作品タイトル不明
第二百十五話
主要な面々がイーリア屋敷に集まった――というより、すでに元々集まっていたというほうが近い。
鉄の精錬で大忙しだったので、バランからの手紙は伏せられていたが、イーリアを含めた他の者たちは、すでに問題を共有してひととおり議論を終えた後のようなのだから。
その中で、健吾はもちろん前の世界の歴史を知っているし、自分よりもよほど経済への悪影響なんかを理解しているはず。
コールなんかも、この世界の常識や商いと権力者たちの関係をよく知っているから、それがいかに無謀かを身をもって知っている。
なのでクルルに皆を呼び集めてもらい、部屋に入った時、イーリアの顔が暗い理由はすぐにわかった。
すでに悲観的な意見をたっぷり聞かされた後だから。
けれど部屋に現れた自分を見るや、イーリアの目が丸くなり、犬耳がぴんと立った。
なにかと目ざとい領主様だから、自分とクルルの距離の近さから、良い知らせを嗅ぎ取ったのだろう。
「奴隷獣人の問題を解決するため、提案があります」
イーリア、健吾、コールを見回し、自分は言った。
ゲラリオはまだ到着していないようだが、あの冒険者を待たずにそう言ったのは、自分の中に自信があったからだ。
「頼信」
そこに健吾が、どこか聞こえよがしに口を挟む。
「この手のことを感情だけで話すと、ろくなことにならない」
ビジネスにお前の感情など必要ないんだよ、とねちっこく責め立ててきた前の職場の上司を思い出す一言だ。
けれど、大事な一言だったとも思う。
なにせ自分たちはクウォンの地にて、帝国の魔導隊をあっさり壊滅させたばかり。
自分たちの戦力に過剰な自信を抱き、なんでもできると過信するとしたら、最高のタイミングだ。
おまけに奴隷獣人の話には、イーリアの気持ちを汲むという事情がある。
健吾はその油断を防ぐため、わざとそう言ってくれたのだとわかる。
それにそのあたりについては、イーリア自身が、きちんと理解していた。
「ケンゴ、大丈夫。私も本当を言うと、そういう心配があるもの」
悲しそうな笑みは、孤独な権力者になどなりたくないと言いながら、きちんとその職務をこなしている女の子の笑顔だ。
「ヨリノブなら、私が涙のひとつでも見せたらなんでもしてくれそうだから」
わざとそう言って笑うイーリアの肩に、クルルがいたわしそうに手を添えていた。
その小さな体の中に、どれだけの感情が渦巻いているか、自分は想像するしかない。
バランからの手紙を届けてきたのは、手枷と足枷をつけたままの獣人たちだったらしい。
ロランのバックス商会に半死半生でたどり着き、バランからの手紙をフロストに渡し、彼らは手紙と一緒に船でそのままジレーヌに送り届けられてきた。
イーリアとその一団がどんな対面をしたのか、そこまではクルルから聞いてはいない。
ただ、奴隷獣人たちの扱いがどんなものであるかは、ロランに赴いた時に垣間見ている。
文字どおり、命がけの逃亡劇だっただろうし、分の悪い賭けだったはず。
けれど彼らはそんな賭けに出た。
いや、出てしまった、というべきか。
自分たちはこの世界の理不尽に対して反撃の狼煙を上げ、その炎がこの世の暗い部分を照らしだした。
そしてその輝きは、遠く離れた土地からでも見えてしまうのだ。
バードラの製錬炉の光が、ジレーヌ領の人々をも魅了したように。
暗い世界で生きていた者たちには、なおのこと眩しい光だっただろう。
それはどんなに無理だと思うことでも縋りつかずにはいられないほどだったろうし、その影響に知らんぷりをするのは、あまりにも無責任というものだ。
だから命からがら奇跡の島にたどり着いた獣人たちを出迎えたイーリアが、彼らに色よい返事をすぐにできず、どれほど胸を痛めたことだろうか。
自分たちには、彼らに対し、ある種の道義的な責任がある。
けれど、健吾の指摘もまた、もっともなこと。
感情に振り回されてはならない。
その確信の上で、言った。
「奴隷交易を根絶やしにすべきです。そしてこれは、倫理と同情の話だけではありません。ジレーヌ領の発展のため、必要なことだからです」
言葉の最後に、健吾をちらりと見た。
すると健吾は、会議の場で話を進めやすくする司会のように、微笑んで肩をすくめてみせる。
「できる、の?」
そう言ったのは、この場でもっともそのことを望んでいるが、同時に最も悲観的であろうイーリアだ。
獣人の血を引く貴族の娘として、それが今の世の中でどのような意味を持つのか、嫌というほど知っているのもまた、このイーリアなのだから。
ではそんなイーリアの前で何度も大言壮語をしてきたのは、誰か。
自分だ。
「おそらく、できます」
クルルから渡されたバランの手紙が、その鍵となる。
「奴隷交易について、不幸中の幸いなことがあります。それは獣人の皆さんを憎んでいるためにやっているわけではない、ということです」
これが、長年の恨みから対立している敵国の民を隷従させているとか、前の世界でもあった、思想信条からくる人種絶滅政策みたいなことだと、話が違っていた。
でも、今のところその最悪の可能性は排除されている。
獣人たちは二級市民かもしれないが、この世界に居場所があり、役割がある。
ならばこの世界の仕組みによって、どうにかできる道が開けてくる。
「特にヴォーデン属州においては、奴隷交易は戦費調達という側面が強いです。ということは、あくまで経済の話としてとらえられるはずで、別のなにかで置き換えられるはずなんですよ。金貨はどんな方法で稼ごうと、金貨なのですから」
イーリアは一度固唾を呑んで、それからゆっくりと、恐る恐る口を開く。
「……奴隷の皆を、全部買い上げるってこと?」
「それに近い方法です。というのも、バランさんからいただいた手紙によれば――」
自分がそこまで言った時のこと。
部屋の外からどすどすと足音が聞こえ、扉が乱暴に開かれた。
姿を見せたのは寝癖だらけで腫れぼったい目をしたゲラリオで、むすっとした顔で部屋に入ってきた。
「うっ、臭っ! 師匠、酒臭いぞ!」
真っ先にクルルがそう言ったが、ゲラリオは聞こえていないのか、聞こえていても反応する余裕がないのか、よたよたと椅子にすがりつくと、へたり込むように座っていた。
「……クルル……水をくれ……」
ゲラリオに誰よりも手厳しいが、良き弟子でもあるクルルは、ものすごく嫌そうな顔をしてから炊事場に向かっていった。
水を所望した後、体が傾いたままピクリとも動かなくなったゲラリオは、いきなりげっぷをした。
「あの、吐かないでくださいよ?」
自分の言葉に、ゲラリオは軽く手を振っていた。
大丈夫、ということだろうが、まったくあてにならない。
ほどなくクルルが、右手に木のジョッキを、左手には木桶を持って戻ってきた。
ジョッキにはなにか緑色の葉っぱがぎっしり詰め込まれていたので、この世界で二日酔いに利く薬草でも入っているのだろう。
クルルはなんだかんだ、ゲラリオを慕っているのだ。
ゲラリオに水を飲ませ、背中をさすってやるクルルの様子は、まるっきり駄目な父親を世話する健気な娘なのだが、そんなクルルがゲラリオを見る目は冷え切っている。
そのちぐはぐな感じが、いかにもクルルらしい。
「ゲラリオさん」
自分が改めて名を呼ぶと、ゲラリオがこちらを見る。
無頼を気取っているように見せかけて、根は真面目なゲラリオだ。
こんなになるまで飲んでいたのは、多分、そうする必要があったから。
たとえば、この島に命からがら逃げ込んできて、不安がっているであろう逃亡奴隷の獣人たちをなだめ、落ち着かせ、励ますためだとか。
「今のジレーヌ領の戦力で、勝てない相手というとどんなのが想定されますか?」
その問いに、コールやイーリアが明らかに緊張した。
そして今その瞬間までぐずぐずだったゲラリオは、鋭い視線を向けてきたのだった。