軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

98 試算表とペーパーウェイト

アデライーデは執務室の机に座り、メモ用紙という名の立派な紙を睨んでいた。

ため息をつくと、メモ用紙をよこにやり、引き出しからこの前計算に使った紙を取り出し思いつくままに項目を書き出した。

家賃、ろうそく・ランプ・薪代、食費、衣服費、教材費、教師のお給料……

そう。孤児院の必要経費を書き出しているのだ。

--保険代とか無いから、それは…毎月の積立で…

孤児院を運営するなら経費はアデライーデの持ち出しだ。持参金の総額は輿入れの目録にあるだろうから後で確認するとして、年間どのくらいかかるか知っておかないとと思って経費の書き出しを始めたのだが、項目は大体想像がつくが物価が全くわからない。

今まで生活費の全ては、帝国やレナード達が用意してくれていた。

特に欲しい物もなく、ある物を適当に使ってきたのだ。自分で買ったのは離宮に来てからお出かけ用に買ったドレスくらいだ。それもレナードが「正妃様の年間経費でお支払いします」と言われて支払ってないので金額がわからない。

メーアブルクへのお出かけも、レナードがマリアにお金を渡してくれていたのだ。

「ねぇ、マリア。物価を教えて欲しいのだけど…」

「私も帝国の物価は多少わかりますが、バルク国の物価は…。でも、市場で買った食べ物は帝国とあまり変わらないように思いましたわ」

マリアから教えてもらったのはお金は銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨、白金貨とあると言う。

話を聞いていると日本の感覚で銅貨は10円、大銅貨は100円、銀貨は1000円、大銀貨は1万円、金貨は10万円、大金貨は100万円、白金貨は1,000万円くらいかなと言う感じだ。

帝国の庶民の一家8人暮らしで金貨3、4枚で十分な暮らしができるという。マリアの実家は商会をしているが、マリアも大金貨なんて今まで数えるほどしか見たことがないらしい。庶民も給料は大銀貨で貰う方が都合がいいので滅多に金貨なんてお目にかからない。

「レナードに聞くべきよね?」

「そうでございますね。レナード様は執事とは言え家令の役割をされてますからね」

マリアに手が空いたらレナードに来てほしいと頼むとレナードはマリアと共に執務室にやって来た。

「お呼びとお聞きしましたが、何か?」

「レナード、孤児院の運営費の事で相談があるの」

「運営費…でございますか?」

表情は変えなかったがレナードは驚いていた。

領地運営を学ばない限り、貴族女性がお金の事を口にする事はない。夫人は好きなものを買うが支払いは夫や執事に任せるのが普通なのだ。

「孤児院は私がしたいと思うことだもの。この離宮の運営費とはまた別でしょう?」

「そうではございますが…」

「運営費もアルヘルム様におんぶに抱っこではいけないと思うの。でもやりたい事の経費も知らないようではお話にならないでしょう?だから年間にどのくらいかかるか事前に知っておきたいの。持参金から捻出するにしても予算がわからないと計画も立てられないわ」

「アデライーデ様…」

この方はまた持参金から出そうとしている…。

村の経費のことでもそうだが普通は持参金とは本人の為に使うものだと軽い頭痛を覚えた。

「経費の項目をざっと出してみたのだけど…足りない項目を教えてほしいの」

そう言って渡されたメモを見てレナードは「ふむ」と唸ってしまった。ほぼ必要な経費の項目が書かれている。

それはそうだ。陽子さんは主婦歴約35年。

金額の桁の違いはあれ、生活費必需項目や子供を育てるのに必要な支出は嫌というほど知っている。わからないのはこの世界の物価くらいだ。

「アデライーデ様は帝国で領地経営を学ばれたのですか?」

「いえ、領地経営は知らないわ。でも生活するのに何が必要というくらいは知っているつもりよ」

「……書かれている項目で不足なものはないかと…」

「そう?良かったわ。では経費を知りたいのだけど…」

陽子さんは、使用人の食費やお仕着せの費用、教師の給料や医者の診察費をレナードから聞いてメモをとった。

レナードの話を聞くと食費や住宅費は日本より安い気がしたが庶民の服でも衣服費は日本の3〜5倍はする感じだ。この世界にファストファッションは無い。すべて手作りなのだからしょうがない。

家庭教師を雇えるのは裕福な商人や貴族のみなので、教師の値段はまちまちと言う。庶民のリトルスクールの先生は聖職者なのでほぼ無料。そして本やノートは高価なのだ。庶民は石版にチョークをリトルスクールに持っていく。

--そう言えば、グリーンゲイブルスの女の子に石版で頭を殴られた子がいたっけ。石版って割れやすいのかしら…。昔、出席簿の角っこでゴツンとやられたわね。

陽子さんはお転婆だったようだ。

お医者さんはやはり保険が無い分だけ診察料金もお高い。貴族専門と庶民専門に分かれているようで診察料は桁が1つも2つも違うと言う。今子供たちの為に呼んでいる庶民専門のお医者さんの診察料金もそれなりのお値段のようだ。

レナードの話を聞いて、子供達が10人15人と増えたパターンも想定して陽子さんは試算表を作っていた。レナードの話を聞く限り浮浪児はそれなりの数がいるようだし、全員離宮に連れてくるとは行かなくとも増える可能性の方が多い。

そうなれば世話をする人も必要だ。

何度かメモに下書きをして計算しているとパソコンのありがたみがよくわかる。

--EXCELって偉大だわ。ひーひー言いながら関数使ったりVlookupで集計作ったのが懐かしい…。作っちゃえばあとは楽だったのよね。パソコンとは言わないけど電卓欲しいな。そうだわ。そろばん!作れないかしら…。これからも何かと計算ってするだろうし、手計算面倒よね…。

そんな事を考えながら、やっとそれなりに何パターンかの試算表ができた。

立派な紙は白紙なので、印をつけて定規の溝に丸い棒をあててその棒と万年筆を一緒に握って線引きをすると言う、実に懐かしい方法で表を作った。

--新入社員の頃以来の作業だわ…。ずっとやってなかったけどやっぱり面倒な作業ね。

それでも思いの外ちゃんとしたものが出来て、陽子さんはご満悦だった。

「アデライーデ様、それはなんですの?」

「孤児院の年間運営費の試算表よ。何パターンが作ってみたの」

「まぁ…うちの商会の帳簿よりずっと分かりやすいです」

「ほんと?ありがとう。でも、久しぶりに作ったから疲れちゃったわ」

「では、お茶を入れましょうか?蜂蜜をたっぷり入れて」

「いいわね!」

「居間に参りましょうか?」

「あ、ちょっと待ってて」

陽子さんは書き上げた試算表をインクが滲まないように、吸い取り紙をブロッターにはめてグリグリして、念の為にペーパーウェイトを置いて机の上に並べてから執務室を出た。

久しぶりにした事務仕事に満足して足取りも軽く、陽子さんはマリアと共に居間に向かったのでレナードとはすれ違ってしまった。

軽いノックをしたが返事が無いので「失礼いたします」とレナードが執務室に入ると、アデライーデの姿はなく机の上に試算表が3枚置いてあった。

レナードはその試算表を手にして「これだけの物をあの短時間にお作りになったのに領地経営は知らないとは本当なのだろうか。村の台帳をご覧になったときも、さっと帝国式の書式にまとめていらしたが…」

どちらにせよ、アルヘルム様にはご報告をせねばとレナードは試算表をもとに戻してペーパーウェイトを置いた。