、行ったことのある大魔王の破炎殿と比べてもその規模は桁違いに広大だ。その辺の街の二、三個が余裕で入る程広い。

いや、真実、この城は城であって街であった。

部下は愚か、怠惰の王の庇護下にある臣民全てがこの城に集っていた。もちろん住み分けはあるが、それは影寝殿の特徴の一つでもあった。

増築に増築を重ねられ、異常な肥大を見せた魔王の城。内部に数えきれない程の悪魔を擁するそれは、もはや一種の迷宮とさえ言えた。

全ては今はもう昔の話である。

「さ、ミディア。着いたわ」

うつらうつらしている内についたのか、瞼を開けるとそこは見知った私の部屋だった。ろくな装飾もない実用本位の部屋。

ローナの部屋の隣の部屋だ。もともとそうではなかったが、私が怠惰を負ってから部屋の配置は変更されている。彼女のやりやすいように。

ベッドの上に身体を置かれ、ローナはまるで掃除をした後のようにぱんぱんと手を払った。

失礼な……

思案するように首をかしげ、呟く。

「もう自室のベッドに縛り付けたほうがレイジィ様のためになる……?」

「無駄」

私は面倒になってただ一言返した。

そう、無駄だ。

ローナの企みなんて失敗するに決まってる。

私はこれでも将軍級の悪魔なのだ。基本性能において、ローナを遥かに上回っている。

弱肉強食の世界でその単純な事実は絶対的な価値だ。

ローナがなんとも言えない表情でこちらを見ている。

「ちょっとは……働きなさい。毎日毎日ベッドで寝てばかり……」

「…………」

それはレイジィ様に言うべきだ。

大体、私は働いている。自分の価値観で渇望を求め続けている。そりゃ最近戦ってないけど、戦いだけが人生じゃないとわかったのだ。

大体、ローナは私に一体何を望んでいるのか?

私には、それが一番謎だった。レイジィ様にはもうこの城の他に領地はなく、その城はハードの支配地に囲まれている。

全てが味方の領で囲まれている領地を持つ者など、大魔王様の他にいない。

それはつまり、ここを攻め入るものはいないという事だ。

控えめに見て、魔王となったハード・ローダーを抜けるものなどそうそう存在しないだろう。

「レイジィ様はいいんです。あれが仕事なんですから……」

「…………」

私と何が違うのか。いや、最近のレイジィ様の睡眠時間は以前から比べてもどんどん伸びている。私は一日の半分くらい寝て過ごしているが、起きている間にレイジィ様が起きる所を見ることは食事の瞬間くらいしかないだろう。その食事もローナに食べさせてもらってるので、起きているのか定かではない。

私も大分酷いが、レイジィ様は桁が違う。

そのあまりの差異に、私は尊敬するしかない。どうやったらそんな長時間寝ていられるんだろう……

レイジィ様は遠くから見ていてもけっこう酷かったが近くから見るとさらに酷く、それ以上にローナの贔屓目はもう何がなんだかわからなくなる域で酷かった。

影寝殿は今日も平和である。