作品タイトル不明
第二百五話
***クルル***
「おい、またなにをしてるんだ?」
軽く頭を叩かれただけで、目を点にしてびっくりしているヨリノブ。
その間抜けさにほっとしつつ、このヨリノブこそ、己の弱さを恥じている暇もないくらい、負けないための方法を模索して全力を尽くしているやつだ。
クルルはそのことに少し悔しくなるし、励まされる。
ヨリノブでさえ泣きわめいてないのだから、自分が無力感に泣いている場合ではないのだ。
「えっと、大規模魔法陣について……って、あれ、クルル、さん?」
ゲラリオとは違った方向に無神経なヨリノブがなにか言いかける前に、クルルは言った。
「泣いてなどいない」
我ながら子供みたいな意地だとわかっていたが、師匠もそうらしいので、弟子として真似させてもらう。
「魔法の使い過ぎで、死にそうになっただけだ」
「あ、はい」
深くは追及すまいといった感じのヨリノブにやや苛ついたが、クルルは気を取り直して、視線をヨリノブの向こう、ゼゼルやファルオーネが木の枝で描いているものに向けた。
「それはなんだ? なんで突然大規模魔法なんか描いてるんだ?」
クルルの問いに、ヨリノブの顔がぱっと輝いた。
「大規模魔法陣が存在するはずだとわかったんですよ!」
勢い込んで顔を近づけられ、クルルは嫌そうに顔を背けた。
「じゃあなにか、明日にでも死者を蘇らせられるのか?」
そう問いかけると、ヨリノブはたちまちしゅんとなる。
その起伏の激しさに、クルルは猫の血がうずいてしまう。
「そうじゃないのですが……その、なんというか、存在するということだけは確信できたような感じ、です」
もごもごと説明する弱気な様子に、苛立ちと庇護欲めいたものを刺激されながら、クルルはヨリノブの肩を小突く。
「私でも理解できるか?」
ヨリノブはたちまち嬉しそうな顔をして、話し出す。
エントロピーがどうとか、悪魔がどうとか。
なにひとつ理解できないが、どうやらゼゼルやファルオーネは理解しているようだし、ルアーノも真剣な顔で巨大魔法陣の細部をいじっているので、ヨリノブの話を信じているのだろう。
クルルはどちらかといえば、大規模魔法陣をお絵描きとして楽しんでいる獣人の子供たちの立場に近い。
獣人の少年たちと違うのは、このへなちょこが、魔石の秘密を暴いて合成魔石を作り出したと知っていることだ。
「大規模魔法が存在するはずだ、という理屈があるらしいのはわかった。なら、いよいよ魔石に刻み込んで、試し打ちするか?」
それはあまりに危険なため、事前にヨリノブたちとの間で、そういうことは絶対にしない、という取り決めがあった。
万が一起動してしまったら、とてつもない災厄をもたらすかもしれないから。
しかし、今しがたのゲラリオたちとの実験によって、得られた知見がある。
たとえば、魔法と魔法陣の関係だ。
それは今まで考えられていたよりも柔軟で、いい加減だとわかったのだ。
たとえば地面に魔法陣を描いてから、そこに魔石の粉を振りかけても、魔法はかすかながら発動したりする。
きちんとした威力を出すには、魔石をぎゅっと固めて、びしっと魔法陣を刻む必要があるということなのだろうが、この性質はまさに、大規模魔法陣を調べるには持ってこいだろう。
被害が出ないくらい効果を弱くして、起動するかどうかだけを調べられるのだから。
しかし。
「いえ、おそらくこの魔法陣では、起動しないでしょう」
ヨリノブはあっさりそう言うのだが、だとすると、なぜ揃って大規模魔法陣を地面に描いているのか、クルルにはわからない。
「ただ、起動するはずだという確信があれば、どこかにおかしい個所があるはずだともわかります。この魔法陣はどこかがおかしいのか、それとも正しいのか、ではなくて、絶対にどこかに起動しない理由があるのだと」
理屈が通っているようで、通っていない気がするのだが、少なくともヨリノブの目は本気だ。
こういう時になにを言っても無駄だとわかっているクルルは、ため息をつくほかない。
けれど、そのため息には、少し恨めし気な感情も籠っていた。
「お前は、すごいな」
「え?」
魔法をからっきし使えないくせに、どんな魔法使いよりも深く魔法を理解している。
少なくともこのへなちょこは、世界の大半の魔法使いを出し抜いて、合成魔石の秘密を暴き出した。
ヨリノブの世界でマホウとは、あり得ぬ超常の現象を起こす術、という意味を持つらしいが、その意味でヨリノブはマホウ使いだと思う。
クルルがそう言った時、ヨリノブはなぜか少し嫌そうな顔をして、近くで話を聞いていたケンゴが大笑いしていた。
向こうの世界で男性が魔法使いと呼ばれるのは、不名誉なことらしい。
しかし、クルルは心底思う。
魔法使いだ。
ものすごく、強い魔法使いだ。
「え、クルル、さん……?」
また滲みかけた涙を誤魔化し、ヨリノブの足を蹴っておく。
ゲラリオが頼りになる魔法使いを三人も連れてきた。
それがクルルにとって意味するのは、島を代表する魔法使いの座から、三人分離れたということである。
そしておそらくこの先、魔法使いを増やせば増やすほど、自分の立ち位置は下がっていくことが、クルルにはわかっていた。
ノドン時代にヨリノブが頼ってくれたのは、他に頼れる魔法使いがいなかったから。
そしてきっとヨリノブは、最先端の魔法研究を、そういう者たちとするだろう。
クルルはそこまで考えが進み、ようやく、自分の気持ちを言語化することができた。
自分は、一線から引かざるを得ず、ヨリノブとの接点を失うことが怖いのだと。
これまで一緒に戦ってきたのに、自分だけ置いていかれるのが怖いのだと。
でも、努力すればいい。そのはずだ。
これまでもそうしてきた。
クルルはそう自分に言い聞かせるのだが、ぎゅっと自分の服を掴んで、気付くのだ。
それはいつものお仕着せのスカートで、ドラステルの格好ではなかった。
ゲラリオたちに食事を振る舞った後、改めて魔法の実験に出かけようとなった時、クルルは服を着替えていた。
ヨリノブと一緒に出掛けようとした時は、ドラステルを意識した魔法使いらしい恰好をしていたというのに。
クルルは、イーリアが同道するのだからきちんとした格好でなければならないと、自分を誤魔化していたが、その本当の理由は自分でもわかっていた。
気持ちで負けていたのだ。
あんな本物の魔法使いたちを前に、我こそは魔法使いドラステルなんて馬鹿なこと、言えるはずがなかったから。
そういうわけで、魔法の使い過ぎで倒れた時、シュレッツとやらが女の子としてこちらを介抱したのは、決して彼を責めるべきことではなかった。
クルルは最初から、お屋敷の女の子として実験に参加していたのだから。
師匠のゲラリオがいて、実力的には負けているが追い越せなさそうでもないコールがいて、後はなにを考えているのかよくわからないバランだけだったら、ドラステルの真似も平気でできた。
実際に島の危機には、ドラステルとして最前線に立つのだから、それくらいの芝居っけは許されるだろう。
でも、そこに、本物の魔法使いたちがぞろぞろやってきた。
確かに魔法に才能は必要だが、努力で伸ばせないわけではない、とゲラリオは言った。
それに、クルルの目の前には、魔法を使えないくせにどんな魔法使いよりも魔法の分野ですごいことを成し遂げた男がいる。
もしもクルルが自力で合成魔石の秘密を見抜いていたら、多少魔法の扱いに不慣れであっても、立派に世界最強の魔法使いを堂々と名乗れていたかもしれない。
しかし、そういうことは起こらなかった。
クルルは合成魔石の秘密を見抜けなかったし、魔法の実力は低いまま。
それに、もっと大きな事実があった。
それは、まさにヨリノブたちが嬉々として描いている、大規模魔法に関することだった。