作品タイトル不明
第百十二話
「手紙が来てたんだ」
クルルは再び視線を落とし、なにかひどく考え込むような顔をした。
「手紙?」
「ほら、お前がケンゴのやつと、こないだの鉄の精錬みたいに、島でやるべきことをあれこれ考えてただろ。で、なんだかおとぎ話みたいな代物を、師匠の仲間のバランに探しにいかせたじゃないか」
自分はようやく頭の中で話がつながった。
クルルが大規模魔法陣の起動実験で昏睡してしまった話よりも前のことなので、なんだかずいぶん昔のことにも思えたが、数えてみればまだ一か月くらいだろうか。
「え、もう、バランさんから連絡があったんですか?」
彼らが目指したのは、自分たちが所属するアズリア属州の北に位置する、ヴォーデン属州だ。
旅が順調にいってさえ、ヴォーデン属州のちょっと内陸部に入った程度ではあるまいか。
するとクルルは、にっと牙を見せる。
笑顔にも見えるそれは、敵に立ち向かう時の顔にも見える。
良い話と悪い話。
クルルはそう言った。
「その手紙には、朗報もあるが、同じくらいややこしいこともあってな。お前に見せる頃合いを窺ってたんだよ」
そう言って、懐から手紙を取り出した。
その手紙を見つめて動けなかったのは、良い話については予想がついたから。
バランに頼んだのはふたつの仕事だ。
それが、鳥の糞が堆積したグアノを見つけるのと、もうひとつ。
燃料問題を解決するであろう、石炭の発見だった。
しかし自分がすぐに手紙に手を伸ばせなかったのは、バランがどうしてこんなに早くそれを見つけることができたのかわからなかったから。
それと、クルルがその手紙を前にして、嬉しくなさそうな顔をしているから。
渡すタイミングを見計らっていたというから、悪い話というのは、多分、相当にろくでもないことなのだ。
クルルは一向に手紙を取ろうとしないこちらに焦れたようで、身を乗り出して押し付けてきた。
「三日前には届いていたんだけどな、お前が炉の準備とかで大変そうだったから……。でも、いよいよイーリア様がしびれを切らしてるし、少なくとも良い話のほうは、お前が悩んでたことを解決できるはずだ」
自分は意を決して手紙を開き、あのゴーレムみたいなバランには似つかわしくない、繊細な文字にやや驚きつつ、すぐに内容に引き付けられた。
朗報というのは、渡り鳥や海鳥が根城にし、その糞が堆積した島の存在は、ほぼ確実にあること。
それから乾燥した土地であるヴォーデン属州では、木材資源が枯渇している代わりに、石炭を煮炊きに使っている土地があることなどが書かれていた。
そのふたつは、まさに自分にとって慈雨となる。
特に石炭はそうだ。
木炭問題は前の世界でも産業革命が進む中で深刻になり、あまりに木材価格が高騰したために、石炭へと切り替えられた経緯がある。
本来石炭は、木材ほど優秀な燃料ではない。嫌な煙が出るし、なにより採掘の手間がかかる。
それでも価格競争力を得たのは、地表に生える木材と違い、同じ土地に莫大な量が眠っているからだった。木材の皆伐と、遠方からの運搬費用の高騰は、それくらいに深刻な問題となる。
それに木材は家や船の建材としても重要であり、石炭はそれらと競合しない。
石炭は木材より圧倒的な量が埋蔵されているから、事実上枯渇の心配がない。
その石炭があり、しかもすでに利用されているのなら、鉱床を探す手間だってない。
石炭の質にもよるし、石炭をより燃料に適したコークスにするのにもまた技術研究が必要だろうが、少なくとも前に進むことはできる。
あとはヴォーデン属州との採掘交渉だろうが……と読み進めていき、自分は息を止めた。
目ざといクルルはすぐに気が付いたらしく、大きな猫の耳を、まぜっかえすようにぱたぱたさせた。
「どうだ、面倒なことになってるだろ?」
そのとおりだし、イーリアがよく三日も我慢してくれたものだと思う。
そこに書かれていたのは、いつか起こって然るべき事態といえるだろう。
「ヴォーデン属州から、たくさんの奴隷獣人たちが逃げ出している。向かう先は、このジレーヌ領だそうだ」
ここは、この世界でも数少ない、獣人の血を引く領主様が治める土地なのだから。
クルルは強がって痛みを我慢する時のように、牙を見せながら笑う。
「このジレーヌ領ほど獣人に優しい島はない。その話があちこちに広まっているらしい。バランが出くわしたのは、その話を聞きつけた逃亡中の奴隷獣人の一団だったようだ。ヴォーデンの情報はそいつらから得たんだと。で、バランはこの手紙を、そいつらに託したわけだ」
だからヴォーデンの情報が集まり、しかも素早く届けられた。
「だが、ほとんどの逃げ出した獣人たちは、バランに出会えるほど幸運じゃない。土地勘もなく、路銀だってない。ほとんどは逃げ切れず、捕まっているらしい」
それがなにを意味するのか。
自分たちはロランの港で、奴隷獣人がどんな扱いをされているか目の当たりにした。
みせしめ、の単語が脳裏をよぎる。
「イーリア様は」
クルルは深呼吸を挟む。
「獣人たちが奴隷として売買されるクソッタレな仕組みを、壊滅して欲しいと望んでいる」
そう語る少女の頭の上には猫の耳が、腰からは猫の尻尾が生えている。
そのクルルが仕える最愛の主人もまた、犬耳の持ち主だ。
「どうなんだ?」
答えというのは、大体が問いによって決まっているようなもの。
こちらを見るクルルの顔から、できる返事はほぼ限られている。
それに、クルルの目には、明らかな期待がある。
どんなに無理だと思えたことも乗り越えてきた。
だから、今回も……。
自分は手紙を見て、それからクルルを見た。
クルルが少し怯んだのは、自分が異世界人の顔をしているからかもしれなかった。