軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十四話

イーリアの屋敷に、凄腕の魔法使いが住み着いた。

そんな話がノドン商会でも囁かれるようになったのはあっという間のこと。

元は帝国首都の宮廷魔術師だとか、いやいや教会の正邪省で異端審問官をやっていただとか、属州辺境の反乱討伐隊を率いていたが属州丸ごと火の海に変えてしまったために左遷されただとか、皆好き勝手に話していた。

ジレーヌ領は鉱山によって潤い、人口もそこそこの賑やかな町を擁しているとは言え、帝国というネットワークの中では隅っこの隅っこなので、魔法使いなどめったに見られないし、変化のない毎日ゆえに事件に飢えている。さすらいの魔法使い登場は、餌を投げ込まれた池の鯉みたいな反応を引き起こしていた。

そう考えると、自分が鉱山で目覚めてもあまり周囲の耳目を集めなかったのは、おそらく健吾のおかげなのだろうと思う。自分の時はせいぜいが、鉱山でまた死体が復活したが、どうも悪い奴ではないようだ、くらいだった。

しかし魔法使いは違う。

表面上はいつもと変わらないが、皆がどこかそわそわしている商会の様子を見て、自分もまた落ち着かなくなってしまう。

「ヴぁ~……」

一方のノドンは帳場の奥で、聞いているほうが苦しくなりそうないびきをかいて眠りこけていた。ここ連日ずいぶんと深酒をしているようで、商会でも荒れがちだ。

イーリアのところに現れた魔法使いが、旅の途中にちょっと軒先を借りたというならまだしも、探鉱作業まで手伝ったとなると、これは危険な兆候に違いないからだ。脛に傷がありすぎるノドンは、悪い予想が止まらないはずだった。

なにせ腕のある魔法使いは、それだけで貴族になれるほどの力を持つ。人が獣人の上に立つという、この世界の仕組みを直接支えている存在なのだ。

そんな存在がさすらいの旅の途中、気まぐれに土地に寄ったなんてことがありえるのか? 属州の州都や、あるいは帝国首都にいるというイーリアの父親の差し金なのではないか?

ノドンが気に病む理由はたっぷりある。

しかも、町の中では立場の低い職人組合の長などが、権力の入れ替わりを期待してのことか、せっせとイーリアの屋敷詣でをしているからなおさらだろう。

探鉱作業をノドン商会からもぎとり、イーリアが見事成し遂げたという事件は、町の権力構造が入れ替わる予兆だと捉えられたわけだ。

しかし、今までイーリアをお飾り領主だと馬鹿にし、ノドンと手を組むことでジレーヌ領の経済を支配してきた有力者たちほど、今更イーリアの屋敷に行ってご機嫌伺いをすることなど考えられない。中にはマークスから睨まれているような、イーリアやクルルに手を出そうとした不埒な連中もいるはずなのだ。

そしてその筆頭たるノドンは、どの面下げてイーリアのところに赴けるのか、という話だ。深酒でもして酩酊しなければ、まともに眠ることもできないのは当然のこと。

世の中というのは、残酷だ。

盤石だと思われた立場が突如として瓦解するようなことは、本当にある。

ある日会社に行って、新しい上司の紹介を受けたあの朝のように!

そしてノドンはやりすぎた。

どこの世界でも、うまく振る舞いすぎた者たちは皆、黒船が現れても進路を変えることなど容易にできないのだ。

「ヨリノブ様」

と、ヨシュから声を掛けられた。

「今月分の魔石取引の承認を」

ヨシュは今も孤児院で寝泊まりしている、いわゆるマークスの弟だ。

なのである程度のことは知っているのだろうが、利発な少年らしく、商会では一切この手の話には参加していなかった。今も期待するようなまなざしを一瞬こちらに向けるだけで、まとめた書類を手渡すと黙々と仕事に戻っていく。

ただ、その小さな背中には、好奇心と期待感が溢れていた。冬から春になろうかという季節のような、なにかが起こるという空気感を感じ取っているのだ。

魔石取引の承認は、久しぶりのイーリアの屋敷に行く口実となる。寝ているノドンの机に書置きを残し、イーリアの屋敷に向かう。

イーリアもクルルも希望に満ち溢れているのではないか。

そんな様子を想像していた自分は、屋敷に足を踏み入れて目の当たりにした光景に、呆気にとられたのだった。

◆◆◆◇◇◇

屋敷の前にいたマークスの目つきが四倍くらい鋭くなっているあたりで妙だと思ったが、屋敷の中の埃っぽさでさらにその思いが強くなった。

あまり掃除が行き届いていないとすぐにわかったし、中庭に出ると、イーリアが行き倒れの酔っぱらいのように、上半身だけハンモックにうつぶせになっていた。

「イーリア様?」

声をかけると、ぼさぼさの尻尾が一瞬ぴくりと動いたが、それだけだ。

髪の毛は尻尾に輪をかけてぼさぼさで、クルルが魔石加工にのめり込んでいた時のことが思い出される。

「……ヨリノブ、か……」

かすれた声が聞こえ、そちらを見ると、目の下に大きな隈を作ったクルルだった。

やはり魔石加工の時のことを思い出すが、あの時と違うのは、悲壮感みたいなものがないことと、クルルの身なりだけはある程度まともだったことだ。

「えーっと、一体なにが?」

クルルは大きくため息をつくと、こっちにこいとばかりに手招きして、屋敷の奥に消えて行った。

イーリアをこのままにしてよいものかと思うのだが、改めてそちらを見ると、小さなスズメがイーリアのぼさぼさの髪の毛の上に舞い降りるところだった。スズメはふかふかの髪の毛の上に腰を下ろすと、満足そうに胸を膨らませている。

絵面があまりに呑気だったので、心配することもないのかと思い直し、クルルの後を追いかけた。

一方のクルルは、屋敷の食堂にて、椅子に座ったまま溶けそうになっていた。

「計画に……若干の、見落としがあった……」

口から魂が出ていきそうなクルルは、眠そうな目の奥からこちらを見やる。

「昨日まで、ひっきりなしに客がきていてな……」

「今まであまり町の中で活躍できていなかった偉い人たちですよね。手土産の品がたくさん売れてるのを把握してますよ」

他人事のように言ってしまったが、それを受け入れたのはクルルたちなのだ。

しかもこの土地の習慣なのか、貴族に求められる振る舞いなのか、客には食事を出すというのが慣例であり、それを作るのはクルルだったことも思い出す。

「クルルさんは、ひたすら料理を?」

「……もうしばらくは、卵をかき混ぜたくない……」

食堂から調理場は覗けないが、後でちょっと顔を出して、掃除を手伝ったほうがいいかもしれないと思う。

ここの財政は火の車とまではいわずとも、楽に使用人を雇えるようなものでもない。なにより、獣人の血を引く落とし子の、しかも小娘領主の屋敷に勤めたがるようなまともな使用人など存在しない、と聞かされた。

つまりはイーリアが客と応対する間、クルルがひたすら一人で裏方作業をこなしていたことになる。

「マークスさんたちに協力を頼めばよかったのでは? 手伝ってくれたと思いますけど」

「……詐欺師を屋敷でこき使ってたら、ここはなんだ、奴らの根城か?」

体裁、というものがあるのだろう。

「ただ……イーリア様も頑張っていたんだ。私が弱音を吐くわけにはいかないだろう……」

「そのイーリア様も、だいぶ疲れ果ててるみたいですが」

イーリアはこれまでの境遇の割には、明るくて聡明な女の子だと思う。けれども若干クルルに依存気味なところがあるし、成人男性に対しては必要以上に気を張っているように見える。

ここ数日の来客は、この土地にやってきたばかりの時のような、二人が弱そうな少女だからと悪意を向けてくる者たちとは違っただろうが、それでも対応の気苦労は大きかったはず。

ハンモックに倒れ込むような姿勢のまま動かず、尻尾も髪の毛もぼさぼさなのは、なんとかベッドから起き出してきたはいいが、力尽きてしまったのだろう。

それにイーリアもクルルも、昼間の領主としての仕事を終えれば、夜はこの町の税金を取り戻すべく慣れない数字と格闘していたはず。そろって疲労困憊なのだろう。

「えーと……では、エダー商会の件はどう、します?」

事前の計画では、今日この日にエダー商会を税金の件で問い詰めるはずだった。

しかしそれにはさすらいの魔法使いの存在が欠かせない。

クルルがこの様子では……と思っていたら、ゾンビのように体を起こしていた。

「やるに決まってる。あのクソ野郎に仕返しができると思って、耐えてきたんだ」

トルンによれば、エダー商会の主もまあまあ欲望に忠実な下衆であり、五年前にはこの屋敷の軒をくぐって、イーリアとクルルの二人を毒牙に掛けようとしたらしい。

マークスたちがいたから難を逃れられたとはいえ、不愉快な思いはたくさんしてきたはずだ。

「大体、もう火はつけてしまったんだ。探鉱作業のことで、私が魔法使いであることは獣人たちの間に知れ渡っている。イーリア様が彼らに未来を語り、彼らは大きな期待の代わりに、このことを黙ってくれている。今私たちが足を止めたら、彼らは永遠にイーリア様に失望する。そうなったらイーリア様は、永遠にこの屋敷で笑うことができなくなる!」

クルルはイーリアと二人で生き延びてきた。自分が荷揚げ場の事故を見てぞっとしたような経験を、山ほどしてきたはず。

そしてついに、安心して眠れるかもしれない希望の星の影を見た。

「クルルさんがやる気なら、大丈夫です。やりましょう」

熱い鉄を冷ましてはならない。

クルルが疲れているのなら、その分、自分が支援すればいい。

ただ、ふと気が付くと、クルルが拍子抜けしたようにこちらを見つめていた。

なにか返事を間違えただろうかと慌てたら、クルルは困ったように笑っていた。

「もう少し、押し問答するかと覚悟していたんだが」

奇妙な言葉だと一瞬思ったが、それは疲れ切っているという自覚がクルルにもあったからだとわかった。これからやることを思えば、万全の状態で臨むべきなのだから。

けれどクルルは足を止めたくないから、寝不足で疲労困憊だろうと、今日この日に計画を先に進めたがっている。そこに体調を気遣った自分から慎重論を唱えられたら、徹底抗戦するつもりだった、というところだろう。

「しませんよ」

自分はそう答えて、少し笑う。

「そもそも、クルルさんに逆らえませんし」

背は自分より低く、見た目も華奢なクルルだが、犬歯は牙みたいに尖り気味だし、なにより目力がすごい。しかもクルルは背負っているものが違い、軽々しくなにかを言うような少女とも思っていない。

そのクルルができると言うのだから、やれるのだと信じるには十分だった。

「お前は――」

クルルは言って、口をつぐむ。

卑屈な言い方の冗談が癇に障ったのかと思ったら、咳ばらいを挟んだクルルは、唇を噛みながら笑っていた。

「お前は、あっさり私を信頼してくれるんだな」

無防備な笑顔だった。

「ああ、できるとも。私は、できるんだ」

クルルは手首のあたりで目尻をこすり、こちらを見た。弱い立場に生まれつき、無力であることを思い知らされるばかりの生活だったのかもしれない。

クルルの表情は、この屋敷に足を踏み入れて以来、最も怖いくらいにすっきりとしていた。

「着替えてくる。お前のほうも準備しておけよ」

指をさされ、ようやく我に返ると、今度は自分のほうが現実と直面する時間だ。

「あー……はい」

準備、という言葉の意味はもちろん分かっている。

けれど気が重くなっていると、クルルがこんなことを言った。

「なんなら、私がやってやろうか?」

冗談、というわけではないのだろう。

笑顔のクルルは、間違いなく本気だ。

「えぇ……いえ、えっと、マークスさんたちに……」

「そうか? 私もうまく殴れると思うんだが」

クルルは拳を何度か振っていたが、クルルに殴られたら変な趣味に目覚めそうだった。

自分はやや不満そうなクルルが着替えに行ったのを見送ってから、屋敷前にたむろするマークスを呼んで、屋敷の影で一発殴ってもらった。

痛いというよりちょっと熱いという感じだったし、さすが後ろ暗い仕事をしているせいか、痛みの割にはうまく唇も切れてくれた。

「柔い顔だなあ。貴族みたいな殴り心地だったぞ」

ひ弱な文明人なので、そのあたりは許してほしい。

「だが、殴られてびびって、なにもかもげろった面としては一級品だ」

マークスは楽しげに笑っている。

これからやるのは、おおむねそういうこと。

エダー商会は町から無法な税金を集めているわけだが、その行先はこの町のほとんどの富の行き先と同じ、ノドンの懐だ。

そして自分はノドンの懐を出入りする金勘定を任されていて、その金庫役がイーリアに手を貸している魔法役の横で殴られた顔を晒しているとなれば、エダーからすればなにがあったかを想像するのは難しくない。

「へえ、ヨリノブもいい顔になったじゃないか」

いつものお仕着せの服ではなく、裾が擦り切れた長いローブと、目元まで隠れる深いフードをかぶった、いかにも根無し草の旅人めいた格好をしたクルルが戻ってきた。

「で、ヨリノブ。本当に覚悟はいいか? エダーはノドンの腰巾着だ。やつを小突いたら、もう後戻りはできないし、作戦が失敗しようが成功しようが、お前はあの商会に居場所がなくなることになる」

クルルは向こう見ずのようで、きちんとこちらのことも気にかけてくれているらしい。

「ノドン商会に雇ってもらえたのは、まあ、ある程度恩に感じていますが、給金以上の仕事はやりましたよ。散々殴られましたし、首になるのはむしろせいせいします」

しかもこの計画でなにも変えられなければ、なんにせよいつか自分たちはしょうもないことが原因で生活が破綻し、野垂れ死ぬ運命なのだ。たとえノドンへの反抗が失敗して行き場がなくなっても、それは遅いか早いかの違いでしかない。

それになにもかもどうしようもなくなったら、合成魔石でクルルがなにもかも吹き飛ばすオプション付きなら、この賭けはやらないほうがリスクだった。

「それより、さすらいの魔法使い様はなんとお呼びすれば?」

唇から出た血は雑に拭い、地面に倒れ込んだと思われるように、窓枠に積もった埃を顔や肩にこすりつけておく。

「ドラステル。強そうだろ?」

「子供に聞かせるおとぎ話に出てくる魔法使いじゃねえか」

呆れた様子のマークスを、クルルはぎろりと睨みつけていた。

「いいんだよ。私の憧れの魔法使いだから」

腰に手を当て、得意げにしているクルルは、いつもより何歳も幼く見える。

けれども普段が異常に年上に見えるので、そのくらいが自分にはちょうど良く感じられた。

「さあ、罪人を引っ立てろ。大魔法使いドラステル様が巨悪を暴くぞ!」

クルルはローブを翻して宣言してから、ふと中庭のほうを見て、こう言った。

「あ、ちょっと待て。イーリア様に毛布を掛けてくる。あのままでは風邪をひいてしまう」

世話焼きのクルルに、自分とマークスは顔を見合わせる。

なんともしまらない出陣ではあったが、緩んだ空気は屋敷を出るまでのことなのだった。