作品タイトル不明
341 サビナと恵み
「…………おかしいのよ」
「どうした?」
先ほどから二つの帳簿をひろげ睨む妖艶な女に、男は訝しげに声をかけた。
ここはペルレ島の娼館、『マダムキティの館』である。妖艶な女はこの娼館の女主人のマダムキティ。男はマダムの 情夫(いろ) のガーランだ。
「抜かれてるのか?」
ガーランの問いにキティは首を振った。
「とった客の数も売り上げも間違いはないわ」
ペルレ島の別館とメーアブルグ本館の二つの娼館を持ってから、キティは数日おきに島とメーアブルグを行き来している。
その間それぞれの館に信頼のできる者を二人ずつおき金と女を管理させていた。
この商売に誘惑とトラブルはつきものだ。信頼しているとはいえ監視の目はあちこちにおき、金を抜かれた時に炙り出す方法も先代から教えられている。
「じゃあ、なにがおかしいんだ」
「サビナの金額がおかしいのよ」
サビナとは堕胎薬である。
この大陸の信仰では堕胎は罪である。だか、望まぬ妊娠をした女達はサビナを扱う薬師の家の戸を叩く。ネズミ駆除の名目でサビナを買うのである。それをうっかり茶葉と間違えて口にし、子を流してしまうのだ。
間違いまで、慈悲深い神は咎めない。
ただ薬師の調合の腕により、その効果はまちまちだ。流れない時もあれば、効きすぎて母子ともに命を落とすこともある。
娼館であるこの館にとって、サビナは必要経費のようなものなのである。そして腕のいい薬師を見つけ捕まえておくのも娼館の主人の重要な仕事の一つだった。
「島の別館とメーアブルグの本館の差が激しすぎるのよ」
ガーランが帳簿の項目をみると、確かに島はメーアブルグのそれの半数以下だった。島では全く支払われなかった月もある。だが、女達の人数は島の方が多い。
「たまたまじゃないのか?」
「そりゃ、子どもは神様のお恵みだけど今までこんな事はなかったわ。一、二ヶ月ならともかく半年ずっとよ。先代の時から帳簿をつけてきたけど、こんな事はありえない」
サビナを飲んでも流れなかった場合、酷い娼館は怪しげな丸薬を飲ませるか暴力で子を流す。
だが、このマダム・キティの娼館は先々代が「こんな商売をやってるけどね。サビナも飲ませて何いってんだとも思うがね。それだけはやっちゃだめだ」と言ってそれを嫌った。
サビナでも流れなかった時は産まれるまで客の目につかないようにして下働きをさせ、産まれた子は娼婦の親元に渡すか、親元が引き取らなかったら乳離れしてから孤児院に入れさせていた。
中には年季明けに孤児院から子を引き取り、どこかで暮らす女もいる。子を忘れたかのように親元に帰る女もいる。先々代も先代も何も言わずに女達に餞別を握らせていた。
「違いは…。あれよね」
「客をとる日か」
ガーランの言葉にキティはこくりと頷いた。
違いはメーアブルグとペルレ島の客をとる日しかない。あの正妃様の「わけの分からない線引」で決められた娼婦として働く日だ。
キティは帳簿を凝視する。
サビナの項目に書かれた女達に十代の若い女が目立つ。この娼館に売られてくる女達の年齢はまちまちだが、せいぜいいっても二十代前半だ。
メーアブルグだけの娼館時代、孕む女達に年齢の偏りはなかった。年季の長い女は孕みにくかったが孕まないわけではない。
「あ…」
「どうした」
「この女達…。月のものが乱れてたわね」
「そうなのか?」
「ええ、勤務表をつくるのにずらした覚えがあるわ」
個人差はあるが、月のものは精神的なものが大きく左右する。長く月のものが来なかったり、短い日数できたりする。特に仕入れたばかりの女達によくあることだった。
キティは帳簿棚から女達の管理帳を取りだした。
娼館では女達が客をとれるかとれないかで娼館の売り上げに響く。サボりを防ぐ為にも女主人は女達の月のものの周期を大抵覚えている。が、ペルレ島の娼館では、人数も増えてアデライーデの要求通りの勤務表を作るために記帳していた。
「やっぱり…。全員じゃないけど乱れている女達が多いわ」
キティは管理帳をぱらぱらとめくり、サビナの項目と付き合わせ始め、なにかぶつぶつとつぶやき始めた。
「もしかして、この線引って子どもを作らせない…ため?」
「だが、月のものがあれば、子ができるのは神の恵みしだいだろう。島でも孕んだ女はいるじゃないか」
別館の帳簿をみながらガーランはつぶやいた。
「ええ、いるわ。でも今までよりずっと少ない数よ。この差はおかしいわ。そう思わない?」
妊娠のメカニズムはこの世界で知られていない。陽子さんが持ち込んだオギノ式の避妊法もだ。
この世界で貴族も庶民にも知られているのは、月のものがくれば子を産めるようになる。月のものの間は営みができないだけだった。
ガーランは、キティの問いかけに応えずここ半年の帳簿を見比べていた。
「ね。これ、逆なら子を孕みやすくなるんじゃない」
「わからんな。まだ半年だ。孕まないのも孕みやすくなるというのも、人に言うにしては短すぎるし確証も薄い」
「そうね。確かに短いかもね」
「この事を誰かに喋ったか?」
いつもあまり表情を出さないガーランが、いつもより無表情になってキティに問うた。
「え? いいえ」
「誰にも言わないほうがいい。王家がらみだ」
そう言うと元貴族だったガーランはキティをそっと抱きしめた。
「そうね。でも試すのはいいんじゃないかしら?」
「試す? なにを」
「貴方とよ。私そろそろ跡継ぎが欲しくなったの。ちょうど今日から私。娼婦が働いちゃいけない日になるのよ」
いたずらっぽくキティは笑い、ガーランをソファに引き倒した。
キティは後にヴェルフに乞われ商売の手を新しい街にも広げる。ショーダンスのホールを併設させた新店舗の娼館の女達に、なぜかキティは島の勤務規則を頑なに守らせていた。
新しい街にも孤児院ができたが、他の街よりはるかに子供の数は少なかった。
そして、キティとガーランの娘の一人が子に恵まれぬ夫人達の間で密やかに名を知られるようになるのは少し先の話。
キティの娼館の勤務規則が、娼館の義務としてバルクで定められたのは、もっとずっとずっと後の話である。