軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

コミカライズ開始&書籍2巻発売記念/冥府の元王女-⑦

翌朝、イリザとふたたび海羊亭に向かう。

僵尸と合流し、勝手口の前でしばらく待っていると、口笛とともに荷車を引く男が現れた。

上半身が人間で下半身がヤギの男は、アクアマリンとイリザの姿に気がつくと、退屈そうな顔をぱっと明るくした。

「えっ、なんでなんで〜!? いつもマスターは顔すら見せないのに、今日は女の子が出迎えてくれるなんて!」

「あれがワイン農家のサイオスです。サイオス、来てください」

マスターが手招きすると、サイオスは速度を上げていそいそとやってくる。

店の前で荷車を止めるとワイン樽そっちのけでアクアマリンに話しかけた。

「わぁ〜っ、精霊みたいに綺麗な子だね。僕、すっごい好み!」

「アクアマリンですわ」

「アクアマリンちゃん? サイオスだ。よろしくね」

サイオスが挨拶代わりのハグをすると、アクアマリンは眉間に険を寄せながらも背中に腕を回して応じた。

「ずいぶん距離が近いサテュロスね。いえ、サテュロスだからと言うべき?」

思わずイリザが漏らす。

「サイオスはサテュロスの中でも陽気なたちですから。まあ、良くも悪くも裏のない性格です」

「こうして見る限り毒を仕込むようには見えないわね……」

サイオスはアクアマリンが気に入ったようで、しかめっ面さえも可愛い可愛いと褒めそやし、ひとしきり口説き文句を振りまいている。

「悪いけど、わたくしそういう言葉はもう聞き飽きているの。それよりあなたに聞きたいことがあるんだけれど」

「嬉しいな。何でも聞いて!」

「……この店で出しているワインから毒が見つかったの。あなたのところから買い付けているんでしょう。何か心当たりはない?」

「えっ! 毒だって!?」

サイオスは目を丸くさせて驚いた。

「僕は知らないよ。今運んできたワインを調べてくれたっていい」

「確認させてもらうわ」

樽を開けてワインを飲んでみるが、毒は感じられない。

(……やはりね)

毒がないことは想定の範囲内だ。

昨日調べた店の倉庫にある未開封の樽からも毒は見つかっていないからだ。

(そうなると、やっぱり原因はワインではないところにあるのかしら?)

アクアマリンは顎の下に手を当てる。

「たとえばですけれど、樽の木材に毒を染み込ませておいて、時間がたつにつれて溶け出すような細工とか……」

「樽もうちで作ってるけどそんなことしてないよ。アクアマリンちゃんは人間だよね? そういう意味では冥府のあらゆるものに瘴気が染み込んでいるから、毒と勘違いしているんじゃないの?」

「瘴気ではないわ」

猛毒の大聖女の力を使って鑑定しているのだ。そこを間違えるはずはない。

もっと姉の力が残っていたならば何の毒かというところまで突き止められたはずだが、ないものはない。今の状態ではこれが限界だった。

「……いきなり申し訳なかったわね、サイオス。気を悪くしていたらごめんなさい」

アクアマリンが謝ると、サイオスは白い歯を見せて笑った。

「気にしてないよ。だって僕は潔白だからね」

「些細なことでもいいから手がかりがほしいの。あなたのワインに毒を入れたひとがいる。何か分かったら教えてほしいわ」

「もちろん。大事なワインに毒を入れるなんて、この手で八つ裂きにしてやりたいぐらいだよ」

「八つ裂きにする前に通報して。主人の命がかかっているの」

神妙な顔のイリザに、サイオスは「ああ!」と納得のいった表情をする。

「その件が関係してたんだ。ガイルさんには贔屓にしてもらってたから残念に思ってた。無事を祈っているよ」

「サイオス、ありがとうございます。……これが空き樽です」

「オッケー」

サイオスは空になった樽を手際良く荷車に積み込むと、最後にアクアマリンの頭をぽんぽんと撫でた。

「僕のワイン工房は黒闇の丘にある。いつでも歓迎するから、アクアマリンちゃんものんびりしにおいで」

「ええ。いつか」

口笛を吹きながら帰っていくサイオス。僵尸も仮眠すると言って店の中に戻っていった。

その後ろ姿が見えなくなると、イリザがぽつりとつぶやいた。

「サイオスではなさそうね」

「……そうね。あのワインに異常はなかったわ」

「振り出しに戻ってしまったわ。もう時間がないのに……」

イリザの深い溜め息がアクアマリンの胸を陰らせる。

何かが分かりそうで分からない。そんなじれったい調子がずっと続いている。

タイムリミットは残り一日しかない。

(……もし間に合わなかったら?)

魔王の冷酷な性格はアクアマリンもよく知っている。

右腕であるガイルを失いたくないという気持ちは本当だろうが、他の魔物に示しがつかないという理屈もまた真実だ。あの巨大な鎌で容赦なく首を刎ねるのだろう。

想像すると背筋に寒気が走った。

(わたくしには無理な話だったのかもしれない)

悔しさがこみ上げてきて目の奥が熱くなる。

ベルハイムでは何もかもが思いのままになった。自分の一声で常に極上のものが用意される。気に入った人間を昇進させることも罪を揉み消すことも簡単だった。

それが今はどうだ? 恩人の命一つ救うことができないなんて……。

情けなくて仕方がなかった。

(……わたくし自身には、なんの力も無いのだわ)

王女という権力、そして姉から吸い取った偽りの聖女の力。

それらを取り去ってしまった自分には何も残らないのだということを突きつけられていた。

(悔しい……悔しいわ…………)

目の端から涙があふれ、頬に流れ落ちる。

きつく噛み締めた唇には鮮血が滲むが、不思議と痛さは感じなかった。

「アクアマリンさん。ごめんね。いいのよ」

アクアマリンの様子に気がついたイリザが慌てる。

「ここまでしてくれただけで充分。嬉しかったわ。主人にも貴女が必死で調べてくれたこと、伝えておく」

「……わたくしは、何も……」

「……他の魔物の態度、見たでしょう。協力するとは言ってくれるけど実際に動いてくれているのは貴女だけ。みんな魔王陛下を恐れているし、主人がどうなろうとそれほど興味はないのよ。主人は運が悪かった。そう思うしかないの……」

イリザの眦からも透明なものがぽろぽろとこぼれ落ちる。

彼女は気丈にそれを拭うと、アクアマリンに向かって微笑んでみせた。

「……年甲斐もないところを見せてごめんなさい。お城に帰りましょうか。背中に乗って」

魔王城に帰り着くと、イリザはガイルに面会に行くといって牢へ向かった。

一緒に行かないかと誘われたアクアマリンだが、首を横に振った。

まだあと一日残っている。最後までガイルのために諦めたくなかった。

(もし間に合わなかったとしても、やれるだけのことをしたい)

やると決めたことは、なんとしてでもやりきらないと気がすまない。

どんな手を使ってでも、欲しいものは手に入れてきたのだ。

(アクアマリン・スノー・デルファイア。しっかりしなさい)

ガイルが暴れたという場に居合わせた魔物たちに話を聞きに行ってみよう。

そう決めると、魔王城の中へ入っていった。