作品タイトル不明
123 バスタイムと入浴剤
「アデライーデ様、お疲れでしたでしょう?」
バスタブの中で伸びをするアデライーデの身体を洗いながらマリアは優しく労りの声をかけた。
「最近ずっと書き物をされていらっしゃったし、昨日は陛下のお越しもありましたし今日は宰相閣下もお出ででしたし」
「……身体の疲れというより、精神的な疲れかしら」
思い返せば昨日の皇后様からのお手紙が全ての発端だ。
その夜に予定外のアルヘルムの来訪で炭酸水の出荷がサクサクと決まったは良いが、瓶のラベルにアデライーデの顔を…と押してきたアルヘルムを止めるのにあれ程苦労するとは思わなかった。
その後のタクシスからの商会設立の話も、今思い出してもどっと疲れが出てくる。名前だけアデライーデが商会頭で実務は全てタクシスが行うという事を何度も念押しした。
商会の名前もアルヘルムやタクシスからアデライーデの商会なのだから「アデライーデ商会」や「アデラ商会」が良いと強く勧められたが、名前が出るのは絶対嫌だと固辞しお忍びの時の名前の「アリシア商会」で落ち着いた。
アルヘルムからは恥ずかしがり屋だなぁとか、タクシスからは奥ゆかしいと言われたが嫌なものは嫌なのだ。
今度からお忍びの時の名乗りはどうしようかと切実に悩んでいた。
「ご自分の肖像がラベルに描かれるのは名誉な事ですのよ。しかも他国…アデライーデ様にとってはご自分の生まれた国に出され皆が知ることになるのは 誉(ほま) れですのに」
「だから嫌なのよ…」
マリアにもわかってもらえないらしい。
でもそれは仕方のないことかも知れない。
この世界の王族も貴族も商人も職人も、少しでも顔と名前が売れる事を望む。自分が属している世界で顔と名が売れる事は、すなわち成功者と言うことだからだ。
まぁ、それは前世でも同じかもしれないが。
しかし、一般庶民で生まれ育ち「その他大勢」でその人生の大半を過ごしてきた陽子さんには耐えられない事なのだ。
生まれた時から、皆が自分の事を知っているアルヘルムがその気持ちをわからないのはしょうがないのかも知れない…。
そんなことを思いながら、ハーブの入った袋…この世界の入浴剤…をもみもみと揉んでいた。
「でも、国民はみなアデライーデ様のお顔を知っていますわよ」
「え!」
「ご成婚の時に貴族の家には姿絵が配られてますし、大抵の庶民の家でも1枚はお店で買いますもの」
「ええええ!」
「自国の王族の顔を知らないっておかしいじゃないですか。役所などにも姿絵は目立つところに飾られますわ」
「…私、絵を描かれたのは結婚記念の絵だけだったわよ」
「帝国から輿入れ前に贈られた姿絵から宮廷絵師が増産するのですよ。役所とかで公開されれば街の絵師たちはそれを見て絵を書いてお店で売られるんです。王族のご結婚や成人の時の姿絵は特に人気で飛ぶように売れるんですよ」
ミアはニコニコ笑ってそう言い、マリアもうんうんと頷いている。
ちょっと待って!なんだそれは!
肖像権とかプライバシーとかどうなっているのよー!
陽子さんは心の中で叫び声をあげていた。
「だ…だってメーアブルグでは、誰も気がついて無かったし、アベル達も知らなかったわよ」
「それは…アベル達は孤児院にもいなかったので知らなかったのだと思います。それにアデライーデ様が離宮にお住まいと知る庶民は少ないですわ。帽子を被って変装もしてまし…」
「きゃーー!アデライーデ様!」
手に持った袋をぽとりと落とし、アデライーデは浴槽に沈んでいった。