軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

334.メガネ君、気持ちに整理をつける

――生魚なんて食べられないよ。

子供の頃、生の魚を齧る姉に向かって俺が言った言葉を思い出した。

あの頃の俺よ、それは過ちだった。

「……うまい」

なんだこれは。なんなんだ。

米なら高級宿で毎朝食っていた。

大帝国ではパンに代わる主食と認識し、炊いた白い穀物をそれなりにおいしく食べてきた。

魚……魚介も同じ認識である。

特に、今朝食べたハマグリ飯は、思い出すだけでよだれが出るほどおいしかった。

そして、 これ(・・) である。

小さく握り固めた米の上に、切り身の生魚が乗っているという、非常にシンプルな料理。

というか、料理とさえ言えないのではないか。

ただまとめた米に生魚を乗せただけではないか。

――生魚ということもあって口に入れる抵抗感が強く、なかなか手が伸びない中、俺を除く四人は微塵の葛藤もなく、あっという間にそれを平らげてしまった。

ヨルゴ教官に「食わんのか?」と聞かれ、意を決して、それを口に放り込み……一瞬我を失い、口走ってしまった。

――「うまい」と。

米に魚を乗せただけ?

いや違う。

断じて違う。

これは間違いなく、一朝一夕では身につかない高等技術を集束させつつ、あらゆる無駄を削ぎ落した職人技による一品だ。

生魚の臭みなど一切ない。

なのに、肉に負けないくらい濃厚な脂の味がする。

米もどこか甘い。

何か調味料的なものを混ぜ込んであるようだ。

いつもなら疑問にも思わないが――

「次は暗黒鯛になります」

手早く次々に「握って」いく料理人のおっさんを見ていると、この「甘い米」も、味付け以外の理由がありそうな気がする。

何せ、この小さな料理の全てが、隙のない高度な技術の集大成だから。

無駄なところなど一つもないだろうと自然と思えるから。

――これが寿司。

大帝国や東洋文化のある場所で、ワイズが必ず食べるという料理か。

朝のハマグリ飯。

昼の牛鍋。

もうなんか、いろんな人に申し訳なく思うくらい、朝からおいしいものばかり食べさせてもらっていたが――

まさか夜までこんなものを食べさせられるとは。

……いや、もうごちゃごちゃ考えるのは無粋かな。

今はとにかく、食べることに集中しよう。

――正直、値段を聞いて、俺はもう二度と食べられないかもしれないと、思ってしまったから。

というわけで、夕食である。

ワイズとヨルゴ教官と俺と、その気はなかったものの長々と話し込んでしまった。

まだ全ての話が終わったわけではないが、夜も更けてきたので、ひとまず夕食を取ることになった。

ワイズの使用人のように付き添っていた、候補生の先輩である同年代の男女二人も連れて、見るだけで高級だろうとわかる東洋風の店に連れて来られた。

寿司屋である。

ネルイッツに来てから、噂くらいは聞いていた。

曰く、生魚を食わせる料理だ、と。

生の魚を食べる文化がなかった俺にとっては、ただただ「奇妙な料理だな」と思うだけのものだった。

どうせネルイッツには短い期間しかいないし、食べる機会もないと思っていた。

……そう思っていたんだけどね。

まあかなり自主的に、軍人たちと開拓村に狩りに行ったり、代官屋敷に忍び込んだりと、自分でも予想外のアクションを自ら起こしている。

振り返ってみれば、自分でも信じられないくらいだが……

でもきっと、何事にも想定外だったり予想外だったりは付き物なのだろう。

今回の寿司屋訪問のように。

「――ウ、ウニ……ウニぃいい……!!」

突然先輩の女性の方が、海苔を巻いた握り寿司を食べて、腹からひねり出すような凄味のある声を漏らした。

なんだどうした、と見れば……ああ、気に入ったのか。

すかさず「ウニ、ウニ」と料理人に追加の注文している。

ふうん、これがウニか。

見た目は……もうなんか、何が何やらって感じだが、果たして味はどうかな――うわうまいなんだこれ! 品のいい磯の香りと、こう、味がぎゅうぎゅうに詰まっているという感じの濃密な旨味が米と混ざりあって……これがウニってやつか!? というかウニってなんなんだ!? 魚の切り身じゃないよな!? 魚卵的なもの!?

なんなんだ。

昼の牛鍋で持ち直した俺の絶対的な肉への信頼を、真正面からこうも揺さぶってくるのか。

……誰に向けてかわからないが、なんか本当に申し訳なくなってきた。

俺はこんなうまいものばかり食ってていいのだろうか。

「今日は憎悪海老のいいのも入ってますよ」

「あ、海老ください」

揚げてうまい海老は、果たして生ではどうなのか。

こうなれば確かめずにはいられない。

――もちろん、期待を裏切らない味だった。あ、追加でお願いします。

寿司を食べながら、ここでもいろんな話をした。

ちなみに料理人のおっさんは、遠いながらもナスティアラの暗殺者関係の人なので、特に会話に気を遣う必要はないそうだ。

貴族らしく個室を取ったし、遠慮はいらないだろう。

まず、男女の先輩たちは、進路に迷っているそうだ。

暗殺者育成学校を卒業したはいいが、これからどうするか決められなかった。

だからひとまずワイズ周りについて、いろんな経験をさせようと。そういう理由で連れ回しているそうだ。

「――できれば暗殺者の仕事がしたいが」

男の先輩は、暗殺者志望らしいが、組織に属するのは断られているそうだ。

「そもそも暗殺者の仕事がないからね」とはワイズ談。

ワイズは俺を勧誘する時、若者の暗殺者離れがどうこうと言っていたはずだけど……なのに向こうから断るってケースもあるのか。

まあ、俺の知らない受け入れられない問題なども、あるのかもしれない。

「――冒険者とか、荒事方面はピンと来ないのよね」

さっきウニに狂った女の先輩は、穏健派とでも言えばいいのか。

戦ったり力でどうこうは、あまりしたくないタイプのようだ。

「――試しに教官でもやってみるか?」

ヨルゴ教官がそう言うも、二人は「そこまでの腕がないから無理」と首を横に振った。

あの二人が弱いというよりは、教官たちが強すぎるからね。

とてもじゃないが、教官たちと肩を並べて仕事なんてできないよね。

盛り上がったのは、俺が代官屋敷に忍び込んだ、つい昨夜の話である。

「――ほう。大帝国軍人に囲まれておいて逃げ切ったのかね」

「――え、おまえまだ候補生なんだよな!?」

「――うっわ……えぐい後輩育ってるじゃん……」

ワイズ、男の先輩、女の先輩と、ヨルゴ教官が淡々と話す昨夜の出来事に驚いていた。

というかえぐいってなんだ。

……まあ、ちょっとだけえぐいかな。

思った以上に長居した寿司屋から出て、すっかり夜も更けたネルイッツを五人で歩く。

雪は止んでいるが、少し積もってきている。

毎年、この調子で積もっていくのかな。というか寒いな。

来る時もそうだったが、夜になっても軍人たちが走り回っている。

まだ昨日の事件が尾を引いているのだろう。

念のため、今日はヨルゴ教官と昼飯を食べに行った以外、外出はしなかった。

恐らく、昨日の夜から、彼らはずっとずっと代官屋敷に忍び込んだ賊を探しているのだろう。

……ちょっと申し訳ないな。さすがに。

朝からうまいものばっかり食ってるのも含めて。

あ、今気づいたけど、そうだね。

俺は彼らに申し訳なく思っていたんだね。

うまいものを食って罪悪感を感じていた正体は、彼らだったのか。……いや、そうじゃなくても罪悪感は生まれていたかもしれないけど。俺はきっと、おいしすぎると恐縮するタイプなんだろう。

メンツのせいか、それともワイズがいるおかげか、擦れ違う軍人たちは賊と同じく「メガネ」を掛けている俺に注目するが、声を掛けてくることはなかった。

話しかけられてもしらばっくれる自信はあるし、証拠もしっかり隠滅済みだ。

カツラもしっかり燃やして、もうこの世に存在しないし。

見つかる要素はない。

でも、話しかけられたいわけではない。

少しばかり叩けば埃が出る身でもあるので、決して拘わりたくはない。

…………

なんて他所事に気を向けるも、やはりどうしても考えてしまうのは、あの話である。

――竜人族の里の調査、か。

どうせ拒否権はないし、動くなら早い方がいいんだろうけど……

「気が進まんか?」

考え事をしながら歩いていたせいか、ワイズと男女の先輩たちが少し先に行っていた。

そして、俺の隣にはヨルゴ教官がいた。

「そうでもないですよ」

そりゃスパイしろって言われれば、抵抗はあるが。

でも、元々あまり拒否しようとは思わないのだ。

「この一年。

俺は成人して、田舎から王都ナスティアラに出てきて、色々縁があって今ここにいて。

今まで生きてきた十五年間より、はるかに中身のある一年だったと思っています。

実りも多く、得た物も多く、きっと普通に生きるだけでは手に入らない、一生物の財産をたくさん手に入れた。

――俺にたくさんのものを手に入れるきっかけをくれたあの人の命令なら、そこそこの無理でも聞き入れたいくらいには、感謝しています」

俺は暗殺者育成学校に来てよかったと、今でははっきり言える。

誘ってくれたワイズには、言葉にすれば陳腐だが、言葉にしきれない山ほどの恩を感じている。

少しでもこの気持ちを示せるならば、彼の命令には進んで従える。

――ワイズ・リーヴァントと再会するまでは自覚のなかった気持ちだけど、ようやく気持ちの整理がついたと思う。

「俺、行ってきます。竜人族の里」

それに、今しかできないことがあるというなら、決断と行動は早い方がいい。

もう少し突っ込んだ打ち合わせをしたら、すぐに発とう。