軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六十二話

ドドルたちと畜産について話し合った翌日、引き揚げられた商船からは、塩水に浸かった小麦がわんさかと出てきた。

捨てるくらいならと引き取ったのだが、置き場所にも困った。

ただでさえ荷物で溢れている商会には置けないし、タカハシ工房の中庭は魔石加工の職人たちがいるので、結局イーリアの屋敷に置くことになった。

「ちょっと、落ち着いてお昼寝ができないんだけど」

恨みがましい目で言われ、何事につけイーリアの肩を持つクルルも睨みつけてくる。

ただ、クルルの場合は割と真面目な理由があったらしい。

「虫が湧いたら困る」

船一隻分なので、ものすごい量がある。

しかも港で可能な限り乾かしてきたが、まだじっとり湿っていて、激しく生臭い。

間もなく腐りだすのは目に見えていた。

「……試しにパンを焼いてみるというのは……?」

恐る恐る提案すると、イーリアはさっと二歩下がった。

「私は食べないわよ」

クルルはそんなイーリアにため息をついて、腰に手を当てながら、海の生臭さが漂う麦の山を見やった。

「塩漬けの麦……麦なあ……そんな料理があれば……」

工房の食事の支度を今もちょくちょく手伝っているクルルは、すっかり料理にはまっているようだ。

なにか打開策を見つけてくれたらと思うのだが、その眉間には深いしわが寄るばかり。

ぶつぶつ唸るクルルをよそに、イーリアがふとこちらを見た。

「料理と言えば、豚と鶏を増やして加工するって話はどうだったの? 塩漬け肉や干し肉が安くなったら、次の冬を乗り越える際には皆が助かるわよね」

「ドドルさんたちは乗り気でした……けど」

獣人の手で育てられ、加工された肉を誰が食べるのか、という問題を見落としていた。

そんな話をイーリアに聞かせるのは忍びなくて口ごもったのだが、なんとなく察したらしい。

「クルルでさえ、ちょっと嫌がる人がいるみたいだからね」

そのクルルは獣の耳を片方だけこちらに向け、遅れて振り向いた。

「なんの話です?」

「あ、いや――」

「私たちが食事に関わると、獣の毛が混じるって話」

イーリアは自虐を好むちょっと陰険なところがある。

クルルはイーリアのそういうところに心を痛めているようだが、このくらいならよくあることらしい。

「ケンゴの奴のほうがぼーぼーだというのにな!」

不服そうに言うクルルに思わず吹き出してしまったが、脳裏をよぎったのが宴会翌日の朝に見た毛布の下の裸だとは、決して悟られないようにした。

「ふん。名誉をはじめ、世の中にはそういうどうしようもない溝がいっぱいある。せいぜい私たちにできるのは、それに足を取られないことだけだ」

大雑把な性格に思えるクルルだが、その実はイーリアより繊細だと思う。

遠い目で話すクルルの手に、イーリアがその手を重ねていた。

そんなふたりには、こう言うしかない。

「でも、少しずつでもどうにかしていきましょう」

今はまだ空疎な言葉だが、二人にとってはそれでも十分だったらしい。

「飯にするか?」

クルルが少し笑いながら言う。

「あの麦で焼いたパン以外ならね」

イーリアの言葉に苦笑いしか出ないが、なんなら養鶏や養豚用の餌にできないだろうか。塩漬けの腐りかけでも、鶏や豚なら食べるだろう。

そう思っていたら、クルルとイーリアの獣の耳が、揃って同じ方向を向いた。

それが屋敷の入り口だと気がつけば、人の声が聞こえてくる。

「ごめんください!」

マークスの声ではなかったので、マークスたちを詐欺師だと知っている町の誰かだ。

港での徴税の話を聞きつけた誰かが、自分たちの商売には税をかけないでくれと陳情しにきたのだろうか。

イーリアも同じことを思ったようで、ややげんなりとしながら身なりを整えはじめ、察したクルルが手伝っていた。

けれどそれから三人そろって顔を見せれば、そこにいたのは意外な人物だった。

「ご機嫌麗しく、イーリア様」

この町の中では知的階級に所属することを示す、柔らかな物腰。

町の人々の契約を保証する、公証人組合の組合長だった。

「なんの御用かしら」

イーリアの声がやや硬いのは、組合長の訪問の理由がまったくわからないからだろう。

それに書類仕事はイーリアの憎むところであり、書類に囲まれて暮らす公証人の親玉は天敵なのかもしれない。

というか多分、領地の記録の照合などで何度も顔を合わせ、杜撰な記録のことでちくちくやられているのだろう。

「こちらに駄目になった麦がたくさんあると聞きまして」

「ん……え?」

イーリアがこちらを見てから、組合長に向き直る。

「いくばくか組合で買い取らせてもらえませんか」

願ってもないこと。

けれど抜け目ないイーリアはすぐにこう言った。

「たくさんでなければ分けられるけれど、一体どういう理由でかしら?」

やり場に困っていた麦をとっさに大事な商品であるかのように言うあたり、さすがだと思う。

というか手慣れていて、ちょっと怖い。

「ええ、麦は我々の仕事で重宝するのです」

一瞬、インクを乾かすために撒く砂のことを思い出したが、麦粒はあまりに大きすぎるし、吸湿性はないだろう。

では、一体彼らがなにに使うのか。

「書類を綴じるための、糊にしたく」

なるほど、盲点だった。

◆◆◆◇◇◇

要はでんぷん糊だ。

つくり方は単純で、麦を粉にして水と混ぜ、火にかけて温めてから練って、また水を加えて温めて、それを数度繰り返す。

自分は夏休みの自由研究でやったことがあり、手順を思い出して再現して見せると、イーリアもクルルも物珍しそうにしていた。

「確かに食べられる麦を使うのはもったいないわ」

「なのであんまり糊を作れず、困ってたみたいですね」

結局、公証人組合の組合長は、荷車いっぱいに駄目になった麦を持って帰ってくれた。

代価は通常の麦の三分の一くらいだし、まだまだ麦は残っているが、お金に変わったのはありがたい。

要は引き取ってもらった麦の、三分の一の量のまともな麦を買えることになるのだから。

「私たちも糊を売って儲けたらどう?」

木の器の中のでんぷん糊を、つんつん指でつついていたイーリアはそんなことを言う。

当然思うことだが、問題がある。

「ほかに誰が使うのかって問題を解決しませんと」

書類仕事をするのは公証人組合か、せいぜい商会くらいのもの。荷車一杯の麦があれば、当分糊には困らないだろう。

「イーリア様が、ご自分の書類を綴じるためにお使いになられては?」

書類仕事から逃げてばかりのイーリアに、クルルがここぞとばかりに甘噛みする。

「残念ね。紐で綴じるのが好きなのよ」

イーリアは、つんとそっぽを向きながらそんなことを言っていた。

「糊、糊ですよね……」

でんぷん糊は実際のところ、そんなに用途としては広くない。接着剤としては膠ほど強力ではないので、固くて重いものには使えない。せいぜい紙を貼りつけたり、ほかには……。

「ん」

その時に目に入ったのは、目の前でじゃれ合っている二人の女の子だった。

「な、なんだ?」

全身を舐めるようにみていたせいか、クルルがイーリアを守りながら警戒して後ずさる。

裸で同じ毛布で寝ていた時には堂々としていたのに、基準がよくわからない。

「アイロンがけ」

「あいろん?」

ワイシャツにパリッとノリを利かせる、という言葉の、その「糊」がまさにでんぷん糊だ。

ただ、アイロンという単語がこの世界でなんと言うのかわからず、もたもた説明したら、二人はほどなく理解した。

「宮廷の舞踏会に出るならともかく、普段からそんなことする人いないわよ」

イーリアが呆れたように言った。

前の世界だとアイロンが普及するのは近代の産業革命期だったろうか。メイドさんが鉄ごてで延々とアイロンがけする漫画とか読んだ気がする。

そしてここは今少し未発展の文明だった。アイロンそのものの概念は存在しても、毎日そんなことをするのは余りに贅沢のようだ。

「まあ、クルルのその服は、一度くらいアイロンがけしてもいいと思うけど」

普段のクルルはそれこそメイド服っぽいお仕着せを着ていた。

もっとも、スカート形式で前掛けをしたら大体メイドさんに見えるだろう。

「イーリア様も、ご自分の服にアイロンを当てるべきです。すぐハンモックで丸まってしわだらけにするんですから。領主の自覚をもって、今少し見た目に気を使うべきです」

クルルの言葉に、イーリアがむっと頬を膨らませる。

「クルルこそもっと可愛い恰好しなさいよ。もう長いこと新調してないでしょう?」

「私の服なんかにお金をかけるべきではありません」

やいのやいのやりあっている二人の女の子。

なんだか一生見ていられそうな感じだったが、どちらの言い分ももっともだ。

クルルの服は必要最低限というか、簡素すぎて若干みすぼらしくさえある。

けれど糸紡ぎから仕立てまで、すべてが手作業のこの世界では、服というのはちょっとした財産になるような金額なのだ。

確かに商会の儲けをいくらか差し出せば、今少し可愛らしい服をクルルに着せてあげられるが……と思ったところだった。

「可愛い、服」

じゃれあっていた二人が動きを止めた。

「可愛い服と言えば」

自分は視線をクルルに向ける。

正確には、クルルの服に。

「おい、またなにを見てる」

クルルが顎を引いて、警戒した目をする。

「手軽に服を可愛くできるかもしれません」

「なに?」

クルルは羽ペンを挟めそうなくらい眉間にしわを寄せたが、そのクルルの腕を取って前のめりになったのは、ほかならぬイーリアだ。

「どういうことかしら⁉」

目をキラキラ輝かせたイーリアの横で、なにか察したのか、クルルが嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。