軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

310 蝶とガラスペン

「ヴィドロよ。大儀であったな」

「いえ、恐れ多くも正妃様に直接ご説明をさせていただけたのはこの上ない 僥倖(ぎょうこう) でございました。何より正妃様にあのように我らが職にご興味を持っていただけた事、職人一同感激いたしております。

また、正妃様のお話は大変興味深く、その発想の豊かなご下命には…その…」

「困惑したのであろう?」

「いえ…。感服いたしました」

「くっくっ。よい。私やタクシスも度々そう思っているからな」

「………」

そういわれてもハイと言えるはずも否定もできず、ヴィドロはただ黙って頭を下げるしかない。

村の工房を一通り回って、アデライーデはお花を摘みに席を外している。今ここ[タクシスがメラニアにシャンデリアを見せた部屋]にいるのはアルヘルムとヴィドロとヴィダだけである。

この村にはグラス工房だけでなく、シャンデリアやサンキャッチャーを作る職人達の他に、皿などのガラス食器やステンドグラス、ビーズ[トンボ玉]やエマーユ[エナメル七宝焼]を作る工房もある。

初めて見るガラス工房見学に、アデライーデが大人しくしていたのは最初のグラス工房だけであった。

皿を作る工房では、深鉢状の熱いガラスが遠心力で丸皿になる工程で、興奮気味に「まぁ!すごいわ!」と声を上げ前に出そうになり、ヴィドロを驚かせアルヘルムにがっちり止められた。

もちろん数歩前に出たくらいで怪我などしようがない安全な距離をとっていたが、ヴィドロの寿命はちょっと縮まったかもしれない。周りが予想しない 貴人(きにん) の俊敏な行動は、従者の寿命に密接に関わるのだ。

皿を作っていた職人に話を聞きたいというアデライーデの希望が叶えられ、アルヘルムと2人で職人に話を聞いている間、ヴィドロはヴィダを呼び寄せた。

「次からの見学だがな…」

ヴィドロが何事かをヴィダに耳打ちすると、ヴィダはこくりと頷いて、そっと工房を離れた。その後の見学は、火を使わない工程のみにそっと変更になった事を知るのは、職人たちだけである。

元々陽子さんは博物館や工場見学、工房体験が大好きな人だ。薫たちが中学にあがるまで、長い休みにはいろんな体験ツアーに申し込めるだけ申し込んでいた。

‐上野の国立科学博物館 にはよく行ったわね。小田原のかまぼこ博物館とかも…。楽しくて美味しかったわ。ガラス工房体験も連れて行きたかったけど、 祐人(ひろと) がまだ小さいから、もう少し大きくなったらって思っていたら、バスケに夢中になって行きそびれてたのよね。

‐前世で果たせなかった工房見学を、異世界で叶えられるとは夢にも思ってなかったわ。

急に老けたヴィドロを先頭に、心配そうなヴィダ、おかしさを堪えきれないアルヘルムを従えて、陽子さんはるんるん気分で足取りも軽く次の工房に向かう。

「火も使わないから危なくはないですよね?近くで見ても良いかしら?ね?ダメ…かしら??」と、目をキラキラさせながら言うアデライーデにアルヘルムは逆えない。

普段にないアデライーデのお願いのオンパレードである。アルヘルムは、少し困った顔をしつつも許すしかなかった。

「職人達が緊張するから、近づきすぎないように。急に声をかけるとびっくりするからね。声をかける時は侍従から質問させるように」

「はい!」

返事だけは良かったが、振返った時には頭からすっぽり抜けていた。

シャンデリアやサンキャッチャーの職人達には真鍮の金具やクリスタルパーツの取り付け方に「コツとかあるんですか?」「1番気を使う作業はなんですか?」とテレビリポーターばりの矢継ぎ早の質問をし、ステンドグラス用の職人の真後ろからガラスをカットする手元をじっくり見つつ「これはなんに使われるステンドグラスなんですの?」「こんな作りのステンドグラスを使った蝋燭カバーってありますか?」と尋ね職人達をどぎまぎさせていた。

通常ステンドグラスは一枚絵のように窓を飾り、取り付けられる場所は、主に教会や王宮、貴族の邸宅である。

陽子さんが聞いた蝋燭カバーに最初はピンとこなかった職人達も、一生懸命説明するアデライーデのそばに集まり、次第にこうじゃないか?こんな作りじゃないかと引き込まれていった。

陽子さんが説明していた蝋燭カバーとは、四角い筒のように蝋燭にすっぽり被せると、夜でもステンドグラスを楽しめる行灯タイプの照明カバーの事である。

下は水紋のような模様のガラスで、上部には葡萄の葉を模したステンドグラスと丸い葡萄のガラスの実が付いた可愛らしいカバーで、百貨店の催事で一目惚れして買ったやつだ。もっとも前世で購入したのは電球のスタンドライトだった。

職人の一人がわら半紙のような紙の束と羽ペンを持ってきて、アデライーデから聞き取ったカバーを絵に描き起こしてゆく。が、すぐにインクが薄れだした。

「あぁ、インクが…。申し訳ありません。すぐにインク壺を持ってきます」

羽ペンは手軽な筆記用具だが、すぐにインクが無くなるのだ。

「ガラスでペンは作れないかしら?多分羽ペンよりインクのもちは良いと思うわ」

「ガラスペン?それはどの様なもので??」

「えっとね…。こんな風に筆先が捻じった丸筆の先のようになっていて、8本くらいの筋がこんな感じに…」

前世の文房具屋さんのショーケースで見た手作りのガラスペンを思い出しながら、わら半紙に書き込むアデライーデを囲み、職人達はふむふむと作り方を考え始めていた。

近くで不敬になるのではと、青ざめたヴィドロは皆に完全放置されている。

-確かガラスペンってイタリアとかでも作られていたけど、インクのもちが良くなくてあまり流行らなくて、日本の風鈴職人さんが改良を重ねたのが爆発的にヒットしたって聞いたわ。羽ペンと違ってはがき1枚くらいは楽に書けるって説明書きに書いてあったような…

「あ、そうだわ。こんな形のものはつくれるかしら。それともう1つ、これくらいのガラス玉を32個ほしいのだけど」

「おい、ビーズ職人呼んで来いや」

「へい!」

いつの間にか職人達に囲まれて、わいわいと話し込みだしたアデライーデを止める者はなく、アルヘルムは従者が持ってきた椅子に腰掛け、事の成り行きを微笑ましく見ていた。

「お待たせしましたわ」

「話は聞けたかい?」

「ええ!たくさん聞けました」

「何か頼んでいたようだが?」

「ふふっ まだ内緒です」

次に案内されたエマーユ工房では、立体的な蝶のブローチの筋彫りのような細い金枠に、乳白色と淡い青のガラス溶液を埋めてゆく職人の手元を見入るあまり、肩越しに頭が少しずつ近づいていくアデライーデにマリアが小声で声をかけた。

「アデライーデ様…アデライーデさ…」

「しっ!今作業中なのよ。職人さんの邪魔になるわ」

いや…邪魔になっているのはどっちなのか…

口の前に立てた指を戻して、また息を殺してアデライーデは職人の手元を見つめ始める。マリアが小さくはぁと息を吐く後ろで、アルヘルムは声を殺して肩を震わせていた。

蝶の片翼を塗り終わったかなり老齢の職人が筆を置くと、振り返ってアデライーデに笑いかけた。

「正妃様も、塗ってみますか?」

「良いんですか?」

「もちろんでございますよ」

「! ア…」

驚くマリアに、アルヘルムは軽く手を上げてそれを止め、侍従の1人に目配せする。目配せされた侍従はすかさずバスタオル大の布を広げ、先程まで老職人が座っていた粗末な椅子に布をかけた。

アデライーデは、うきうきと椅子に腰掛け筆をとり老職人に尋ねた。

「どの色を使えば良いのかしら?」

「そうですな。この皿の色をここからここまでで…この皿のを…ここに」

老職人は針金の様な細い工具で塗る先を丁寧に教えてくれた。

‐緊張するわ。うまく塗れるかしら。

老職人の指す皿に筆をつけ、そーっとそーっと枠を埋めてゆく。

「出来たわ!」

「ほほぅ。初めてにしてはお上手でございますな、正妃様」

ちょっぴりはみ出したが、そこはご愛嬌。自分でもなかなか上手く塗れたと思うし、お愛想も入っているとは思うが職人さんに褒められたのは素直に嬉しい。

アデライーデが作ったブローチは、仕上げて後日離宮に届けましょうとヴィドロに言われ、老職人に見送られてエマーユ工房を後にした。