軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

114話 魔力のバイキング

はむっ、はむっはむっ!!

俺は今、馬に跨りながら必死の形相でパンを貪っている。

先ほど村から頂いた焼き立てのパンである。

「おいおいハチ。これから魔獣と戦うって時によく食欲なんて出るな。俺なんて、水すら体が受付無さそうだぜ」

胃袋の出来が違う! という訳ではない。

イレイザー先生の参っているメンタルも十分に理解できるというか、俺もモロにメンタルに来ている。

今回ばかりは……いよいよ死ぬ気がする。

これまでとんでもない幸運で冷蔵庫の奥に眠るジャムのごとく生き延びてきたが、魔獣との正面衝突かぁ。あっ、これは終わりだなって流石に察した。

でももう逃げる訳にもいかない。

ならばもう、これはいっその事悔いが無いように食べておくべきだよね。お腹が空いたままあの世に行くのなんて御免被るってわけ。

「同じ境遇なので、最大限譲歩して、一つくらいなら分けますよ」

「いらねーし、一つかよ。はぁー、こんなやばい時に思い出すのがなぜか団長とリュミエール先輩との思い出だってのは、俺の人生がいかに灰色かわかって来て悲しいな。もしも生き延びたら、生き方を考え直そうと思う。どうせお前も似たもんだろ? ハチ」

いや、俺の脳内にはちゃんとノエっちゃんが思い浮かんでいます。美しい思い出が沢山。ノエルと思い出、それだけで生きるエネルギーになる程。一緒にしないで下さい。

「俺には毎週手紙のやり取りをしている婚約者がいます。俺が死んだら、彼女は酷く悲しむと思います。ハタネズミという可愛らしい小動物がいるのですが、彼らはつがいを失うと寿命が縮むらしいです。……もしかしたら、俺の婚約者もそうなるかもしれません」

だから先生。あなたが命を張って俺を守るんやで? ちらっ。

あれ? なんか同情されるかと思ったら、すんごい鋭い目で睨まれた。

「ハチ、お前は敵だ。ずっとなんだかんだ俺と似たものを感じていたのに、今はっきりとわかった。お前は団長とかリュミエール先輩と同類だ。あっちいけ」

え、冷た。

急にどうした?

休みの日に何してるか聞いたらまずい系の人?

「ハチ君は幸せ者みたいですね」

「はい、俺は小物ながらに慎ましい幸せを沢山頂いています。俺には勿体ない程大切な人たちが沢山」

そりゃ俺だってたまにはもっと多くを望みたい気持ちも出る。

けれど、考えてみたら、ノエルがいて、姉さんたちがいて、帰る実家もある。それに、こうして毎日パンを食べれているんだ。なんという幸せ小物ライフか。命の危機に瀕して、改めて自分の小さな、けれどとても濃い幸運を思い知らされる。

「では、簡単に死なせる訳には行きませんね。最悪ハチ君だけでも逃げて貰わないと」

そう言って博士が懐を探り始める。

出てきたのは水晶のような球体。ただのお守りグッズっていう訳じゃないよね?

「 吸聖(きゅうせい) 吸玉。私の能力とマダムミンジェの協力で出来た傑作です。これを君に渡しておきます」

手のひらに、中が白く濁った水晶が乗っかる。

見通すと辛うじて水晶玉の向こうに博士の顔が見える純度。

……売ったらいくらになるんだろう? と試算したことは黙っておこう。

「私のスキルタイプは神聖。スキルは魔力吸収」

「世にも珍しい力だぞ」

イレイザー先生が口を挟んで、横から腕組みで認める程の希少性。

先生の力は以前味わっている。あの目で見つめられた途端、体が自由を奪われ、縛られた。十分希少性の高いスキルを持っている人が、世にも珍しい力だと認めるのだ。本当にすんごいのだろう。

「ハチ君、少し頂戴しますね」

掌をこちらに向けると、次の瞬間体内の魔力が勝手に体外に漏れ出して、ヘーゼルナッツ博士の掌に吸い込まれていった。

体から熱が少し失われて肌寒い感覚がする。

……でも大したことは無い。俺の無限身体強化は崩れていないし、魔力を使い過ぎた時のような倦怠感も無かった。

「……おっと、ハチ君は既に身体強化を使用していましたか。本来私の力は魔臓から少し魔力を頂く程度なのですが、思わぬほど多く吸い込んでしまった。大丈夫かね?」

「ええ、問題ないです。少し寒気がしたくらいです」

スキルで魔力を吸収出来るのか。神聖のスキルタイプってやはり不思議な力が多い。

「力をお見せできましたし、吸玉の説明に戻りますか。その玉にハチ君の魔力を流したら、私のスキルが発動します。魔獣のマグ・ノワールがハチ君を襲うとき、それを起動して身を守って下さい。きっと君を守るのに役にやつはずです」

「博士、そんなものあったんですか? 俺とウィルバート隊長にも一つ!」

「ごめんなさい。一つしかないんです。これはマダムミンジェに協力して作って貰った試作品ですので」

申し訳なさそうに、少し微笑んで謝罪する博士。その雰囲気はどこまでも穏やかで、この人の人となりが伺える。癖の強い人が多い王立魔法学園の教師の中でも異彩を放つお人だ。

「博士はどうやって身を守るつもりですか? それに博士にも守るべき人がいるんじゃ……」

今更になって、博士の身の上が気になり始めた。どうしよう、ウィルバート隊長よりも巨大な死亡フラグが立っていたら。

「いえいえ、私もイレイザー先生と同じく休日に天井を見つめている系の人ですよ。ほんと、マグ・ノワールの研究以外やることがないんです」

「俺は天井を見つめていない! ちゃんと休みの日も充実していますから」

本当か? チラッと目を合わせたが、すぐに逸らされてしまった。

わかるよ。自分だけ休日が充実していないとなんか恥ずかしいよね。えーわかりますとも。

「なあ博士、その玉爆発したりしないか? 吹き飛べ、ハチ」

「マダムの作品です。そんなことにはならないでしょう」

「ちぇっ、あの人の作品なら確かに間違いはないか」

魔獣がこの先にいるとは思えないくだらないやり取りにイレイザー先生が眉をひそめ、隊長だけ少し緊張して無言で前を睨み続ける。

空気はまだ緩んでいた。

――だが。

突然、風が止まった。

ざわめいていた木々が、まるで時間を凍らせたかのようにぴたりと動きをやめる。

湿った土の匂いが鼻を刺し、どこからともなく黒い靄が這い寄ってくる。

ヘーゼルナッツ博士が足を止め、俺が握る吸玉が低く鳴動した。

「来る!」

耳鳴りのような振動が地面から這い上がり、次の瞬間、森そのものが呻くような低く鈍い重低音を発した。

一本の巨木が軋みを上げて裂け、その中から黒い魔力が噴き出す。

葉が裏返り、幹の影が異様に伸び、昼の森は一瞬で夜に塗り潰された。

軽口を叩いていたはずの皆が、初めて言葉を失う。

その沈黙が、異変の深刻さを雄弁に物語っていた。

魔獣出現。

黒い靄が渦を巻き、林の奥から影が姿を現した。

地を揺らす咆哮と共に飛び出したのは、漆黒の虎。

全身をマグ・ノワールに覆われ、眼光は赤く、吐息は灼けたばかりの鉄が放つ熱のように周囲の空気を歪ませる。

その背後には、白狐の姿をした神秘的な雰囲気を纏った生物がふらつきながら佇んでいた。

狐の目はどこか虚ろで、危うげである。虎はいかにも危なさそう。

「先手を打ちます!」

『暴魔捕食!』

ヘーゼルナッツ博士の叫び声と共に、拳を高々と掲げた。

空気が裂けるような音とともに、周囲に渦巻いていた黒い靄が、その拳に吸い寄せられていく。

握り込まれた拳はまるで底なしの虚空。

暴れ狂うマグ・ノワールの奔流が、次々と博士の手の内に吸い込まれ、虎の姿が崩れ始めて中にいる女性の顔が少し見えた。

何だ、この威力!? さっき俺の魔力を吸収したときは全く本気じゃなかったんだ!!

咆哮を上げる虎の巨体が、吸い寄せられるように前進する。

牙が軋み、爪が大地を削るが、ブラックホールを思わせるようなその吸引力に抗えない。

「ぐっ……!」

博士の額に汗が滲み、顔の左側に黒い線が浮かび上がった。

それは血管のように脈打つが、正体は明白。皮膚の下で黒い魔力が暴れている証だった。

「博士! 顔が……!」

ウィルバート隊長が声を上げる。

博士は苦笑を浮かべ、肩をすくめた。

「大丈夫、大丈夫です……研究に多少の代償はつきものです」

その軽口に、イレイザー先生の瞳が鋭く光る。

「大丈夫な訳がないだろ!」

一歩前へ出て、博士と虎の間に身を割り込む。

「――ハチ!」

呼びかけは短く鋭かった。

「お前もサポートに回れ! 嘘ついても無駄だ。あんなもの吸い込んで無事なはずがない。このままじゃ博士が死んじまう!」

「うっす!」

馬から飛び降りて、覚悟を決めた。最悪、吸玉もある。博士が気を引いているうちになんとか出来ないか!

「出し惜しみしている暇はない。神の目を使うぜ。ハチ、お前も神の目を開け!」

開けって言われても、自分でまだ制御できていないんだ。

けれど、そんな言い訳を聞いて貰える状況でもない。

どうしようかと悩んだ瞬間、視界が焼けるように熱を帯び、光が差し込んで来た。瞼の裏から迸る輝きに、抗う間もなく“視えて”しまう。やはりイレイザー先生の神の目に触発されたらしい。自分では開眼できないが、今はこれでいい。

左目に見える世界が裏返る。

虎の姿は黒い魔力のうねりに変わり、中にいる少女、その体内には奇怪な構造が広がっていた。

無数の魔力線が血管のように張り巡らされ……まるで俺の魔力線のようだった。

その中心には――空洞。

本来魔臓があるそこは渦巻く黒の核で、周囲から無理やり魔力を引き込み続けている。今尚紋章を伝って、界境よりマグ・ノワールを引き込んでいるのだ。

これでは博士の吸収が意味を成さない。今一時的に博士のスキルでダメージを負っているだけで、供給が止まらない限り魔獣はすぐに回復してしまう。

「俺たちにある魔臓の位置に、魔獣の核がある。ハチ、お前にも見えているはずだ」

「ええ、こんなの初めて見ました……!」

そりゃ神の目この前開眼したばかりだからね。魔獣の体内を見ることになるなんて思いもしなかった。

「しかしこりゃ……まるで……」

イレイザー先生は何か知っているみたいで、嫌に大量に汗をかいている。そして、息を呑んだ。

神の目に、後方にふらついていた白狐の姿が重なる。

その体内にも――同じ“空の臓器”があった。

違うのは、核はマグ・ノワールではなく、大気中の魔力をずっと吸収し続けているってことだ。

「なっ……馬鹿な……!」

イレイザー先生は魔獣よりも、白狐を凝視する。

「ちくしょう。あっちは神だ! そして魔獣ってやつは、吸収している魔力の質が違うだけで、随分と神に近い存在だったんだな」

イレイザー先生はもともと神殺しだ。その目で何人もの神を見て来た。それは他の団員達とはまた違った視点で、彼には神の目がある。ずっと体内の構造だって見て来たんだ。間違うはずがない。

虎が魔獣で、白虎が神。

そして魔獣と神は体の構造が一緒だと!?

本当に、どうなってやがる。

「あの姿はなんだ。そして、なぜ神があっちについているかは知らないが……これは本格的にまずいぞ」

汗が止まらない様子で、いつもの自信満々なイレイザー先生じゃない。

手も震え始める。

神の存在を知覚した途端様子がおかしくなった。やっぱりこの人、神にトラウマがあるんだ。

「先生、動揺が諸に体に出ています。そのままじゃ戦えない。俺が前線を張るから、助言を頼みます!」

先生の戦闘経験はそれこそとんでもない程積み重ねられているだろう。魔獣戦が初めてでも、きっと良い助言を貰えるはず。

うっし。腹を括って、俺が前線に立つしかない。

馬鞍に装着していた変刃を手に取り、刃先を魔獣と神に向けた。

「すまないハチ……。ったく、克服したと思ったんだけどなぁ。足が震えてやがる。……『共魔・暴走』」

先生の掌が俺に向けられた途端、体内の魔力の流れが早くなった気がした。

その感覚は決して勘違いではなく、釣られるように心臓の鼓動も高鳴る。

体温が上がり、視界が鮮やかになる。

気分も高揚し、常日頃抱えていたひねくれた心もまっすぐなりそうな感覚。……これが大物たちが味わっている感情ってコト!?

「俺のスキルタイプも博士と同じ神聖。相手の魔力に干渉するスキル。本来は治療とかで使うものだが、神の目を通して相手の魔力も自分の魔力も目に見えちまうからな。こうしていろいろ器用なことができるんだよ」

それでか。以前あの人に見つめられた時、体の自由を奪われた。スキルで魔力に直接干渉。

全く、ヘーゼルナッツ博士といいイレイザー先生といい、他の大物たちも全員聞け! お前たちはスキルに恵まれすぎている!

「サポートがあるだけ感謝です。いきますっ」

駆け出した。

変刃を魔獣に向けて突き立てる。

怖いが、何もしなければマグ・ノワールでヘーゼルナッツ博士が死んでしまう。あんなもの、これ以上吸わせてたまるか!

ヘーゼルナッツ博士の攻撃をスキルを受け、動けない隙に決着を!

変刃の刃先が魔獣の顔を斬りつけた。顔を背けるだけの動きは出来たみたいだが、十分に刃は入った。辺りにマグ・ノワールが血のごとく大量に離散する。

いける。なんだか、このままいけそう!

今だっッ!! ヤァーーー!!

目を狙った次の攻撃、ガキンと音が鳴り、歯を止められた。

泊めたのは、後ろに控えていた白狐。

虚ろな目をしながらも、強い意志を感じさせる動きで必死に魔獣を守る。

俺は、この白狐の正体をなんとなく察した。

「君はまさか……妹ちゃんなのか?」

返事はなかった。

けれど、この子はどうしてこんな姿をしているかは知らないが、俺にシビウマ茸をくれたあの娘な気がする。

どう攻めようかと悩んでいるとき、後ろで酷く咳き込む音がした。

「……ゴホッ、グ……」

黒い靄を吸い過ぎた喉が裂けるように鳴り、胸を押さえて膝をつく。

顔に浮かんだ黒い線がさらに濃く走り、息が乱れ、血を吐き出す。

スキルを使用してまだ3分も経っていない。マグ・ノワールを吸い込んだ影響は、もはや死に至るんじゃないかと思わせる程博士の体を蝕み始めていた。

「博士!」

イレイザー先生の案ずる声が聞こえた。

俺の視線を、虎と狐、二つの合計四の瞳が同時に射抜いた。

咆哮と沈黙、対照的な殺気が一斉にのしかかる。

まっまっずーい。魔獣の拘束が解けちゃった!

喉が鳴り、足が竦む。

変刃を構え直すが、心臓の鼓動がうるさすぎて耳が痛い程に緊張する。

その時だった。

「うおおおおおおおおっ!!」

野太い咆哮と共に、ウィルバート隊長が突撃した。

大盾を掲げ、剣を構え、真正面から魔獣へ駆け込む。

「ハチ、安心しろ。魔獣め、俺が相手だぁぁぁぁ!!!」

身体強化を使用しているが、まさかの魔獣相手に正面衝突。

魔獣の爪と剣がぶつかり合った瞬間――。

ドンッ、と鈍い音を立て、隊長の体が大地に叩きつけられる。

まるで小石でも弾くように、魔獣の一撃は圧倒的だった。

「がっ……ぐ……!」

盾が半ばまで砕け、剣も手から飛んでいく。

隊長はたったの一撃で体内にマグ・ノワールを流されて博士と同じように黒い筋を顔に浮かべる。腕から酷い出血もしているが、まったく意に介した様子がない。

隊長は歯を食いしばり、顔を上げた。

「……まだだ! この程度……!」

血混じりの声を振り絞る。

「魔獣、絶対にここを通さない! このウィルバート、魔獣ごとき攻撃100回受けようとも死にはしない!!」

その姿は滑稽で、無謀で、けれど――。

俺の胸に、何か熱いものを灯した。

「……隊長!」

震えていた足に、わずかに力が戻る。

変刃の柄を握る指が、再び固く結ばれた。隊長の姿に、なんだか無性に勇気を貰えたのだ。

「まだ終わっちゃいねぇぇぇ!!!」

血を吐きながらも、ウィルバート隊長は立ち上がった。

砕けた盾を無理やり構え、剣を握り直す。

「スキル、雷装ッ!」

雄叫びと共に、再び魔獣へと突っ込んだ。体にはスキルで生んだ雷の鎧をまとっている。

だが――次の瞬間。

虎の尾が唸り、隊長の身体を軽々と弾き飛ばす。

地を転がり、勢いはそれでも収まらなず、木々をなぎ倒し、はるか先まで吹き飛ぶ。

隊長はそれでも立ち上がったが、白目を剝いていた。そのまま、血を吐いて動かなくなる。

急いで駆け寄って、体を抱きかかえて横にする。

鎧は裂け、呼吸は浅い。

それでも隊長の命は繋がっている。

「魔獣を倒し……みんなを守る……」

意識を失って尚、隊長は一人でうわ言のように繰り返していた。

「見届けたよ、隊長。あんたは親父さんにも負けない英雄だ」

後は任せて。おかげで、俺も覚悟が決まった。

静寂が落ちたその背後で、ザクリ。

異質な音に思わず振り返る。

イレイザー先生が自分の手の甲に短刀を突き立てていた。

血が滴り落ち、シルクハットの唾の下から覗く表情が苦痛に歪む。

「先生、何してんだよ!!」

魔獣の恐怖で気でも狂ったか?

「……恐怖が、邪魔だった」

低い声でイレイザー先生が答える。

「痛みで……恐怖を塗り潰した。もう動ける。すまなかったウィルバート隊長。あんたのおかげで随分と気合が入った」

血を垂らす拳を握り、イレイザー先生は一歩、前へ。

「へっ、ようやく戦力になるんですか?」

「期待して大丈夫だ。行くぞハチ。なぜ俺が神殺しで、なぜ魔獣調査の護衛に選ばれたか、見せてやるよ」

『共魔・反転』

人差し指と中指を裏返して神と魔獣に向ける。

スキルが発動した次の瞬間、神と魔獣の体内から大量の魔力が漏れだした。

「どれだけ強大で膨大な魔力を持とうとも、魔力に直接干渉できる俺の前では無力。ハチ、魔力を掻い潜ってあれらを止めろ!」

簡単に言ってくれる。

ただでさえ、マグ・ノワールは恐怖の感情を刺激する。

なのに、今はマグ・ノワールに加えて神の膨大な魔力も加えての、大花火大会開催中だ。

水道管が壊れて、勢いよく神と魔獣の体内から魔力が逆流して漏れ出てくる。その魔力の動きに戸惑う神と魔獣。

けれど、好機だということは俺にもわかる。

変刃を握りしめて突っ込む。

「おおおおっ!!!」

刃が閃き、漆黒の巨体に迫る。

魔獣は咄嗟に跳び退くが、完全には間に合わない。やはりイレイザー先生の共魔反転で足取りが乱れている。

――斬ッ!

変刃の切っ先が、虎の腹を深く抉った。

黒い血と靄が噴き出し、巨獣の咆哮が林を震わせる。

確かに傷は通った。魔獣相手に、押し切れる!?

まだいける。一歩でも引いたら終わりな気がする。

もう後戻りはない。

「うおおおおおおおおおおおっ!!」

ガードは考えず、斬る斬る斬る!!

マグ・ノワールが辺り一帯に飛び散る。

飛ぶ飛ぶ飛ぶ。それでも攻撃をやめない。

だが、魔獣も腹を括ったらしい。思いっきり致命傷になりかねない一撃を前に出て受ける。その勢いに少しだけ腰が引けた。

虎の眼がギラリと光り、牙を剥いた。

「……ッ!」

咆哮と同時に、巨体が大地を蹴り飛ぶ。

視界を覆ったのは、黒い閃光のような前脚。

避ける暇もなく、大鎌のような爪が胸元に叩き込まれた。

「ぐはッ――!」

衝撃が全身を貫き、肺の空気が一気に押し出される。

骨が悲鳴を上げ、背中から大地へと叩きつけられた。

さらに追撃。

巨尾がしなり、鞭のように振り抜かれる。

「っ……くそっ!」

変刃を構えるが、防ぎきれない。

尾の一撃は岩塊のような重さで、俺の体を横へと吹き飛ばした。

地を転がり、木に叩きつけられる。

血が口から溢れ、視界が赤く染まる。

魔獣が傍まで飛んできて、マグ・ノワールの中から腕が伸びて来る。

「またお前か。……なぜお前の体内にはマグ・ノワールが侵食しない?」

首を掴まれて、そう尋ねられるが質問の意味すらわからない。

息をするだけで全身が千切れそうな程痛められているのに、息すらさせて貰えない。

そして、頭上を白狐が飛んで行ったのを見た。

その軌跡を遮るように、白狐の姿が揺らぎ魔力の霧が満ち、やがて少女の姿に戻る。やはり白狐の正体は妹ちゃんだった。俺にウマシビ茸をくれた妹ちゃん。

その目は、もう虚ろではなかった。

神の力を取り戻した瞳が、冷徹にイレイザー先生を捉えていた。

「……!」

イレイザー先生の神の目が輝く。

スキル共魔の力で流れを縛り、押さえ込もうとする。

一瞬、神の動きが宙で止まる。けれど、宙が災いした。

体は止まっても、勢いは止まらない。

神の体がイレイザー先生にぶつかってスキルが解除される。

直後、空気が破裂した。

少女の細腕から放たれた拳――だがその一撃は、天地を揺るがすほど膨大な魔力を帯びていた。

「くっ……!」

スキルで魔力を抑え、必死に押し返すイレイザー先生。力の流れを殺そうとする。

ほんの一瞬、拳の速度が鈍る。

――が、そのわずかな遅延を突き破るように。

ズドンッ!

拳が彼の頬を捉え、轟音と共に地面が割れた。

大地は陥没し、周囲の木々が吹き飛ぶ。

イレイザー先生の身体は地面に抉り込まれ、代わりに辺りの土砂が盛り上がる。

土煙の中、押し潰されるように横たわるイレイザー。意識があるかどうかわからない。命すらあるか……。

神の膨大な力は、先生のスキルをもってしても完全には受けきれなかった。

イレイザー先生が倒れた。ヘーゼルナッツ博士もマグ・ノワールに侵食されて無事ではない。ウィルバート隊長ももう立ち上がることは無いだろう。

首根っこを掴まれたまま、俺はニヤリと笑った。

懐から吸聖吸玉を取り出し、魔力を流して起動。

吸玉に膨大なマグ・ノワールが吸い込まれていく。ついでに、妹ちゃんから神の魔力もチュウチュウしちゃう。

俺の首根っこを掴んでいた魔獣の力が弱まる。虎の姿が徐々に消え、その中から妹ちゃんに似た少女の顔が出て来た。

「ああっ、ようやく顔を見れたね」

魔獣、いや姉の手を振りほどいて大地に降り立つ。

マグ・ノワールはまだまだ供給されるだろう。あれがある限り、この姉はいつだって魔獣に戻る。

だから俺は吸玉を止めない。

吸玉に罅が入り、壊れそうになったタイミングで修理スキルを発動!

壊させない。マダムミンジェが作ってくれたものを、そんな簡単に壊させるかよ!

「ハチ君、それ以上吸収すれば玉の許容量を超える。超えた分のマグ・ノワールは、君の体内に流れ込んでしまうぞっ!」

俺のことを案じて叫ぶヘーゼルナッツ博士。けれど、限界は博士の方だった。吐血し、それ以上言葉が出てこないどころか、息をするのすら辛そうな程にむせ返る。

そんなことは俺もなんとなく予想が尽いている。

けれど、もう止める気はなかった。

修理スキルを使用し続け、吸玉を絶対に壊させない。マグ・ノワールを吸い込み続ける。

姉が驚いたようにこちらを見て来る。

ずっと体内を蝕んでいたマグ・ノワールから解放されて、意識を取り戻し、体が楽になって自身の両手を涙を浮かべて泣いていた。

イレイザー先生を殴りと罰した妹ちゃんが姉に駆け寄る。

その体を抱きしめて、お互いの無事を確認する。

俺はそれを見れただけで、自分の選択が正しかった気がする。

「いくまえに、君たちの名前を聞かせてくれるか?」

「……ヒルド」

「エルヴィト」

ハチ様?

そう遠くから呼ばれた気がした。

脳内に響いた今の声は、ノエルの声だった気がする。

『あなたはいつか大きなことを成すお人です』

いつしかノエルがそんなことを言ってくれた気がする。

もしかしたら、それが今の、この出来事なのかもしれない。

魔獣を止めれたのなら、それはきっと大きなことなのだろう。

俺は全魔力を吸玉に流し込む。修理スキルが使える分だけ残して、後は全部吸玉に。

マグ・ノワールの暴走が辺りの林の木々を薙ぎ払う。

鋭い魔力の流れが、服、そして肌をも切り裂いて、全部吸玉へ、そして溢れた分は俺の体内に流れ込んでくる。

うおおおおおおおおおっ。

食べ放題は大好きだが、まさか魔力の食べ放題。それもマグ・ノワールの食べ放題なんてありつけるとは、人生もいろいろあるものだ。

――。

虎の咆哮も、神の息吹も、すべてが黒い奔流に巻き込まれ、彼の体内へと飲み込まれていく。

マグ・ノワールは悲鳴のような音を立て、渦に逆らい、もがき、しかし抗えない。

「……ぜ、んぶ……俺が……食べる!」

血を吐きながらも、ハチは歯を食いしばり続ける。

やがて――。

すべての音が、止まった。

風が収まり、舞い上がった砂が地に落ちる。

黒い靄は一片も残らず、森を覆っていた重苦しい気配は消え去った。

残されたのは、静寂。

荒れ狂う嵐の中心にぽつんと立つハチ。

その胸は上下し、汗と血にまみれていたが、確かに――今ある全てのマグ・ノワールを吸い尽くした英雄の姿だった。

ハチはそっとほほ笑むと、ばたりとその場に倒れた。

……はずなのに、次の瞬間にはあの白い空間に立っていた。

「やあ、また来たんだね。君は本当に面白いよ」