軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20 おもちゃの半月刀

翌週、ナディアが授業を受けている間にタリクは王宮へ行った。王妃に会うためだ。

「どうでしたか?」

挨拶もそこそこにそう訊ねると、王妃は唇を引き結んだ。

旅先の王妃に使いを出して状況を知らせると、帰途にヌジュームに寄ってナディアの母を診てくると返事があったのだ。

「……お母さんの体に使い魔の刻印を見つけたわ」

息を吸い込むスッという音が口元から漏れた。

「頭皮にあったの。髪の毛に隠れていたせいで、今まで見つからなかったんだわ。使い手にとっては幸運なことに、ナディアのお母様にとっては不幸なことにね」

タリクの手首の内側に使い魔の刻印がある。

もしもナディアの母がハサン卿の使い魔にされているとしたら、体のどこかに同じものがあるはずだった。

「では、やはり――」

「 誰かの(・・・) 使い魔にされている、というのは間違いなさそうね。そして、過去の――禁書扱いの――文献を見る限り、使い魔として魔力を吸われている人の症状と合致するわ」

タリクは鼻から深く息を吐いた。

タリクが――いや、おそらくこの国の大半の人が――知らなかっただけで、過去にも使い魔として魔力を吸われた人間は存在したという。

決して模倣犯を出さないために、その事実は徹底的に隠されてきた。が、王家には記録が残されており、ごく限られた人だけがその記録に触れることができる。

――自分がいかに無知かを思い知らされるな。

だが、これでナディアの母の不調原因がはっきりした。要はずっと 魔力枯渇(ファーリグ) の状態を強いられていたということだ。使役の術の解除さえできれば回復する可能性が高い。そういう意味では朗報のはずだ。

だが、王妃は浮かない表情だ。

「残る問題は『誰が』という点よ。彼女のお母様がもう少し元気なら、使い魔の側から使い手を特定する方法もあるけれど……あの状態では負担がかかりすぎるわ」

「お伝えしたように、ハサン卿の魔力の匂いが――」

タリクの言葉を遮るように王妃が首を横に振った。

「ナディアの能力だけを根拠としてハサン卿を捕えることはできない。勘違いしないで。ナディアを疑っているわけじゃないのよ。ただ、特殊な能力だから。他にも証拠がないと」

王妃はタリクを見つめた。

いつも理性的で飄々としている王妃には珍しく、表情に疲労が見える。

「それにしても、なぜあそこまで弱ってしまったのか……ハサン卿くらいの地位になると、自身が魔術を用いる機会は減るわ。魔力の消費も少ないはず。なのにナディアのお母様は消耗し続けている。腑に落ちないのよね。魔力を何か他のことに使っ――」

王妃が押し黙った。

急な沈黙を訝しく思ったタリクが「母上? なにか?」と問うたが、王妃は首を横に振った。

「なんでもない。とにかく慎重に証拠を集めなくては」

何かある。が、王妃の表情から、問い詰めても無駄だと悟った。

「我々の推測が当たっているとして……ハサン卿とナディアの母君の間には、使い手と使い魔の絆は生まれていない。つまり――」

「あなたが初期に感じていた不安感をずっと抱き続けていることになるわね。もう何年も――いえ、十何年も」

「十六年」

タリクは答えた。

ナディアの年齢とほぼ同じとすれば、十六年だ。

「……あまりにむごい」

タリクはそう呟いた。

ナディアの実家を訪れた際、タリクは彼女の母をあまり見ないようにしていた。病人とはいえ、面識のない淑女の寝姿をまじまじと見つめるべきではないと思ったからだ。だが、枯れた枝のような腕がちらりと見えた。弱々しいと思った。が、それほどまでに惨い仕打ちを受けながらまだ生き永らえているのは、むしろ強さの証のように思えてくる。

――母君が元気になったら、ナディアはどれほど喜ぶだろう。

その姿を想像するだけで胸に熱いものがこみあげる。

「タリク……あの子が大切なのね」

顔に出ていたらしい。

王妃に問われ、素直に頷いた。

「それは……友人として……?」

タリクは答えなかった。

王妃は眉を持ち上げ「ハイハイ、余計な口出しだったわね」と言う。

普段なら、ここで会話は終わりだ。家族とこの手の話をしたことはない。が。訊いておきたいことがあった。

「もしも仮に私が彼女に対して特別な感情を抱いているとして……母上はそれを認めてくださいますか? ハサン卿が父親の可能性も。禁忌を犯した人間の娘かもしれない」

ナディアの父親が誰であれ彼女への気持ちは揺らがない。だが、王子という立場が事を複雑にする。

「そもそも、私の許可が必要? あなたはそういうことを気にしないかと思った」

「私には必要ありませんが、彼女には必要です」

祝福されない関係に引きずりこんでナディアを傷つけたくない。

王妃は言葉を探すようにゆっくりと視線を動かした。

「もしもナディアが二人……いわゆる『条件』のいいナディアと、悪いナディアがいるとするじゃない?」

――ナディアが二人?

なんの話だ、と思ったが、黙って聞くことにした。

「そうしたら前者を勧める親が大半だと思うし、私もそうする。だから『条件なんて関係ない』と言い切れはしない」

「……二人いたとしたら、ですよね」

「そう。でも実際には同じ人はいない。だからあなたが彼女に特別なものを見出して、彼女以外ではダメだと思うなら、私はそれを信じるし祝福する。その代わり、彼女をあらゆる困難から守り抜きなさい。その覚悟ができないのなら求めるべきではない」

頷いた。

覚悟ならある。

「母上」

タリクは無意識に、その場に膝をついていた。

「一刻も早く、ナディアの母君を助けてください。私にできることがあればどんなことでもします。だからどうか……」

「今のあなたにできることはひとつだけ。ナディアのそばにいて、為すべきことを為すのよ。学生の本分を忘れないで。時は有限よ。今学べることを全力で学びなさい」

「……はい」

「タリク。あなたが望まないことはわかっているの。でも、あなたとナディアに護衛をつけることを許してくれない?」

王妃は懇願するような顔をしていた。強い母には珍しいことだった。

「もしも仮説が当たっているとして……ハサン卿がナディアの存在を知っていたら、あの子のことも利用しようとするかもしれない。そばにいるあなたも巻き込まれないとは限らない。学院なら安全だからと、これまで学内では護衛をつけずにきたし、あなたにはある程度の自由と――ときには無茶も――許してきた。でも」

「わかりました」

自分のわがままを通せる事態でないことは理解している。

護衛を傍に置くことが一刻も早い解放の助けになるなら、喜んで受け入れるつもりだ。

「お願いよタリク、今回ばかりは無茶をしないと約束して。その指輪、決して外さないでね。護衛は優秀な魔術師たちよ。でも――護衛を撒くのが得意なあなたならわかるでしょうけれど――守られる側が守られるための行動をとらないと、守りきるのはとても難しいのよ」

「はい」

去り際に、タリクは王妃を振り返った。

そして今一度頭を下げた。前回母に頭を下げて何かを懇願したのがいつか、もう思い出せない。

――たぶん、おもちゃの半月刀を買ってほしいと頼んだときだな。

ナディアにはおもちゃを母にねだった経験もないのだろうと思うと、腹の底が重くなった。

*****

ナディアは本の山から一冊を抜き取った。

――ハサン卿が術者であることを示す証拠、かぁ。

図書館がいつになく混んでいるので、人のほとんどいない地下書庫の隅っこが最近の定位置だ。

魔術団で上級魔術として活躍している教授・講師たちの授業が揃って「無期限休講」となったせいだ。魔術団の入団試験の一部も延期になったという。表向きそれらしい理由が示されてはいたが、前代未聞の事態に皆ザワついていた。

変化はもうひとつ。ナディアにも護衛がつくようになった。タリク曰く「念のため」とのことで、彼はそれ以上語らなかった。言わないということは言えないのだろうと思い、ナディアも聞かなかった。

休講になった時間を、ナディアは文献を読んで過ごしていた。

梯子に積み上げた本の山は日ごとに形を変える。昨日は「禁忌魔術史」、その前は「魔力循環論」、今日は「異常な使役関係の事例全集」だ。

ハサン卿につながる手がかりがどこかに落ちていないかと、何か見落としていないかと、文字を舐めるように目で追う。

〈獣や小動物への使役の術は、術者が死すれば解かれる。だが、人への使役は異なる。術者の死をもってしても契約の鎖は断たれない。術の構造そのものが不安定で、解除には膨大な魔力ときわめて難解な術式を要する。その原因は人の魔力構造が複雑であること――〉

もう何度も読んだ箇所をなぞり、ナディアはフゥ、とため息をつく。

ハサン卿を討っても母は救われない。母を救うには、やはり術を解くしかない。そしてそれは、ナディアには到底扱えない、難解で複雑な術だ。

――もう少しで助けられる。そのはずなのに。どうしてこんなに胸がザワザワするんだろう。

「やっぱりここか」

そう声がかかり、顔を上げた。

タリクだ。

彼はナディアの手元を見て小さなため息をついた。

彼が国王と王妃に相談してくれたおかげで魔術団の人たちが動いてくれている。ナディアの出る幕はない。そう頭では理解している。けれど、何かしていないと落ち着かない。

授業に出て教室に座っていても、教授の声が遠く、教壇に浮かぶ術式の文字が意味のない模様に見えてしまう。

母の魔力の匂いを纏っている男の顔が脳裏に浮かび、こちらをあざ笑ってくる。なにより苦しいのは、その男の顔に自分と似ているところがあるのではないかと、見つけたくもない共通点を探してしまうことだった。目の形が似ている気がする、でも色は違う、耳の形が――

父がいないことは幼い頃に受け入れた。その分、優しい母と叔母がいてくれるから幸せだと思ってきた。でも。

――もしも……お母さんを苦しめている人が私の父親だったら……?

受け入れていたはずの痛みが違う形で襲ってきて、胸がつぶれそうになる。

何とかノートに写し取った文字が震えてにじみ、視界の隅に水滴が落ちた。それが涙だと気づいたのは、隣からそっと差し出された手巾を見たときだった。

「……大丈夫?」

優しい声に顔をあげると、手巾を差し出しているのはフィオレンシアだった。眉尻を下げてナディアの顔を覗き込んでくる。

「……っ」

返事をしようとしても喉がつまる。

大丈夫じゃない。

けれど、それを言葉にはできない。

しかも相手はハサン卿の娘だ。

ナディアは答えられずに目を逸らした。フィオレンシアは悲しそうな顔をして去った。

――ごめんなさい。フィオ、ごめんなさい。

「なにか食べるんだ。ほんの少しでもいいから。君が痩せてきていることに気づいてないとでも思ってるのか」

そう言うタリクに引きずられるようにして行った食堂では、ハーリドから「死にそうな顔色をしているぞ。一体何を食ったんだ?」と心配される始末だ。

いつもなら皮肉の混じった言葉を飛ばしてくるはずの相手にまでこんなことを言わせてしまうなんて。よほどひどい顔をしているのだろう。

ナディアは「大丈夫」と微笑もうとしたが、ハーリドの表情を見て、失敗したことを悟った。

タリクに言われるがまま、味のしない何かを咀嚼して呑み込んで夕食を終えた。そして寮に戻る。

図書館で遅くまで勉強をするのはやめた。ナディアが部屋に戻るまで護衛が休めないからだ。彼らにも休息が必要だ。

寮の部屋で本を手に取る。

文字が滲む。

瞼が重い。

それでもページをめくる。

――どんなに小さくてもいいから、なにか糸口になるようなものがあれば。

魔術団の人々は多忙だ。この件ばかりに関わってもいられないだろう。

学生のナディアには母を助ける力はないが、時間だけはある。何か打開策が見つかるのではと、三十八回目のページを読む。

――あぁ、でも授業の復習もしないと。奨学金を打ち切られたら皆に顔向けできないな。

のろのろと手を伸ばした先にある本を、大きな手が掴んで取り上げた。

「お母さんを救うより先に君が壊れてしまうぞ」

琥珀色の瞳を見上げ、ナディアは首を横に振る。

「だいじょ――」

「大丈夫じゃない。休めナディア。頑張りすぎて壊れてしまった人を知っている。二度と同じ思いはしたくない。君を失いたくない」

夢の少年のことだろう、とナディアは思った。

タリクは毎夜ナディアの部屋に来る。以前と異なり学院でも四六時中護衛が張りついているので撒くのも容易ではないはずだが、幻影を部屋に残して抜け出してきていると言う。ナディアは何度もやめるよう言ったが「君が眠ったら戻る」と繰り返すばかりだ。

今日も同じように促されてベッドに入る。タリクはベッドの横にしゃがみ込んでいる。

「目を閉じて」

甘えてはいけないとわかっているが、タリクの魔力の匂いに包まれていると安心する。

そして低い声を聞いているうちに、いつも緩やかな眠気が忍び寄ってくる。

「君は疲れてる。眠るんだ」

降り出した雨が太陽で熱された岩肌に触れたとき、水はすぐにしゅわと消える。立ち上る砂の香り。ナディアは毎夜、その香りに包まれて眠りにつく。

――殿下がいないと眠れない体になっちゃいそう。

そんな夜が続いたある日、夕食を終えて部屋に戻るとサマーリが窓を叩いていた。足に結ばれた紙を開くと、タリクの字で「王宮に呼ばれた、すぐ戻る」と書いてあった。

何か進展があったのかもしれない。

落ち着かない気持ちで部屋を歩き回っていたら、ドアの下から手紙が差し込まれた。個人宛の手紙は寮監が仕分け、ドアの下の隙間からこうして部屋に差し入れてくれる。

――叔母さんの字だ。

立ったまま開封して、文字を目で追った。

普段の手紙にある「元気?」というような言葉はひとつもなかった。書き殴ったような短い手紙だった。

「……おかあさん……」

手紙がはらはらと床に落ちた。