軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百五十九話

ゲラリオとファルオーネは変装するため、若い聖職者たちに案内されて聖堂の奥に消えた。

ファルオーネが最後まで恨めしくこちらを見ていたのは、司教の話から聖女はほぼ「悪魔」で決まりだからだろう。

「だが、山に入った者を知らずに追い返す魔法とは、一体どんな魔法なんだ?」

聖堂の裏口から出て、山につながる道を案内されながら、クルルは怪訝そうに言った。

「催眠……みたいなものでしょうか」

「サイミン?」

日本語で言ってしまったのは、訳語が思いつかなかったから。

「意識を乗っ取り、自在に操る、みたいなことです」

肉体強化ができるなら、そういうこともできそうだ。

ジレーヌ領で各地の魔法を集めた際には見当たらなかったものだが、それを言うならヴォーデンの鉱山にいた悪魔も、重力を操るようなゲラリオも初めて見るという魔法を放っていた。

「いずれにせよ、魔法なら死神の口でどうにでもできますよね?」

クルルは華奢な肩をすくめてみせる。

そんな折り、山道の先に小さな庵が見えてきた。

槍を携えた屈強な僧兵が二人、陣取っていたが、聖堂での騒ぎを聞きつけているのかいかにも不安そうだ。

「援軍の魔法使いです。聖女様にお目通りを」

案内役の聖職者が言うと、僧兵たちはクルルとこちらを見て、最後にバダダムを不快そうに見てから、庵の扉を軽く叩く。

ほどなく出てきたのは、いかにも聖女役という感じの少女だった。

クルルは僧兵を押しのけ、なんのためらいもなく無遠慮に言葉を向ける。

「あんたが偽物だってのはわかってる。この山のどこかに本物がいるらしいが、教えてくれ」

僧兵二人が呆気に取られていたが、少女は偶像役として場数を踏んでいるらしい。軽く眉をひそめただけで、怒りすらしない。

「あなたはなにを? 私は――」

「そういうのは間に合っている。故郷の唄ってのがなにか知ってるか?」

言葉を遮られた聖女は、初めて感情らしい感情を見せる。

「な、なぜそれを……」

「むしろお前たちこそ、なぜこの単語を知っている?」

単に暗号の解き方を知っているだけなのか。

それとも、なにか特別な伝承によって知っているのか。

クルルの問いは、それを確認するためのものだ。

「早く答えろ。魔導隊の連中がなにをしでかすかわからない。さっさと私も戦いの場に戻りたいんだ」

苛立っているのは演技にも見えるが、いくらかは本音だろう。

戸惑う聖女に、案内してくれた聖職者が言った。

「司教様はすべてお話しするようにと」

それが決め手で、少女はこわばらせていた肩を落とす。

そしてまだ躊躇いながらではあったが、渋々と答えた。

「……それは、聖女様にお会いするための合言葉です。代々受け継がれているのです」

「ふん?」

「ですが……その唄がどんなものかは、失われてしまっています。そのせいで、聖女様には誰もお会いできません。もう、とても長いこと」

「あんたも聖女に近づくと変な魔法でやられるのか?」

「……」

それは聖女の名を継ぐ者にとって、名誉なことではない。

少女は、強張った顔でうなずいた。

「誰もこの庵より先に進むことはできません。しばらく行くと、いつの間にかこの庵の前に戻っているのです。おそらく、その唄を知らないと……」

クルルは道の先を見て、目を細めている。

なんの変哲もない山道に見えるし、人の気配はない。

「まあ、行けばわかる」

聖女はなにか言おうとしたが、口をつぐんでいた。

そしてさっさと歩きだすクルルを見るその目は、神が住むと言われる鉱山に向かっていく自分たちのことを見送った、あのアヴァルド族の者たちと似ている気がした。

◇◇◆◆◇◇

クルルが先頭を歩き、少し遅れてついていく自分の背中を守るように、バダダムがしんがりを務めている。

振り向くと、そのバダダムのさらに向こうに、僧兵一人と案内役の聖職者が恐る恐るついてくるのが見えた。

聖女役の少女は庵の前でこちらを見送って、やがて木立ちの向こうに消えた。

「クルルさん、もう魔法を使ってますか?」

「いや? なんでだ?」

「聖女が催眠魔法の使い手なら、催眠をかけられたことに気がつけるかわかりません」

クルルはうなずき、懐に手を入れていた。

それから、なにか思い出したように言った。

「お前はどうして魔法の種類に思い当たったんだ?」

いささか疑うような目は、なにか情報を隠しているのではないか、と思ったのだろう。

「むしろこの世界には、催眠みたいなものはないんですか?」

「ん……聞いたことあるか?」

クルルが問いを向けたのは、バダダムだ。

『サイミンと同じかわかりませんが……呪術師が使うようなアレでしょう? 薬草を焚き、まじないを唱え、犬に鳥だと思い込ませ、鳥に犬だと思い込ませる。そして愚かなるワレらに対しては、救い主が見えるようにするヤツです』

シャーマンによる交霊術のようなものだろうか。

バダダムの口調からは、その呪法を信じているようにも、信じていないようにも聞こえる。

クルルは眉間にしわを寄せて疑っているが、バダダムはこう付け加えた。

『猫姫も人間の貴族社会に関わっていたのでは? ならば……ああ、いや』

「なんだ?」

聞き返されたバダダムは、しかし答えず、肩をすくめただけ。

多分だが、媚薬みたいなものの話をしようとしたのではあるまいか。宮廷文化はただれているのだ。

媚薬も催眠の一種みたいなものだろうし、バダダムがしてくれた呪術師の話には薬草を焚くとあったので、この世界にも麻薬の類があるようだとわかる。

ゲラリオはタバコを吸っていたし、強い薬効を持つアルカロイドが存在するのだ。

数学や物理がほぼ共通ならば、生物分野も似たような形に落ち着くのだと思われる。

そう思ったのだが、だとすると、少し奇妙なことがあった。

「……なに見てる」

クルルがいつものように睨んでくる。

今ではすっかり怖くなくなったが、自分が見ていたのはクルルの猫みたいな耳。

それから、バダダムだ。

物理法則がほぼ共通ならば、ここの聖堂の構造もそうだったが、生物たちだって当然それに従わなくてはならない。

つまり自然の限られた資源を巡って、他の種類に対して有利になる必要がある。

しかも環境が変われば最適な戦略も変わり、栄枯盛衰がついて回る。

前の世界ではこの現象に、「進化」という名前がついていた。

すると一体この獣人という存在は、進化の過程のどこに位置するのだろう?

植物がアルカロイドを有するのは、それが生存戦略に有効だったからで、たとえば煙草のニコチンは害虫避けなど生存戦略のためにある。植物が複雑な有機化合物を生成する理由は、戦場帰りの傷ついた心を慰めるためではない。

もちろん、神が「薬効あれ」と杖を振り、雑草に力を与えた可能性もあるにはあるが、今のところその可能性は低い。

だとするとこの獣人という存在も、なんらかの進化の過程の結果だと思うのだが、なにがどうなったらこうなるのか?

それに、そうだ。

怪訝そうにしているクルルを見て、思う。

人間と交配ができる。

染色体の数が同じ? それともファンタジー的ななにかだろうか? その手の本に出てくるオークやゴブリンは、大抵の種族と繁殖可能なことを思えば、さもありなん。

そもそも前の世界の基準で考えるには、魔石やら魔法やらという存在が超物理的存在だ。

ならば遺伝子の仕組みまで共通しているとは限らないのだろうか?

矛盾した論理体系からは、あらゆる結論を引き出せる。

だとすればこの魔法が存在する世界も……。

「いや、でも魔石がなにか矛盾した存在だと決まったわけでは――痛っ⁉」

衝撃に我に返ると、クルルが天然の固い魔石でこちらの頭を叩いていた。

「催眠か?」

そうじゃないとわかっているようにも、若干本気で心配しているようにも見える顔だった。

「すいません……ちょっと考えごとを」

こうなることは初めてではないので、クルルはそれ以上尋ねてこなかったが、不服そうでもあった。

考えごとの内容を教えてもらえないことが、寂しいのかもしれない。

聖堂でのゲラリオが原因の一件もあったし、少し考えてからこう言った。

「前の世界の魔法に関するお話です」

クルルの猫みたいな耳が、嫌そうに倒された。

「しなくていい」

イーリアの屋敷に残されていた物語を読むのが好きなクルルなので、知的好奇心は人一倍なのだろうが、数学の類は嫌いらしい。

ただ、なにか隠しごとをする時はこの手が使えるなと、ちょっと悪いことも思う。

それにジレーヌ領に戻ったら、広く生物の話も色々考える必要があると、頭の中にメモしておく。

ダーウィンが進化論を思いつく旅路で乗った、ビーグル号を用立てるわけにはいかないが、もの好きはどこにでもいるのでこの世界なりの博物学者が存在するはず。

多様な生命一覧を眺めれば、獣人という存在がどこに位置するのか、手掛かりを掴めるかもしれない。

あとはついでに、薬草類や麻薬の類を手に入れられれば、なにかと役に立つことだろう。

次から次に気になること、やるべきことが増え、一向に落ち着く先が見えない。

ただ、地道に解決していくしかないし、進んで行けばやがて目的地にたどり着くのだ。

たとえば、今目の前の事態のように。

「……来たな」

クルルが呟き、足を止めた。

懐から、紫色の煙が漏れ出していた。

「攻撃を受けてる。だが……」

クルルが牙を剥き、バダダムが周囲を見回している。

後ろを歩いていた僧兵と案内役の聖職者は、凍りついたように足を止めている。

「魔法使いはどこだ?」

山は静まり返っている。

ただ山道に咲き誇る花だけが、ゆらゆらと揺れていた。