軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

406 黒鹿毛と鹿毛

「じゃ、次はどの馬に乗ってみますか?」

「そうですね…腹袋の大きいこの子でしょうか」

腹袋とは馬のお腹部分の膨らみの事で、ここが大きいと臓器がしっかりしていてスタミナがあると言われている。

リネアが指さしたのは腹袋の大きな 黒鹿毛(くろかげ) の若馬だ。

「どうして? 足の速い馬の方が良くないですか?」

「腹袋の太い馬は長時間走ってもバテにくいと聞きました。襲われた時に逃げるには速さも大事ですが、逃げ切る 要(かなめ) は馬の体力だと教官が言っていたので」

「うーん、だったら僕もそうしようかな」

およそ初デートとは思えない会話が交わされている。

まぁ、本人達にそのつもりはサラサラないのだが。

そんなフィリップとリネアを遠くからじっと見ているのは二人の父親達である。ノアーデン王太子の口角は上がっているが、目は据わっていた。

「こほん、会話が弾んでいるようですね」

「そのようですな」

アルヘルムのにこやかな声とは対象的に、王太子の声は少し沈んだ声だった。

王と王太子のいるテントは、馬選びにはしゃぐ子供達とは違い微妙な空気が途中まで流れていた。

だがそれもリネアが 黒鹿毛(くろかげ) 、フィリップが 鹿毛(かげ) の馬を選んで一緒に試し乗りをし始めた頃、飲み物が茶から酒に変わってから雰囲気が和らいできた。

「少し気温も上がって参りましたので」

と、ナッサウがそっとライムモヒートを二人に供したからだ。

ちびちびとライムモヒートを口にしていた王太子は諦めがついたのか、リネアの事を少しずつ口にする。

リネアの好きな馬の事

リネアの好きな武具の事

リネアの好きな船遊び(訓練)の事

およそ姫の紹介ではないその話を、アルヘルムは興味深く熱心に聞いていた。特に船遊びについてはフィリップにも是非施したいからと念入りに聞く始末だ。

ナッサウの脳裏に『脳筋』という言葉が浮かぶ。

王太子は元々リネアを国外に嫁がせるつもりはなく外遊のつもりでバルクに連れてきた。

父王の思惑はわかっていたが、国外でリネアのような姫を受け入れる素地はないだろうから、儀礼的な顔合わせを終わらせればそれで済むと思っていたのだ。むしろフィリップ側から少し難色を示されれば、それで父王も諦めがつくと期待していた。

ところが、リネアはどうもフィリップ王子を気に入ったらしく楽しそうに庭園での出来事を話していた。

本人からもお付きの女官からも、フィリップ王子はリネアが剣術を嗜むと聞いても驚きもせず…。いや驚いてはいたが眉を顰めるような事はなく、むしろ嬉々と話していたと聞いた。

そして本日のバルクからの『馬選び』という名目の内定通知だ。

王太子の心は複雑だった。

これは不意打ちじゃないのか卑怯じゃないか、こんな事ならば国内でもっと早くリネアに婚約者を見つけておけば良かったと思ったが、もう遅い。

目の前で楽しそうにしている娘を見て、王太子は諦めた。バルクとの縁組は国にとってもこれ以上無いくらいの良縁だ。

ならば娘の幸せを願って、バルク王にも娘の事を理解してもらおうと娘の好きな事を口にした。ただそれがドレスや宝石の話でなかっただけだ。

幸いだったのは、お互いに子の縁組は初めてだった事だ。人生はいつだっていくつになっても初めての事だらけだ。

初心者同士、まずは互いの子の好きな事や得意な事を話を広げる。そして、その後少しずつ懸念な事を 溢(こぼ) していく。

愛情深く不器用な男親同士の話に酒は欠かせない。

互いに為政者としては経験はあるが、父親としてはどちらも初心者である。送り出す側迎える側、少しずつ語り合えるまで、ライムモヒートをどのくらい飲んだだろう。

「父上ー」

「お父様ー」

愛しい心配の種達が呼ぶ声が聞こえる。

「「馬が決まりました!」」

フィリップと声を揃えて駆け込んでくるリネアに複雑な気持ちになるが、王太子はグラスを置いて微笑んだ。

「私は 黒鹿毛(くろかげ) の子馬で、フィリップ様が 鹿毛(かげ) の馬なんです」

「そうか、良かったな」

いつの間にか娘は殿下や王子ではなく、様と呼ぶようになっていた。王太子は、ただ微笑みながら愛しい娘の髪を撫でてやる。

「あちらのテントにお茶のご用意をしております。オレンジスカッシュとライエン伯領のチーズケーキをご用意致しました」

バルクの従者の言葉に、フィリップとリネアは顔をほころばせ共に駆けていく。

「アルヘルム殿、正式な返事は帰国後になりますが、婚約は来年でも 宜(よろ) しいか。色々と準備がありますのでね。いろいろと…」

王太子は目を細めながら、隣のテントの娘を見る。

「ええ、もちろんです」

「輿入れは……。フィリップ殿下の成年後に。時期はまたそのうちに…」

言葉を言い終わらせる事が出来ずに王太子は、グラスを手に取る。

「ワインをお持ち致しましょうか」

バルク王の執事の言葉を王太子は軽く手を上げ止めた。

「今日は結構だ。ワインは正式な婚約を交わした時にしよう。同じものをもう一杯貰おうか」

ノアーデン王家のしきたりで、慶事には同じ樽のワインを両家で酌み交わす。今日はまだ正式な婚約ではない。

王太子は、ささやかな足掻きだと思いながらグラスに残っていたライムモヒートを飲み干した。